第七話 面会時間
判決までに、季節が何度か変わった。
起訴から一年半。公判は、死んだ人の数だけ日程を食った。
情状として、兄のことも、去年の病院のことも法廷に出ている。
出したのは弁護人で、彼女は最後まで、それを言い訳にしなかった。
理由を先に読むか、主文を先に読むか。読み方で、だいたい分かる。
その日は、理由が長かった。
「被告人を死刑に処する」
彼女は動かなかった。
裁判長がもう一度確認したとき、はい、と答えた。声の高さは、録画のときと変わらない。
弁護人が控訴した。
俺は記者の前で、続けてほしいと言った。
「本人が決めることです。ただ、続けてほしい」
カメラの前でそう言えば、記事になる。記事になれば、彼女も読む。
彼女は読んで、二週間後に取り下げた。
取り下げの書面は、彼女の字で書かれている。
新聞は、その字のことまでは書かなかった。
俺の裁判は、その前に終わっている。
放火予備と、妻への傷害。執行猶予がついた。
前の刑の執行が終わってから、五年以上が経っている。
法廷を出るとき、弁護人が言った。
「運がよかった、とは言いません」
「言わなくていい」
*
確定した年の暮れに、彼女は遺言をつくった。
自分の持ち分を、全部、夫に。
写しは弁護人から郵送で来た。封筒の宛名は、彼女が書いている。
字は、高校のころより大きくなっていた。
会社には彼女のものではない部分もある。賠償と清算が先に来る。
残るかどうかは、残ってみないと分からない。
俺は、残った場合の受け取り分を全部寄付すると公表した。
行き先は、犯罪被害者の支援をしている団体にした。
会見は15分で終わる。
質問は三つ出て、三つとも彼女のことだった。
まだ生きている人間の財産について話しているあいだ、俺は机の下で、名刺入れの角を親指で押していた。
押した形は、紙のようには残らない。
会見場を出ると、廊下にカメラが並んでいた。俺は同じ角度で撮られながら、同じ歩幅で歩いた。
*
事件からの記事を、日付の順に並べて読んだ。
画面を下へ送ると、俺の顔が何度も出てくる。角度が全部違う。
十年前の記事も、まだ残っていた。学校の名前が入ったままのものが、いくつかある。
消してくれと言えば消えるものもあるらしい。俺は頼まなかった。
投稿も、その順に出てきた。
最初のころのもの。
【あんなに若くて優秀な人が、どうしてあんな男と】
【親が反対する相手って、やっぱり反対される理由があるんだよ】
俺の供述が公判に出たあと。
【七年、子どもを飼ってたってことだろ。死刑でも足りない】
【教師だったっていうのが、いちばんきつい】
判決のあと。
【この人、最初から奥さんを庇ってただけだった】
【ストックホルム症候群って、こっちの旦那のほうじゃないの】
【何も知らない他人が、よく二回も評価を変えられるな】
半年後に、本が出た。
書店の平台で、帯だけ読んだ。
【28人の夜、彼は妻を庇い続けた】
買わなかった。
平台には、同じ本が四冊積んである。一冊だけ、角が少し潰れていた。
レジの列を通るとき、俺の顔を見た店員が、目を伝票に戻した。
見知らぬ人間から金が振り込まれることがある。
十年前もそうだった。あのときは、彼女の母親のほうに振り込まれていた。
振り込まれた分は、全部、同じ口座に移して置いてある。
*
楢峰拘置所の面会は、一日に受け付ける数が決まっている。
待合の椅子は背もたれが浅い。番号を呼ばれるまで、30分あった。
俺のほかに二人いた。誰も目を合わせない。
自動販売機が、一定の間隔でうなる。うなって、止まって、またうなる。
受付で身分証を出す。窓口の人がコピーを取って、返してくる。
続柄を聞かれたのは、最初の一回だけだ。
アクリル板には、細い擦り傷が何本か入っている。
拭くたびについた傷だ。斜めに走っていて、光の角度で見えたり見えなくなったりする。
通話口は、板の下のほうに小さく開いていた。
職員が横の机に座って、こちらを見ずにノートを開く。
扉が開いて、彼女が入ってきた。
顔は少し痩せた。椅子を引く音が、昔より丁寧になっている。
「冬馬さん」
「ああ」
「ごはん、食べてますか」
「食べてる」
「作ってますか。買ってるでしょう」
「買ってる」
「体、どこか悪いところは」
「ない」
「嘘です」
「そっちが言うか」
彼女は板の向こうで、少し笑った。
正解を当てた顔だ。高校のとき、途中式が合っていたときの顔と同じだった。
「前に言ったこと、考えてくれましたか」
「どれだ」
「引っ越すこと。ここの近くにいる理由、もうないでしょう」
「考えてない」
「考えてください」
彼女は膝の上で指を組み直した。
「本、読みましたか」
「帯だけな」
「あれ、私のことを書きすぎてます。冬馬さんのことは、ほとんど書いてない」
「そういうものだ」
「よくないです」
「手紙は届いてる」
「返事、書かなくていいですよ」
「書いてない」
「知ってます」
面会の時間は決まっている。
壁の表示に、残りの分数が出ていた。彼女はそれを見ないで話す。
見ないでも分かるくらい、この部屋に慣れている。
「寄付の話、聞きました」
「ああ」
「あれ、やめてください。冬馬さんが受け取ってください」
「受け取らない」
「私、冬馬さんに家を返したかったんです。お金でも、返らないのは分かってます」
「分かってるなら、いい」
擦り傷の一本が、彼女の肩のあたりを横切って見えた。
俺が首を少し動かすと、その線は消えた。
「亡くなった奥さんと、娘さんのお墓に、私、行けないままです」
彼女はそこで一度、言葉を置いた。
置いてから、別のことを言った。
「再婚してください」
「……」
「子どものいる人でもいいです。冬馬さん、子どもに教えるの、上手だから」
俺は答えなかった。
板の向こうで、彼女の唇が動きかけて、止まった。
彼女は答えを待たないで、次に進んだ。
待たないのは、答えが返らないと知っているからだ。
「面会、今日で最後にしませんか」
「なぜ」
「冬馬さんが帰ったあと、次はいつかなって考えるんです。考える時間が、もったいない」
最後にするかどうかは俺が決める、と言いかけて、やめた。
決めてあることを、口に出す必要はない。
彼女は板に少し近づいた。
膝の上で重ねていた手を、下ろした。
「ひとつだけ、聞いていいですか」
「言え」
「冬馬さん、私のこと、一度でも好きだった?」
職員のペンが、ノートの上で止まった。
止まったのが分かるくらいには、この部屋は音が少ない。
残り時間の表示が、一つ減った。
職員が壁の表示を見て、こちらを見て、またノートに目を落とす。
終わりの合図は、まだ出さない。
俺は椅子を前に引いた。
通話口に口を寄せる。板には触れない。
触れると、職員に言われる。
声を落とした。
「1秒もない。鈴音は、俺が人生で書いた、いちばん綺麗なコード」
板の向こうで、瞬きが二回続く。
「……愛されていると思っていたのは、私だけだったんですね」
職員が立ち上がった。
「時間です」
彼女は腰を上げかけて、そのまま座り込んだ。
膝が机の脚に当たった。
通話口へ体を倒す。
「冬馬さ」
そこで切れた。
息を吸う音だけが来る。口は動くのに、音にならない。
三度、そうなった。
職員がノートを閉じ、彼女の側へ回る。
彼女が立つ。立ってから、もう一度通話口を見た。
音にはならなかった。
*
外は晴れていた。
門を出たところで光が入ってきて、まぶたが勝手に一度閉じる。
俺は立ち止まった。
手に持ったままだった身分証を、財布に戻した。
*
妻と娘の墓に着いたのは、昼前だ。
手桶と柄杓を借りて、水を汲む。
花は一束だけ挿した。二つには分けない。
水鉢の落ち葉をさらい、水を入れ替える。
石に水をかける。二杯目で、乾いた面がなくなった。
三杯目は、かける場所がもうない。
しばらく、しゃがんでいた。
手桶の水を空け、柄杓を伏せて入れて、水場の棚に戻した。
(了)




