血圧のことは忘れたい(4)
2020年、師走を迎えてそろそろ年越しの準備を始める時期、自分は寒さに震えてすっかり布団のヌシになっていた。
もう外出るの寒くてポスト見に行くのも億劫だ。
その後塩分制限は予想以上にうまくいき、血圧もずっと上が80~100くらいで推移した自分は、順調に薬を減らしていった。
病院の血圧計でもいつの間にかほぼ誤差がない数字が出るようになり、あれこれ他のことが色々続いたこともあって、急速に血圧や医者に対する不信感はなくなっていった。
そして0.5錠(薬局が半分に割ってパッケージングしたもの、新薬なのでそれくらいしても儲けは出るらしい)まで量が減った薬は、ついに「一旦全てやめにしましょう」ということで0になった。
二月の終わりから飲み始めた降圧剤は、まる九ヶ月と数日で終了と相成った。
思えば入院中看護師から「血圧というのは一度上がると中々下がらない」と言われ、その後ネットなどで調べても人の話を聞いても「一度飲み始めたら一生飲み続けることになって、医者と製薬会社に金を貢ぎ続けることになる」などと言われたものだが、実際は年内に鎮圧することに成功した。
さすが俺、こんな完璧な奴そうはいないよねと自画自賛したいくらいだ。
いやほんと、数年かかってやめた人の話はたまに聞いたが、一年かからずは聞いたことがない。
ここまで特に無理なくご飯も美味しく食べられているし、それでいて血圧も一度も上昇傾向に転じることはなく無事薬も終わった。
もしかしなくても天才なんじゃないだろうか。
これで本書けないかな。ベストセラー間違いなしだよ出版社見てる?
内科医が言うには体重が減ったことがかなり効果的だったらしい。
しかしそれに関しては最近自信を喪失することがあった。
実は同時期、有名な芸人が凄まじいダイエットを実行していたと最近知った。
彼女の以前の体重は自分のMAX時より重かったのだが、現在は自分がやっとの思いで減らした体重をさらに下回っているらしい。
向こうは年も若く女性で、かなり激しい運動を加えた上でのシェイプアップだったらしいから、自分にはとても真似できないのだが、それにしても敗北感は強かった。
もうひとり別の芸人トリオの一人が急激に痩せたことが以前話題になっていたが、彼も原因は脳出血がきっかけだったらしい。
つまり脳卒中仲間ということになる。
しかもwikipediaの情報によると、脳出血の前に急激なリバウンドがあり、どうやらそれが引き金になったらしい。
急激な体重増からの脳卒中というのは、自分のケースと似ている。
その後減量を断行した彼は40kg体重を落としたというから、自分は彼にも遥かに劣っていることになる。
二人とも元々の体重がかなりあるので(自分はそこまでではなかった、それでも針通らないくらいは重かったけど)単純に比較するわけにはいかないが、自分だけいい気になっているわけにもいかないということは身にしみてしまった。
大体ちょっと自慢を始めるともっとすごい奴がいるから、本当にやりがいがない……まあいいや、よその畑を羨んでも仕方ない。
今も血圧測定の日々は続いている。
当然食生活が崩壊すれば危険はまた表面化するし、そうでなくてもまだ「一旦やめる」だけで、もう完全に飲まなくてもいいというわけではない。
結局今後一生気をつけていかなければいけないことに違いはない。
それはともかく、やっと病院に行った次の日から、降圧剤は晴れて卒業となった。それは素直に喜びたい。
この日も朝から血圧は絶好調。
さあどうなるかなと期待と不安はありつつも特に暮らしぶりに変化はなかったのだが、その夜かなり強い立ちくらみを覚えて、椅子に座りかけだった体はどすんと尻餅をついてその上に落ちた。
脳みそをかき回されるような感覚で目が回る。
数カ月ぶりに本気のめまいを覚えて意識をくらくらさせる。
とりあえず波が去ってから血圧計を巻いて計ってみたが、この時の数字は直前に取った夜の計測値とほぼ変化なし。
その後しばらく余韻に襲われたので、それが完全に過ぎ去ってからその日は大人しく寝ることにした。
薬を減らしたのに血圧が思ったより上がらなくてむしろ下がるというのは、今までも何度か経験しているのでもう慌てたりはしないが、しかしこうも急な立ちくらみは初めて。
逆にいいタイミングでやめられたのかもしれない。薬を飲んで数字が下がっていたところにさらにあれなら卒倒していたかも
明日は卒業記念に大盤振る舞いで塩分がんがん摂っちゃおうかな、などと考えていた。
しかし次の日しょっぱなから塩パーティー構想は暗礁に乗り上げる。
昨日は80台だった血圧が、この日の朝は100になっていた。
やめたばかりで即座にドカンと数字が上がるわけではないし、80台と100台なら今まで薬を飲んでいる時でも何度も出ている数字ではあるので、単純に「上がった」とも言えない。
たまたま今日は高く出ただけという可能性も十分ある。
結果を見るにはこれを一週間から数週間単位で見ていく必要がある。
とはいえ昨日のようにふらふらするのはもう勘弁と思った自分は、多少強引ながら塩分がっつり贅沢三昧構想を見切りスタートさせた。
今日は遠慮せずに塩使いまくってやろうという、今までは散々我慢していた鬱憤を一気に晴らそうというだけの浅はかな計画だ。
その日の昼食は野菜と豆腐炒めに小さじ一杯のマヨネーズ(それぞれ塩分0.1g)を加えて味にコクをつける。
いつものおかずにさらに焼きそば(麺一玉0.1g+ソース0.6g=0.7g)も追加した。
食後は普段あまり飲まないコーヒーin砂糖とミルク(塩分0.05g)。
そして今回の目玉、冷蔵庫で長い間出番がなかったふりかけをどどんと投入(超有名ブランド品、2.5gで塩分0.23g)。
病気以前に買ってあったそれを、たまにご飯の味が薄いと思った時にさっと少量ふりかけていたのだが、軽く振るだけでも0.2g以上は塩分を摂取してしまうため、あまり気安く使えないと封印していた。
今回はそれを贅沢三昧のために久しぶりに蔵出しすることに。
実は賞味期限はもう切れているのだが、生じゃないし細かいことはいいっこなし。
早速少量ご飯にかけてその日のおかずとともに食べ始める。
うん、しょっぱい。
こんなちょびっとしかかけていないのに、それを少しすくうだけでずっと舌の上に塩味が残ってしまう。
以前は親の仇のように白米が黒と黄色に染まるまで振っていた抹茶の混じった塩が、卵の味が、たったこれだけで異様なくらい効いてくる。
終わってみれば結局その日に摂った塩分は、若干少なめだった前日と比べてもたった0.7g程度しか上昇していなかった。
当然この程度増えたくらいでは、塩分6g制限なんか余裕で範囲内である。
なんならもう一回同じものを食べてもまだ6g以内に収まっている。
カレーを食べた日のほうがまだわずかに塩分量多くなるくらい。
あれ、これいつものメニューにちょっと変化つけただけじゃねという、なんとも微妙な塩パーティーになってしまった。
それでも本人としては大盤振る舞いでとんでもない贅沢をしたつもりだったのだが。
これを機会に正規メニューに組み込んで、ふりかけの在庫をきちんと捌いてしまうか……。
これではっきりしたのだが、たった九ヶ月でもうすっかり体のほうが塩を拒否するようになってしまっていた。
食べたいと思っても、もうたっぷり塩の入ったものを食べること自体が不可能になっている。
それはこんなことでこんな大量に塩分を摂取するのはもったいないという気持ちの問題だと思っていたのだが、実際は味の面でもそうなっていることに今さら気づいてしまった、
朱に交われば赤くなるというのはこういことなのか。塩抜きが続けば淡水から海水にはもう帰れないらしい。
こうなると以前は一日10g以上平然と摂取していたのが嘘みたいだ。
既にあの頃が懐かしいという気分さえ抱けない。
まあ再発のリスクがそれで軽減されるなら、文句も問題もまるでないのだけど。
世の高血圧のみなさん、これくらいやれば断薬は必ず成功します。諦めることはありません。
血圧が下がりさえすれば降圧剤なんて逆に減らさないとふらふらになるだけなんだから……本当は立場強いのは医者よりこっちですよ。
負けずにひっくり返してやりましょう。
そして自分は勝った!
と思う、多分。
味覚変化しすぎて協調性は完全に消失するけどね……。
飲み会もつきあいも食べ放題も、手を抜いてコンビニやほか弁すら外食自体まず不可能になるし、結婚や同棲、シェアハウスはおろか、デートすらもう成功する要素がない。
それが幸せといえるかどうかは今でも自信がない。
よく「好きなもん食べてぽっくり逝ったほうがいい」という人がいるが、それに明確に反論する術を自分は知らない。
本当に自分は勝ったのだろうか……。




