それはただの八つ当たり
二日前に降り出した雨は、今もまだやまない。今日も仕事は入っていない。金の鶏亭も休み。なにをすることもなく、部屋のなかで雨空を眺め続ける。そんなジルカを連れ出したのは、白く顔を汚したルイシャだった。
「式典で出すパンを作ってるから、ジル兄も手伝うの!」
ヒマなら手伝えとうるさいルイシャに根負けし厨房へゆくと、そこには思わぬ人物がいた。
「お、おお! ムラサキ! やっと起きた……のか」
「…………セルミナが、なんで……」
ここ数日で何度も見た顔が、イルイラと一緒にパン生地をこねている。驚くよりも、元皇姫がなぜという疑問が先に湧いてくる。
「近くをな、近くを歩いていたらイルイラがいて……そう、誘われたのだ! 今日は私も非番でな! そ、それだけだ!」
「そ、そうなんだ」
口早に説明するセルミナの勢いに、ジルカも思わず頷いてしまう。ルイシャから小麦粉を篩う役目を任されたジルカは、大人しくザルを持ち小麦粉を篩う。湿気でやられたのかダマになった小麦粉を取り除きながら、ジルカはセルミナを見る。
「これくらいか?」
「ああっ、セルミナ様それは入れすぎです!」
「多いほうが美味いと思うのだが」
「そこは、バランスといいますか……」
こねたパン生地にザラザラとクルミを大量投入するセルミナを、メイランが慌てて止める。メイランも、元皇姫というセルミナの扱いに苦労しているようだ。イルイラはといえば、きっちりと分量を量りながらドライフルーツを混ぜ込んでいる。
「イル姉のは、ジル兄専用のパンなの」
「……羽根が混ざってるからとか言わないよな」
「……なんのことなの?」
「そうか。わかった」
隣で卵を割っているルイシャの頭に、ダマになった小麦粉の固まりをねじ込みながら、ジルカは小麦粉を篩い続ける。
「式典て三日後だろ。いま作っていいのか?」
「これは寝かせて美味しくなるパンなの。三日後くらいが丁度いいの」
式典ではセルミナとイルイラが作っているしっとりした甘いパンのほかにも、鶏肉を使ったサンドイッチを売るという。サンドイッチ用のパンは前日に焼くのだが、今のうちにまとめて小麦粉を準備しておく。そのおかげで小麦粉の量は多い。
「できた分、持ってくの!」
ボールに溜まったきめ細かい小麦粉を、頭に小麦粉を載せたルイシャが卵と一緒に持ってゆく。一人になったジルカのもとに、今度はセルミナが近づいてくる。
「ひ、久しぶりだな」
「二日ぶりだけどね」
「そ、そうか……その、ムラサキは選抜試合の申し込みは」
「してないよ」
セルミナが最後まで言い切る前に、ジルカは返事を返す。騎士になる資格がないのだから、出場する意味もない。ジルカは火事の現場でリリと一緒にいるというイルイラと別れると、すぐ事務所にゆき、ダリアスに借りた金も返していた。
「そ、そうか……」
会話が止まる。セルミナの言動はいつもと違い、どこか余所余所しい。
(これはバレたかな)
二年前の騎士選抜試合で失格になっていることが、セルミナに知られた。騎士に誘った相手が失格者だった。しかも予選とはいえ、同じ騎士選抜試合に出ていた相手。だから余所余所しくなっているのだろうと。
(……だからどうした)
そんなことは、どうでもいい。騎士になれないと悟ったジルカには、セルミナにバレたからといって思うところはない。
(それもウソだな……惨めになるからやめて欲しい)
早くいつもの調子に戻って欲しい。自分なんかのせいで、騎士が気に病むことはないと。セルミナには感謝している。弱い自分を認識させてくれたと。調子に乗って騎士選抜試合に出て、恥をかかなくて済んだと。どうせならば、罵って欲しいとさえ思う。それが自分にはお似合いだと、諦め腐りきった心で願う。
「聞きたいことが終わったんなら、またパンでも作っててくれ。俺は粉を篩うのに忙しいんだ」
「いや、他に……そ、そうだ! 近衛騎士団が、解散することになったのだ」
「……騎士団が?」
「ああ。姉上はリングスにいってしまうからな。第四皇姫近衛騎士団は解散だ」
婚約式典が終われば、次はリングスでの結婚式になる。その前に近衛騎士団は解散になるのだという。
「警護は樹林騎士団が引き継ぐことになっている。式典中の姉上たちの警護も、樹林騎士団に決まった」
「自分の樹林騎士団で守れるってアピールをしたいのかな」
「そうかもしれんな。おかげでヒマになってしまった」
「ヒマにはならないだろ。困ってる人は沢山いるはずだ」
「そ、そうだが……姉上の領地は別の者が治めることになる。私はロンティルトに帰ってくることになるだろう。そうなれば、ここにくることも増えるかもしれん」
「ふーん。それで?」
「いや……だから……」
セルミナの奥歯にモノが挟まったような物言いに、ジルカは持っていた道具を乱暴にテーブルに置く。小麦粉の入っていたボールは揺れ、小麦粉が零れる。
「なぁ、セルミナ。言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ」
小麦粉で汚れた手で、ガリガリと乱暴に頭をかく。心が軋む。心が痛む。イライラと、ズキズキと。
「そんなに、俺が惨めか? 慰めが必要に見えるか?」
「ち、違う! 違うのだ! 私はムラサキに言わなければいけないことが――」
大きく口を開いたセルミナの顔が、半分消えた。セルミナの頭の上には、綺麗にボールが被さり乗っている。
「あ、間違ったの」
「ああもう! どうしてアナタはこう……!」
背後には、ボールを投げた格好のままのルイシャと、手で顔を覆うメイランの姿。
「む~~……上手く混ざらない」
イルイラはパン生地に翼を突っ込みながら唸っていた。一人だけなんと平和なことか。
「すみませんセルミナ様!」
「……いや、いい。気にするな」
卵が入っていたボールだったのか、セルミナの髪と顔にはベッタリと卵白が張り付いている。それを見るや、メイランは頭を何度も下げ謝る。
「なんか、むらっとくる姿になっちゃったの」
「だ か ら ア ナ タ は !」
「にゅい! セルミナ様、ごめんなさいなの」
メイランに頭を押さえつけられ、ようやくルイシャも謝る。
「よろしければ、お風呂に」
「そこまでせずともよい」
「いいえ! そんなお姿のままにしておくなんて」
「そうか……ならば借りよう」
「は、はい。イルイラちゃん、セルミナ様を案内してあげて」
「ぴ? お風呂? ……おー、セルミナ様がどろどろになってる」
「うむ、どろどろだ。イルイラも一緒に入るか?」
「いいの? やったー!」
やっと起こっていることに気づいたイルイラに風呂の世話を任せ、二人は奥へと消えてゆく。残されたのは、メイランとルイシャの母子。そしてジルカの三人。
「ルイシャもお風呂に入りたいの」
「黙らっしゃい。アナタはごめんなさいを唱えながらパンを作ってなさい」
「はーいなの。……きっとしょっぱいパンになるの」
「そうなることを祈るわ。で、次はムラサキさんです」
ジルカを見るメイランは、怒っていた。
「お二人の間でなにがあったかは知りませんが、あんな言いかたはありませんよね?」
「……はい」
そんなことはジルカもわかっている。そして、二人に助けられたことも。あのままでは、きつい口調でセルミナを問い詰めていただろう。
「わたしはセルミナ様とイルイラちゃんの着替えを用意してきます。二人がお風呂に入っている間に、頭を冷やしてください。そして、セルミナ様とちゃんと話をしてください」
「……わかりました」
自分に非があるとわかっているジルカは、メイランの言葉に大人しく従う。メイランの後姿を見ながら、また頭が上がらなくなったと反省する。
「やーい、ジル兄も怒られたの」
「はいはい、怒られたね。ルイシャは大物になるかもな」
もしくは、ただのバカか。そこまではジルカも口にしない。
「当たり前なの。ルイシャはお母さんの娘なの」
「意味がわからん」
ジルカは小麦粉の篩いを再開しながら、セルミナにどう謝ろうかと頭を悩ませた。




