7話
「どうやら、この先で間違いなさそうだね」
テオとフード男、二人が立っているのは下層の運河沿いにある暗い穴の前。つまり、下水道の排水口だった。
この都市では上層のある台地から、下層にある街の地下に至るまで下水道網が張り巡らされている。元々は雨水を運河まで排水するためのものだったが、後から生活排水も流されるようになり、今では管理も曖昧で衛生的にも問題を抱えた都市の負の一面となっている。
下水道に出入りする人間は清掃員か浮浪者か、あるいは――。
「いかにも犯罪者が好みそうだ」
排水口から漏れ出るかび臭い空気を嗅ぎ吐き捨てるように呟いたテオを見て、フード男は苦笑する。あまり好んで入りたい場所ではないが、二人の視線の先には今まで追っていた痕跡が続いている。テオの大きなため息を合図に、二人は排水口から水道内へと足を踏み入れた。
「音が響くな。足音に注意しよう」
「話し声にもな」
男はこの先に進んだはずだが、足音は聞こえない。
二人は警戒しながら下水道を進む。魔術による痕跡のおかげで道に迷う心配はないが、奥へ進んだ男以外にも脅威が存在している可能性もある。この先が拝の金鎖の拠点なのであれば尚のことだ。
重い沈黙の中、足音を殺して歩み続ける二人。何度か角を曲がったところで、不自然に途切れた痕跡に気付く。
周囲を見回したが、不審なものは見当たらない。行き止まりというわけでもない。顔を見合わせ、痕跡が途切れたあたりの壁に触れるが、レンガの冷たい感触が返ってくるだけだった。
「追跡に気付かれたか?」
テオの確認に、フード男は首を振る。
「魔術の効果はまだ続いているよ。どこかに道があるはずだが……まさか、水の中を通ったとか言わないだろうね」
だとしたらお手上げだ。テオは下水道に流れる濁った水を見やった。さすがにここに潜ろうとは思わない。フード男もそれは同意らしく、二人は捜索範囲を少し広げて周辺を手分けして探る。
「その魔術、痕跡を誤魔化す方法とかないのか?」
「うーん……もちろん、相手がそれ用の魔術を持っていれば可能だろうけど。そんな的確に術式を持っているとは考えづらいし」
「他に無力化する方法は?」
「印を発見して壊すことだけど、その場合は痕跡そのものが消えるはずだよ」
フード男は肩を竦め、地面の痕跡を指さした。テオは苛立ち紛れに地面に落ちていた小石を水路へ蹴り落とす。次の手を考えるテオの肩を、フード男が軽く叩いた。
睨みつけると、指で水路の先を指さす。暗闇の中に灯りが揺れ、こちらに近づいてくるのが見える。一瞬、姿を隠すことを考えるが、フード男が前に進み出て静かにしていろとばかりに人差し指を自身の唇に沿える。
「驚いた、こんなところで人に会うなんて」
ボロボロの衣服を身に纏った子供が二人と、それを先導する老人の手のひらの上に漂うように浮かび上がる白い光が、暗い下水道を柔らかく照らす。
「こんにちは、ご老人。それに子供たちも」
フード男が外見に似合わず丁寧な挨拶を返し、老人と子供たちも会釈して応じた。見たところ浮浪者のようだが、訝しむテオを見て子供たちが顔を輝かせる。
「あ、ご飯くれた兄ちゃんだ!」
「ほんとだ」
言われて思い出す。昨日の昼に酒場に来た子供たちだった。子供たちの発言を聞き、老人も顔を綻ばせてテオの前に歩み出た。
「この子たちに食事を恵んでくださったのはあなたでしたか。ありがとうございます」
「ガキとじじいがこんなとこで何してんだ?」
その疑問に答えたのはフード男だった。子供たちの持つ袋に視線を注ぎ、老人に声をかける。
「金屑拾いですか。今日の成果はどうです?」
子供たちは手に持った袋を持ち上げてみせる。あまり中身が詰まっているようには見えない。老人は残念そうに首を振った。
下水道には捨てづらいゴミを不法投棄する輩が後を絶たない。そういったゴミから金属くずを拾い集め、金に換える浮浪者もいると聞いたことがある。
「兄ちゃん、名前教えてよ」
「……テオだ」
人懐っこく寄ってくる子供に、テオが躊躇いがちに答える。子供たちの視線は今度はフード男へと向けられる。自分もなのかとフード男が自らを指さすと、子供たちは顔を輝かせて頷いた。
「僕は……シル……うーん、シエルでいいよ」
明らかに今てきとうに考えた偽名に、テオは呆れて溜息を漏らす。そういえば名前は聞いていなかったが、この様子だとテオが聞いても偽名を名乗っていただろう。つくづく正体不明の男だ。
「お二人はこんなところで何を?」
老人の疑問にどう答えるべきか。先ほど何か考えがある様子だったし、テオはフード男――シエルに任せることにした。シエルは懐から取り出した金貨を一枚、老人の手に握らせながら答える。
「これは内密の話なのですが、私たちは犯罪者を追っています」
「犯罪者ですかな」
「ええ。何か心当たりありませんか。この辺りで、普通は通れないような秘密の通路とか」
老人は顎に手を添えて考える。シエルのほうをじっと見つめ、次にテオの瞳を覗き込む。沈黙に耐えかねた子供が袖を引っ張るまでじっくりと考え込んだ末に、老人はようやく口を開いた。
「怪しい連中が出入りしている道を知っております」
老人は二人を先ほど痕跡が途切れていたあたりまで案内すると、その近くにあるレンガの継ぎ目を指でなぞった。先ほどまでは暗かったから気付かなかったが、いや、明るくても言われて注視しなければ気付かないほど小さな字で、そこに何かが刻まれている。
シエルが身を屈めてレンガの隙間を覗き込んだ。テオも肩越しに確認するが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。魔術の術式だろうか。
「簡易的な封印だね。この術式を発動させれば」
シエルがもう一度文字をなぞると、それらが微かな光を放つ。次に、レンガの壁が小刻みに音を立てながら揺れ、回転しながら左右に割れて道を開けた。何もなかった壁に人一人がようやく通れるくらいの、狭い通路が出現する。
「レンガを動かして物理的に道を塞ぐ魔術だ。原始的だけど、こういうところでは有効かもね」
礼を言って通路を進もうとする二人を、老人が思い出したように呼び止め、手に持っていた何かをシエルに手渡した。
テオも覗き込む。どこかで見覚えのある印章。表紙をこちらに向けた開かれた本と、それを取り囲む鎖、特徴的な黒い布。
「そこを出入りしていた人間が落としていったものです。何かの手がかりになればと」
シエルはそれを握りしめ、今までになく深刻な声色で礼を述べた。
「ありがとうございます、ご老人。ここで見たものは忘れて、今日はもうここを出てください」




