第08話 "最悪"の話
二日目の試合は順調に消化されていき、日没とほぼ同時くらいに第十五回戦――二日目の準最終戦が終わった。
今日一日で、怪しい動きをしていたのは三十二人。
うち警備員に連行されたのが十三人だから、シズカに報告しないといけないのは十九人。
マクスウェルの脱獄とやらにどれほど実現可能性があるのかは分からないが、王都のド真ん中でのテロ未遂なんて死刑まっしぐらだろうによくやるもんだ。
「それだけの求心力が、あの男にはあるということ」
飽きて寝始めたアルキスとは反対側――俺の右隣で今日は最後まで観戦を続けていたユミナが、静かに呟いた。
……悪のカリスマってやつか。
傍迷惑なことこの上ない。
だが一つ、気になっていることがあった。
「なあ。マクスウェルが仮に脱獄できたとして、の話だけど。今まで通りじゃなくとも、悪事を働いたりできそうな状態なのか?」
「どういう意味?」
「いや、どういうというか。……そのままの意味だよ。お前の『霊破斬』で廃人っつーか狂人みたいになってただろ」
「おそらく精神崩壊は起こしているはず。けれど、その心配なら無意味。『マクシミリアン・マクスウェルが脱走した』――その事実を存在させてしまえばミレーティア全土、ひいては六面世界全界が再び"史上最悪の水銀級"に怯えることになる」
そんなにか。
……そういえば、訊いたことがなかったな。
「マクスウェルは何をやらかしたんだ?」
奴と戦ったときにも、そのことは分からなかった。
どころか奴の明確な目的すら知らないのだが、天人同士はどうやら心が読めないようだしそこには期待を抱かずにおいて。
あのときは翻訳の奇跡のおかげでニュアンスだけは伝わったが、俺が知ったのはそういう異名があるということだけだ。
あの光る球体のような翻訳の魔法についても――うん?
魔法……魔法の翻訳?
なんだかそれに関する話を、どこかで聞いたような……。
「……魔法単体による翻訳は、まだ成功者がいない。"魔女"が疎通の首飾りを開発したということを、あなたは突発迷宮でヴァレット・パーライトから聞いているはず」
ああ、そのことか――
「――って! じゃあマクスウェルが使ってたのは――」
「単なる翻訳の奇跡、ということになる。偽陽神のものと推測されている」
偽陽神。
その名を聞いて俺は、六面世界に来て最初に見上げた二つの太陽を思い出した。
「その片方が偽りの太陽だと言われている。……そもそもどちらが偽の太陽なのかも分かっていないし、与えられる奇跡の性質から導き出されただけのものだから、まるきり鵜呑みにはしないほうがいい。それに今は関係のないこと」
「奇跡の性質……というと?」
「偽陽神の奇跡には、幻術や人を欺くためのものが多い。偽りの伝心の奇跡と呼ばれるものはその代表。別名天人殺し」
ただの天人に嫌われてる神様じゃねーか。
「それだけというわけではない。確かに人の心を読める天人にとって鬼門であることに違いはない。それを重ね掛けされるだけで脳で処理できる情報が圧迫されるし――本来存在しない読心を発生させることができる。事実、それを使われたせいで、私は危機が迫るまでマクスウェルが天人であると見抜けなかった」
でも、とユミナは続ける。
「この奇跡の恐ろしいところはもう一つある。使用者が定めた指向性に基いて――アルキスの翻訳の奇跡のように、奇跡そのものがある程度自律して作用するという点。だから……天人殺しは私が勝手に名付けたものだけど、この奇跡には本当の――もっと忌まわしい二つ名がある」
そしてユミナは、その名を告げた。
――"亡国の一撃"
かつてとある水銀級冒険者が、その奇跡一つで宮殿を事実上の機能停止に追い込んだという逸話から、そう名付けられたのだという。
本当にその奇跡だけだったのかは疑問が残る、とユミナは付け加えていたが、つまりここで重要なのは直接手を下さずとも、マクスウェルが疑心暗鬼を生んでみせたということだろう。
「今マクスウェルのこと『とある水銀級冒険者』とか言う必要あった?」
「なかった。でもそのほうが逸話っぽいと思って」
「確かに。……で、そんな恐ろしいものだから気を付けろ、って言いたいんだよな?」
「その通り。たとえば仮に、マクスウェルが死刑台から逃げ出そうとしたとして。それをあなたが追い詰めたとして。『ここでとどめを刺したら、マクスウェルシンパの貴族たちに目をつけられるかもしれない』とか、『アルキスがとどめを刺したがっている』とか、そういう迷いを思いつくかもしれない――まるで思い出すかのように」
そういうことができるのが、偽りの伝心の奇跡ってことか。
指向性というからには、そのときその瞬間、俺が最も踏み止まるに足る理由を持ち出してくるということだろう。
「……そりゃ恐ろしいな。でも俺は――」
「そんなことで迷わないと言ってもいいし、言わなくてもいい。大切なのはそういう奇跡があると知っていること。別のことを思いついて迷ったとしても、必ず偽りの伝心の奇跡のせいだと決めつけて。必ず決めつけると約束して」
「分かったよ。あいつと戦うことになったら気を付ける」
マクスウェルが脱走しようとしたときに、矢面に立たされるのは俺たちだろうしな。
なにしろ実績が存在してしまってる。
『黄金殺し』……。
「そういえば黄金の顕邪って名前に心当たりあるか?」
「マクシミリアン・マクスウェルの異名の一つ。見た目や所業から名付けられただけだから大した意味はない。アルキスのことを『森人の弓神官』と呼ぶようなもの」
つまり邪悪の顕現として扱われているってことだろう。
「……もう一つ、あの男についてあなたに伝えておかないといけないことがある。マクスウェルの実力について」
「実力? 実力ならマキネシアで見たじゃないか」
それとも沸鉄剣――鍛冶神の御手の剣抜きでの実力、とかいう話だろうか。
「違う。……天人同士は心が読めないから、これは推測になるけれど。おそらくマクスウェルは実力を隠している。注意しておいて」
「隠すってなんだ。あの上にまだ何かあるっていうのか。……大体、あのときは使わなかっただろ」
それに精神に異常をきたしているなら、正しく運用できるかどうかも怪しいはずだ。
「そう。出し惜しみして捕まったら意味がない。だからそんなものは存在しない……はず。でもマクスウェルは、六頭級多頭蛇戦で時限式葬送術を――魔法を、使っていた。なのに、私たちとの戦いではそれを使わなかった。使えなかったのか、何か理由があって使わなかったのかは分からない」
だから推測、とユミナは言った。
「狂っているからこそ、自分の身に降りかかる反動を顧みずに魔法を行使する可能性もある」
「なんらかの制限を無視して、か」
切り札たる偽りの伝心の奇跡。
奥の手たる実力不明の魔法。
それに加えて天人の読心能力に、『斬り徹し』が使えないことを除けば俺に匹敵するレベルの剣術と、偽陽神がもたらすその他の奇跡――
「奇跡についても、おそらくアルキスに迫るものと思っていい。そうでなければ盾の奇跡の重ね掛け程度で『暗獄神の慈雨』を防げる道理はない」
「じゃああとは魔法がユミナに次ぐ実力なら完璧だな」
「そんな悍ましい生物に『完璧』なんて言葉を使いたくない」
ユミナが露骨に嫌そうな顔をした。
普段は本当、顔に筋肉があるのか疑いたくなるほどの無表情だというのに。
「まあ、それは冗談にしても――」
と、俺とユミナの話が本格的にどうでもいい冗句へ脱線しそうになったところで。
『さあ長らくお待たせいたしましたッ! 只今より王国五耀武闘会本日最終戦、二日目第十六回戦を開始いたしますッ!』
直前の試合で荒れた戦場の整地が終わり、司会の人の声が拡大されて会場中に響き渡った。
突然の大音量に驚いたのか、アルキスが飛び跳ねてお目覚めだ。
「涎出てるぞ。ほら拭け」
「ん、んんん? ありがと、ジン。……あたしいつから寝てたの?」
「はっきりこっちにもたれかかってきたのは一つ前の試合からだな」
そんなやりとりをしているうちに、東門から出てきた出場者が中央の開始線近くまで来ている。
角が生えているし身長は二メートル近いが、服装からしてどうやら女性のようだ。いや、牛の獣人は男性でも胸にピンポイントでサラシを巻く文化がある、とかだったら話は別だが。
「あら?」
「ん、どうしたアルキス――って、げっ」
アルキスの声に視線を誘導されて……思わず嫌な声が出た。
夜に紛れる黒。夜に顕れる白。
黒い髪と白い肌。
そして金色の瞳。
西門から出てきたのは、シズカだった。
いやなんで出てるんだよ貴族の令嬢さん!?
『ウェスト・ゲートは貴族推薦! 迷宮都市レイレンツィカで鍛え上げたという腕前は"嘶いた赤鬼"に通用するか!? 前代未聞! 手加減御無用! さっ、サイレント・ファウンテン選手の入場です!』
なんだかいつもより声が上擦っているような気がするし、口上も怪しいことになっている。何より夜闇を照らす光の魔法のおかげで分かりやすいが、額が汗でテカっている。
司会の人……俺の紹介が雑だとか心の中で難癖つけて悪かったな。
強く生きてくれ。




