第二話+ 続・血圧のことは忘れたい
やっと降圧剤から解放されたぞやっほー! から一ヶ月、また事態は思わぬ方向に動いたため、本編では語らなかった血圧の事情を引っ張り出してみようと思う。
前回ふらふらになって塩分増量キャンペーンに踏み込んだ自分は、その後数日間ふりかけ生活を続けた。
しかしここで血圧が想像を超えるレベルで上がってきたため、ここ数日の生活を振り返った自分は「ふりかけのせいだ……」とここに原因を求めて、結局ふりかけ生活をやめた。
その後塩分摂取量は(本当に)若干低下し、そして予想以上に血圧も落ち着いたため「恐るべし塩の破壊力……やはり人類に塩はまだ早すぎたのか」と思っていたのだが、そうではなかったようだ。
ごめん○り○○、君は悪くないんだ……。
実は夏場、血圧の低下が絶好調だった自分に医者は「夏場は血圧が下がる」と言っていた。
そのことをあまり重く受け止めていなかった自分は、その言葉を裏返せば「冬は血圧が上がる」というわりと当たり前の事象に至るという事実を見過ごしてしまった。
その後秋にかけて「この季節は血圧がまず下がらない」と言われた自分は、しかし停滞気味だった血圧の数字をさらに低下させ、医者をして「一旦降圧剤をやめにしましょう」と言わしめたわけだが、それを誇ってばかりもいられないことに気づかされることとなった。
季節は冬、十二月の気温は低い。
うちは古い家で暖房もろくにないため、その寒さは想像以上。
普段は電気ストーブと毛布か布団にくるまってしのいでいたが、体重が減ったせいか今年は思いの外その辛さが身にしみる。
雪国ではなく平地暮らしの自分は、冬の寒さというものを舐めていたようだ。
そして運命の十二月十五日、全国的に寒波が訪れてとてつもない寒さを迎えた日、血圧は悲鳴を上げたくなるような数字を叩き出してくれた。
これも以前医者に言われた言葉だが「血圧が続けて130以上になることは望ましくない」そうだ。
なのでそこまで行くとちょっと笑ってはいられなくなる。
しかしその日は一時的とはいえ130の壁を突破してしまった。
慌てて何度か血圧を計測すると数字は昼前までに落ち着いていき、夜も106程度まで下がったので、続けて130を超えることはなかったのだが、その後血圧は今まで80から100で推移していたものが、90から120の大きな波を作る形で変動するようになっていた。
降圧剤を飲んでいた時はあまり意識していなかったが、意外と数字が安定しないのが血圧というものらしい。
降圧剤を飲んでいた時、それも後半の安定期は割合一定の数字に収まっていた印象だが、ないとこうも数字が乱高下するものか。
薬を飲まなくなって一日のうちの変動がかなり大きくなってしまった自分は、毎日を怯えて過ごすことになってしまった。
いまさら数字を偽って書き込むわけにもいかず、とりあえず最初に計測した数字を血圧手帳にメモし続けたが、その数字は本当にばらばらで、120で悲鳴を上げた次の日には90台まで下がったり、また次の日には110くらいまで上がったり、高いのは朝だけと思ったら夜に120を計測したりと今まで味わったことがない緊迫感を味わわされ続けた。
そして年の瀬、本年最後の病院通いの日がやってきた。
今朝の血圧は107/78。
120/85までが理想形と言われているが、それを考えるとこの数字は十分低い。
120超えが多かった最近ではまあまあ優秀な数字でもあるため、今日は狙い目と思ったが、いざ病院に行く直前に計るとこの数字が115/83まで上昇。
また出鼻をくじくようなことを……としばらく逡巡したが、面倒なので薬復活させるならもうこい! と諦観で家を出た。
そして診察。
最初に血圧手帳を見せると「高いね」と言われてドキっとするものの「今の季節はみんな上がっているから」「次もう少し上がったらお薬復活させましょう、今回はそのままで」と言われ、今日はなんとか降圧剤復活を免れることができた。
医師の測定でも114/84と直前に家庭用血圧計で計った数字とほぼ同じ値が出てほっと一安心。
「血圧が上がったというよりは普通に戻った感じ」と言われもしたので、どうやら自分もなんとか真人間に戻りつつあるようだ。
しかしわざわざ「続」というからには、事態はこれで終わらない。
世間では寒さはさらにピークを迎え大晦日にはとんでもないレベルに下がると言われていた。
週間予報の予想気温もその頃に二桁から一桁になっている。
それを敏感に察知したかのように血圧はさらに上がり続け、ついに年末頃には低めですら120を超えるようになってしまった。
もう130なんて当たり前。それも段々高めの数字になってきた。
ごまかそうかとも思ったが、もはやごまかしきれまい……そして行こうか迷っている間に病院は年内の診察を終えていた。
世間ではコロナの感染が大爆発状態だったが、自分の頭の中はなにをやっても下がらない血圧の数字でいっぱいだった。
もう食べ物に理由を求めるわけにもいかない。
今年は少し雰囲気をだそうと、ほぼだし汁と七味だけの薄々お湯そば状態だったが年越しそばも一応準備していたのに……。
まじで薄すぎて、食べはしたけど文字通り味はしませんでした。気分の問題ではなく。
だし全部飲み干しても麺とかき揚げ含めて塩分0.4g未満はさすがに無謀だった。
次はもう少しまともに醤油使います。
というかだしケチりすぎたかな。
結局130超えとギリ120台の攻防が続き、実際の体感温度よりも早く血圧はさらに上がって、もう隠すにも隠しきれなくなってきた。
本当は落ち着いて数字が下がったら、ちょっと高かった日だけ何度か計測して出た低めの数字でごまかそうかと悩んだのだが、もうそれも無理な段階になってきた。
(改ざんすることを考えて)様子見で数日血圧手帳に書き込まなかったのは内緒だ。
というかここ数日視力がまた悪くなってきた気がするのは考えすぎだろうか……とりあえず照明は抑えないで済んでいるから多分気の所為だろうが。
基本ビビリでこういう時開き直れない自分がつくづく恨めしい。
自爆する時だけは開き直り早いのに、真綿で首を絞められることに耐えられない。
病院に行こうにも既に開いてやしないし。これだから年末は嫌いだ。
昔(確かまだ二十代の頃)年末に友人と会う予定を組んでいたら、思い切り熱が出てキャンセルした時のことを思い出す。
ごめんと直前に電話してその日は大人しく寝たのだが、元々扁桃腺が弱い自分は年末年始を高熱と喉の痛みで過ごした。
我慢しきれず四日の早朝に診察に行ったのだが、待てど暮らせど受付が始まらない。
偶然看護師が電話に出て「診察は明日からです」と言っているのを聞いてやっと今日は診察がないことを知り、すごすごと帰ることに……そうか入院患者向けにロビー開けていただけか。
その時は痛みのせいで食べ物が喉を通らず、水さえろくに飲むことが出来なかった。
辛うじてアイスを食べてしのいでいたが、それすら激痛に耐えてやっとのことだった。
痛みで喋るのさえ苦痛なのに、母親が「うどん作ろうか?」と頻繁に言うのが鬱陶しいったらない。
いらんの一言ですらしばらくはひりひりするのに、首を横に振っても振っても言ってくる。
そして大人しく帰って寝ていた自分に勤め先から電話をかけてくるこの母親は「診察してきた?」と聞いてくるのだが、痛みで喋るのも苦痛なんだって。
いよいよブチギレた自分は「今日休み!」とだけ叫んで電話を切ったが、そのせいでしばらく痛みにのたうち回ることになった。
あの頃家族というものはひたすらうざい存在でしかなかった。
今となってはもう笑えない笑い話にしかならなくなってしまったが……。
結局次の日やっと耳鼻科にかかった自分は、先生に喉を診られて一言「相当我慢したね」と言われ、生まれてはじめて点滴というものを受けた。
確かこの時も針の貫通失敗したっけな。
これがまたえらい効き具合で、帰宅する頃には痛みも消えて足取りも軽やかに。
それまで喋るのも苦痛だったのがなくなり、なんなら歌でも歌おうかというレベルまで回復した。
調子に乗った自分はコンビニで辛い鶏肉がトッピングされたカレー弁当を買って昼はそれを完食した。
今思うと喉を痛めた人間のチョイスじゃないなと思うが、、やっと年末年始の地獄から解放されたのはそれほど嬉しかったのだろう。
今回またその年末の呪い発動で首を絞められる思いをすることになってしまった。
これだったら薬復活していたほうがよほど気楽な年越しだった。
この時ほど薬価なんてくそくらえだから薬売ってちょうだいと思ったこともない。
中途半端に優秀すぎることも悲劇を呼ぶのね。
こうなることを見越して早めに薬切り上げた医者の陰謀論も多少頭をもたげなくはないが。
お釈迦様の手のひらで踊る孫悟空の気分だ。
そして年明け令和三年、この日の血圧は悲鳴を上げるしかないではなく、文字通り悲鳴の数字で幕開けしました。
とんだ新年祝いになってしまった……とほほ。今年のお年玉これか。
いい気になってからたった一ヶ月で早速敗北宣言ですよ。
病院が始まるのは五日。それまで無事でいられますように。




