第1話 極夜の国
あたたかい夢を見た。空には大きな炎が浮かんでいた。その炎はこれまで見たどんなものよりも優しい輝きを放っていたが、それでいて、暴力的なほどにまぶしかった。僕はそれを心の底から美しいと感じた。その美しさに触れようと、思わず炎に手を伸ばしたとき、目が覚めた。遠くで朝を告げる鐘の音が鳴っていた。夢の名残を探すように、部屋の窓から空を見上げたが、そこには星々と月がただ浮かんでいるばかりだった。いつもと同じ朝なのに、僕にはそれがひどく寂しく、暗いものに感じられた。窓の外をぼんやりと眺めながら、さっきの夢のことを考えていると、ふいに、部屋が明るくなった。母が魔法で部屋を照らしたのだ。その光には、なぜか夢で感じたあのあたたかさが宿っているように思えた。
「ソル、早く起きないとお手伝いに遅れるわよ。ほら、八百屋のラガロおじさんのとこ。もう朝ご飯は用意してるから早く食べなさい」
母はそう言いながら、僕の背中を優しく叩いた。そういえば今日は店番を頼まれていた。僕は急いで朝食をとり、身支度をして、家を飛び出した。
町は相変わらず暗かったが、朝市場はすでに多くの人でにぎわっていた。僕は、今朝見た夢のことが、どうしても頭から離れなかった。野菜を並べ直しながらも、あの炎の輝きが何度も思い浮かんだ。誰かに話したくて仕方がなかったが、僕は目の前の仕事を続けた。その日は仕入れが少なかったのか、珍しく昼前には野菜が売り切れた。僕が売り場を片づけ始めたころ、遠くに、見慣れた二人の姿があった。ラガロおじさんと、犬の獣人のモルンだ。モルンは僕の腰ほどの背丈で、頭にはふさふさとした犬の耳があり、今日も尻尾を元気にぶんぶん振っている。最近腰を悪くしたラガロおじさんに代わって、彼女は重そうな荷物を軽々と市場の店主たちのもとへ運んでいた。彼女が荷物を届けている間、僕はおじさんに今日の売上を報告し、途中で野菜が売り切れてしまったことを伝えた。
「あー、野菜があんまり届かなくてよォ。最近またちっと寒くなったし、たぶんそのせいだろ。昔はあんまり寒くなかったのになァ」
ラガロおじさんはパイプをふかしながらそう答えた。おじさんが売上を計算し、帳簿につけている間、僕は、今朝見た夢の話を彼にした。あの炎の美しさを僕は一生懸命伝えようとしたが、おじさんは笑いながら、「んなもん夢の中にしかねえよ」とだけ言った。おじさんと一緒に店の片づけをしていると、12時を告げる鐘が鳴り、モルンが両手に大きなパンを抱えて戻ってきた。すでに片方は半分ほどかじられていた。
「おじさん!荷物運び終わったぞ!お小遣いくれ!」
彼女は口いっぱいに頬張ったパンを飲み込んでから、そう叫んだ。おじさんは売上金から数枚の硬貨を取り出し、彼女に手渡した。
「ありがとう!!じゃあ私はもう帰るぞ!」
彼女は硬貨をポケットにしまうと、家に向かって走り出そうとした。
「あっ、モルン!ちょっと待って!」
僕は店先から大声で彼女を呼び止めた。
「この後暇だったら一緒にお昼ご飯を食べよう」
僕の言葉に反応し、モルンはピタッと立ち止まってこちらを振り返った。僕は、今朝見た夢の話を彼女にもしたかった。それに、ちょうど僕はお腹が空いていた。
昼時の食堂は人で溢れ、あちこちから食器の触れ合う音や話し声が聞こえていた。モルンはさっきまでパンを食べていたというのに、運ばれてきた料理にがっついていた。僕は彼女に今朝見た夢の話をした。料理に夢中な様子を見て、ちゃんと聞いてくれているのか少し不安になったが、彼女は相槌を打つ代わりに耳をぴくぴく動かしていた。
「それ、絵本で見たことある気がするぞ!」
彼女は料理をすっかり平らげたあと、そう言った。
「絵本、どんな絵本なの?」
「なんか草がばーって広がってて、家があって、上のほうにでっかいオレンジの丸がドーンって感じの絵があったのを覚えてるぞ!」
どうやら彼女は話の内容までは覚えていないらしく、絵本に載っていた絵について身振り手振りで教えてくれた。そして胸を張ってこう言った。
「この国は暗いからな! 私は頑張ってお金を貯めて、絵本に描いてあった景色が本当かどうか確かめに行くんだぞ!これって国外旅行って言うんだろ!おじさんから聞いたぞ!」
彼女のしっぽは、いつも以上に勢いよく揺れていた。
「でも国外旅行って、どこに行けばいいんだ?ソルは知ってるか?」
「うーん、知らないや。考えたこともないし。あ、でも母さんなら知ってるかも。物知りだし」
「おお!ほんとか!?」
僕たちは食堂を出て、家へ向かうことにした。昼時を過ぎた市場は、朝ほどの賑わいこそなかったものの、多くの人が行き交っていた。市場を抜け、見慣れた通りを歩いていると、近所に住む顔なじみのおばさんが、家の前で洗濯物を干していた。
「あら、ソルくんじゃないの!今日はかわいいお友達と一緒なのね」
「うん、モルンっていうんだ」
「こんにちは!」
モルンが元気よくあいさつした。
「まあ、元気な子ねえ。今いくつ?」
「私は大人だぞ!」
「そうかいそうかい、もう大人かい。ああ、そうだ、ソル。渡したいものがあるからちょっと待っとくれ」
おばさんは洗濯物を干す手を止めて、家の中からクッキーの入った皿を持ってきた。
「これ、おすそわけだよ。作りすぎちゃったからね。あんたの美人な母さんは遠慮がちだから、二人で食べな。」
「わあっ、ありがとうございます」
「いいのいいの。それと、あんたの母さんに美貌の秘訣でも聞いといてくれ」
「わかった、聞いてみる」
「ふふっ、頼んだよ」
家に着くと、母は僕とモルンをやさしく出迎えてくれた。モルンは母の膝に乗り、先ほどもらったクッキーをぽりぽりと食べていた。そうだ、母にはまだ今朝見た夢の話をしていない。
「母さん、僕、不思議な夢を見たんだ」
「へえ、それで朝なかなか起きてこなかったのね。どんな夢?」
「えーっと、空に炎...?みたいなのが浮かんでて、すごく大きかった。でも熱くはなかったんだ。あと、すごくまぶしかった」
「...あなたはそれを見てどう感じたの?」
「うーん、正直、少し怖かった。けど、それ以上にきれいだったよ。これまで見たどんなものよりも。」
「それは...とても不思議な夢だったわね」
母は一瞬目を伏せ、深くため息をついたが、すぐにいつもの優しい表情に戻った。そして、本棚から一冊のぼろぼろの絵本を魔法で引き寄せた。
「えーと...あなたが見たのはこんな感じだったかしら?」
母はページをめくり、一枚の絵を僕に見せた。
「ああ、そうそうこんな感じだったよ。母さん、これは何?」
「ふふっ、これは太陽よ、ソル」
「たいよう!」
モルンはそう叫んで、母の膝から飛び出した。
「そう、太陽。ずっと昔、この空に浮かんでいるのは月と星々だけじゃなかったの。太陽の光が世界中を照らしていたの」
「月に似てるね」
「そうね、でも太陽は月よりもずっと明るくて、あたたかいのよ」
「太陽はいまどこにあるんだ!?」
モルンが尋ねた。母は少し考えた後、こう答えた。
「太陽はね、消えたのよ、モルン。あなたたちが生まれるよりもずっと前に起きた戦争のせいでね」
母の言葉がよくわからなかったのか、モルンは首をかしげて、「せんそう?」とつぶやいた。
「戦争っていうのはね、国同士が戦うことよ、モルン。あなたたちが生まれるずーっと前に、太陽の持つ大きな力を巡って、国々の間で戦争が起きたの。その戦争は世界中に広がって、最後には太陽がこの国から消えてしまったのよ」
「国の外には太陽がまだあるかもしれないの?」
「さあ...太陽が消えた後、国境付近は深い闇に閉ざされてしまったから...。今では、その先に何があるのか知る人は誰もいないわ」
モルンのしっぽは先ほどまでちぎれんばかりに揺れていたが、母が話し終わるころには、床につきそうなほど垂れ下がっていた。
「じゃあ、国外旅行はできないのか?」
「そうね...難しいと思うわ。国境の闇はとっても危険なの。無事に通り抜けることは難しいわ」
「そっか......」
モルンはしょんぼりとした様子でうつむいたが、すぐに顔を上げた。モルンと目が合った。僕も、もう答えは決まっていた。
「でも、いつか行ってみたいぞ!国外旅行!絵本で見た景色が本当か自分の目で確かめるんだ!」
「うん、僕も太陽をこの目で見てみたい」
僕とモルンの言葉に、母は戸惑っているように見えた。しばらく僕たちの顔を見つめたあと、絵本へと視線を落とした。そして、描かれた太陽の輪郭を指でそっと撫でた。
「そう...。二人とも、見たいものがあるのね」
母はそう言って優しく微笑んだ。けれど、その表情には寂しさが滲んでいるように僕には見えた。
「でも、二人とも、国境には近づかないと約束してちょうだい。あそこは本当に危険だから」
「わかったぞ!」
すっかり元気を取り戻したモルンに続いて、僕も力強く頷いた。
その晩、僕は暗い部屋の中で、今日あった出来事をひとつずつ思い返していた。ふと、朝のことが頭をよぎった。母さんが魔法で部屋を明るくしてくれたときの光。あの光には、夢の中で感じたものと同じ温かさがあった。僕は母さんに前に教わったとおり、ゆっくりと魔力を込めた。すると、手のひらに小さな光が灯った。ぼんやりと、すべてを包み込むような柔らかな光。
いつか、あの輝きを――太陽を、この目で見てみたい。
そう思いながら、僕はそっと手を握り、手のひらの光を消した。そして、ゆっくりと目を閉じた。暗闇に包まれた部屋の中で、夢に見たあの輝きだけが、まだ目の奥に残っていた。




