蔵
何も無い山の中では出来る事が限られてしまう。虎緒は翌日丸一日ごろごろと寝ていたが、その一日で飽きてしまった。
かと謂って、では片腕が使えない状態で何が出来るか。取り敢えず虎緒は寺の掃き掃除を始めた。
湖西は昼間陰陽課に出向く為、行き届いた掃除が出来ているとは謂えない。
襤褸寺だから掃除などよい、などと湖西は云うが、雑巾がけが出来無いのだからせめて箒で落葉くらい片付けようと思い立ったのである。
幼い頃より父の道場に通った虎緒だ、掃除も修行の内と慣れている。
庭を竹箒で掃き清める。左腕一本なので上手く落葉を集められないが、謹慎の身だ、なにも急ぐ事は無い。のんびり毎日やればいいと思っている。
一明は、と見れば縁側に面した部屋で文机に座り、なにやら筆を動かしていた。
オレが廊下を掃いたのだから雑巾がけくらいしてくれればいいのに。そう思いもしたが、筆の動きから見て符を作っているのだと察した。
あれを邪魔するのは良くない。
子供の頃、一明が符を作っている最中にいたずらしたらしこたま怒られた。爆発したらどうする、と。
(実際、念を込めると爆発したりするしな)
陰陽師など呪術を扱う者にとって符は出来るだけ持っておきたいのだろう。それだけ手数が増える。
ふと、隣接する蔵に目がいった。
(オッサンの寺だし、悪いもんじゃ無ぇとは思うが)
妙な気配ではある。
山の精気の様な自然霊と妖物とでは発する気の質が違う。
蔵から感じられるのはどちらともつかない。
(おかしなもんを寺に奉納……ッてのはよくある話か)
きっと髪が伸びる人形だとか、夜中勝手に鳴る三味線だとか、そんなものだろう。虎緒は竹箒の先に注意を戻した。
一明は筆を置くと伸びをした。首を振り凝りをほぐす。
文机の向こう、庭には竹箒を持つ虎緒の姿が見える。
手元の符を一枚一枚舐める様に目を通す。満足な出来だと確認すると一明は立ち上がった。根を詰め過ぎるのは良くない。
台所まで行って喉を潤す。
一明は非番の時など普段はラフな洋装だが、筆を使う時には装いを改め狩衣に袖を通す。意識の切り替えの為だ。
墨で汚れてはいないものの軽く手をすすぐ。
顔を上げると窓から建物の角が見えた。
本堂など寺の建築物とは違う。どうやらこの庵と棟続きになっている様に見えた。
軽い好奇心でそちらに足を向ける。
湖西には自分の家と思って楽にしていろと云われていた。なら多少見て回ってもいいだろう。田舎の家を探検する子供の様な気分で一明は足を進めた。
果たして、目的の建物は土蔵だった。棟続きではなかったが、裏口の戸を開けると正面に蔵の扉がある。
一明は無意識に懐から扇子を出すと口許を叩いた。
「ふむ……」
古い造りの黒い錠前が下がっている。年代物だ。
持ち上げる様に掴む。
かたり。
簡単に外れてしまった。
元々壊れていた様である。こんな人里離れた所へ盗みに入る泥棒もおるまい、湖西が新しい鍵を付けていないのはそう思っての事だろうか。
試しに扉を手で引く。す、と音も無く開いた。軋む様な重々しい効果音を期待していただけに肩透かしである。
一明は一歩、中へと足を踏み入れた。





