姫騎士は笑う
騎士団の宿舎はロンティルトの南東の一画、騎士養成学校のすぐ近くに建てられている。ロンティルト駐在の騎士以外にも、別の領地からやってきた騎士もこの宿舎を間借りすることが多い。
「おかえりなさいませ、セルミナお嬢様」
「うむ。今日は大変だったぞ、リフィア」
その宿舎のなかにある貴族専用に作られた部屋が、ロンティルトに滞在する間のセルミナの自室となっている。持ち込むものは着替えくらいだが、他に必要なものは部屋に揃っている。
「まったく、城に帰ればいいものを。他の騎士の気が休まりません」
「皇族の一員として招かれたのならば、城の自室を使うがな。風呂に入るぞ」
「招かれてるくせに。着替えを用意しておきます」
「式典の一日だけな。頼む」
自室へと帰ったセルミナは、騎士団の副団長であり従者でもある“本物の”リフィアが着替えを用意する間に服を脱ぎ、部屋に備え付けてある浴室へと入る。
「お背中をお流しします」
「なぜ入ってくる。私は子供ではないのだ」
「ミリオーラ様から、お嬢様の成長を確かめるようにと言われておりますので」
「……姉上ならば言いそうだな」
第四皇姫近衛騎士団の本拠地である領地では、姉である第四皇姫――ミリオーラと同じ屋敷にセルミナは住んでいる。同じといっても敷地内の離れにある一棟だが、そこで数名の従者と寝食をともにしていた。リフィアはそのなかでも筆頭格の従者。
「本日は大変だったようですね」
「まさか、ゴブリンとオークが出るとはな。初めて戦ったが、なかなか狡賢い奴らだったぞ」
「また猪ですか」
「うるさい」
背中を流すリフィアに、今日あった戦いを聞かせる。あまり心配をかけさせるなとリフィアは叱るが、セルミナはどこ吹く風。
「ゴブリンとオークについては、本城の騎士団が急遽、周囲の探索と警戒にあたるそうです。巡回している騎士団を呼び戻す動きも見えます」
「だろうな。ありえない事態だ」
セルミナが団長を務める近衛騎士団は、第四皇姫直属の騎士団。“グラウリース皇国”の騎士団とは別もの。皇帝の命により動く皇国騎士団は全てで十あり、六つの騎士団は、国境の警備の任に当たっている。残った四つのうち、二つは国内の巡回。残りは首都ロンティルトとグラウリース城の警備が任務。
「国境線が抜かれたと思うか?」
「慌て具合からして、そういった報告は上がっていないかと。今頃、国境警備をしている騎士団に連絡を取っていることでしょう」
「報告を怠ったとなれば責任問題。隠していたのであれば、首が飛ぶな」
「そういった情報があれば、すぐにお耳に」
騎士団をクビになるのではなく、文字通り首が胴体から切り離されることになる。
「……いつもリフィア任せだな。お飾りの団長ですまない」
「まったくです。戦術や戦略など戦うことばかり上手くなって、どうしてこのように育ってしまったのでしょうか」
セルミナはお飾り団長と自身を卑下するが、騎士団の実務、全てがお飾りなわけではない。盗賊や魔物の討伐など戦闘に関しては、騎士養成学校に通わず、独学で戦術や戦略を学んだとは思えないほどの練達者と領地の民の噂になっている。今は若さからか先に走っているが、将来大きな戦争などが起これば傑物としてサリア大陸に名を馳せるだろうとも。
「悪いと思うなら、書類仕事や会議もお手伝いください」
「そのあたりは面倒でかなわん」
ただ静かに机に座っていることが苦手で、騎士団内の管理運営は副団長であり騎士の称号も持っているリフィアに任せきりとなっていた。セルミナより年も七つほど上で、交友関係も広く、他の騎士団の情報にも聡い。そんなリフィアがセルミナをサポートすることで、近衛騎士団は成り立っている。
「本日は、ずいぶんと楽しまれたようですね」
「わかるか?」
「お嬢様は、お顔に出ますので」
「ふむ。そうか」
背中を流すのを交替し、セルミナはリフィアの背中越しに鏡で顔を見る。しかし、自分ではよくわからない。
「リフィアも楽しそうではないか」
「おわかりになりますか?」
「リフィアは無表情だが、付き合いが長いからな。わかった、式典が近いからだろう。屋台の食べ歩きが趣味だったな」
「見たこともない料理が並ぶ様は、なかなかに楽しいものです」
セルミナが部屋に帰ってきてから、リフィアの表情はまったくと言っていいほど変わっていない。鉄の女などと呼ばれることもあるが、中身は違うことを幼少のころから付き合いがあるセルミナは知っている。
「昔、一度だけ泣き顔を見せたことがあったな」
「くだらないことを思い出していないで、お早く湯船に。冷えてしまいますよ」
「そんなに恥ずかしがらずともよいではないか」
体を清め終わった二人は、広く造られた湯船へと入る。主人と同じ湯に一緒に浸かるなど従者としてあるまじき行為だが、どうせ一緒に入れと言われることをリフィアは知っている。
「ふぅ……」
「うむ、相変わらずデカイな」
「どこを見ているのですか、どこを」
リフィアは湯に浮かぶ半球に伸びてくるセルミナの手を払う。これも昔からのお決まりのやりとり。叩かれた手を振りながら、セルミナは戦闘で疲れた体をぐっと伸ばす。
「それで、なにがあったのですか。まさか、口説かれて嬉しかったなどとはおっしゃらないですよね? だからあれほど気をつけろと」
「違うぞ。街案内は、リフィアが紹介した者とは別の者がきたからな」
「……ダリアスめ、そんなにわたくしと会うのは嫌でしたか……コホン、どなたが案内したのでしょうか」
「? うむ、ムラサキという者だ。なかなか見所があるヤツだったぞ。今度の騎士選抜試合に出ないかと誘った」
ムラサキという名を聞き、リフィアはなにか考え込む。
「便利屋DG……ムラサキ……DGがダリアス=ジーバーンではないとなれば……まったく、わたくしとしたことが。従業員まで調べていませんでしたね」
「ムラサキのことで気になることでもあるのか? べ、別に変なところになどいっていないからな!」
「なんですかその気になる言い方は。それは後で聞くとして、そのムラサキなる者の名前は、ジルカではありませんでしたか?」
「ジルカ……? そういえば、名前は聞いていなかったな。いや、ムラサキが名前だと思っていた。それがどうしたというのだ?」
「いえ……お嬢様は二年前の選抜試合を憶えていますか?」
「もちろん……と言いたいところだが、あのときはいっぱいいっぱいでな、あまり憶えてはおらん。気付いたら優勝していた。対戦した相手くらいならば記憶にあるが」
「そうでしたか…………では、わたくしはこれで」
「あ、おい」
セルミナを残し、リフィアはさっさと浴室から出ていってしまう。
「なんだというのだ、まったく」
湯に顔を半分沈め、ぶくぶくと泡を立てる。リフィアがいれば、はしたないと叱っていただろう。
「はあっ……ふふっ」
苦しくなってきたところで湯から顔を出し、思わず笑う。苦しいのが楽しいわけではない。今日出会った少年が、幼いころに約束をした人物と似ていたから。
「懐かしいな……アイツは、なにをしているだろうか」
湯船から沸く湯気のように靄のがかった思い出に、セルミナはしばし酔いしれる。今日はいい夢が見れる、そう思いながらタオルを巻き浴室を出ると、リフィアが部屋にいない。代わりに机の上には着替えと紙が一枚。読んでみると、リフィアからの言伝。
『明後日まで休暇をいただきます。残っている書類を終わらせておいてください。追伸、これも練習です。追伸の追伸、逃げたら死にます。わたくしが』
読み進めるごとに、セルミナの顔が歪んでゆく。
「酷い脅し文句を思いつくものだな……」
紙を投げ捨て、隣にある使用人室に入る。何回りも小さい部屋のなか、机に積まれた大量の紙の束を見て、セルミナは元皇姫らしからぬ悲鳴を上げた。




