全てに終わりを
落ちるミリオーラを白い翼を羽ばたかせたイルイラが、まるで猛禽類のように足で掴み死の淵から連れ去ってゆく。その勇姿に、結界の外にいる多くの兵士から歓声が上がった。
『成功だよ! ちゃんと掴めた! やったよセルミナ様!』
セルミナの胸元から声が響く。
それはセイレーンの少女の声。
それが終わりへ向かう合図。
「しぃッ!!」
「ひぃ!?」
「ふんっ!」
三人の声が、数瞬のうちに重なり合う。
セルミナと一緒に部屋に入ってきた騎士が、ロムナスに斬りかかった。だが、剣はロムナスに短い悲鳴を上げさせただけで、ラウグの抜いた剣により寸前で止められる。
「その顔を、見せなさい!」
ラウグの剣が、斬りかかってきた騎士の剣ごと冑を弾き飛ばす。冑の下から現れたのは、鬼神面と呼ばれる赤い総面をつけた男。
「会ったことがありますね。そこの皇姫と一緒に、手駒を減らしていた男。その不器用な剣筋、遠目だが見ていましたよ。スピードはもっとあったと思いましたが、鎧があっていないのではないのですか?」
「アンタ、目がいいんだな。というか、俺が樹林騎士団じゃないって最初からわかってただろ。部屋に入ってから、ずっと俺を見てた」
「目線を向けたつもりはないのですがね」
「気配だよ、気配。うっとおしいくらいのね」
ぞろりと体を舐めるような気配は、いまだに体に纏わり付いている。振り払うには目の前にいるラウグを倒せばいいのだろうが、そう簡単にはいかない。ラウグと対峙しつつ、ジルカは舌を打つ。隙がない。奇襲の剣も止められた。深追いはせず、一旦、後ろへと下がる。
「ふふっ、賢明な判断ですよ」
ラウグの笑いに、ジルカはまた舌打ちをする。一方、ラウグにより窮地を脱したロムナスだったが、ロムナスを追いやる出来事は、これだけで終わらない。
「あれ、もう始まってたんか? ほらよジルカ、姫さま、預かってた得物」
新たに入ってきた深緑色の鎧を着た騎士が、赤い総面の男――ジルカに三界絶刀を、セルミナに剣を投げ渡す。樹林騎士の剣でなければ怪しまれるだろうと、ジルカは事前に預けていた。
「危ないなぁダリアス。そっちは?」
「上々。この鎧着て、『侵入者がいるらしいぞ! ロムナス様の救援に向かえ!』って言ったら、すぐに扉を開けやがった。メンドそうな顔した奴も何人かいたがな。なんにしろ、皇帝も皇子も皇姫も無事ってこった。……なぁ、なんで同じ部屋に閉じ込めてたん? あんたらバカなのか?」
ロムナスの前に現れたセルミナ。そして、樹林騎士団に扮したジルカとダリアス。ロムナスの計画が砂山のように崩れてゆく。
「な、なんだよ! これはなんなんだよ! あの鳥も、お前らも!!」
うろたえるロムナスに、腕にきつく結んでいるように見せかけていた縄を解いたセルミナが、高らかに宣言する。
「まだわからないか! ロムナス、キサマはこれで終わりということだ!」
これで事件の幕引きだと。
――最初にセルミナが目指した場所は、騎士になりたい者たちの集まる、騎士選抜試合の出場者の控え室。控え室に見張りはおらず、固く施錠された控え室の扉を開くだけで、出場者たちを助けることができた。
『この国を救う“騎士”を求める! 戦いの活躍如何では、本選の結果など関係なく騎士になれるであろう! そしてこの国を救ったという名誉、欲しい者には恩賞も出すぞ!』
出場者に事情を説明したセルミナは、戦う意思のある者を求めた。最初はざわついていた出場者たちだったが、最終的には全員が参加することとなる。
これで皇帝と皇姫の救出部隊は、三人から、騎士選抜試合本選の出場者十六名を合わせ、十九名の集団となる。樹林騎士団の半分ほどの人員を確保したジルカたちは、武具を納めている備品庫で通信用の魔具を調達し、部隊を改めて三つに分けた。
皇姫ミリオーラを救出するための部隊。皇帝ジョシュアや他の皇族を救出するための部隊。城に残っているグラウリースの騎士を救出するための部隊。この三つ。
ロムナスからミリオーラを救出する部隊には、ジルカ、セルミナ、そして予選で怪我を負っていた女性の剣士。この女性剣士には、他と変わらぬ恩賞を約束したうえで、倉庫にいるイルイラへ通信魔具を届ける役目と護衛を頼んだ。
皇族救出部隊のほうはダリアスが指揮し、出場者のなかから十人をつけた。道中で出会った樹林騎士から鎧を剥ぎながら、ミリオーラ救出を合図に行動を起こす。その後ダリアスはジルカたちに合流し、他はグラウリースの騎士を助け出すための援軍に向かう。
「――たいした人数もいねぇのに、細々と城中に兵を配置しやがって。やっぱ大将もバカなら、部下もバカだったってことだな。食いやすくてしかたなかった。さぁて、最後の“締め”を頼むぞ、姫さん」
「わかっている。――よろしく頼む」
セルミナは通信魔具から聞こえてくる騎士救出部隊の声に返事をすると、改めてロムナスを向く。
「城の兵たちの解放も時間の問題だそうだ。あとは結界を解除すれば、街にいる兵も押し寄せよう。ロムナス! 大人しく投降しろ!」
細く綱渡りだった道は、今では光り輝いている。
「ぐ、ぐぎぎぎぎ……!」
自らテラスの端へ寄っていたロムナスに逃げ場はない。数の上でも三対二だが、時間がたてば、解放された騎士もテラスへやってくるだろう。
「ラ、ラウグ! こういうときのためのお前だろぅ! なんとかしろ!」
「……妙案が一つ、ございます」
ラウグは一本の、液体の入ったガラスのアンプルを取り出す。
「これは、力を何倍にも倍増させる薬です。これを使えば、この場を脱出することができるでしょう」
「二人とも大人しくしろ! この状況でいったいなにを……ッ!?」
近寄るセルミナにラウグは剣の切っ先を向ける。ラウグの気迫に、セルミナどころかジルカとダリアスも動けない。
「なら早く使え! 僕を助けろ! 僕は王になる男なんだ! あんな弟より、凄い国の王になるんだよ!!」
「よろしいのですか?」
「いいからさっさとしろ!」
「わかりました」
ラウグはアンプルを眼前まで持ち上げると、ガラスの先端を折る。そして――
「使うのはロムナス様ご自身でどうぞ。助かるのは、ワタシ一人で結構です」
「……なに? ――ガァッ!?」
――呆けたロムナスの口へアンプルを放り込み、下から顎を叩く。薄いガラス容器は割れ、液体は細かいガラス片ごとロムナスの口のなかへ。吐き出そうともがくが、口を押さえたラウグの腕を振り払うことができない。
「おい、なにをしてるんだ!」
「そうですね……実験でしょうか」
ジルカの問い掛けに、ラウグはさも当然という具合に答える。アンプルの中身を飲み込み、ラウグの腕から解放されたロムナスは、血を吐きながら床に倒れもがき苦しみ始める。
「この男を使い、この国がどの程度動揺するかを見ていたのですが、どうにも考えも頭も矮小過ぎて。ワタシも扱いに困っていたのですよ。掃除もおおかた済んでいるようですし、最後くらいは役に立ってもらうとしましょう」
ビクビクと痙攣しているロムナスを、ラウグは冷たい目で見下ろす。
「……だからか。他の護衛がいないのも、騎士団を小分けにして襲いやすくしたのも。全てはここへ道を繋げるため」
「ここまで早かったのは想定外ですけれどね。皇子や皇姫の何人かは死ぬと思っていましたし」
「ロムナスは、お前の主じゃないのか?」
「仮初の、ですがね。一応確認はしましたよ。『よろしいのですか?』と。了承したのはロムナス様です。意味を理解してはいなかったようですが……なに、ロムナス様も何度か飲んだことのあるお薬ですよ」
ロムナスの吐く血は赤から瘴気を放つ黒に変わり、身体は服を破りながら、大きく膨れあがってゆく。どう考えてもマトモな薬ではないことは明白。そしてラウグは、至極あっさりと、薬の正体を口にする。
「アレは、魔物の血が凝縮されたものです」
「魔物の血だと!?」
「他にも色々と混ぜてはいますがね。ほんの少量であれば、感覚の鋭敏化、快楽中枢の刺激倍増、スタミナ増強などなど。夜のお供に最適なお薬とでも思っていたのでしょう。ですが、アンプル一本ともなれば、このように」
頭からは鋭い角が二本生え、黒くヌラリとした光沢を放つ蛇に。身体は灰色の毛で覆われ、筋肉が軋むように盛り上がった獅子に。背中からは太いワームのような触手が何本も生え、手足には甲冑でも簡単に引き裂けそうなほど鋭く大きな爪に。生えた尻尾はトカゲのように太くしなやかに動き、しかしゴツゴツと硬い皮膚に覆われている。
「グギ、ギギギジジジジジジジッ!!」
蛇の口から、奇怪な声が上がる。様々な生き物が混ざり合ったロムナスの姿は、元が人間だとは思えないほど。二足の足で立っている以外は、全てが醜悪なものへと豹変していた。
「合成魔獣化も成功したようですね。ロムナス様がお酒に強くて助かりました。どうにもお酒とは相性が悪く、ヘタをすれば体が破裂するところでしたから」
ラウグは薄く笑みを浮かべ、実験の成功に手を叩く。
「では、全ての工程が終わりましたので、ワタシは御暇させていただきましょうか」
「簡単に逃がすと思ってるのか」
「ええ。とても簡単なことですので。――合成魔獣よ、ワタシを守りなさい」
異形へと豹変しながら、ただ立っていただけの合成魔獣は、ラウグの言葉に反応し行動を開始する。
「ギギャガガガガガジャジジジ!!」
「くッ……!?」
ラウグへ近づこうとしていたジルカの間に素早く割って入ると、ジルカへ腕を振る。爪の先端がジルカの胸元をかすり、それだけで樹林騎士団の鎧は裂け、下にある胸元に一筋の赤い線を作っていた。
「ジルカ!」
「大丈夫だセルミナ! 気を付けて、図体の割りに素早い!」
慌てて距離を取るが、合成魔獣は襲ってはこない。背後にいるラウグを守るように、大人しく立っている。なぜならば、ラウグの命令がないから。だから……
「――ワタシが逃げたら、好きに暴れなさい」
「ジジジギャガジジジジジジジ!」
頭部の鱗を嬉しそうに擦り鳴らしながら、合成魔獣は奇声を上げる。
「そうそう、良心の呵責などは必要ありませんよ? 魔物のように、本能に従い暴れるだけです。もう人ではありませんし、戻れもしませんので。それでは、ごきげんよう。生き残っていたら、また会うこともあるでしょう」
そう言い残し――ラウグはテラスから空へと身を投げる。あそこまで言っておきながら、自殺をしたとは考えにくい。なにかしら逃げる手段が用意してあってのことだろう。しかし、ジルカたちには確かめる術がない。
「ギャジャガガガガガジャアジャアジジジジジ!!!」
ラウグに近づかせまいと、合成魔獣はゆらゆらと頭を揺らし、三人から目を離さない。蛇のように舌をチロチロと出し入れしながら、時折口を開けこちらを威嚇する。
「セルミナ、誰でもいいから連絡してくれ。ロムナスが死んだってことと、魔術師を助けても結界を解くなって。コイツを街に出しちゃいけない」
「わかった……まだまだ城の外の兵に頼ることはできんか」
「おいジルカよ。合成魔獣って、アイツの命令通りに行動してんだよな。ってことは」
「このあとに起こることは、一つってことだよね」
テラスの下から、白い光が見えた。その光を合図に、合成魔獣はのそりと、三人へと近づいてくる。人の心が残っているとは思えないが、まるで三人を恨んでいるように。三人は武器を構え、合成魔獣に備える。
「あぁぁ、マジ最悪だ! やっぱクソデケぇババ引いたぞコレ!」
「いまさら言っても始まらないだろ。くるぞッ!!」
ラウグが逃げたことで枷が外れた合成魔獣。目の前にあるのは、死ぬか生きるかの二択。グラウリース城という皇国の象徴で、未知の敵との戦いの火蓋が切られる。




