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魔術の"出来損ない"と呼ばれた少年は、壊れた世界を繋ぐ唯一の【継ぎ手(リンカー)】でした  作者: 六井求真


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第66話:千の蜃気楼と砂塵の古都

東大陸の肥沃な大樹海を離れ、街道を西へとひた走ること数日。

 緑豊かだった車窓の景色は次第に赤褐色の荒野へと変わり、やがて視界のすべてを黄金色の砂の海が呑み込んでいった。


「うへぇ……暑い……! 息を吸うだけで肺の奥がカラカラに干からびちまいそうだぜ……!」


 馬車の窓から顔を出したガレットが、額から吹き出る汗を乱暴に手で拭った。

 外気温はすでに四十度を遥かに超えていた。

 見渡す限り、どこまでも連なる巨大な砂丘の波。空を見上げれば、ギラギラと照りつける太陽の周囲に、幾重もの光の輪が滲み、陽炎が空気を激しく歪ませている。


「ここが……西大陸の最果て、『アラクネ大砂漠』……」


 ヴァルドが外套の襟元を緩め、眉をひそめた。

 足下の砂はただの土埃ではない。一粒一粒が、神話の時代に砕け散った古代の鉱石と魔力の結晶片であり、太陽の熱を蓄えてフライパンのように熱せられていた。


「皆さん、無理に息を吸い込まないでください!」


 ミーシャが薄手の麻布を口元に巻きながら警告する。


「この砂漠の砂は、魔力を帯びて空気中で細かく帯電しています。さらに、熱気と混ざり合うことで『千の蜃気楼(ミラージュ・ヴェール)』と呼ばれる空間歪曲を引き起こしています! 目に見えている景色は、数キロ先のものだったり、すでに存在しない幻影だったりするんです!」


「ええ……私の氷織りで車内を冷やしてはいるけれど、外気に触れる端から冷気の魔糸(まし)が蒸発していくわ」


 セラが両手から微かな冷気を放ち、車内の温度を保とうとしているが、その額には疲労の色が濃い。砂漠の圧倒的な乾燥と熱気が、彼女の氷の魔糸を容赦なく奪い去っていた。


「セラさん、無理しないで」


 ルークが静かに立ち上がり、胸元から一本の美しい白銀の針を取り出した。

 南大陸のペルラ諸島で授かった神体——『原初の真珠針』だ。


「真珠針には、海と清らかな水流の魔糸が宿っています。……これを使って、馬車の周りに薄い水の天幕を織り上げますね」


 ルークが真珠針を虚空へ掲げると、指貫から紡ぎ出された金色の糸が針孔を通る。

 次の瞬間、涼やかな潮騒の音が響き、馬車の周囲を透き通るような青い水膜のドームが包み込んだ。

 車内を満たしていた刺すような熱気がすうっと引き、まるで海底の洞窟に佇んでいるかのような、清涼で潤いに満ちた空気が満ちていく。


「はあぁぁ……! 生き返ったぜ……! ルーク、お前本当に何でも持ってるな!」


 ガレットが座席に崩れ落ち、安堵の息を吐き出す。

 セラもふっと肩の力を抜き、潤った空気で呼吸を整えながら、ルークへと柔らかな眼差しを向けた。


「ありがとう、ルーク。……極北では私の氷があなたを守ったけれど、この砂漠では、あなたが私を守ってくれるのね」


「お互い様ですよ、セラさん。僕たちはパッチワークですから」


 ルークが微笑むと、セラも嬉しそうに口元を綻ばせた。


 だが、安らぎの時間は長くは続かなかった。

 前方で馬車を引いていた二頭の魔導馬が、突如として激しく嘶き、前足を上げて急停止したのだ。


「うわっと!? どうしたんだ!?」


 ガレットが慌てて御者台へ飛び出す。

 ルークたちが窓から前方を見据えると——数十メートル先の巨大なすり鉢状の砂丘の中央で、信じられない異変が起きていた。


 ズズズズズズズズズッ……!!


 大砂漠が、巨大な渦を巻いていた。

 直径数百メートルに及ぶ超巨大な流砂のすり鉢。その中心に向かって、何台ものラクダを連れた商隊(キャラバン)の荷馬車が、砂嵐の中で呑み込まれかけていたのだ。


「た、助けてくれぇぇぇっ!!」

「荷物を捨てろ! ロープを掴むんだ!」

「ダメだ、砂の底に……『砂角竜』が潜んでいるッ!!」


 吹き荒れる砂塵の向こうから、悲痛な悲鳴が響き渡る。

 ルークの左目が、流砂の底で蠢く巨大な魔力の塊を瞬時に捉えた。


「流砂の中心に、巨大なほつれ(アンレイヴ)の魔糸が絡みついています! 底から引っ張られているんだ!」


「助けに行くぞ!」


 ガレットが大剣を引き抜き、馬車の屋根から砂の上へと飛び降りた。

 ルーク、セラ、ヴァルド、ミーシャも即座に後に続く。


 砂丘の縁へ駆け寄った五人の眼前で、流砂の底から凄まじい砂柱が爆発した。


 ドガァァァァァンッ!!


 砂煙を切り裂いて姿を現したのは、体長三十メートルを超える、巨大な甲殻に覆われた砂の古竜——『砂角竜(デューン・ドレイク)』だった。

 その巨大な頭部には、巨大な角が三本突き出し、口からは周囲の空間ごと呑み込むような漆黒の竜巻を噴き出している。

 何より異様だったのは、その竜の全身に、幾千本もの「砂色のほつれの包帯」がぐるぐると巻き付き、怪獣を狂乱させていることだった。


「グォオオオオオオオオッ!!」


 怪獣の咆哮が、大砂漠の大気をビリビリと震わせる。

 傾いた商隊の馬車から、一人の若い少女が投げ出され、砂の斜面を転がり落ちていくのが見えた。

 少女の頭上には、砂角竜の巨大な顎が迫っている。


「ナディルッ!!」


 キャラバンの長らしき老人が絶叫する。


「させないわッ! 『氷槍・瞬閃《フロスト・ジャベリン》』ッ!!」


 セラの放った巨大な氷の槍が、砂嵐を切り裂いて砂角竜の眉間へと突き刺さった。

 ガギィィィンッ!と火花が散り、竜の首が大きく仰け反る。


「ガレット、足場を頼む!」


「任せとけッ! 『炎壁・跳躍台《ブレイズ・ステップ》』ッ!」


 ガレットが斜面に炎の刃を突き立て、ルークのための強固な足場を作り出す。

 ルークはその上を蹴り、砂角竜の頭上へと一気に跳躍した。


「少女から離れろッ!」


 ルークは空中で身を翻し、右手から『原初の真珠針』の清らかな水流の魔糸を放った。

 青い魔糸がリボンのように少女の体を優しく巻き込み、安全な砂丘の上へとふわりと引き上げる。


「え……? 水……の魔術……?」


 砂の上に救出された褐色の肌の少女——ナディルが、目を丸くして宙を見上げる。

 だが、獲物を奪われた砂角竜が怒り狂い、その巨大な尾をルークへ向けて叩きつけようと振り抜いた。


「死角からの攻撃……甘いな。『雷撃・断層斬《サンダー・スラッシュ》』ッ!」


 ヴァルドが紫電の刃で竜の尾の軌道を力づくで逸らす。


「ルークさん、あの竜の包帯……あれは古代カナンの封印布です! ほつれによって封印が狂い、竜の肉体を締め上げて暴走させています!」


 砂丘の上からミーシャが叫ぶ。


「やっぱり……! 痛かったんだね、お前も!」


 ルークは胸の『原初の絹糸針』と『原初の裁断刃』を同時に構えた。

 金銀のオッドアイが、竜の全身を締め上げていた狂乱の砂糸の「結び目」を完全に見定めた。


「狂った結び目を断ち、正しい大地の呼吸を取り戻せ——『神技・双針裁縫《デュアル・テーラー》』ッ!!」


 シャキィィィィンッ! パチンッ!!


 ルークの白銀の裁断刃が、竜を苦しめていた黒い砂糸の包帯だけを瞬時に切り落とし、

 直後に放たれた絹糸針の新緑の魔糸が、竜の傷口を優しく縫合した。


「グ……オ……ォ……ン……」


 狂乱の光が砂角竜の瞳から消え失せ、穏やかな大地の獣の光が戻った。

 巨大な竜はルークを見つめて小さく鼻を鳴らすと、流砂の底へと静かに潜り、砂漠の深奥へと去っていった。


     * * *


 吹き荒れていた流砂がピタリと止まり、砂丘に静寂が戻ってきた。


「あ、あなたたちは……一体……?」


 呆然と座り込んでいた少女ナディルと、駆け寄ってきたキャラバンの民たちが、ルークたちを取り囲んで信じられないものを見る目を向けた。

 褐色の肌に金色の刺繍が入った砂漠の民族衣装を纏ったキャラバンの長——ナディルの祖父が、深々と砂の上に額をつけて跪いた。


「おお……旅の御方々よ……! 砂漠の主である角竜を殺さずに鎮め、我が孫娘の命を救ってくださるとは……! アラクネ大砂漠の歴史において、水と緑を操り、傷を縫い合わせる魔術師など見たこともございません……!」


「頭を上げてください、長老さん。怪我がなくてよかったです」


 ルークが優しく老人を抱き起こす。

 少女ナディルも立ち上がり、ルークの腰に光る五本の遺物——特に真珠針と絹糸針を見て、息を呑んだ。


「その針……まさか、伝説の『原初の継ぎ手』……? 神話の時代、滅びゆく古代カナンに訪れたという、七つの道具を持つ仕立て屋の……!」


「知っているのか、カナンの伝説を?」


 ヴァルドが問うと、ナディルは真剣な瞳で頷いた。


「はい! 私たちは、砂の下に沈んだ古代王国カナンの末裔……砂織りの民です。……あなたたちは、あそこを目指しているのですね? 砂漠の結節点……『黄金の紡錘宮殿(スピンドル・パレス)』を!」


「黄金の紡錘宮殿……!」


 ミーシャが身を乗り出す。


「古代カナンの心臓部……六本目の神体『原初の金砂針』が祀られている神殿ですね!」


「そうです。ですが……今、宮殿へ近づくのは自殺行為です」


 ナディルは西の地平線を指差した。

 そこには、地平線から天蓋を貫くほど巨大な、黄金色に輝く超弩級の砂塵嵐が、巨大な竜巻となって渦巻いていた。


「数週間前から、宮殿の結界が暴走し、あのような『時の砂嵐』を吹き荒れさせているのです。触れたものは一瞬で風化して砂となり、あるいは過去や未来の幻影の中に閉じ込められてしまう……『千の蜃気楼』の発生源そのものです」


「触れただけで風化、あるいは幻影の中に取り込まれる、か……」


 セラが唇を噛む。


「ですが、私たちには砂嵐を抜ける道が見えません。蜃気楼が幾重にも重なって、神殿の本当の座標が隠されているのです」


「……いいえ、案内できます」


 ナディルが決意を込めて一歩前に出た。


「命を救っていただいた恩を返させてください。私は砂織りの巫女……砂の底を流れる『大地の伏流水』の糸を感じ取ることができます。蜃気楼に騙されず、神殿の真の入り口へと至る『砂の回廊』をお見せできます!」


「本当かい、ナディルさん!?」


「はい! 古代の神話が真実なら……ルーク様、あなたの持つ針だけが、暴走する金砂針を鎮め、砂に沈んだ我が故郷を救えるはずです!」


 砂漠の民の道案内を得て、ルークたちの進むべき道が定まった。

 胸元の五本の遺物が、西の彼方で渦巻く黄金の砂嵐——『原初の金砂針』の脈動に応じるように、熱く激しく共鳴を響かせていた。


 時間を巻き戻し、崩壊した世界を元に戻すという六本目の神体。

 少年少女たちは、砂嵐吹き荒れる古代カナン王国へと、力強く歩みを進めていく。

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