第16話 最強とは光を視る者なのか
結局、あの日はそれ以上何も進展しないまま夜を迎えた。
祝賀会の夜の真相は誰も語らず、俺はただ悶々としたまま眠りについた。
そして翌朝。
応接室で紅茶を飲みながら今後の予定を話し合っていると、扉が静かにノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは年配の侍女だった。恭しく一礼すると、どこか興奮を隠しきれない様子で口を開く。
「国王陛下より、火急のお知らせにございます」
昨日の今日でまた「火急」と聞くと、正直身構えてしまう。
「フィリア王女殿下が、お目覚めになられました」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「本当ですか……!」
思わず立ち上がる。侍女は深く頷いた。
「陛下が直々にご報告なさりたいと。応接室までいらっしゃいます」
程なくして、国王陛下自身が応接室へと姿を見せた。昨日までの疲れ切った表情とは違う、どこかほっとしたような、それでいてまだ落ち着かない様子だった。
「王女殿下がお目覚めに、ですか」
「ああ」
国王は静かに頷いた。
「昨日の朝のことだ。フィリアの意識が戻った」
「フィリア。それが王女殿下の名前だった」
国王は俺達を廊下へと促しながら、歩きつつ話を続けた。
「一年ぶりに目を開けて、最初に呟いた言葉が『お母様』だったそうだ。王妃はその場で泣き崩れたと聞いている」
その声にわずかな震えが混じっていた。
「ただ……」
「ただ?」
「フィリアには昔から、少し変わった力があった」
国王は歩みを止めず、廊下の先を見据えたまま続けた。
「先のことが、視える力だ」
俺は思わず可憐お嬢様の方を見た。可憐お嬢様は静かに国王の話へ耳を傾けている。表情は変わらない。
「目覚めた今、その力がひどく弱まっているらしい。医師の見立てでは、一年の眠りの間に、何かが損なわれたのではないかと」
国王は一度言葉を切った。
「それでも、フィリアは……不思議と落ち着いていた。むしろ、何かを気にかけているようだった」
「気にかけている、ですか?」
「ああ。眠りにつく前、何かを『視た』らしくてな」
国王は足を止め、俺と可憐お嬢様を交互に見た。
「詳しくは本人から聞くのが一番だろう。実は、フィリアがそなたらに会いたいと言っている」
俺は思わず可憐お嬢様の顔を見た。可憐お嬢様は少しも驚いた様子もなく、ただ小さく頷いていた。
「まあ、光栄ですわ」
その一言だけだった。
国王は小さく苦笑した。
「そなたには不思議と物怖じせぬな」
「物怖じする理由がございませんもの」
可憐お嬢様の即答に、国王は今度こそはっきりと笑った。この数日で初めて見る、心からの笑みだった。
「……礼を言う」
不意に、国王が足を止めて俺の方を向いた。
「勇者よ。此度のこと、誤解していたことも含めて、詫びねばならぬ。フィリアが眠りについた時期のことで、そなたを疎んじていた。すまなかった」
思いがけない言葉だった。俺は慌てて頭を下げる。
「い、いえ……仕方のないことです。誰だってそう思います」
「それでも、だ」
国王は真っ直ぐに俺を見た。
「王として、詫びるべきことは詫びねばならぬ」
その言葉に、俺は何も返せなかった。ただ深く頭を下げるしかなかった。
◇
国王に案内され、俺達はフィリア王女の私室へと向かった。
厚い絨毯の敷かれた廊下を歩くたび、窓辺に飾られた花の香りがふわりと漂う。一年間、誰も踏み入ることのなかった静寂な区画。だが今は、その空気にわずかな温かさが戻っているような気がした。
「フィリア。連れてきたぞ」
国王が扉を開けると、ベッドの上で上体を起こした少女がこちらを見た。
薄紫の澄んだ瞳。王家の血を引く証だという、その瞳がまっすぐに俺達を見つめている。
「初めまして、勇者様」
声はまだ本調子ではないのか、少しかすれていた。それでも、その口調には芯の通った気品があった。
「フィリアと申します。この度は、多大なるご迷惑を――」
「いえ、そんな。お気になさらず……」
俺が慌てて言葉を返すと、フィリア王女はふっと微笑んだ。だが、その視線はすぐに俺の後ろへと移る。
可憐お嬢様へ。
その瞬間だった。
フィリア王女の瞳が、大きく見開かれた。
「……あなた、が」
小さな呟きだった。
「フィリア?」
国王が怪訝な声を上げる。だが、フィリア王女は構わず、ベッドから身を乗り出すようにして可憐お嬢様を見つめ続けていた。
「金色の……髪。真紅の……ドレス……」
まるで、何かを確かめるような口調だった。
「あの日、視た光と、同じ……」
部屋の空気が変わる。国王が息を呑むのが分かった。
可憐お嬢様はといえば、いつも通り優雅に一礼しただけだった。
「初めまして。鳳凰院可憐と申しますわ」
「……鳳凰院、可憐様」
フィリア王女はその名を確かめるように繰り返すと、ゆっくりと、けれど確かな笑みを浮かべた。
「お会いできて、光栄です。ずっと……お待ちしておりました」
「まあ」
可憐お嬢様は少しだけ首を傾げる。
「お会いするのは初めてですのに、お待ちいただいていたとは、光栄ですこと」
「ふふ……そう、ですわね」
フィリア王女は小さく笑った。その笑みには、これまでの一年間の重さが滲んでいるようにも見えた。
「わたくし、眠りにつく前、少しだけ先のことが視えるのです。……今はもう、ほとんど視えなくなってしまいましたけれど」
「聞いております」
「最後に視たのは、あなたでした」
フィリア王女はまっすぐに可憐お嬢様を見つめる。
「暗闇の中に灯る、一輪の薔薇のような光。それが現れる時、この国の歪みが正される――そう、視えました」
可憐お嬢様は少しの間、黙って王女の言葉を聞いていた。
「……歪み、ですか」
「はい」
「でしたら」
可憐お嬢様はふわりと微笑んだ。
「もう、ご安心くださいませ」
「え?」
「その歪みとやらは、悟が斬って捨てましたもの」
「お嬢様!?」
俺は思わず声を上げた。フィリア王女は一瞬きょとんとした後、堪えきれないというように、くすりと笑った。
「ふふ……お二人は、聞いていた通りの方々ですのね」
その笑い声に、国王も、俺も、思わず頬が緩んだ。一年ぶりに聞く、王女の笑い声だった。
「陛下!」
その和やかな空気を破るように、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
「火急の知らせにございます!」
息を切らした兵士が、扉の前で膝をつく。
「北の、スノーランド王国より使者が――」
国王の顔から、一瞬にして先ほどまでの穏やかさが消えた。
「……何だと」
「我が王国に対し、宣戦布告にございます!」
その言葉が、静かだった部屋の空気を一瞬にして凍りつかせた。




