1話
幼い頃からお祈りがミレナ・グレイフォードの習慣だった。
毎日の日課に加え、何かあるたびにミレナは祈っていた。失敗をした時、人を傷つけてしまった時、体調が優れない時、気が晴れない時、何かを我慢する時……神々への祈りは、ミレナにとって自分の気持ちを整理するための儀式だったし、いつも祈ることで自分を律してきた。
けれど、ここしばらくはお祈りをしても気分が晴れない日々が続いていた。
合わせていた手を解き、顔をあげて立ち上がる。
寮に割り当てられた自分の部屋、質素な作りながら生活に必要な家具は一通り揃っている部屋。孤児院で姉妹たちと一緒に過ごした部屋に比べれば、これでも十分すぎるほど恵まれた環境で、朝一人で目を覚ますたびに自分が上層に来たことを思い出す。
窓に近づき、カーテンを開いた。既に日が沈み外は暗く、街は街灯や家々の窓から漏れる灯りで彩られていた。
窓を開いて風を取り込み、窓枠に寄りかかって街の明かりを眺めた。
下層の中心を横断するように流れる運河より手前は灯りが多く、運河より向こう側は灯りが少ない。
ミレナが一番見たいもの……自分が住んでいた孤児院は、ここからでは見ることができなかった。自分に与えられたこの贅沢な部屋で、唯一の不満がそれだった。
孤児院は上層のある台地の崖沿いにあり、上からではどうやっても見ることができない。
見えない家に想いを馳せ、子供の頃を懐かしむ。あの頃は生きていく上でこんなことを気にしなければならないなんて考えもしなかった。
気分が晴れない理由は、自分でもわかっている。学校のことだ。
ミレナの問題は、一言で片づけてしまえばクラスに馴染めていない、ということだった。
孤児院を出て、才能があるからという院長からの薦めで入学した、シェラトゥ教団の寄宿学校。同じ年頃の子供たちが共同生活を送りながら、共に魔術の才能を磨く。最初は自分に向いていると思っていた。
けれど、今ではそうは思わない。
上層にある学校だけあって、クラスのほとんどは裕福な家庭の出身で、とにかく話が合わない。それだけなら大した問題ではなかったけれど、問題はミレナの体に流れる血にあった。
ヴィータ。自分たちをそう名乗る、獣と人の混ざりもの――その末裔。大昔に錬金術の実験で生み出されたらしいそれらは、かつてはキメラと呼ばれていたそうだ。ミレナの体にも、狼のような耳と尻尾が生えている。
獣と混ざっているせいなのか、ヴィータの身体は不安定で、情緒面にも揺らぎが出やすい。薬で抑えることはできるけれど、それだけでは偏見を払拭するには頼りない。
最初はクラスメイトたちも珍しがって、優しい対応をしてくれていた。自分は受け入れられたのだと思って、それまで不安がっていた自分を恥じたくらいだった。人を信じることができない自分を軽蔑し、孤児院の兄弟たち以外に同じ年頃の学友たちと交流できたことも嬉しかった。
けれど、それも長くは続かなかった。
きっかけがどれだったのかはわからない。話題についていけなかったからか、眠くて対応がおざなりになったことか、宿題を写すのを断ったからか。とにかく、知らないうちにクラスの中心にいる女の子たちの不興を買ってしまったらしい私は、いつの間にか、少しずつ外されていった。
今では登校しても、クラスメイトと言葉を交わす機会は挨拶くらいしかなかった。後は必要に応じて、最低限の事務的な会話をするくらいだった。
決定的だったのは、クラスメイトの中で初日に真っ先に私に話しかけてくれたリディアのあの言葉。
ミレナに向けて直接言ったわけではない。たまたま聞いてしまった。
「獣のくせに」
多分、リディアは強い悪意で言ったわけではないのだと思う。そんなに深刻な雰囲気ではなかったし、ちょっとした陰口だったのだろう。けれど、ミレナの心にはその一言が深く突き刺さり、それ以来他のクラスメイトとも上手く話せないことが増えてきた。
自分のせいなのか、相手のせいなのか……それすらも、自分ではもうわからない。
問題がそれだけだったら、気にせず自分の勉強に集中していればいいだけだったけれど、ここでの勉強にもあんまり気が乗らないのだった。
智識神シェラトゥを祀る教団は、神に仕える信徒であると共に、強力な魔術師たちの集団でもあった。授業では知識を身に着けるのは当然のこと、戦いの技術についても高い水準で身に着けることが求められる。
けれど、ミレナにはそれが好きになれなかった。それって、結局人を傷つけるための技術だ。殴り方を学んだり、蹴り方を学んだりするのと何が違うんだろう。
クラスメイトたちのほとんどはミレナとは真逆で、勉強はあまり好きじゃないけれど、戦いの技術は積極的に身につけたい……そんな子のほうが多い。周囲に馴染めず、話が合わない一因でもあった。
将来強い魔術師になることを夢見るお金持ちの子供たち。そんな彼らを、どこか見下しているような冷めた目で見ている自分も自覚してしまい、それも居心地の悪さの原因だった。自分がこの学校に入学するきっかけとなった才能と勤勉さ。それは、あのクラスで周りから認められるためにはあまりにも役に立たない。
推薦枠の特待生だから学費の心配はないけれど、最近はどうしてこんなところにいるんだろうという考えが、ずっと頭の中にぼんやりと浮かんで離れない。
深くため息をつき、窓を閉めて鍵をかけた。気分を切り替えるつもりでカーテンを強く引き、外の世界と自身の間に一線を引いた。
応援して推薦してくれた院長のためにも、そして何より自分のため。私はここで生きていかなければならない。戦いの技術だって、どんな仕事をするにしたってきっと役に立つ。自分の身は自分で守れるに越したことはないのだから、割り切ればいいのだ。
自分に言い聞かせて、部屋の灯りを消した。




