戸惑いと酔っ払い
南門でセルミナと別れたジルカは、足取りが重いまま、金の鶏亭への帰路を歩いていた。頭のなかには、セルミナの言葉がグルグルと渦巻いている。
借りた剣を門番に預けているジルカに、なにかあれば近衛騎士団の宿舎へこい、とセルミナから告げられた。
「……ありすぎて困るな」
二年前の騎士選抜試合で失格になっている。そんな者が再出場できるのかも知らない。受付で書かされた契約書の内容を思い出そうとしてみるが、なにせ二年前のこと。詳細までは思い出せない。
「案内してた相手が姫騎士だったとはね。もしかしたら、戦ってたかもな」
セルミナ=イースラントという元皇族の少女。数日前、衛兵とのいざこざを助けられ、今日は今日でリフィアと偽名を騙り一緒にいた相手のことを考える。
年はジルカの一つ上。二年前の騎士選抜試合に正体を隠し出場し、優勝したその場で父親である皇帝ジョシュアと民衆の前で、騎士になることと継承権の放棄を宣言した。継承権の放棄は長女の前例があり、またか、と皇帝が叫び頭を抱えたというのは噂話として広まっている。そして長女と同じようにイースラント姓へと代わり、第四皇姫の近衛騎士団へと入団。第四皇姫が治める領地へと赴き、現在では団長の任についている。
当時はまたしても継承権の辞退者が出たと大騒ぎになり、皇族に関連した書物なども全て修正された。ジルカがメイランたちに助けられ外を出歩くようになったころには、肖像画なども全て取り外されていた。セルミナという名前は知っていたが、二年前の出場者ということもあり、進んで調べることもなかった。そして二年の時が過ぎ、領地からあまり顔を出さないうちに、民衆の話題に上ることも減っていった。
「こうして歩けてるのは、セルミナのおかげなのかな」
顔は今日まで知らなかったが、セルミナが継承権を辞退した話題のおかげで、失格者の話題が上書きされた。住民の全員が忘れているわけではないが、後ろ指をさされることは少ない。
ジルカとセルミナは二年前の騎士選抜試合において、話題となった人物。一方は時が話題を薄れさせ、一方はその話題の影に隠れた。
どこか、似ているのかもしれない。
「……はぁ、くだらないな。俺なんて、憶えられてもいない失格者だ」
ジルカは頭を掻く。話題になっただけで、二人は立場も状況も違いすぎる。一緒にすることはできない。
バカなことを考え始めた思考を、今日の出来事に切り替える。
ゴブリンとオーク。この二種族の亜人により、平和に終わるはずだった街案内が、最後の最後で殺伐としたものに変わってしまった。
グラウリース皇国に存在することを許されていない亜人。原因は七年前にまで遡る。当時、ゴブリンとオークは北方の山で山賊行為を繰り返し、グラウリース皇国に多大な被害を与えた。住民が皆殺しにされた村も複数ある。国内に住んでいたゴブリンとオークも、そのほとんどが山賊行為に加担していたという調査結果が国から出された。よって、ゴブリンとオークは種族ごと入国禁止。北方の村や町では、魔族の名を上げる者も少なくない。
「それが、なんで街道なんかに……」
それも、首都であるロンティルト間近に現れた。国境を破られたなどという話は聞かない。もし破られたのであれば、注意喚起と騎士団による討伐任務が出されているはず。
「なら、密入国した……?」
だが、それも違うだろうという結論に至る。わざわざ密入国してまで、なぜ首都近くの街道でキャラバンを襲ったのか。頭のキレるゴブリンもいた。なのに、なぜ危険を冒してまで街道に出てきたのか。意図が掴めない。
「はぁ……」
ジルカはまた息を吐く。いくら考えても、正解など見えはしない。情報が足りていない上に、知れる立場にもない。ならば、考えるだけ無駄なこと。しかし、無駄なことではあったが、時間は潰せた。
「ただいまー」
気付けば金の鶏亭の裏口。今日は客ではないので、裏口から入る。階段を上ろうとしたところで、ジルカは店内の異変に気付く。
「……今日って休みだったっけ?」
閉店時間ままだ先だというのに、店のほうから客の声が聞こえない。聞こえてくるのは、シャリシャリという小さな甲高い音だけ。自室のベッドでセルミナの誘いをじっくり考えようと思っていたのだが、気になりと厨房を覗き込む。
「メイランさ…………ひぃ!?」
あまりの恐怖から悲鳴が出てしまう。暗い店内に、一本のロープが垂れ下がっている。梁から伸びたロープの先には、ぐったりしたルイシャ。その側で……
「ふふふふふふふふふふふっ……」
メイランが、笑いながら包丁を研いでいた。だが、たしかに笑っているのに、笑っているようには感じない。流れている空気は、極上の怒り。
「あら、ムラサキさん。おかえりなさい。気付かなかったわ」
「た、ただいま……」
ピクリとも動かない笑顔に見つめられ、ジルカは思わず固唾を飲む。本能が逃げろと告げているのに、足がうまく動かない。
「な、なにしてるんですか……?」
「いえね、明日の仕込を、少々――ッ!!」
ズダンッ!! とメイランは包丁をまな板に叩きつける。上に乗っていた丸のままの鶏の首が、吊るされたルイシャに飛んでゆき、体に当たりペチャリとイヤな音を立てる。よく見れば、吊るされたルイシャの足元には、いくつもの鶏の首が転がっていた。
(怖い怖いこわいコワイッ……!)
ゴブリンとの死闘など天国に思えるほどの恐怖。なにもしていないというのに、脂汗が止まらない。恐怖で後ずさったジルカの足に、コツンと硬いモノが当たった。
「……酒瓶?」
空の酒瓶が、床に何本も置かれていた。普段店で出しているブドウ酒もあれば、式典に向けて仕入れたというリングス産のブドウ酒もある。
「今日、配達を、したじゃ、ないですか」
「は、はい! ありましたね!」
「うまくね、配達、できたんですよ」
「それはよかったですね!」
「ええ、ええ。そこまでは――ねッ!!」
再び、鶏の頭がルイシャに飛んでゆく。顔に当たるとルイシャは小さく、うぅ……と呻いて身を捩る。
「わたしね、お祝いにと思って、ケーキを、買いにいったんです」
「いいと思います! ご褒美は大事ですよね!」
「その途中で、ちょっと、道に迷ってしまって」
「まさか、そこで魔物にとり憑かれ」
「……キッ!!」
「なんでもありません!! すみません!!」
鬼神面など比較にならない形相で睨まれ、ジルカは腰を直角にし謝る。
「店もあるし、急いで帰ったら、ね?」
「なにがあったんでしょうか!」
「勝手に、成功したお祝いだと称して、仕入れたッ! お酒をッ! 何本もッ! 飲んでたんですッ!!」
メイランが包丁を振るたびに、ルイシャの体にペチペチと鶏の首が当たる。ルイシャが身を捩りロープが揺れると、正面だった体が後ろを向く。……スカートを、履いていなかった。変わりに、真っ赤になった林檎のようなお尻が見える。
「…………うぅ……ぎぼぢ悪い゛の゛……」
「黙りなさい! 散々吐いたでしょ! ああもう! 仕込をしていた鍋も引っくり返すし、お客様がキープしていたお酒も空にしてしまって! 今日は臨時休業にするしかなかったのよ!!」
「ごべんなざ……オエッ……」
スパルタだった。ジルカも涙を流してしまうほどスパルタだった。多少の失敗であれば、怒りはしても最後には笑って許すメイランがここまで怒るとは、どれほど店に損害を出したのか。
「メイランさん! このままじゃルイシャが! ルイシャの心が死んでしまう!」
「ジルに……だずげ……依頼……」
「る、ルイシャ!? 俺がわかるか!? しっかりしろ!」
「銅貨一枚……あげるの……」
「やっすいな!?」
「酒は飲んでも……呑まれるな……なの……」
「そうだね。よくわかったよ」
流した涙の分だけ水分を無駄にしたと後悔する。思ったよりも大丈夫そうなことには安心したが、ルイシャの将来が心配になってしまうジルカだった。
「まてよ……お祝いってことなら、イルイラは」
「イルイラちゃんもです。ただ、イルイラちゃんはコップ一杯で寝ちゃったみたいですけど」
「じゃあ、残りは全部ルイシャが……?」
「てへっ☆ やりすぎちゃったの」
「いいからアナタは反省なさい!」
「はーいなの……うぅおぇ……鶏臭いの……」
まだまだ反省の色が薄いルイシャに、メイランの怒りは収まらない。一連の行為はこの親子に必要なのだろう。思考停止とともにジルカはそう結論付ける。
「ムラサキさん。お部屋に戻るのでしたら、これを持っていってください」
渡されたのは、水の入った水差し。そして水入りバケツと雑巾。持ってゆけばわかるというメイランの言葉に不安を覚え、ジルカは急いで自分の部屋の扉を開ける。そして、想像通りの光景が広がっていたことに眩暈を起こす。今日は色々なことがあった。大変疲れている。だというのに。
「……俺の部屋でやりやがったのか……」
倒れた酒瓶、床に零れた赤い液体、食べかけの肴、メチャクチャになった机の上。今すぐ下に戻り、ルイシャの尻を叩きたい衝動に駆られる。
「すぴょ……すぴょ……」
ベッドには、なぜか鬼神面を被ったイルイラが寝ていた。ルイシャがやったのだろうと思いながら、ジルカは寝ているイルイラから鬼神面を外す。イルイラの額には、くっきりとガンバレの文字が跡になっている。
鬼神面を新たな定位置となった棚の上に置くと、三界絶刀ごと布をかけ直した。三界絶刀が動かされていない辺り、ルイシャも部屋で酒盛りをしている時点では、正常な判断のできる意識が残っていたのだろう。
「……めんどくさい」
バケツを床に、水差しを荒れた机の上に置く。イルイラが起きていないのであれば、水を飲ませることはできない。なにより、起こす気もない。倒れていた酒瓶を拾い上げると、なかには四分の一ほど酒が残っていた。
「犬に噛まれたとでも思っておこう……」
残っていた酒を、一気に呷る。飲み慣れない酒に、酔いはすぐに回ってくる。まだ風呂にも入っていない。掃除をしなければいけない。考えなければいけないことも残っている。しかし、全てを放り出して床に寝そべる。
「おいしい……てばさき……けーきぃ……ぴぃぴぃ……」
「気色悪いモノを食ってるな」
イルイラの寝言に笑いそうになりながら、ジルカは目を閉じる。すると、すぐに眠気がジルカを包み込む。
この日ジルカは、久々に赤毛の少女と遊んでいた子供のころの夢を見た。床で寝たというのに目覚めは不思議とよく、気分がよかった。ジル兄なんか汗臭い、と言ってきたルイシャの尻を全力で叩いて掃除を手伝わせた。




