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東京QUEST Ⅰ  作者: N
17/18

初日

 爛花のあの「深い処」にある書斎から戻って来て何日か過ぎ、自分はラウンジの椅子に座っていた。

 入試の時にも通り、魔王との初対面にも使った、淡い灰色の空気感が漂うラウンジだ。もう馴染みの場所と言ってもいい。《創舎》ではないが、古物のようなモノトーンの空気感がある。巨人族の家のように度外れな縮尺がそうさせるのか。中を通る学生の空気の積み重ねがそうさせるのか。両方なのだろう。

 今日はここでサークルの会合があると爛花から知らされている。

 ラウンジの使い古されたテーブルには学生がぱらぱらと集まり、勉強している人や、六人制ボードゲームをしている人々も居る。自分のサークルの人達は、まだ来ていないようだ。

 先日、爛花の紹介で、自分が顔を合わせたメンバーは三人居た。全員で何人居るのか、活動場所はどこか、何のサークルなのか、さっぱり解っていない。

 自分は、正面のディスプレイをぼんやりと見る。このラウンジの壁は、まさに伽藍のように高く、そこには[フレスコ壁画]のように巨大な画面が掛かっていた。今時、[立体知覚]の装置ですらなく、平面のテレビであった。

 需要があるとは思えないが、このディスプレイは毎回、謎の映像を無音で映していた。この前は誰かが延々と草を刈り続ける映像が流れていた。このラウンジ特有の謎のディスプレイ。[民間]のテレビではない。四個も設置されているのが更に謎めいている。

 ……自分は目を凝らした。画面に視線が、惹き付けられた。映し出されているのは、知らないバンドの演奏風景。誰かが楽器を弾いていると自分は反射的に見てしまう。

[PV]風の映像は、カメラの角度や光の鮮烈さが考えられ、飽きさせない……。だが、大事なところはそこではなかった。たとえば、ギターを弾いているメンバー……。あの人は自分のサークルのメンバーではないだろうか? 入ってから日が浅い自分だが、確かに覚えている。

 ギターだけではない。歌い手さんもそうだ。キーボードもそう。ドラムも。

 そして最後に、見覚えのないメンバーがベースを弾いていたが、それは自分だった・・・・・・・・。見間違いではない。無音で煌々ときらめくディスプレイには、自分が鮮やかに写っている。そこに立っているかのように、ベースを弾いてる。思わず自分の指も動きそうになるほど、正確で、どうかすると質量さえ感じる……。

 だが明らかに妙な事だ。自分は何のサークルかも知らないのだ。音楽をやるのかすら知らないのに、バンドで合わせたことがあるわけがない。もちろん映像を録られた覚えもない……!

 ぴん、と誰かがギターを鳴らした。

 二つ隣の席に、誰かが座っている。

「……あなたは……」

 サークルの[先輩]が居た。初回の顔合わせの時にも居た人だ。

「姉さん」といった雰囲気の長身の女性で、吹雪を思わせる長い青髪をしている。[モデル]のようなスタイルの、近付きがたい美人だ。今日は灰色のジャケットとパンツを着こなし、首には黒い羽根飾りのチョーカーを提げている。

 彼女は長い足を組み、ギターを手にしている。古木を切り出したような風合いの、見たこともないギターである。

「……ギターを弾くの?」

 自分は、訊く。この身体は、他人にびびるのに、敬語は使わない。装飾の言葉を知らないのだ。もう諦めている。

「ああ……。いえ、これは[ギター]じゃないのよ。私のクニの楽器でね。『ガルタル』というの」

 青髪の姉さんは、くわえた煙草から灰色の煙を吹く。不思議と匂いが煙たくない。むしろラウンジの空気の古びた甘やかさをもっと増やす。魔王の葉巻のように、特別の銘柄なのかも。先輩は、『ガルタル』をつまびく。繊細で粒のはっきりした音の連なりが、心地良く空間に開放される……。

「やあ、早いな、君達。サークルとは良いものだ。来れば私の好きなひとびとが誰かしら居てくれる。君達が居てくれなかったら、私は悲しみが深すぎて、この闇の黒砂しかない一面の夜の砂漠に呑まれてしまうところだったよ」

 爛花が来て、向かいの席に座った。長い挨拶だが、爛花にあっては単なる口上ではないのを自分は知っている。この地球唯一の《魔術師》は、今日もどんな特別な景色を観ているのだろうか。爛花は静かにニコニコ笑い、プラコップ入りの謎の青い飲み物を飲む……。

「あらー。わたくし達の演舞の映像じゃありませんかー。懐かしいですねー」

 ふんわりと、甘い匂いと声が隣でして。

 艶やかな金髪の女性がいつのまにか座っていた。

 この人もサークルの先輩だ。菩薩のように包み込む笑みと空気が特徴だ。「姉さん」ほどの際立った長身ではなかったが、やはり抜群の均整と豊潤な肢体を持っていた。

「みんな、お疲れ。きょうは何やる? おっ、ガルタル弾いてるんだな」

 次に現れた人は、健康的な肌ツヤと結った黒髪が特徴の女性だった。

 カーキ色のシャツに黒系のカーディガン、茶色のベルトにパンツルック。黒縁のメガネが年齢以上の落ち着きを与えている。自分はこの先輩にも会ったことがある。――ちなみに、この先輩は映像の中ではメガネを外し、結った髪もほどき、タンクトップになってドラムを担当している。演奏している姿からは活力がマグマのようにほとばしっている。――ちょうどPVがマグマの煮えたぎる噴火口のような背景になったせいもあるが。

「おぉ。あの時の映像か。よく憶えているよ」

 先輩はメガネをクイと上げ、映像を観る。青髪の先輩の『ガルタル』の音色が空気に溶け込み、靄のようにしっとりと周囲を包んでいる……。

「ヴィヴィアンさん、あなたは憶えていますかー?」

 金髪の癒し手のような先輩が、歌うように言う。ガルタルのリズムと合って詩のように聴こえる。この、友愛が漏れ放題の先輩の囁きには、特殊な効果があるのか。不思議と、画面の映像から、密やかな演奏の音が聴こえて来る気がする……。もちろん、気のせいだろう。ガルタルの音と、先輩の囁きが、PVに被さったに過ぎない。当の先輩は、映像の中では、ボーカルを担当している。いつもと同じ笑顔をして歌っている……。いや待てよ。憶えているか、と訊かれた。何を……自分が・・・

 自分はふと、ラウンジが、溢れ返るほどの人で満たされている事に気付く。いつのまにか講義が終わっていたのだ。人の密度がぐんと増した。

「わたくしは、憶えていますよ。いいえ、誰も忘れることができません。あの時のこと。今から行われた・・・・・・・ライブのことを。あなたの記念すべき鮮烈なデビュー」

 先輩は菩薩のように無垢で枯淡な顔をして、確信に満ちて呟く。――あなたの・・・・? わたくしの・・・・・、ではなく? 混乱してしまう……。まさかとは思うが、忘れてしまった記憶でもあるのか。……ああ、そういえば、関係ないが今ごろ思い出した。子供の時のことだ……。自分は近所の教会で遊んでいた。教会の裏庭を歩いていたらシャンバラリアス・・・・・・・・に入り込んだ事があった。シャンバラリアスの外には伝説上の天界のような複雑な都市のシルエットがあった。それで自分は畏怖を覚えて引き返した。気のせいだと思い込ませた。教会には戻れたけれど、あの不思議な異世界には二度と行けなかった。思えば、間違いない、あれは一回り大きな教会などではなく、シャンバラリアスだったし、そこに広がる都市だった……。自分は小さい頃、一度、トーキョーに来ていた。未来に送られることになる異世界を、覗き見していたのだ。実際のシャンバラリアスを構内で観ている今なら間違いなく言える。なんて事だ……。

 しかしそれはPVの映像に比べてどうでもいい事だった。別の記憶は想い出したけれど、映像に関しては全く想い出せない。鮮烈なデビューなんて言われても記憶が無いぞ。

 PVからは音声が聴こえていた。誰かが音声をオンにしたのか。曲の演奏が、しだいに、明白な輪郭を取り始める。かと思えば、いや、やはり先輩のガルタルか? 金髪の先輩も、今はガルタルに乗せて歌っている。こちらの演奏か。あちらの演奏か。チャンネルがめまぐるしく変わり、渾然とする。両側からの音が立体視のようにひとつの音像を創る。

「よし、決めたわ、新入りちゃん。きょうは演奏会しよう。突発さ。名もないサークルの、思い付きのライブなんて、準備はしちゃいないし、誰も見やしないよね。けど、そういう処、自分達ができる事はすぐに何でもできる処が、サークルのいい処っしょ?」 

 青髪の先輩は立ち上がり、ガルタルを弾きながら移動した。ちょうど自分の正面、ディスプレイの真下あたりだ。一段高い楕円形の場所があった。そこにはメガネの先輩・・・・・・・・・・がメガネを外してドラ・・・・・・・・・・ムセットにスタンバイ・・・・・・・・・・している・・・・。先輩はカーディガンを脱ぎ去って、細身だが筋肉質な腕をあらわにしていた。先輩が腕を打ち下ろすと、空間を打ち破るような一個の音が響いた。ドラムに似ているが、初めて聴く温もりのある打楽器の音色は、演奏会の皮切りだった。ドラムの音もガルタルの音も、アンプに装着しているように質量増幅されて聴こえた。

 集まってくる人々。素通りする人々。ラウンジの様子は特別に変わらない。この場所ではライブや演劇やダンス、さまざまな演舞がいつも行われている。あまりに下手な場合は人々も足を止めて非難するかもしれないが、先輩達の演奏はラウンジのあたりまえの風景に溶け込んでいると言えた。そうは言っても、自分が映っている映像の謎は、やはり不可解だ。

「爛花さんはー、フィーレラリエの名手なのよー」

 柔和な先輩は、対面の爛花に言う。初耳の情報だ。しかしフィーレラリエとは何か。トーキョーの楽器らしいけれども……。

闇噩(オンガク)するときにはね、楽器は使いません。藝祈(ガッキ)を使うのですよー」

 楽器ではない……? 確かにイントネーションが違うが……。

「私は最近闇噩やっていないなあ……。今日はフィーレラリエも部屋に置いて来たけど」

「それじゃあー、『カラビ』で参加したらどうでしょうかー? ほら、ちょうど演舞台に、『カラビ』がありますしー。ヴィヴィアンさん、藝祈・・には色々あるのですよー。演舞台に居る二人は『ガルタル』と『ダラムス』ですね。本日は爛花さんは『カラビ』で……。わたくしは『ヴォカ』をつとめさせていただきます。他には『リンゴ』や『シュターヴェ』もありますが、きょうは人が少ないですので、五人でりましょうー」

「ちょ、私もやるのか?」

 菩薩的先輩は、爛花に黙って頷き、自分にも微笑んだ。

 先輩は演舞台へ行き、歌いだした。その声は美しかった。じつに、何と言ったらいいのか、声質や声量の上の次元でとにかく美しかった。

「……仕方ないな。今日は闇噩・・の気分ではなかったけれど……。追悼と思えば悪くはない。機会も逸していたしね」

「……追悼?」

「そう。菱澤の追悼ね。私は彼を忘れたことはないわ。ひと刹那たりとも。もちろんそれは私の記憶がいいからだけれど……。彼の為の曲を弾きましょう。あなたも来るでしょう?」

「……え……?」

「私は『カラビ』を弾くわ。『ベスーゾ』を弾くのはヴィヴィアンね」

 爛花は小突いた。自分が背負っているもの。いつも持っている楽器ケースを。

 爛花は自分を立ち上がらせ、人々が行き交う中、手を引いて演舞台へ連れて行く。

 映像が目に入る。『カラビ』を弾いている黒ずくめの女の子……爛花だ。隣にはベースを弾いている自分が居る。もともとは菱澤のものだったベース。

 あれよあれよと、自分は演舞台に来た。ラウンジが見渡せる。吹き抜けなので、てっぺんまで見渡せる。上の階を群れて歩く人達、見下ろしている人達。

 緊張は、まったくしない。この場所の壁や空気の色は、トーキョーヘイムのものと似ている処がある。何より、さあやりますよと力んで始める演舞ではない。何気なく、いつのまにか始まった演舞なので、観ているひとびと以外に誰も観ていない。いや、それは当たり前なのだが……何と言ったらいいか……此処はごく自然な会場だっていうことかな。

 演舞台の上にいると、先輩メンバーたちの演奏が、物体のように自分を触れてくる。

 音の空間とでもいうものが、風のように自分を包み、まるでこの演舞台ごとを、宙に漂わせるかのようだ。

 自分がベースを弾いて、演奏の空間に合流すると、浮揚感と爽快感は一層増す。全身を洗う音のシャワーは、トーキョーで浴びたどの春風よりも心地よかった。

 カチカチと鳴る鍵盤が響き、爛花が『カラビ』を弾いて参加する。白鍵が黒く、黒鍵が鈍い金色に光る円形の鍵盤楽器だった。円形というのは、ピアノなら鍵盤が直線に並んでいるが、『カラビ』ではほぼ爛花を一周するように鍵盤が囲んでいるのだ。自分の隣で爛花が鍵盤を弾いて……。これはまるでPVの映像そのままである。

「では闇噩・・を愉しもうか。自由に弾けばいい。あなたは弾いた事があ・・・・・・・・・・

 爛花が言った。記憶の殻が弾けるように、何かを思い出した気がする。

 高まった浮揚感に、を観察すると……。一階の人々が少しずつ遠くなり、二階のひとびとの目線が、近付いて来る……! 実際に演舞台が斜め上へ上昇・・していたのであった。

 トロッコ列車のような仕掛けが演舞台にはあったらしい。自分達は建物のなかをゆったりと動いている。まるで演奏を動力にしてステージが動いているようにも思える。そればかりではない。今や建物も動いた。窓や壁がせりだし、湾曲し、あるいは自分達の動きに合わせて、果てしないトンネルのように深く――。いや建物が無音で瞬時に完璧に変形するなどあるわけがない。きっと初めからこういう構造の建物で、演舞台のレールがその順路を巡っているに過ぎないのだ……。

 だがともかく。

 自分達の地面と、建物の動作と、行き交う人々の動作と、すべての動きが渾然として、重力が消えたように感じる。暗い場所や明るい場所が目まぐるしく登場する。光と色彩と物体と線、蜜月のように完璧な共演。演舞をしているのは、自分達だけではない……。これがこのサークルの、闇噩・・なのか。闇噩・・とは何なのか。自分は答えを求めて、爛花を一瞥した。爛花は、魔術を使った。口は一切開かず、カラビの音に乗せて言・・・・・・・・・・った・・

藝祈・・とは、全次元に同じかたちで存在する物だ。たとえば君のベスーゾは弾かなければ物質界にしか存在しない。だが君が演奏すれば九十次元くらいまで存在する。闇噩・・は、普段は分断している各種の世界を、全てくっつける。いわばひとつにまとめて露出させる。闇噩・・をやると、謎に包まれたこの世界のまっとうな姿が初めてお目観えするわけだ。ベールに隠されていたり、全体から引きちぎられた肉片のようなものを見ているよりは、まっとうな全体が観える事は、よほどすがすがしくはないかね』

 詳しくは理解できなかったが、全体として納得した。要は、闇噩・・をしているときには、トーキョーがトーキョーヘイムと一つにくっついている。それを感じるから、闇噩・・は懐かしいのだ。

 自分はふと、いくつものカメラがステージを追尾し、演舞を収めているのを発見した。[立体映像]さえも録れない、旧式のカメラばかりだ。どうやら建物全体に撮影の設備がある。凝った映像を撮影する為の、昔ながらの施設。そう考えれば、演舞台の仕掛けも、建物に展開する夢幻の奇抜さも、理解することができる。

 その時である。観客の人達の頭がほとんど見えないような暗い場処に来て、まわりには煮えたぎる溶岩が映し出された時、まったく溶岩が溢れるように自分は膨大な閃きに襲われた。その瞬間、PVのカットと体験が一致した・・・・のだった。その重なった一点から広がる二つの世界の事を、自分は一気に理解した。つまり――。

 あの映像が録られてい・・・・・・・・・・るのだ・・・。逆に言って、自分は映像内のパフォーマンスをしたことも既にあった・・・・・。その確信を、この演舞台の上で、想い出したのだ。これが、闇噩・・か。外から観ていたら解らないが、中に立ち入ったら、細胞の中心から判った。これから弾く、既に完全に弾いたことがある演舞の中身が。自分はその味わいを知っている。とびきり旨いケーキがあるとして、ちょうどいま食べていたり、たったいま食べ切ったケーキがいつまでもなくならず、手付かずで在り続けるのだ。此処ではその経験が味わえる。

 空間を切り裂く一つの次元のような、カラビの音色を爛花が奏でる。硬質で、頑固で、金属線がピンと張り詰めたような音色。

 緊張と悲しさと重量感ある旋律だったが、考えられないほど美しかった。ひたすらに甘くて重いが、どこまでも透明な蜜のような音色が、自分達を充たした。爛花の即興の旋律は、まさに菱澤の晩年をくっきりと描いてみせた。爛花は言っているようだった。『これは菱澤の追悼と、私達の門出だ。菱澤がこの旋律を生み出した。よく聴きなさい、菱澤……』と。

 爛花の演舞に、まわりも合わせた。青髪の先輩は『ガルタル』の音を細く摩擦的な音に変え、『ダラムス』の先輩はダンボール越しに叩くような籠もった音に変え、『ヴォカ』の先輩は削り捨てるような発声に変えながら、存在感を一段階、縮めた。自分も『ベスーゾ』の音色を、粒を潰したぼやけたものに変え、『カラビ』を引き立たせた。バンドの演舞は一つの有機体の動きのように速やかだった。いや、別に自分達は、バンドなんて組んではいない。闇噩・・のことを知っている人々が、たまたま集まって、知っている言葉で「話し合っている」だけのようなものだ。

 このサークルは闇噩・・サークルではないだろう。それは飛び入りで参加した爛花をみても明らかだ。いろいろな活動があるのだろう。闇噩・・はそのうちの一つでしかない。

 演舞台を観ているひとびと以外は、誰も自分達を観ていない。それはたまらなく自然で、調和している。今の自分には、世界の全てのものは、完璧な形態と動作をしているように思えた。サークルの突発の演舞だけで、こんなに愉しいのだ。

 一階を観降ろすと、誰かが自分達の演舞の司会をしてくれている。全身で活力を表現し、晴れわたる瞳が鮮やかな女の子は……アマミキョーだ。お客さんも、たくさん、観てくれている。アマミキョーの近くでは、葉巻をくわえた魔王が、腕組みして見上げている。やはり観に来てくれたか。本人に訊いたら「たまたま居合わせただけだ」とか言うに違いないし、実際そうかもしれないけれど。

 お客さん達だけではない。この場処には、あたかも[宇宙線]のように、一種の見えない光が満たしているに違いない。壁も、色も、空気も、全部のものが、自分達の演舞を一緒に創ってくれている。全ての物や陰翳が、流体や液体のように輝いている。何もかも、完璧だ。トーキョーは、万全だ。爛花や魔王やサークルの人たちが居る。自分はここで、冒険を続けていく。それがこの世界の、調和のかたちなのだ。この世界は初めからこうでなければならなかった……。だから自分は居る・・・・・・・・。世界の調和の、必然的な因果が、自分を召喚した。世界が自分を呼んだのだ。自分はいま、帰りたいだろうか? それはもはや自分に決められることではない。自分はこの世界に呼ばれ、ここに居るからだ。トーキョーが自分を呼んだのと同じ機縁があれば、また向こうに帰るだろう。それは確かなことだ……。だが今は、トーキョーヘイムでトーキョーの事を考えるような無粋なことは、やめておこうじゃないか。

 自分はいま、現在ここに、終わらない物語すべてがあると感じる。そして物語が、続くだろうと感じる。ずっと、果てしなく、目くるめく模様で、続いて行くだろう。すべてが在る時間と空間の絵巻物が終わることはない。これが勇者の、生き方だ。たえず現れる彩りが、新奇な敵や味方が、洞窟や魔城やイベントが、自分の魂を引き付ける。移り変わる世界の彩りと、自分は併走して一つも見逃さないし、一つも漏らさない。世界の彩りこそ、自分なのだ。この、移り変わる彩りの世界こそが、自分そのものだ。その事は今、闇噩・・を演りながら、直感的に判った。自分は世界と伴にある。最初からずっと、世界(自分)が世界を観ていたのだ。それだけだった。トーキョーの謎は、初めから自明だった。その事に気付いた。まさに世界レベルの雄大な驚き。しかも、その驚きが当たり前なので驚きに・・・・・・・・・・値しなかった・・・・・・という、強烈な納得だった!! 見知らぬトーキョーに自分が送られて来た理由が分かった。今まで、その理由を捜し求めた。だが、捜しさえしなければ、その答えは自明のものだった。トーキョーヘイムであろうと、トーキョーであろうと、世界がある限り、完璧な答えがある。このトーキョーは、自分であったのだから。

 自分は、恍惚の忘我と全一感の中で、無限に続くかと思われる『ベスーゾ』のメロディを奏で続けた……もちろん自分の身体は、そんな内心を毛先にも表さず、一箇所で不動で淡々とした顔で指だけを動かしていたのだが。

 

 *

 

 何日か経ち、一緒に晩ご飯を食べないかと爛花に呼ばれて、自分は文科学部の食堂に初めてやって来た。キャンパスの入口から続いた桜並木は、すっかり逞しい葉をいからせていた。

 この、文科学部の食堂は、瀟洒な雰囲気で有名だ。テーブルや椅子はデザイン性の高い見慣れない物で、もともと広い場所に鏡や吹き抜けや透明天井を配置することで、何倍も大きな空間に感じさせていた。

 夜間である今は、宇宙にぽっかりと浮かんだ人造庭園のようだ。

 カフェテリアの最も奥、鏡の壁の真下から、爛花が手招きしていた。

「ここは大学のカフェテリア・その2よ。食事をしましょう」

 爛花はミルクスープパスタをフォークに巻きつけて、ふんだんな白い汁ごと口へ啜り込んだ。自分のトレイには「本日の夜定食」のチキン南蛮が載る。正面を向くと、爛花の黒い背中と、自分の白い髪の少女の姿が映っている。向こうからニュッと緑の腕でも伸びて来そうでゾッとしない。夜がそうさせるのだ。誰かが遠くのトイレのドアに入った音が聴こえる。すごくしずかだ。食器に爪が触る音さえ響く。講義が終わり、時間があいたためか、奇遇にも誰も居ない。こんな時間帯もあるものだ。広いカフェテリアを充分に照らす明かりが、昼下がりの色の光をむやみに塗り付けていた。

「あなたは詩人ね……。私には無い才能だわ」

「……え」

 カフェテリアの景色に観蕩れていた心境を読まれたようで、自分は挙動不審になる。もっとも、肉体にはほぼ表れない。だが肉体の気配を、爛花は雄弁に読み取る。

「目を観れば判るわ。いいことね。詩的でない勇者なんて、一人も居なかったのだから」

「……」

「すごくまずい料理だわ。《饗堂しょくどう》に比べると、素材、味付け、インテリア、あらゆる点が最悪。けれど、それが最高・・・・・……。暇な一日の終わりに、ヴィヴィアンと学食で安い料理を喰うのは、私の夢の一つだったのよ。優先順位は低いから、今の挙行となったわ。[学生生活]にも慣れた頃でしょうし、ちょうどいい時期ではなくて?」

 爛花は食堂という言葉を、聴き慣れないアクセントで述べた。きっと自分が行った事がない食堂を意味しているのだろう。自分は、白いソースのたっぷり載った南蛮揚げを食む。塩気が強く、脂っこいが、トーキョーヘイムには無い味で旨いと思うぞ。

「一応、サークルっぽい活動も経験してみたわね。どうだったかしら?」

「……とても、愉しかった。正確に言って、夢のようだった」

「思いの外、歓んでくれたのね。ところで、ヴィヴィアン。あなたはこの世界に来て、どんな事を経験して来たかしら? ちょっと思い出してごらんよ」

 爛花に訊かれ、自分はトーキョーでの経験を振り返ってみる。この世界の歴史に、どんな冒険を記せるだろうか……。

「……大学に入って、サークルに入って、闇噩・・のライブをした」

 それだけだった。他に無かったかと考え直したが、無かった。実際、これだけだった。

「なんだ~。『大学に入りサークルに入り大学生活を送るだけの物語』か~。それって、どうなのかしら。ほとんど何もしてないじゃない」

 爛花は食べるのをやめて、呆れたように頭の後ろで手を組んだ。

でも・・愉しかったでしょう・・・・・・・・・?」

 今度は豊満な胸を押し出すように腕組みをして、無邪気な笑みで言った。――これもまた、《魔術師》の笑みか。

「私達の[学生生活]は、毎日あんな感じよ。サークルでは、思い立ったらすぐに、いろんな活動をする。それらの活動は、東京の流れに埋もれて、たちまち消えてしまうわ。特筆すべき事は何も無いわ。逆に特筆すべきことばかりとも言えるのだけどね」

「……わかる」

 自分は胸に手を当ててみた。爛花が伝えようとしていることは、理解というよりも、実感としてあった。たとえば、闇噩・・のとき……。いや、あの演舞に限らず、トーキョーでのイベントをどこで切り取っても、たしかに世界は特別だった。どんなイベントの中でも、世界の全部が、自分に降り注いでいたのだ。

 自分が、それだけを求めるもの――冒険が、雄弁にあった。雄大な世界があった。

 自分は伝記屋ではない。勇者の跡から伝記はできていくものだ。できてほしいと願う。そうすれば自分が勇者の伝説を読んで育ったように、後進の勇者が自分の跡を辿ってくれるから。

「あなたもこの世界に慣れてくれたことだし……。私ね、これから旅に出ようと思うの」

 爛花はパスタを食べ終え、平皿をトレイに置いた。コトン、という清冽な音が昇り、天井を抜けて宇宙に達するかのように思えた。

「……旅……?」

「そうよ。あの人・・・のように、真理を掴む旅に出るの。あの人・・・とは違う道のりでね。私はどうしても重い。闇との親和力こそ魔術の鍵。あなたにはいっさいない闇の重みを私は持っているし、愛している。なぜなら重みがなくて、舞い上がってばかりいたら、われわれはしだいに微粒子ですらない塵となっていき、しまいには真っ白の光の中へ完全に消えてしまわなければならないのだから……。とはいえ、例外はあなた。あなたの周囲では、闇は消去されるわ。勇者とは破邪の精霊の加護を受けている生まれの者なの。《魔術師》は闇を道しるべにして歩くのよ。勇者が光を道しるべにするようにね」

 爛花は《魔術師》と勇者の区分を明かす。初めて聞く勇者の定義である。異境に来ているとはいえ、自身の事は意外と分からない。それにつけても、爛花は物知りだな。

「私はいま、『物語』と言ったけれど、そうね……。その文脈で言えば、『物語』は終わってしまったと言ってもいいわ。彼等・・にとってはね。あぁでも私が旅立つのは『物語』云々とは関係が無いのよ。私は《魔術師》としての闇の導きに従っている……」

 旅の構想もだが、謎めいた言葉も唐突に爛花は口にした。

 それは、彼等・・という言葉だった。

「……だれ?」

 彼等・・とは、爛花の旅と関係があるのだろうか。一緒に旅する相手なのか。

「あなたにも関わりがある人々だから、少しだけ教えておくわ。けれど深く知る必要はないし、《魔術師》でなければ直接関わる相手でもないわ。つまり彼等はあなたに関わり・・・・・・・・・・が無いからこそあなた・・・・・・・・・・に関わっている・・・・・・・人々なの。あなたには指一本触れないけれど、『物語』を手に取って弄ぶんだよねえ」

 爛花は演舞の続きかのように、ユーモラスな呆れ顔を作った。

「……世界の外側に居る?」

《魔術師》しか関われず、自分にも触れて来ない。つまり、超自然的存在。精霊よりも遠くに居る者達。そういう存在なのか。

「いや~、全然、そこまで大した種族じゃないんだけどね。ある意味マスコットに近い種族かもしれないわ。遥かに悪辣で横柄と言えるけど。でも、あなたには一生縁のない人々。勇者は彼等の悪辣な目論見に惑わされない光の力・・・を持っているからね。もしもあなたが彼等に囚われそうになったなら、《魔術師》の力で私が救い出してあげる」

 奇怪な存在の彼等・・であるが、マスケと似た者達なら、マスケと同じように[スルー]で行けるだろう。爛花も請け合ってくれたし、鷹揚に構えておこう。

「……旅は、どこへ?」

さあね・・・だがあてはある・・・・・・・。――といったところかしら。《魔術師》の精神が私を導くままに。この世界の別の領域かもしれないし、あなたのように別世界で転生しているかもしれないわね」

「……居なくなってしまうの?」

「伽藍堂大学で学生をやっている私は、突然消えたりはしないわ。闇は重量――闇への愛ある者としては、物体と物質の法則は破らないで、事を進めて行きたいからね。だから私が菱澤のように突然居なくなることはないわ。安心して」

 爛花の旅は、爛花がふいにトーキョーから居なくなる事ではなく、魂の旅・・・を指しているらしかった。この世界への根本的な姿勢を変えること。そういうことを意味しているようだ。今も《魔術師》の術を使い、肉体では自分と喋っているけれど、魂では世界の地下深くを探査しているのかもしれない。

あの人の認識力・・・・・・・は、紫羅爛花という人間の中では、美へのこの上ない衝動・・・・・・・・・・になって宿っている。力が受け継がれるとき、個性の器に応じて変形するものだから……。私にとって、真理の探究は、美しいものを観続ける先にある。美しいものが美しいことは、分かりきっているね。しかし美しさには際限がない。美しい物を世界に露わす為に、私は魔術を捧げる。私は魔術を遣って、ひたすらに美を露わす。そのうちに、魔術を超える・・・魔術の体系を《魔術師》の精神が告げ知らせてくれるのではないかと、私は期待している。美にまみれ、美を幾層にも重ね、美のエネルギーがこの宇宙の制限を越えて溢れ出した時、この宇宙には穴があき、私達が誰も知らない、宇宙ですらない・・・・・・・異形の世界が私達の世界に流入してくるのではないか……とね。それは、あの人・・・でさえ観ることが叶わなかった宇宙の向こう。宇宙にはその言葉が存在しない、魔力の別の秩序。《新しい魔術》の開発。この宇宙の真理・・・・・・・ごときでは、満足するわけにはいかない」

 爛花は満面で怪しく笑う。

 実際のところ、美しいものを語る爛花の笑みは、最も美しいものに観えた。貪欲さを純朴に表明する――だけではなく、それはおそらく、紫羅爛花という宇宙の一粒の塵をどう扱えば最も美しいか、知っている・・・・・からだろう。今更ながら凄い仲間を持ったと思った。だが、仲間の一人が爛花で良かったと思った。いま爛花が言ったような事、そのくらいしてくれる仲間でなければ、自分は遠くない日に冒険に飽きてしまうに違いない。最低でも世界や宇宙を股に掛けるから、冒険は面白いのだ。トーキョーヘイムに残る伝説も、そうした物語ばかりだ。

「そうだ、万一に備えて、このことは言っておこう……。もしも旅の途中、私が不自然に居なくなった時は、《創舎》を訪れて。そういう時は東京をいくら探しても無駄だから」

「……どうして?」

彼等・・の介入よ。世界は、うまく仕上げられた一幅の絵に似ている。出来上がった絵の隣に画布を付け足したり、描き足したりはしないものよ。美しい物の前では、ただ眺めるにとどめるのが、儀礼ではないかしら? ところが彼等・・は儀礼を知ろうとはしない……。力尽くで『物語』を動かそうとする無粋な勢力が、世界のはざまに潜んでいるのでね。搾り尽くしてカスも出ない世界を更に搾っても、巨人どもの醜悪な圧搾機が苦しげな音を出すだけだよ」

 爛花はデザートに調達していたコーヒーゼリーを掬った。その苦甘さに同調するような深い笑みを浮かべた。きっと彼等・・を意識した笑みなのだろう。つまり、彼等・・を意に介していない事の表明のような笑みだった。

「ともあれね……。私は美しいものが好き。堪らなく好きなのよ。美しさを観る時は、物の格好じゃなく、物の魂を観る。ヴィヴィアンは東京ではとびきり美しい。私が伽藍堂大学で出会った人間の中では一番と言えるほどよ。同じレコニングマンという奇縁の美しさもあった。冗談を言うなら、ヴィヴィアンに出遭えた事で、伽藍堂大学を今夜にも卒業してもいいほどよ。私は今、この世界に、満足しているわ」

 爛花はスプーンに載せたコーヒーゼリーのかけらを観た。そこに映る天井と、天井から覗く宇宙を観ていた。自分に気付くと、食べるかしら? と言って、スプーンを傾ける。

 爛花は自分よりも早く大学を卒業する。いろいろな旅がある。今回は離れないだけのことだ。だけど自分は動揺しない。爛花が何処へ行っても寂しくはない。なぜなら……。

「……アーツリン。真理を探す旅、自分も付いて行く」

 爛花が何処に行こうと、一緒に居ればいい。詳細不明だが、とびきりの冒険だろう。爛花と一緒が、自分の指針だ。トーキョーに来た勇者の、何より大切な仲間だ。

「そうか、あなたは勇者だったものね……。私も賛成よ。ずっと一緒に旅をしましょう」

 爛花はトーキョーヘイムの仲・・・・・・・・・・間の笑み・・・・で答えてくれた。それが爛花の術かどうかは知らない。今また世界が繋がっていた。景色の骨組みでは、二つの世界が混ざり合った。自分はここで爛花と一緒に旅をしよう。愉しませてくれるだろう。

 自分は、仲間を観ているだけで愉しい。勇者は、仲間という幸福に囲まれた、幸せな商売だ。それも勇者の、つまり自分の、素質が仲間を惹き付けるからなのだろう。

 それは自惚れではないし自負でさえない。素質はもともとあるもので、説明できない。とにかく自分は、勇者に生まれたことに、感謝し尽くしている――トーキョーに遷移してさえもだ。

 そしてなにしろ勇者なのだから、自分と居れば爛花もサークルの人達も退屈はさせない。自分は仲間を与えられる代わりに世界最上級の冒険を与え続けることを誓うぞ。トーキョーに不案内だった今迄は、本当に一方的に爛花にお世話になったけれど、これからは自分だって冒険へエスコートしてあげるんだ。

 勇者は言葉にするのが苦手だし、実際のところ言葉にしづらいが、やり方は判ってる。どう動いたら冒険へ繰り出せるかは、世界が教えてくれる。トーキョーでも変わらない。周囲のあらゆる物事が自分と一体になって導いてくれる。何なら今すぐ実践したっていい。自分は一息にカラダを乗り出し、爛花が所在なく持っていたスプーンに口をつけた。ゼリーの冷たい甘味と喉ごしが滑らかだ。

「――いい区切りね。ここで《終わって》おく。としましょうか」

「……?」

 爛花は昼休みの終わりを告げるように言った。

 自分はカフェテリアの時計を見た。営業終了までは、まだ一時間はある。

「こちらの話なの。言っておこうかなって。気にしないで……。ところで、あなたはデザートは喰べないの? 三日前からタイの甘味フェアをやっているようよ」

 そう言えば、テーブルにはフェアの紙が置かれ、聞き慣れないさまざまな甘味が写真入りで出ている。タピオカや、タロイモや、ココナッツミルクを使っているのか。どんな物なのか興味があるな。

「……じゃあ、自分はこのカノム・ 


                                   (了)

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