act1「吟遊詩人とその従者が
「ねぇお兄ちゃん、あたしあれ食べたい」
「昼飯さっき食ったばかりじゃなかったか?」
「ねぇお兄ちゃん、あたしあれ欲しい」
「え? ――おい、高くね? 駄目だ駄目だ。そこまで金ねぇ」
「ねぇお兄ちゃん、あたしあれ見たい」
「あぁ、良いかもな。でも先に宿を見つけないとな」
少女と青年が連れ立って、談笑しながら歩いていた。穏やかな日差しの下、やや大きめの街の、賑わうマーケットの中。混みあう人通りの中、手を繋ぐ二人は仲の良い様子だった。
「奏治お兄ちゃん?」
「あ? 何だ?」
道が交差する広場で、青年の手を振りほどいて少女は彼と向かい合った。
「あたしのことあしらってない? 何か、煩い子どもを扱っているように感じられるんだけど?」
「……あー」
青年は答えに窮した。黒い短髪を掻きながら、少女の姿を見ながら対策を考えた。
青年の前で腰に手を当て威嚇するように立っている少女は、背丈からしてまだ十と少しくらいの見た目。オリーブ色の顔立ちは年相応にあどけなく、トパーズ色の大きな眼が剣呑な光を放っている。耳には大きな青く澄んだ石のイヤリングを付けている。彼女はサイズの大きめな青を基調とした色鮮やかな木綿の服を、多く重ねて着ていた。特徴的なのは頭にかぶった大きなつば付き帽。ばさばさのスカートの裾から見える靴も、ペンキを塗りたくったような色彩で異様な気配を放っていた。――青年はこの靴に話を持っていくことにしてみた。
「お前、その靴いつから履いていたっけ?」
「去年くらいだけど、三か月前くらいに直してもらったよ」
「……」じゃあ当分はあのままで良いか?
「あ、もしかして服買ってくれる?」
少女は期待を込めて『奏治』と呼ぶ青年を見上げた。
少女から見る青年は、とても背が高い。実際、彼の背はかなり高い部類に入る。服装はゴワゴワとした羊毛の生地の、裾がきっちりと縫い付けられた暗い青のシャツとパンツ。短め袖から覗いている、筋肉質の腕の色は少女と同じオリーブ色。体型はやや細めで、顔立ちもそこそこ整っている。すくなくとも少女は気に入っていた。
青年は後ろ手に持った、布に包まれたちょうど二メートルくらいの棒をもじもじと弄っていた。――このまま押せば何か奢ってもらえる。少女は確信した。
「ソウジお兄ちゃん。あたし靴はいらないけど、靴下がちょっと良くないの」
「靴下か?」ソウジと呼ばれる彼は少し安堵した。靴下ならそう値は張るまい。――「そうか。ならちょっと見ていくか」
「ホント? ありがとう! ねぇ、あれ!」
少女の指差した先には、チェックの可愛らしい長短の靴下を売る露店があった。
「……違うのにしないか?」
「えー? これがいい」
その靴下は、今いる地域の特産羊毛を使ったもので、ソウジの価値基準の三倍の値段を付けられていた。
「ジル……」
「あー、このキルトも可愛いー!」
ソウジは懊悩した。――これはもう取り返しがつかない。
高い分よいものだろうと自分を納得させ、ソウジは口を開いた。
「じゃあどの靴下にするんだ?」
しかし不幸なことに、少女の狙いは靴下ではなかった。
「んー、やっぱりキルトが欲しい。スカート飽きた。ぼろぼろだし」
「待てよ、ジルコニア! 買うのは靴下だ!」
「あーん、キルト欲しいよー」
「く……!」
窮地だった。今晩は宿代を削って野宿になるかもしれないとソウジは思った。
そのときだった、
「あらあら、賑やかですわね。お姉ちゃん、もしかしてその格好――その耳飾りは吟遊詩人の物? ねぇ、それだったら一つお話を吟じてくださいな。私、歌物語に目がないの。そうしたら、そのキルトあげてもいいわよ」
露店の暗がりから、まだ若々しい女性が現れた。服を売る者だけあって、器量の良い身体にエキゾチックなファッションだった。
彼女の言う吟遊詩人――それは歌と物語を奏で旅する者。独特な服装と、宝石の耳飾りで他人にもそれとわかる。楽器を手に持って歩く者もいるが、少女はその類ではない。因みに、吟遊詩人は宝石の名前を自らの名前とする習わしで、この少女もジルコンを持ち『ジルコニア』と名乗っている。
救いの手だと、ソウジは思った。
「うお! 本当ですか! あ……でも、この場合は良いんだっけか、ジルコニア?」
「えっと……まぁ、何とか良いんじゃないかな? もう少し値段が上だったら駄目かもしれないけど」と少女。
「大丈夫ですよ。前にも吟遊詩人の方に服を差し上げたことがあるわ」
「本当? なら、良いね」
少女――ジルコニアは心の中で小躍りした。そんなジルコニアの様子を見ながら、ソウジは周囲を見渡した。
「この店先でいいのか?」
「あ、この椅子を使って。ねぇ、とっておきのを聞かせてね」
「まかせて! さ、お兄ちゃん」
「おいよ」ジルコニアに促され、青年は深く呼吸して声を張り上げた。――「さあさあ、お立会い! これから天下公認の吟遊詩人、若いけど技は十分のジルコニアが物語を歌いますよ! どうぞ立ち止まって耳を傾けてくれ!」
人々がソウジの声を聞き、彼らの前にスペースを作りながら集まり始めた。その間に、ジルコニアは空を見上げながら小さくハミングをした。すると、何も無い空間から楽器が現れ、ジルコニアの手に落ちた。
「あら、すごいわ。吟遊詩人は三人見たけど、みんなそんなことはしなかったわ」
「私、才能には自信があるの」先ほどとは打って変わった大人びた口調でジルコニアが答えた。――「これは私を取り巻く音空間に仕舞いこんだ楽器を、鍵となる音で取り出したってわけ。楽器はあまり外気にさらすと痛むからね」
期待できそうね、衣装屋の女性は心の中で思った。
「変わった楽器ね。ハープみたいに見えるけど」
「これは輪琴っていうの」
それは普通の竪琴のフレームの中に、弦ではなくシンバルのような円盤が収まったものだった。ジルコニアが鋭い爪で、円盤に刻まれた溝をなぞると、ギターを重奏させたさせたような音色が建てられた。
「ちょっと特別製よ。これを奏でられるのは、今の時代だと私だけね」
ひとしきり楽器の調子を見るように和音を奏でてから、ジルコニアは自分を取り巻く群衆を見た。
「ま、能書きはこれくらいにするわ。ソウジ、下がっていいわよ」
――仕事モードに入ると可愛げがないな、と苦笑しつつソウジはジルコニアの背後に回った。
場の雑音が小さくなった。ジルコニアが手の中の不思議な楽器で短い旋律を奏でると、人々の顔に期待の色が宿った。
「これはある東の国、海に囲まれた数多の神々が住まう国の物語り。一人の少年が異形の怪物に追われているところから物語は始まる――」
流麗なジルコニアの歌声。輪琴が奏でる音色は、ヴァイオリンを何台も共鳴させたような音、彼らの知らない「笙」の音色を作り出していた。
「真紅の髪、珊瑚の瞳のうら若き乙女、颯爽と立ち現れ異形を焼きつくした。焔を使い、赤き羽衣を纏い舞うがごとく、次々と現れる異形達を乙女は滅していった――」
歌の途中でジルコニアの手が止まった。
「――? ジル?」
彼女は椅子を蹴って立ち上がり、目の前の人だかりに体当たりして分け這入った。どよめき、彼女の道を開ける人々の先に、大きな十字の描かれたマントを羽織る騎士の少年の姿があった。
「ねぇ、そこの『教会』の騎士のお兄ちゃん!」
音無・盾という名前の教会騎士の少年は、その街の教会に定期連絡を済ませ宿に帰るところだった。
『教会の騎士』、と呼びかけられジュンの足が止まった。声はあどけない少女の物、だがそのいでたちを見て足を止めたことを後悔した。吟遊詩人――無味乾燥した生活を好むジュンにとって、芸事をする者は好ましくなかった。
ジュンは一度は足を止めたが、面倒なことになる前に去るべく歩きはじめた。
「あー、待ってよー!」
身体に釣り合わない大きな楽器をもった吟遊詩人の少女が、褐色の肌の手でジュンのマントを掴んだ。――暑いのにマントを着なければ良かったと、ジュンは内心で思った。
「ねぇ、お兄ちゃん旅してるの? そうでしょ? あたし吟遊詩人なの。お話聞かせてよ」
「お断りだ。手を放せ、吟遊詩人。俺は忙しいんだ」
「嘘! もうやること無くて、今日は寝るだけだとか考えてるでしょ」
ジルコニアは目付きを鋭くしてジュンを見上げた。
ジュンは男性として標準的な背丈。ソウジよりは低い。身体つきは鎧の下でわからないが、割と頑強そうだ。鈍色に光る鋼の鎧も、十字が白抜きされた茶褐色のマントも、そのいでたちは機能的な理由よりも、周囲を威嚇するような理由で作られているのではないかと吟遊詩人は分析する。肌は薄い琥珀色、ペールオレンジともいう色。やや暗い色の紅い髪は後ろは短いが、前は長く紫の瞳を隠すように伸びている。
天邪鬼で強がりそう、そうジルコニアは結論した。交渉は難しそう、手練手管使っても疑心が強くてすぐ見破られそうとも。――とりあえず自然体で行ってみるか。
「ねぇねぇ、お願い♪ お兄ちゃんかっこいいし、強そうだし、いっぱいお話ししてくれそう」
「失せろ。お前に話してやる話はない」
「うーん。――なら、お兄ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんと一緒に旅をしている人でも良いよ」
「……!」
ジュンは動揺した。反射的に右手が剣の柄にかけられていた。
「驚かないでよ。あたしは『吟遊詩人』だもん。お兄ちゃんに巻きついている運命の旋律が、あたしには聞こえてるのよ。そして、その旋律は一人の物じゃない。旋律は今のところデュエット。だからお兄ちゃんの旅には、一緒に行く人がいるってあたしにわかったわけ」
宝石のぶら下がった吟遊詩人の耳は特別なものだ。ジュンは思い出した。――吟遊詩人は物理的な音以外に、人やその他の感情や、星の動き、風のささやき、大地の蠢きや雲の流れ、さらには万物を動かす運命などといった不可思議な現象を音楽として耳にしていると。
ジュンは目の前の幼い吟遊詩人に感心した。しかし、それでも相手にするつもりはなかった。
「失せろ、吟遊詩人。さもなければ、斬り捨てるぞ」
ジルコニアは楽しくなってきていた、このやり取りに。眼の前の少年は抜身の刃みたいで、ジルコニアが揺さぶりを掛けるほどに隠されもしない殺気が伝わってくる。ジルコニアは平穏を愛するものではなかった。――今の状況は、スパイスの効いたスープのように感じられていた。
「短気だね、お兄ちゃん。そんなんじゃ神様に愛されないよ」
「お前が神を口にするな。――畏れ多い。――それに神は仰られた『汝を阻む者があれば、剣を使うが良い』と」
「あー、そうだった。デミウルゴスは嫉妬深く、戦を好む神様だったね」
チン――ジュンの剣が鞘から僅かに抜かれた。
ジルコニアは笑顔を作りながら、口の中の唾をのんだ。と、そのとき背後から自分の同行者が近づいてくるのを感じた。
「おいジルコニア、お前なにやってんだ?」
「何って、このお兄ちゃんと話してる――って、逃げられてるじゃない! お兄ちゃんの馬鹿!」
吟遊詩人の注意が逸れた瞬間に、ジュンはすばやく彼女の眼前から逃げだしていた。
「おい、お前、歌の途中じゃなかったか。どうして途中で止めていっちまうんだよ? その教会騎士のガキが、そんなに面白そうなのか?」
二人は人通りの多い道の中を早足で突き進んでいた。格好としては、輪琴を抱えたジルコニアが先頭に立って人々を押しのけ、その周りの人々に謝りながらジルコニアの後を追うソウジの姿があったわけだが。
マーケットであるこの道は、進むに従って人の密度が濃くなっていた。夏になっても気候の穏やかなこの街は、人いきれを感じさせない穏やかな風が吹いていた。道の両側の露店には、毛織物を売る店が多かった。染色は地味だが、織る技術がこの地方は優れている。それに構造としてのデザインも面白い。服屋に並んで多いのは肉類の食べ物屋で、ソウジはだんだん間食が欲しくなってきた。
けど、今は目の前のジルコニアに集中するか。
「わかんないの? あたしが――この吟遊詩人のあたしが、わざわざ歌を止めたのよ? ――それにあのキルトも。――あのお兄ちゃんは、きっとすっごい物語の中にいる。それを歌うことができたなら、あたしの名前は偉大な吟遊詩人として記録に刻まれること間違いなしなのよ!」
ジルコニアの血がたぎっている。
吟遊詩人は歌や物語を吟じるだけが仕事ではなかった。世界中を旅して、歴史に残すべき大きな事件や壮大な冒険に関わって、新しい歌や物語を創るのも吟遊詩人の領分だった。その創った作品が素晴らしいものなら、作品と共に吟遊詩人の名も後世に語り継がれていくのだった。
ソウジはやれやれと首を振る。齢十二歳くらいのジルコニア、だが生まれた時から吟遊詩人として仕込まれたソウジの同行者は、その生業に関しては物凄い情熱を注いでいる。吟遊とはジルコニアの本能だった。そして、ソウジはそのことを理解して、できる限り力になりたいとも思っていた。時には呆れて今みたいに首を振ったり天を仰ぎたくなることもあるが、それもまた良い。――何故なら、彼女はソウジの実の妹なのだから。
「――ここね」
ジルコニアが呟くように言った言葉は、ソウジの耳には届かない。
眼前からジルコニアの姿が消え、ソウジは焦る。背の高さを生かして周囲を見渡し、右手にあった人の流れが乏しい横道に飛び込むジルコニアの姿を見つけ、慌てて後に従った。
横道の、さらに横道、石造りの家々の外壁に囲まれた涼やかなせまい路地裏に、背筋を伸ばして行儀よく歩くジュンの姿があった。――真面目そうな奴だな、めんどくさそうな奴、ソウジの抱いた第一印象はそんなものだった。
「ソウジお兄ちゃん、あれ、つかまえて」
「――放っておいてやる、とかは、無し?」
ソウジは、ジュンがジルコニアと関わることで与えられるであろう様々な気苦労を予想し、憐れになって提案した。
「お兄ちゃんっ」しかし言外に却下された。
ソウジは頭を掻きながら、自分より少し背の低い、ついでに年齢も低そうな憐れな犠牲者に歩み寄った。
「よお――」「何用だ?」
棘のある声だった。ジュンは踵を鳴らして立ち止まり、勢いのある動作で振り返ってソウジを睨み据えた。
嫌だな……とソウジは苦々しく思った。
「悪いけどよ、その、お前にちょっと用があるって奴がいて。……ていうか、俺の妹なんだが」
「教会騎士のお兄ちゃん。さっきは逃げちゃって酷いじゃない」
ジュンの太い眉が顰められた。
「またお前か……。お前に話してやることはない。あっても俺は話さない。ついでに、俺は神に仕える者として、逃げるなどという聖典に逆らう行いはしない」
「はいはい。――でね、お兄ちゃんじゃなくても良いって言ったよね? どんな人かはさすがに分からないけど、その人と会わせてくれるだけで良いんだけど」ジルコニアは食い下がる様に言う。
「断じて否だ。むしろ、あいつにこそ、お前のような口さがない連中を近づけるわけにはいかない。――去れ」
「えー、でも……」
押し問答だった。ソウジは溜息をつき、剣呑とした空気から意識を逸らそうと、手に持った長棒の布の包み具合を確かめてみることにした。
柔らかくなるように編まれた麻布の包みを一通り点検し終わっても、まだジュンとジルコニアの問答は続いていた。ただ、ジュンの雰囲気は刻一刻と悪くなっていた。――これ以上放置すれば血を見ることになるかもしれない。
「そこまでにしろよ、ジルコニア」
ソウジは小さい吟遊詩人の肩に手をかけた。
「でも……」
「お前の詩人守護者の言う通りだ。もう帰れ」ジュンが冷たく言った。
そのとき、ジルコニアの瞳が、ぎらり、と危険な光を放った。――ようにソウジには見えた。
「やめろジルコニア――」咄嗟に牽制しようとする。彼女は輪琴の円盤の上に指を這わせようとしていた。
吟遊詩人の歌と音楽は、単なる音楽以上の、特殊な現象を起こす力でもある。
だがジルコニアが奏で始める前に、ジュンが先に行動していた。
『聖グレゴリウス! 清らなる聖歌を、ここに!』
聖句と共に腰の聖符を地面に叩きつける。パァン、とその音は見た目の現象にそぐわず高らかに、威厳を持って鐘の音の如く響き渡った。
「――うあ!」
ジルコニアが楽器を取り落として耳をふさいだ。
その隙を突いて、ジュンは走り去った。
「おい、どうした?」
ジュンがすっかり走り去るのを見届けてから、ソウジは耳を押さえてしゃがみ込むジルコニアに声をかけた。ソウジには今の瞬間に何が起こったのか感じられなかった。羊皮紙の聖符がずいぶん大きな音をたてたな、くらいの認識しかなかった。
「音波攻撃よ。あのお兄ちゃん、吟遊詩人の耳のことを少しは知っているみたいね。逃げる時に足音を追われないように、あたしの耳を塞いで行ったの」
「よく分からんが、あの札の効果がそういうもんなのか?」
「あの聖符は、狙った対象の耳だけに大きな音、それも音域が広くて更にはアストラル的な振動まで伴った音波を叩きこめるみたいね。――やってくれるじゃない」
ジルコニアがおそるおそると耳から手を離した。そして取り落とした輪琴を手に持って構えなおし、天然木のフレームに頭を預けて眼を閉じた。
小さな指が楽器の円盤をなぞり、微かな音が響き始めた。――ソウジにはそうとしか聞こえない。もう一年半共に旅をしてきたけれど。
「見てなさいよ。吟遊詩人が、この私が、本気になったら聞くことのできない音楽なんてありはしないのだから。私の耳は絶対に逃がさない」
今回は説明少なめで行くつもりです。
しかし詩人守護者のソウジ君のことですが、すっかり従者あつかいです。