第11話 ◇契り葉の弦
交渉は極めて平和裡に終了した。
アルキスとカエデが与えるのは戦力と、敵に関する知識。
戦力は主にアルキスの担当で、知識はカエデの担当だ。
代わりに受け取るのは消耗品の補充と歓待。
具体的内容として重要なものといえば、朝露煮の代わりにまともな食事をもらうことくらいか。
死活問題だったそれを食卓から排除できたことで、カエデは「ここなら長めに滞在してもよいぞ」などと言い出す始末である。
対するアルキスの返事は、「用事が済んだらすぐに帰るから」と素っ気ないものだったが。
「それにしてもよく知ってたわね。抜け殻からカラスを生み出す蛇なんて」
心からの感想を、アルキスはこぼす。
眷属を見て話を聞いただけで予想をつけたカエデへの素直な賛辞だ。
"戴罪の蛇"ペルネコアは確かに幼体から全長百メートルを超す巨大種ではあるが、二人は道中に出会していない。
その蛇が世界樹を這う姿を、カエデが見たわけではなかった。
「珍しい魔物じゃからのう。それにああいう大規模なものは、王として覚えておかねばなるまいて。現れてから国の図書館を総浚いするわけにもいかんでな。しかし本の場所を覚えているだけでなく、詳細まで記憶にあるものが出てきたのは幸運じゃった。くっくっく。これも日頃の行ないかのう」
「へえ。魔物の資料なんてあるのね。あたしも帰ったら見よっと」
妖鬼程度の雑魚から、ペルネコアを超える大厄災まで。確かに王立図書館には質も量も揃った資料が揃っている。
だが――
暢気にそう言うアルキスを見て、カエデはふんすと鼻を鳴らす。
「お主は武闘会の準備をせねばならんのではないかの?」
「その後のことよ。あたしが武闘会で優勝した後のこと」
「大した自信じゃのう……」
呆れ顔のカエデが、気付くことはなかった。
アルキスの表情が冷たく透き徹っていることに。
彼女は心の仔細を覗ける天人ではなく、心の起伏を読み取れるだけの刃術師であったから。
◆◆◆
夜。
村からほんの少し離れた場所に、アルキス・バルダインは一人で寝ていた。
――否。
蹲っていた。
少女がどうして無防備に、夜半のこんな場所で蹲っているのかと問われれば、それはまさしく彼女が言っていた修行のためなのだが。
何故傍らにカエデがいないのかと言えば、それはアルキスが黙って村を抜け出してきたからだ。
アルキスは人目につかぬこの場所を、草木すら眠るこの刻限を、修行のために選んでいた。
「――っぐ」
激痛。
喉の奥から、臓腑の底から弾け出んとする絶叫を、押し殺して耐えていた。
既にどれほどの時間が経過したか。
直に蝕まれたわけでもない頬の内側から、痛みに耐えて歯を食いしばった反動だけで血が出ている。
既にどれほどの時間が経過したか。
アルキスには分からない。
全身から吹き出す汗。口内と右腕から流れる血液。
それらが夜風に乾いて、体温を奪っていく。
彼女が死んでいないのは、世界樹から還流するエネルギーが森人たる彼女の身を満たしているからだ。
だが彼女の苦しみもまた――世界樹によって生み出されているものだった。
契り葉の弦。
世界樹の若葉が形を変えて生まれるそれは、森人が持ち得る最高の弓弦である。
一度引き絞れば世界樹の生命力から無尽蔵の矢を生み出し、一度放てば世界樹の吸収力からあらゆる生物の身体を貫く。
折れようと切れようとすぐさま再生し、また手入れも持ち主が多めに食事をするだけでいい。
森人でなくとも弓撃士なら欲しくなる、夢の一品だった。
しかし大いなる力には、明瞭たる欠点もあった。
それが今、アルキスが苦しんでいることの正体だ。
契り葉の弦を使うには、そこから溢れる生命力に打ち勝ち続けなければならない。
世界樹から供給される過剰な生命力は、弦に触れた者に根を張ろうとする。
指に絡み、手に根差し、腕を蝕む。
それはやがて全身を覆い、使用者を土壌へと変えるのだ。
だから世界樹と相性の良いウッド・エルフでも、葉脈から切り離して循環を弱めた劣化品を使う。優れた者ならやがて本物を握るようになるが、辿り着けるのはごく少数。
そして多くは、並のウッド・エルフとして老いてゆく。
だがアルキスには、本物が必要だった。
彼女には傑出した弓才がある。
けれど剣には慣れなかった。
彼女には無類の加護がある。
けれど魔法は使えなかった。
人一人には限界がある。
彼女にとって、才能と努力の終着はそこだった。
かつてアルキスは、契り葉の弦に挑んだことがある。
理由は単純。
劣化品では足りなかったから。
葉脈のない弦では、矢を生み出す速度にも限界がある。その程度の矢継ぎならアルキスのほうが早かったから――だから彼女は、優れたウッド・エルフでも持て余すほどの弦を求めた。
そして敗れた。
危うく死にかけて、奇跡的に一命を取り留めた。
これは再戦だ。
けれど。
成長した今なら弦を御せると――けれど彼女は自惚れていたのかもしれない。
「こん、な……程度、でっ!」
苦痛に息を浅くしながら、アルキスは意味のある言葉を絞り出そうとする。
ここには誰もいない。
だから自分で自分を鼓舞しなければ、先に心が折れてしまいそうだった。
夜闇に銀光が煌めく。
既に左手は弓を握っておらず、右手を侵す弦の根を切り捨てるために短剣を握っている。
生命力によってではなく、侵犯より速く切り落とされることによって、根は徐々に後退している。
肩から肘へ。
肘から手首へ。
手首から指先へ。
やがて夜が明ける頃、アルキスはカエデと同じテントへ戻っていった。




