第1話:壊れた世界で、僕だけが"継ぐ"ことができる
数千年前の激しい嵐の中。
荒廃しきった大地に立つ、七つの影があった。
世界はすでに砕け散り、眼下には果てしない虚無だけが広がっている。
彼らは固く手を繋ぎ、光り輝く魔糸を虚空へと放った。
砕けた大地の欠片が、一針、また一針と縫い合わされていく。
——「完璧じゃなくていい。繋がっていれば、世界は生きられる」
最後の一人がそう呟いた時、その金と銀の瞳が、眩い光を放った。
*
「ルークお兄ちゃん! こっちの壁も直して!」
「お兄ちゃん、私の靴も! 底が外れちゃったの!」
「はいはい、順番にね。まずは壁から直すから、少し離れてて」
辺境の村、エッジタウン。
村外れにある小さな孤児院の庭先で、十五歳の少年ルーク・アスキスは、子どもたちに囲まれていた。
物心ついた時からこの孤児院で育ち、年長者として幼い弟や妹たちの世話をしながら暮らしている。
特徴といえば、夜空のように黒い髪と、左右で色の異なる双眸くらいだ。
左目は金色、右目は銀色——奇異なオッドアイ。
かつては気味悪がられることもあったが、今では村人たちも見慣れていた。
「よし、いくよ」
ルークは右手の親指と人差し指に嵌めた、古びた革の指貫を擦り合わせた。
指先から、うっすらと淡い光を放つ極細の糸——『魔糸』がするりと引き出される。
この世界『テクストゥーラ』では、魔糸を操り事象を織り上げる魔術『紡術』がすべてを支配している。
紡術には単糸、双糸、織紋、錦繍、天衣という五つの階位が存在し、上位になるほど複雑で強大な力を発揮する。
だが、ルークが扱えるのは、そのどれでもない。
——『継ぎ接ぎ(パッチワーク)』。
壊れた呪文の断片を縫い合わせるだけの異端技法。
火も熾せず、水も生み出せないルークは、村人たちから「魔術の出来損ない」と揶揄されていた。
だが、ルークの金色の左目には、普通の人には見えないものが視える。
物質の結合、魔術の構造、空間の網目——あらゆるものが無数の『糸目』として視覚化されるのだ。
(ここと、ここが解れているな)
壁の亀裂に沿って千切れている糸目を捉え、ルークは自らの魔糸を絡ませた。
切れた断片同士を手繰り寄せ、一針、一針、丁寧に縫い合わせていく。
「ふう、完成だ」
魔糸を断ち切ると、ひび割れていたレンガの壁は綺麗に塞がっていた。
修復された部分には、パッチワークのような継ぎ接ぎの紋様がうっすらと浮かび上がっている。
これが、ルークの魔術だった。
「わあ、元通りだ!」
「次は私の靴ね!」
歓声を上げる子どもたちに、ルークは苦笑しながら屈み込んだ。
村人にとって、ルークはただの「便利な修理屋」だ。
壊れた農具、ひび割れた壁、水漏れする水路。どんなものでも直せるが、華やかな正規の魔術は一切使えない。
それでも、ルークは今の生活を気に入っていた。
壊れたものが繋がり、誰かの笑顔が戻る瞬間が、何よりも好きだったからだ。
だが、その平穏は唐突に引き裂かれた。
ジジ……ジジジッ!
黒板を釘で引っ掻くような耳障りな音が、突如として大気を震わせた。
広場の中央。
何もない虚空に、真っ黒な亀裂が走った。
「な、なんだあれは!?」
「空が割れてるぞ!」
悲鳴を上げて逃げ惑う村人たち。
ルークの金色の左目が、その異常な光景を凝視した。
(空間の糸目が……引き裂かれている!?)
——『裂け目』。
世界帷が破れ、虚無の彼方から災厄が這い出すという古い伝承。
黒い亀裂の奥から、ドロリとした黒い霧が這い出してきた。
触れたものすべてを分解し、無へと帰す異形の怪物——『ほつれ』。
「自警団だ! 武器を持て!」
村の男たちが剣や槍を手に立ち向かうが、攻撃は霧をすり抜けるだけで全く効かない。
それどころか、武器が霧に触れた端からボロボロと風化していく。
「駄目だ、物理攻撃が効かない!」
「誰か、高位の紡術師はいないのか!」
絶叫が木霊する。だが、こんな辺境に強力な魔術師などいるはずもない。
このままでは、村が丸ごと消滅する。
逃げなければ。
頭ではそう理解しているのに、ルークの身体は前へと飛び出していた。
「ルーク!? 馬鹿野郎、逃げろ!」
村人の制止を振り切り、ルークは裂け目の真正面へと疾走する。
金色の左目には、はっきりと視えていた。
空間に開いた漆黒の大穴。その周囲で、世界の境界膜を形作る無数の『糸』が、悲鳴を上げながら千切れ飛んでいる。
(壊れたものを、放っておけるか……!)
それはルークの生来の性分であり、魂の本能だった。
ルークは両手の指貫を強く擦り合わせた。
体内の魔力を限界まで練り上げ、両手の指先から黄金に輝く魔糸を一気に解き放つ。
「繋がれッ……!」
虚空を縫うという前代未聞の暴挙。
千切れた世界の糸目を左目で捉え、自らの魔糸を強引に結びつけていく。
一針。
黒い霧がルークの頬を掠め、肌を焦がす。
構わず、二針、三針と縫い進める。
(解れた糸を、重ねて、結んで——!)
頭の中に、かつて見たこともない幾何学的な紋様が組み上がっていく。
欠損した空間を補うため、異なる魔糸を幾重にも編み込んで補強する極限の『継ぎ接ぎ』。
「ふんッ……!!」
最後の一張りを力強く引き絞った。
その瞬間——。
裂け目を覆い尽くすように、光り輝くパッチワークの紋様が虚空に浮かび上がった。
バラバラだった空間の糸目が固く結びつき、大穴が内側へと強制的に収縮していく。
『ギギ……ギギギィィィッ!』
這い出ようとしていた『ほつれ』が、閉じる空間に挟まれ、悲鳴を上げて霧散した。
パァンッ! と弾けるような衝撃波と共に、黒い亀裂は跡形もなく消滅した。
後には、澄み渡る青空と、空中に微かに残る光のパッチワークの残照だけ。
「……嘘だろ……」
「空間の裂け目を……縫い合わせただと……?」
膝をつき、荒い息を吐くルークの周囲で、村人たちが呆然と立ち尽くしていた。
激しい魔力の消耗で、指貫から薄く白煙が上がっている。
(直せた……。でも、あれは一体何だったんだ……?)
ルークが息を整えていた、その時だった。
広場から少し離れた時計台の屋根の上。
一部始終をその目で見届けていた一つの影があった。
黒髪のショートヘアに、知的な切れ長の瞳を瞠る女性。
彼女は、自らの左腕に刻まれた、古い『継ぎ接ぎ模様』の傷痕をそっと撫でた。
「……見つけた」
震える唇から、確信に満ちた呟きが零れ落ちる。
王立紡術院教官、レイラ・ファースト。
——彼女との邂逅が、少年の運命を激変させることになる。




