15 日常の終焉
今回長めです
本日もフェールは晴天なり。
強い日差しに呼応するよう、街の賑やかさもその程度を強める。
――この時点で、その破壊の厄災はまだ、姿を見せていなかった。
「ああ、それじゃあ次の街に」
「ええ、そうなんですよ。私もこの街は気に入ってるんですがねえ。一所にはとどまれない性分なんですよ」
「……残念です。本当、この店の串焼きは好みなんですけど」
「そう言ってもらえますと串打ち職人冥利に尽きますな」
時刻は朝の十時。
順番の関係で今日は早めの休憩時間を楽しむハイガは、行きつけの串焼き露店に足を運んでいた。
今日でこの露店を見つけてから一か月ほど。
ハイガはさすがに毎日とは言わないまでも、二日と間をあけずにこの店に通っていた。
美味いこともさることながら、この露店の店主、なかなかにサービスが行き届いていて、何度も訪れる客には食傷気味にならないよう、配合を変えた特別フレーバーの串焼きを提供してくれるのだった。
それがまた、いつものものの面影を感じさせながらも、全く違う方向性に仕上げているという按配である。
ハイガはこの露店に飽きもせず、一か月間ずっと通っているというわけであった。
「はい、どうぞ。……明日にはここを発つので、これがこの街でお客さんに売る最後の一本ってことになりますねえ。無論、お代はまけませんが」
「この店の串焼きを値切る人なんていないでしょ……はい、三百五十エル」
「いやはや、いいお客さんですなあ……はい、確かに。それではまたどうぞ」
ハイガは苦笑しながら店を去った。
いずれハイガはこの街を出るつもりではあるが、それであの串焼きの露店にぶつかるなんてどんな確率だろうか。
……いや、そうであるからこその、あの串打ちオヤジ一流のジョークなのかもしれなかった。
ハイガは串焼きを食べながら足を人の流れと反対方向に向ける。
それまでに賑わっていた人影が途切れ、辺りが不気味なほどに静まり返るそこ。
クラック・クロックの館である。
ハイガが用のあるのは、もちろんのことこの屋敷であった。
ノックをして中に入り、二階へ。
「いらっしゃいませ、ハイガ様」
「あ、ハイガさーん」
「こんにちは、ハイガさん」
出迎えたのは呪われた館のメイド人形こと、アイン、ツヴァイ、ドライである。
右手を軽くあげて応える。
「ああ……ここの所、夜に時間が取れなくて。昼に寄らせてもらったが、迷惑だったか?」
「いえいえ、私どもの都合などどうでもよろしいのです」
「ほんと、いつ来てくれてもいーんですよハイガさん。アインとか、最近ハイガさんが訪ねてきてくれないんでへこんでましたし」
「来て頂けるだけで大歓迎ですから……特にアインが」
「ツヴァイもドライもっ……! ……この二人は無視していただいて結構ですハイガ様。ゆっくりしていらして下さい」
表面上ツヴァイとドライをしかりつけるアイン。
ハイガがこの館に何をしに来ているのかといえば、単純に彼女らとおしゃべりを楽しみに来ているのだ。
この館に存在する魔術陣やスクロールの解析は三日ほどで終わったのだが、三人のメイドたちにしてみれば主人クラック・クロックが『兄弟』と呼ぶハイガは第二の主人のような感覚でいるらしく。
この屋敷にいてほしいというそぶりをちらちらと見せる彼女らに、ハイガも仕事の合間を縫ってこの館を訪れている。
人に仕える存在として造られたメイド人形が、仕えるべき対象を一度も知らないまま存在し続ける。
口にこそしないものの、彼女らにとってそれは随分と苦痛であったようで、当初(といっても彼女らと出会って未だ二週間ほどであるが)に比べると、何やら生き生きとしているように見える。
席に座ると同時、目の前には紅茶が置かれた。
どうやら既にハイガの好みを完全に理解しているようで、意外性のある味であることはあっても、それが不味かったことは一度もない。
メイド人形の面目躍如といったところだろう。
礼を述べて口をつける。
と、アインは少し顔を背けて笑みを浮かべた。
いつものすました笑みではなく、によによ、とそんな擬音が浮かびそうな笑顔である。
客人に紅茶を差し出すこの瞬間は、人形メイドにとっては存在意義を深く実感できる至福のひと時であるらしい。
そんな事情であるため、ハイガはこの屋敷に来るときは二杯の紅茶をお代わりする。
もちろん、ツヴァイもドライも自分にお茶を出せるようにである。
一度、紅茶をお代わりしないままに屋敷を出ようとしたことがあったのだが、その時のなんと言えばいいのだろうか、捨てられた子犬のような視線は未だに忘れられない。
……正直なことを言えば、メイド服着用の美女にそんな視線を向けられるというのは、ハイガにとって大いに心擽られるものだったのだが。
流石に、良心がまさったのだ。
「夜が忙しいというのは、何かご用事がおありなのですか?」
アインのその質問に答える前に、ツヴァイが口を開く。
「アイン、コレに決まってるだろーコレに」
小指を立てるツヴァイ。
「……下品よツヴァイ」
それにため息をつくドライ。
アインをツヴァイがおちょくって、ドライがそれを楽しんだり嗜めたりする。
ハイガの観察するところによると、どうやら彼女たちは本質的には全く同じ存在らしい。
彼女たちを構成する魔術陣には共鳴の魔術陣が仕込まれており、一部ではあるものの思考すら共有しているようだった。
では、なぜ同じような性格ではないのか?
これはハイガの予想だが、おそらく彼女らの性格の違いというのは、ある意味での防衛反応によるものではないだろうか。
少し考えてみる。
主人に使えるという目的を持って造られたメイド人形。
しかし使えるべき主人は既にそこを捨て去り、どこともわからない場所に移っている。
メイド人形たちは目的もなく、ただ惰性のままに、百年という月日を屋敷の維持のままに過ごす――
控えめに言っても、それはとてもまともな神経で耐えられるものではあるまい。
無論、彼女らは本質的には生命ではなく思考回路なのだから、時に関する感じ方も生命への意見も、ハイガとは全く違ったものだろう。
もしかすれば、倦みの感情などそもそも持っていないのかもしれない。
けれども、せめて退屈を紛らわせるために。
そのためにあえてああも違った性格を演じ、それが染みついているのではないかいう想像は、ハイガにはそこまで的外れなものだとは思えなかった。
もちろん、確認を取りなどしないが。
「いや、そういうわけじゃなくてな……」
思考を引き戻して、茶をしばきつつ夜が忙しい理由を説明する。
「ちょっと前から……大体、一ヶ月前ほどからだな。ネルヴァ大森林の魔獣が原因不明に減少しているらしい。……それ自体は悪いことじゃないんだが、ギルドの奴らはそれで暇になった時間を全部宴会に充てるからなあ……。ギルド員も仕事がないわけだから、仕事を理由に断れもしない。……そういうわけで、最近は夜に来れなかったんだ」
実のところをいえば、ハイガがこうやってのんきにお茶を楽しめるほどの間この屋敷にいるのも、これが理由だったりする。
仕事がないので、ワーク・シェアリングの精神で休憩時間がいつもより長いのである。
「なんだ、つまんないですねー。……ハイガさん、恋人とかは?」
ツヴァイがそう聞くと、アインもドライもピクリと耳を動かした。
クラックもなぜに彼女らの耳まで作りこんだのか不明だが、まあ彼女らの反応がそのおかげでわかりやすいので良しとしよう。
基本的に退屈と闘っているらしい彼女らのことである。
他人の恋愛には興味津々であるようだった。
が、ハイガではその好奇心を満たしてやることはできない。
「いないな」
「本当にー? 本当ですかー?」
ツヴァイが若干うざったく聞く。
それでも妙に絵になるのだから、美人形は得なものだ。
「毎日忙しいからな。そんな暇はない」
「えー……。あ、それじゃあ! 気になってる人とかは?」
ハイガは一瞬紅茶を口に運ぶ手を止め、そして何事もなかったかのように紅茶を飲みほす。
「あれ、その反応は!?」
ツヴァイは興奮した様子で声のトーンを上げる。
「ハイガ様に不躾よ」
「ツヴァイ、失礼よ」
そうたしなめるアインとドライであったが、ちらちらとこちらを伺う彼女らの表情に、彼女らの本心は見え透いていた。
興味津々である。
ハイガは答えなかった。
代わりに、一言口を開く。
「おかわりくれないか?」
それに反応したのはもちろん二杯目の紅茶を淹れる権利を持つツヴァイで、彼女は喜び勇んで紅茶を淹れ始めた。
ハイガの想い人への好奇心よりも、ハイガに紅茶を淹れるというメイド人形の本懐である仕事の方が彼女を擽ったらしい。
ハイガはアインとドライのどこか残念そうな顔をしり目に、ツヴァイの淹れた紅茶に舌鼓を打った。
屋敷を出た時には、既に十三時を回っていた。
ますますにぎやかさを増す大通りを人の波を縫って進み、ギルドに着いたのはそれから三十分ほどたってからだ。
中はこの時間帯にもかかわらず人声に溢れている。
普段ならば皆、狩りに出ているところなのであるが、仕事がないためだろう。
魔術師たちは自分たちの狩場が被らないよう、自主的に日を決めて魔獣討伐を休んでいる。
平時ならともかく、これほど魔獣の少ないのでは、そうでもしなければ魔獣の奪い合いになってしまうのである。
ハイガは筋肉の壁とでも形容できる、むくつけき肉体の林立するギルド内を進まなければならなかった。
若干辟易しながら裏へ回り、軽く挨拶を交わしてから、職員部屋で時間をつぶす。
今日のハイガは、十四時からの労働の予定だった。
あと十分ほど。
ハイガは制服の第一ボタンを留め、ギルドの表へ出ていった。
「どうも。そろそろ交代しますよ」
「ああ。……どうせ大した仕事もないんだし、もう少しゆっくり休んでても構わないぞ」
「休むのも休むので暇なんですよ」
「ハハ、ぜいたくな悩みだな」
笑いながらネーバンは席を代わる。
ギルドの仕事と一口に言っても色々と存在する。
討伐対象の魔獣の設定、討伐部位の買い取り、魔術師の査定などなど、その結構な部分は目立たず、しかし重要である。
その中で、受付というのは目に写りやすい仕事だ。
このような辺境の街では魔術師になりたいと言って魔術ギルドを訪れる人間は多くないし、個々の魔術師と気心も知れている。
それ故、魔術師とギルド職員の受付でのゴタゴタというのも起こりづらい。
というよりも、ギルドと関係を悪くすれば仕事が回ってこない。
音に聞こえる迷宮都市のような魔術師ばかりの場所ではそうでもないのかもしれないが、少なくとも一人一人の顔と名前が一致するこのギルドにおいては、ギルドとの関係というのは魔術師にとって死活問題なのである。
要するに、受付というのは比較的楽で、簡単な仕事だった。
最悪おしゃべりをしていたって良いこの受付という役割は、それ故に当番制となっている。
「レーナは何時に休憩?」
「十五時。そのまま今日は終わりね」
今、ハイガと共に受付に座るのはレーナであった。
特にすることもない暇さから、雑談が捗る。
「これまでにも魔獣が少なくなって仕事が減ることはあったのか?」
「そうね……あるにはあったわ。というか、季節の変化だけで魔獣の数なんて増えたり減ったりするものだし」
「ああ、それはそうか。魔獣といっても動物だもんな。冬眠くらいするか」
「そういうこと。……でもそうは言っても、今はもう冬ではないし……。むしろ、これから増えていく季節のはずよ」
「原因に心当たりは?」
レーナは軽く首をかしげる。
話題は自然のこと、異様に減少している魔獣のことだ。
ポツポツとその傾向は見て取れていたのだが、ここ一週間ほどでさらに顕著となった。
別段、今は困ったことではない。
そもそも魔獣というのは、人間への敵対種なのだから。
しかしその討伐を生業とする魔術師、また魔獣からとれる素材を使用する工房などにとっては、この状況が長く続けば死活問題たりえる。
「私もここに勤めだして数年だからなんとも言えないけど……そうね。魔獣はネルヴァ大森林から流れ出てくるんだから、ネルヴァ大森林で異変が起こっている、と考えるのが自然じゃないかしら」
その筋の通った意見に、ハイガも頷く。
と、同時に一ヶ月ほどの前――つまり、サバイバルでネルヴァ大森林を抜けた時のことを思い出す。
ネルヴァ大森林。
確かに、生きるにはあまりに厳しい環境ではあった。
ギルドに勤めだしてから魔獣について知る機会があったので、ある程度ネルヴァ大森林で見かけた魔獣の種類は把握できていたが、とんでもない。
冗談ではなく、都市一つを陥せるレベルの魔獣が闊歩していたのである。
よく生きて帰れたものだと、冷や汗が吹き出るのを抑えられなかったものだ。
しかし、だからと言って異常かと問われれば――特にそうとも思えない、というのがハイガの感想だった。
異様に強力な個体が多かったことは確かだが、それでも食物連鎖が成立し、一つ安定した生態系であったことは間違いない。
(……だが……何か、不自然な……?)
少しだけ考え込み、思い出せなかったために頭に浮かぶそれを振り払う。
と、そこでレーナがさらに意見を述べる。
「ともかく、なにかが起こっているのは間違いないわ」
「……断定的だな。何を根拠に?」
異変の存在を確信したようなレーナの口調に疑問を述べると、レーナは何を言っているのかという視線でこちらを見た。
「覚えているでしょう? ……ちょうど一か月くらい前」
「……ん? いや待て、何の話だ?」
一か月前……ちょうど、ハイガがこの街に来て二週間といった時期だ。
(……特に何も無かった……よな?)
厳密に言えばそのころからすでに魔獣減少の傾向は現れていたものの、おそらくそれではないだろう。
レーナの口ぶりからは、なにかもっと、具体的な何かが……
「覚えてないの……!? あの地面が崩れてしまいそうな大きな音に、街からすぐの場所にできた大きなクレーター! ……明らかに怪しいじゃない」
思わずハイガは吹き出しそうになった。
心当たりがありすぎる。
(魔道具の起動実験……!)
正確には、その失敗跡地。
そういえば放置したままだったが、よく考えてみればフェールの街の住民にとっては怪奇現象以外の何物でもない。
ひくひくと頬をヒクつかせるハイガに、レーナは胡乱な視線を向ける。
「……ハイガ、なにか心当たりでもあるの?」
「いや、ない!」
ハイガ渾身の誤魔化しに不審げな視線をおくるレーナ。
追及されたくないので、話題の転換を図った。
「ところで……万一、このまま数が戻らなければどうなるんだろうな」
「あからさまに話題を変えたわね……まあいいか。そうねー……実力のある魔術師はネルヴァ大森林の奥まで踏み込むか――考えたくないけれど、傭兵になる人たちも出てくると思うわ」
「確かに考えたくもない」
「そうよ。人間相手に戦うなんて馬鹿馬鹿しい。……カルが傭兵になるなんて言ったら私、殴り飛ばしてでもとめるもの」
「お、おう」
ここで迷いなく殴るという表現が出てくるあたり、このレーナという少女の苛烈さが表れている。
「そういえば、カルはどこだ? 姿が見えないが……」
「ああ、今日は狩りに出る日だそうよ。さっき出ていったわ」
カルーアがいる周囲だけは筋肉濃度が薄まるのでそこにカルーアがいるとわかるのだが……今日はこの筋肉の中での一涼を提供してくれる少女はいないようだった。
「……聞こう聞こうとは思っていたんだが」
「何?」
「カルって、なんで魔術師をやっているんだ?」
「ああー……」
レーナはそりゃそう思うわよね、という顔をした。
「この世界の魔術師の基準に照らし合わせれば、カルってどう考えても体格的に不利だろ。いくら頑張ったって筋肉なんぞつきそうにないし」
「そうね。私もそう思うわ……というかそもそも、私はカルが魔術師なんてやってるのは反対なのよ」
「そうなのか?」
「ええ。……だって変でしょ? カルみたいに小っちゃくて可愛い女の子が、血なまぐさい仕事をしなくちゃいけないなんて」
「まあ、そうだな」
カルーアならば、他にもいい仕事はたくさんあることだろう。
ハイガやレーナのように、ギルド員になってもいい。
なんにしても、魔術師でいる必要などなさそうなものだった。
「ハイガだから言うけど。カルは……」
――しかし、レーナが言葉を続けようとしたその瞬間。
日常は、終わりを告げた。
にわかにギルドが騒がしくなる。
常の陽気なものではない、剣呑と深刻さに満ちた喧騒。
「おい、コッパー!?」「なんで治療もせずにこんなところに!」「おい、立てるか!?医務所に行くぞ!」「何にやられたんだ!?」「なんて言ってるのかわかんねえよ!」「タンカだタンカ!」「誰でもいい、ポーションよこせ!」
それを作り出したのは、ギルドに入ってきた一人の魔術師だった。
理由は、言うまでもない。
――彼の全身は、血に塗れていた。
「なんて言ってるのかわからないのはうるさいからよ! 静かにしなさい!」
状況を素早く判断したレーナがそう一喝し、今にも倒れそうなコッパーに声をかける。
「大丈夫? ……何があったの?」
「ああ……ギルドマスターは……」
「ハイガ、すぐに……」
「いや、必要ない」
「うむ。今来たぞい」
コッパーの前にかがみこんだのはギルドマスターであるガーレフ。
呼びに行くまでもなく、彼の老練な感性は異常の存在を認識し、ここに現れていた。
「なんじゃコッパー。どうしたのかの?」
「ギルドマスター……。……ぅが……!」
「済まんがもう一度言ってくれんか」
コッパーは口から血を吐き出し、叫んだ。
「……竜が! ……蒼鱗竜が現れました!」
瞬間、ギルドが声なき驚愕に包まれる。
――それは知らぬ者の無い、天災の名前であった。
皆、声を出さない。
声を出してこの場が確かなものであると確認してしまうのが恐ろしかったのだ。
沈黙を破ったのはガーレフだった。
「……確かかの」
「確かに。間違いありません、あれは蒼鱗竜です!」
「うむ……」
数秒沈黙し、ガーレフは目を見開く。
そして、雷鳴のような声で指示を出した。
「すぐに五点鐘を要請せい! ギルド職員は総員、住人の避難誘導の準備を! ……魔術師は、死んでよいものだけワシに続けい! 強制ではないぞ! 己の意思で、この街の盾とならんとするものは力を貸せい!」
数秒の沈黙。そして挙がり始めるのは決断と意志の雄叫び。
己を擲ってでも街を救わんとする魔術師たちの声だった。
「よいな……では、各々ワシに続けい!」
開け放たれ……というよりも引きちぎられ、吹き飛ぶ扉。
魔術師たちは先を争って外へと出てゆく。
ギルド内が空になるまで数十秒。
呆れたことに、あれ程の傷を負っていたコッパーさえもが戦列に加わらんと駆け出して行った。
「……一体何が?」
ただ一人、何がどうなっているのかまるでわからないハイガはレーナに問う。
「五点鍾は確か、本当の危機的状況にだけ鳴らされるんじゃないのか……?」
「詳しい話は後! 職員を全員呼び出してさっきの話を伝えて! 私は詰所へ五点鐘の要請に行くわ!」
言うが早いか、レーナはギルドを飛び出る。
ハイガは仕方なしに、ギルドで働く職員たちに急いで今の指示を伝える。
すると一様に、これまでにない深刻な顔をした。
「まずいな……いかにギルド長でも……」「避難と言っても、焼け石に水ね。人が竜よりも速く走れるはずはないのだから」「しかし、行動しないよりもマシだ……結果がどれだけ悲惨でもな」「わかってるわ……急ぎましょう」
職員たちはそれぞれに、緊急時に定められた各々の仕事を全うせんと動き出す。
そんな中ハイガは、己がどう行動すべきかを決めかねていた。
(……何が、どうなって……? 蒼鱗竜とはそれほどに危険なのか……!?)
ガーレフという人間。
彼に対する信頼が、ハイガの行動を迷わせていた。
生ける伝説とも呼べる彼の逸話は、このギルドで働いていれば否応無しに耳に入ってくる。
そしてそれ以前に、ハイガ自身がガーレフのとてつもない強さを実感していた。
おそらく、才に恵まれたというだけではない。
長年の、命すら惜しまない鍛錬と挑戦。
それの作り出す圧倒的な経験値と、戦闘勘。
直接それを目にしたわけではないにせよ、少なくともハイガにはガーレフという人間がそういう類の人間であることがはっきりと見て取れる。
そしてその種の人間は、強い。
極限まで圧縮され練り上げられた、結晶化した強さ。
おそらくは、ガーレフならば地力で二倍、三倍と負けている相手にさえ、その戦闘勘の密度で勝敗を覆してしまう。
その確信が、ハイガにはあった。
しかし――そのガーレフの存在をもってして、この過剰警戒。
それをもたらしうる存在を、ハイガは想像できなかったのだ。
(何が何だか……ッ『声』!)
焦りを交えた思考は、その当然の選択肢すらも彼方に追いやってしまっていた。
己の迂闊を呪いながら、『声』に問う。
(蒼鱗竜とは何だ?)
――解。数百年に一度目覚めると言われる、『大いなる存在』の一種です。この世界では広く、天災と認識されています。
天災。
魔獣という域に留まらぬ、純然たる脅威。
その言葉に、ハイガの記憶が零れた。
それも遠いものではない。
ごく近い、最近の記憶。
(……ギルドの記述には載っていない、討伐対象にすらならない規格外。そんな存在、はッ……!)
蒼。
瞬間、毛穴が開く。
(俺はそれを、見ている……!?)
思い返すだけで冷や汗のにじむ、あの圧倒的な存在感。
ハイガはその脅威を知っている。
見つかれば死の極限の中で、しかしその在り方だけで理解できる脅威と美しさに酔いしれた。
そう、あの強靭な生命体たちが織り成す生命の坩堝においても、なお不自然を感じるほどに強大な、天蓋の存在。
ハイガはようやく、皆の抱く危機感を共有した。
(マズい、マズい、マズい、マズい……!)
ハイガは戦場へと走り出す。
(この世界に来てから四日目……確かに俺は、あの魔獣はこびる森……ネルヴァ大森林で、『蒼く輝く鱗の大蜥蜴』を見ている……!)
あの存在が蒼鱗竜だというのならば。
そう、それは自問自答するまでもなく。
(ヒトの敵う相手じゃない……!)
ガーレフは確かに強者だ。
ハイガの知る、誰よりも強い力を持っているだろう。
しかしそれでも――あの、蒼い竜に勝てるとは思わなかった。
竜とは、ヒトの敵わない存在を指すのだから。
(間に合うか――否。間に合わせる……!)
ヒトの身に余る存在を滅ぼしに、青年は戦場へ駆ける。
あっれ、気づいたら五千字だったものが九千字に……
でもさすがにこれで半分に分けるのもなんだかなあ、という内容だったのでこのまま投稿。
竜出現の伏線というかフラグといいますか、そういった部分はかなり適当になっております。
見逃してくだされ。




