12話
ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだった。
この都市では悪評が立ちすぎ、仕事がやりづらくなってきていた。そんな中依頼されたのが、ある貴族の飼い猫を誘拐し、身代金を要求するというものだった。あの家の娘は飼い猫を溺愛しているわりに放し飼いで、得られるリターンの割には簡単な仕事のはずだった。
飼い猫如きにわざわざ金を払うかは賭けだったが、渋るようなら猫を痛めつけて写真を送りつけるなり、やりようはいくらでもある。最悪失敗したら逃げればいいだけだ。
最後に少ないリスクで大きなリターンが得られる楽な仕事。その予定だったのに……。
「クソっ、なんであんなガキに」
使い魔を連れたガキ。傭兵のタグは本物だったから、駆け出し傭兵ってところか。
使い魔を連れているのは珍しいと思ったが、大した実力を持っているようには見えなかった。使い魔の強さは主人の魔術の技量に比例する。主人があんなガキなら、使い魔も高が知れている。脅威になるはずがない。
しかし、最後にあの使い魔が見せたあの魔術——あれは、駆け出し傭兵の使い魔が扱えるようなレベルではなかった。
「……動くならそろそろか」
ゆっくりと顔を上げ、窓の外を覗き見る。完全に陽は沈み、外はかなり暗くなってきた。今日は月明りがあるのが気掛かりだが、ここで潜伏し続けることもできない。
使い魔に引き裂かれた右腕を抑える。止血はしたが、じりじりと痛む。思いの他、深く抉られたようだ。
あそこでガキが気絶していなければ逃げきれなかっただろう。
足音を殺してゆっくりと階段を降り、隠れ家の扉をそっと開ける。外の様子を伺い、人がいないことを確認して隙間に身体を滑り込ませるように外に出た。
一番近いのは東門。そこまでは細い路地をいくつか抜ければ辿り着ける。
駆けだそうとした時、闇に溶けるように佇んだ黒い影が、大きな蒼い瞳をこちらに向けているのに気付いた。
驚いて立ち止まる。あの使い魔だ。
「こんな夜遅くにお出かけ?」
背後から声がかかり、ゆっくりと振り返った。妙に通りが良くて耳に残る……心臓を鷲掴みにされたような気分にさせる、不快な声。
生地の薄い黒いフードを被った、黒いドレスを着た女だった。髪の一部と瞳、額にある宝石のような角の蒼が目を引く。なによりも異質なのはその眼だ。通常なら白目の部分がすべて漆黒に染まった、不気味なその眼。
「……晶魔」
自分の顔が引き攣るのがわかる。
たしか、ここの領主に仕える宮廷魔術師が晶魔だったはずだ。そいつは式典なんかの例外を除いてほとんど領主邸に引き籠っており、滅多に人前に姿を見せないことで有名だった。
それがなぜここにいるのか、わからないほど馬鹿じゃない。
「私の可愛い使い魔がお世話になったと聞いて、お礼をしに来たのよ」
あの使い魔の異常な魔術……ガキとの実力の不釣り合いさもこれで納得がいく。
この晶魔の相手をするのは無理だ。即座に判断し、晶魔とは逆方向に走る。行く手を阻むのはあの使い魔だけだ。
そのまま微動だにしない使い魔を思い切り蹴り飛ばしてやった。
黒い身体が面白いほど跳ね、壁に激突して動かなくなった。これで使い魔の治療に気を取られるはずだ。このまま振り返らず、一気に都市の外へ駆け抜ける。あの女がどんな手練れの魔術師だろうと、都市の外まで逃げてしまえばこっちのものだ。
暗くて細い路地を脇目も振らずに走り続ける。大丈夫、隠れ家は東門まで簡単に到達できる場所に用意していた。あの女が衛兵を配備していたとしても、それらを撒いて逃げ切る自信はある。
休まずに走り続ける。今のところ追手の気配はないし、衛兵も見当たらない。次の路地を曲がれば東門が見えるはずだが……そちらも無人だった。門衛すら見当たらないが、詰所に灯りがついているから今はそちらにいるのだろう。
思わず笑ってしまった。なんだ、簡単じゃないか。
無人の東門をくぐり、都市の外に出た――そう思った瞬間、俺は何かに激突していた。
顔を覆い、地面を転がる。何が起きたのか理解できなかったが、とにかくすぐに身体を起こして身を屈め、ナイフを抜いて構えた。
……東門なんてどこにもない。自分がいるのは狭い路地だった。
頭が混乱する。状況の理解が追い付かない。先ほど何か――いや、壁にぶつけたのか。壁にぶつけた部分を、路地を吹き抜ける夜風が冷ましてくれる。
にゃぉ。
驚いて肩が震えた。恐る恐るそちらに目を向けると、先ほど蹴り飛ばした使い魔が、蹴り飛ばす前と同じように道を塞いで座っていた。その大きな蒼い瞳を、まっすぐにこちらに向けて。
嫌な予感がして、反対側へ目を向ける。
「どうしたの?」
黒いドレスの女が、人の良さそうな笑みを浮かべて立っていた。
逃げる前にいたのとまったく同じ場所。つまりこれは――、
「幻覚?」
咄嗟に自分の身体を確認する。地面に触れる。夜風の感触も、身体の痛みも、指先に触れる砂利の感触も、どれも幻覚とは思えない。じゃあ、もう幻覚は解けたのか?
「あなたはまだ夢の中ですよ。そして、この夢から脱出する方法はたった一つしかありません」
女が嬉しそうに語る。まるで、自分が素敵だと思うものを友人に勧める時のような無邪気さで、心底楽しげに。
「次はどうしますか?」
自分の呼吸が荒くなるのを自覚せざるを得ない。これが幻覚?
「私を殺してみますか?」
幻覚なら壁に激突した時点で解けているはずだ。
「それとも、自ら死んでみますか?」
これが幻覚なはずがない。痛みも感触もすべて本物だ。
「色々試してみて構いませんよ。私は一切邪魔しませんから」
無我夢中で咆哮し、気が付いたら女に突進していた。手に持ったナイフを突き出し、心臓目掛けて正確に突き刺す。
ナイフが皮膚を破る感触が手に伝わる――にも関わらず、女は笑みを張り付けたまま微動だにしない。
先ほど蹴り飛ばされた使い魔と同じだった。




