失格騎士のなれの果て 2
「二階……! お、奥の部屋にリリが!!」
「わかった! まかせろ!」
白銀の騎士は馬を巧みに操り踏み台にし、躊躇もなく燃え盛るアパートへと飛び込んでゆく。その光景に周囲が沸き立つ。
「ムラサキ! あれって姫騎士様だよね! 助けにきてくれたんだね!」
「そう、だな……セルミナだ……」
冷水を浴びせかけられたように、ジルカの心が固まってゆく。冷えて固まり、軋みを上げる。
燃え盛る二階の窓が割れた。そこには、噴き出す炎に巻かれながら、リリを抱いたセルミナが立っている。
「ああっ!? リリ! リリ!!」
「寄るな! すぐに崩れるぞ! ――そこのセイレーンの娘! 投げるゆえ受け取れ! できるか!」
「あ、アタシ!? できる! うん、できるよ!!」
力の入っていないジルカの腕を解き、イルイラは羽ばたき宙に浮かぶ。
「そこまででいい! ゆくぞ!」
「は、はい!」
セルミナが優しく投げたリリを、イルイラが足で掴む。ガクンとリリの重さに体勢を崩し周囲がざわめくが、イルイラは持ち直し、アパートから離れた地面へとリリを降ろすことができた。
セルミナはイルイラとリリが無事に降りたことを見届け、窓から飛び降りる。その途端に、背後でアパートが大きく崩れた。あと少し助けるのが遅れていれば、セルミナとリリはアパートの下敷きになっていただろう。
「騎士様! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
「これも騎士の務めというものだ。礼ならば、セイレーンの娘にも言ってやれ」
ようやく到着した消防隊が消火活動を始めるなか、救護員に治療を受けるリリと一緒にいた母親が、セルミナのもとへきて何度も頭を下げる。母親の様子をみるに、リリの命に別条がなことが伺える。再び母親が我が子のもとへ戻ると、セルミナはジルカの前に立つ。
「やはり、あのときの娘だったか。二日ぶりだな、ムラサキ」
「……セルミナこそ、どうしてここに」
「この間の一件で、城の騎士団が出ていてな。私にもできることはないかといても立ってもいられず、衛兵に混ざって街を見回っていたのだ。そこで煙を見て、駆けつけた。……これも仕事。仕事なのだ。リフィアもそう思ってくれればよいが……」
ブツブツと呟きながら、セルミナは煤で汚れた冑を脱ぐ。まとめられた髪も、顔も黒く汚れているが、紛れもなくセルミナ本人。ジルカはそんなセルミナに、目を細める。汚れているのに、太陽のように輝いて見えた。
「酷い顔をしているな。勇敢にゴブリンと戦っていた者とは思えんぞ。もしや、ムラサキは火が苦手か?」
「あれは、セルミナが先に戦ってたからだよ。顔ならほら、セルミナも酷い」
「む……ははっ、本当だな」
顔を拭い手に付いた煤を見て、セルミナは笑う。ジルカも合わせて笑おうとするが、頬が引き攣るばかりで上手く笑えない。
二人の頬に、ポツポツと水滴が落ちる。曇り空が、とうとう雨を降らせ出した。
「……これで火の手も弱まるか。しかし、ムラサキたちがいて助かった。まるで一昨日のようだな」
「――ッ!?」
ギシリ――と胸の奥が軋む。
「……やめてくれ」
軋みは小さな声となり、喉から出る。しかし、周りの喧騒に掻き消され、セルミナの耳には届かない。
「ムラサキたちがいなければ、あの娘は――」
「やめろ! あの娘を救ったのはセルミナとイルイラだ! 俺じゃない!」
軋む心に耐えかねたジルカの叫びが、セルミナの言葉を遮った。
「すまない、ムラサキ。なにか気に障ることを言ったようだな」
「……っ。俺のほうこそ、怒鳴って悪かった。気にしないでくれ」
「だが」
「昔を……思い出しただけなんだ。だから……ごめん」
セルミナが気にすることではないと。放っておいてくれと。これは全て、“八つ当たり”なのだから。
「嫌な思い出など誰にでもある。そんなに謝らずともよい。さて、私も少し様子を見てから、見回りに戻るとしよう」
「あ、ああ……セルミナ」
「なんだ? まだなにかあるのか?」
「ありがとう。“騎士”のおかげで助かったよ」
「騎士として当然のことをしたまでだ。ではな!」
そう言うとセルミナは馬を連れ、リリたちの様子を見にゆく。イルイラはずっとセルミナの手を握り、ありがとうと言っている。
その様子を、ジルカは見ていることしかできなかった。近づくことができなかった。血の気が引き青くなるほど強く握った拳を解き、自分の体を見る。煤で汚れたセルミナとは違い、綺麗なまま。せいぜい煙の臭いが付いた程度。
「あれが、騎士なんだ……かっこいいな……」
誰に聞かれることもなく、雨とともに流れてゆく。セルミナの活躍を嫉妬しているわけではない。自分がリリを助けて賞賛を浴びたかったわけでも、リリを助けたくなかったわけでもない。
「くそっ……!」
ただただ、自分が惨めだった。言い訳ばかりで動けなかった、そんな自分が許せない。
リリを救ったセルミナへ向けられる、人々の尊敬のまなざし。その視線が、別のモノに変わる。
『この卑怯者が!』『なんでお前が!』『お前のせいで!』『死ね!!』
投げかけられる失望の視線と、非難の罵声。その先にいるのは、ジルカ自身。
思い出してしまった。そして、考えてしまった。期待と羨望を裏切れば、いったいどうなってしまうのかと。もしリリを助けられなければ、俺はまた、あの視線に晒されてしまうのか、と。
(なんだよ俺、自分のことばっかりじゃないか……)
先日、ゴブリンと戦えたのも、セルミナが先に立ち向かっていたから。だから動けた。護衛の依頼もそう。護衛隊の隊長の命令がある。だが、今回は違う。自分の意思で決め、自分の意思で動かなければならなかった。しかし、ジルカは動けなかった。
イルイラから大声で、ジルカがいけ、と怒鳴られていれば動けていたのかもしれない。そんなことを考えてしまった自分がまた嫌になる。
「……最低だ」
過去に失格という烙印を押され、他の参加者に罵られた。その光景を思い出すだけで、動くことができなくなってしまうほどに弱い意思。過去の記憶は抜けない棘となり、心を傷付けている。それは二年前からずっと。抜けることのないほど深く。
「……ああ、そうか。そうだった……俺がなりたかったのは……目指していた騎士は……」
昔、島で出会った少女に聞かされた神話の騎士は、なにをもって騎士となったのか。老騎士は、なにが大事だと言ったのか。棘はさらに深く刺さり、ギシギシと心が軋む。
心に灯った火が、小さくなってゆく。覚悟などできてはいなかった。心の弱さを克服できてなどいない。このままではいけないと思いながらも、セルミナに言われるまで試合に出るか悩んでいたくらいなのだから。
ただ、姫騎士に実力を認められ、舞い上がってしまった。それだけなのだと思い知る。
「ごめん、セラ、サキ姉……俺は、騎士になれない……」
神話の騎士に憧れた少年は絶望する。
そんな資格は、自分にないのだと。




