未来編2 第四部への序章 今日から始める生活保護生活 申請編~脳梗塞一周年記念に~(1)
いよいよ生活費が枯渇し始めたので、生活保護を受けようと考えたのは2020年10月のことだった。
その後もアルバイト募集を見て応募をかけてはいたのだが、どうもどれもこれもレスポンスが悪い。
そして良条件ほど通勤距離に難があり、当然ライバルも多いため、とても自分のスキルでは採用まで決められなかった。
よく考えれば今はコロナ不況。
元気いっぱいの健常者もあぶれている惨状だから、こういう人たちにはとても自分のような半(分以上)病人は勝てそうもない。ということにしておこう。
なんにしろ途中で諦め始めた自分は、徐々にいっそクビでもくくるかと変な方向に腹を決めはじめて、流されるまま不安でなにもろくに手がつかないまま結局時間を空費してしまった。
それでなくても一週間ためた洗濯物をただ庭に干すだけでへとへとになり、近所の店に買い物に行くだけでも気分が悪くなる体力で、一体なにを働けるというのか自分でもわからない。
迷惑にはなってもとても戦力になるとは思えない。
そんなわけで以前から民生委員に相談したらと声をかけられていたので、近所の人のお世話で口を聞いてもらうことにした。
自分で申請に行ってもいいのだが、どうやらツテを頼って進めるほうが申請は通りやすいらしい。
そんなわけで初めて自分から家族以外の他人に泣きついたのだが、親切に面倒を見てくれて、長年顔を見たことはちょいちょいあるもののろくに話したことはなかった近所の民生委員の人と話し合いを持った。
この民生委員というのはようするに地域の世話役で、そのご近所情報の把握ぶりには改めて驚かされた。
比較的近隣に親戚が住んでいるのだが、自分は「遠い親戚らしい」以上は何も知らず、普段の交流もほぼないのだが、その関係もどうやらご存知らしい。
お爺さんとお爺さんが兄弟でしょう? と確認を取られても、自分はどちらの爺さんにも会った記憶がなく、聞かれてもそうですともそうじゃないとも返せないくらいだった。
それ以外のプライベートな情報も、近所にこんなに知れ渡っていたのかという感じ。
一言も喋った記憶がないことまで情報は回っているものだ。
近所の恐ろしさと深さを目の当たりにした瞬間でもあった。
話はトントン拍子に進み、結局役所に申請に向かうことになった。
つきそいが三人も窓口についていく厳戒態勢。
そしてやけに若い窓口の女の子に迎えられた自分は、質問に合わせて自分の現状を語り始める。
当然情報は全部横のメンバーにも筒抜けになるわけだが、もう隠したってしょうがあるまい。
生活保護を受けるためには、資産を持っていないことが条件になる。
実際はこれが一番厳しいらしい。
具体的には預金貯金がないこと、(換金可能な)不動産がないこと、借金がないことなど。
預貯金は当然として、不動産があるとちょっと話が難しくなる。
別荘や遊んでいる土地があれば、それ売ってまず生活費作ってねとなるのはまあ至極当然の流れ。
今実際に住んでいる家屋をどう考えるか、ここが微妙なところ。
住んでいる家を手放してアパートに移れというのはあまりに無体な話だし、かといって大邸宅に住んでいる人に生活保護というのもなんだかなとなる。
大体そんな家は維持費もかかるものだから、そうそう生活保護のレベルで手間をかけられるわけもない。
ここの線引きが割合シビアらしい。
自分は家を持っていてこれがネックとなり、場合によっては「それ売り払ってお金なくなってから来てね」となる可能性もあったから厄介だった。
土地と言っても猫の額、家屋は二束三文築70年超のボロ屋なのだが、それでも不動産は不動産だから仕方ないとも言えるのだが……。
なにより未整理の荷物が、マンション二部屋借りても埋め尽くせそうな量なため、今追い出されてもなにを残すか真剣に悩むことになるかも知れない。
自分の荷物も相当だが、実は亡き母親の荷物はさらに悪質で、近所の人に「お母さんおしゃれだったからいっつも新しい服着てたよ」と言われて、確かにうなるような服や靴でまみれていたなとよその家との違いを認識したりもした。
この母親、布団をためこむ癖も相当で、うちには床面積全体に敷き詰めても余りある布団のストックがある。
宿経営も余裕でできるな。
ところがその布団は全部サイズが小さい女性用なため、自分では使えないから困ったものだ。
160cm以上身長があるのはこの家で自分のみだったのだが、今はこの家にいるのが自分だけになったため、無用の長物にもほどがある。
収納場所すら困って二階の押し入れまで占拠する布団が、全部自分では使えないこのもどかしさときたら……。
服やかばん、靴もえぐいくらいあれもこれも大量にあるのだが、元々女性の中でも相当な細身で、最後は病気のせいで鶏ガラみたいに痩せてしまった母親のウェストに合う女性は、この世界に一体何人いるのかということになっている。
男は片足すら通らないんじゃないかというジーンズのサイズを見ていると、世の痩せ型女子すらぽっちゃりに見えるくらいだから困る。
現在も順調に体重を減らし続ける自分も、もう少ししたら母親の終末期の体重くらい喪失してしまうかもしれない。
冬の寒さに母親のジャンパーを引き出して羽織ろうとしたことがあったのだが、自分では(20kg以上体重が減った後でさえ)片腕を通すこともできなかった。
メ○カリで売れば? なんて微塵も考えられないあまりにもサイズの小さな服は、しかし処分できずにまだ大半が残っている。
それでも以前下着だけは処分した。
当然どれだけ待ち続けたところで、もう彼女が帰ってきてそれを身につけることはないとわかっている。
服なら着る人にあげることはできるが、下着は他人に渡すわけにもいかない。というかいらないだろう。
誰もそれを使う機会はないのだ、永遠に。
そうわかっていても、どこかでそれが必要になる瞬間が来るような気がして、ずっと捨てられなかった。
いざ捨てようと決心した時も、それをまとめてゴミ袋に詰めた瞬間泣きそうになってしまった。
結局その日は憂鬱で、そのことばかりを考えてしまったが、次の日決心してゴミ捨て場に想いと一緒に置いてきた。
それは今でも少し尾を引いていて、たったそれだけのことなのに深刻なダメージを負った自分は、結局それっきりまだ残りの荷物には手をつけられないでいる。
多分多かれ少なかれ誰もが経験することなんだろうなと思う、こういうことは。
実際母親とはいい思い出ばかりでもなく、これまで何度も衝突してきたのだが、こうなってしまうともう言い返すこともできずに自分だけがあの世からの攻撃をノーガードで受け続ける以外、なにも対処ができない。
仮にこの家を処分しなければならなくなれば、有無を言わさず全てを処分するしかなくなって、一時的に感傷に浸る時間を経て後にはすっきりするのだろうが、今はまだその時ではないようだ。
他に加入している保険がないかも聞かれる。借金の存在も。
保険は解約すればお金が帰ってくる可能性もあるし、続けて払わなければ確かに損だが、それよりは解約して支払いを停止してくれというのもわからなくはない。
借金がある場合は恐らく自己破産が先で、返済に生活保護費を充てるなということなのだろう。
最低限の生活維持を目的とする以上、こういった制限はどうしてもついて回る。
面倒なら稼いで自分でなんとかしろというのも、まあ冷たいようだがしょうがないと言われてしまえばしょうがない。
まあ自分は保険も借金も今のところ無関係なので、ここはあまり語れるほど詳しくはないのだが。
昔知り合いに一応会社社長の男がいたが、彼の生活態度には借金に対する軽さがあった。
自分は母親の影響もあって借金というものに抵抗が非常に強かったが、彼は全くそれをものともしていなかった。
借金できるということはそれだけ稼げるということでもある。
返すアテがあるから借りるわけで、いざ返せなければ自己破産すればいいという考え方は、システム的には合理的で間違った考え方というわけではない。
そうでなければ経営者そのものがいなくなってしまう。
それよりも金を集めて再起するんだ、儲かれば返せるというのは、働いたお金だけでやりくりを考える典型的なサラリーマン的思考だった母親とは全然違ったが、方向としてはどちらも間違ってはいないんだなと。
自分は子供の頃死んだ父親に似たらしくただのぐうたら遊び人で、結局母親が望んでいた地道に稼いで生きていく人間にはなれなかったが、会社社長の彼のように大雑把に考えて最後は人に頼る生き方も出来なかった。
結果として行き着いた先は非常にわかりやすい「まずそうなるだろうな」という結果だったのも納得。
彼がその後どうしているか知らないが、二度目の自己破産をしていないかそれがちょっと気になる。
まあしていたとしても、あの感覚でいけば自ら命を絶つような真似はしないだろうから、あまり心配はしていないが。
それより自分より遥かに悪かった食生活と、関わっている人間のやばさのほうが心配だ、あいつは。
もう少し会社がまともなら働かせてと泣きつく芽もあったのだろうが、平気で何ヶ月も給料遅配していたのを知っているしな……。
というわけで現在残っている貯金額を聞かれた。
この時民生委員に言われて通帳を持ってきていた自分は、それを取り出して説明する。
実は役所に行く前少し時間があったので、自分は記帳とついでに当座の生活費をその通帳から引き出していた。
なので口座に残ったのは四万円ほど。そして手元には生活費三万円、締めて七万円を所持していた。
七万くらい入り用になればあっという間になくなる額ではあるので、収入がろくにない自分がいかに不安だったかお察しいただきたいが、しかしこの不安は生活保護を考える人間としては非常に贅沢な悩みらしい。
一通り話を聞いたお姉さんは上司と相談してきますと一旦消えて、そして上司を引き連れて戻ってきた。
生活保護費は人によるが月七万円ほどもらえるらしい。
しかし借金返済など「最低限の生存生活保護のお題目」に沿わない用途を厳しく制限されているため、余剰のお金を持つことは禁じられている。
その時の手持ちのお金が二万円なら、残り五万円が支給されるらしいが、手持ちの金額が半額の三万五千円を越えていると申請が通らないようだ。
自分は引き出した額を除いても口座に四万円残っていたため、今申請しても却下されてしまうらしい。
仕組みを考えるとなるほどという話だが、また出直しというのも辛い判決ではある。
「ですのでなくなったらまた来てください」
と言われた自分は、一応金さえなければ申請を許可できる状態(それくらい悲惨な状況だと認められた)ではあるらしい。
思えば二度の背骨骨折に脳梗塞、この数年間病院には通いっぱなしである。
自分ってやっぱり不幸だったんだなあ。
生活保護と言えば門前払いのイメージがどうしても強いが、民生委員他のサポートもあったとはいえこんな簡単に申請が通るとは思わなかった。
ここまでテレビでよく見かけた嫌味の一言もない。
ついてきてくれた民生委員の人と近所の人も、こんなにうまくいくとは思っていなかったようで、ほっと一安心していた。
その安心ぶりに逆にこっちが不安になったくらいだ。
ほんに、他人の温情がこんなにありがたいと今さら気づくとは。
思えば他人の厚意をいかに無碍にしてきた人生だったか。自分の馬鹿さ加減がこれほど身にしみた瞬間もなかった。
しかしこれで話は終わらない。
そして自分は、他人の厚意をまた無碍にしてしまうこととなった。




