第15話 見えざる理
沈黙がわだかまる空間に、結界の震える音が響く。
ミノタウロスが吼える度、あるいは斧を振るう度、強風に煽られるガラス窓のように結界が軋むのだ。
他には足音と、アルキスやヴァレットくんが時折紡ぐ詠唱だけ。儀霊の起動は道具を準備するだけだし、俺も『斬り徹し』を使う分には金属音なんてさせようがない。
だから一匹分の風の音と四人分の足音、それに二人分の詠唱だけが、静寂を揺らす材料だった。
……シズカの結界が音声まで遮断できるほど高性能でなかったら、そろそろ発狂していたかもしれない。
それくらい、この作業は苦痛だった。
どこにあるかも分からない鋲を探して、延々と部屋の中を歩き、攻撃したり手探ったりして入念に調べる。
一番参った顔をしているのはシズカだ。次点でおそらく俺。アルキスが三番手に続いて、ヴァレットくんはまったく平気そうな顔で魔法・奇跡を発動している。
ヴァレットくんの実力はアルキスに及ばない。
それは奇跡単独でも、冒険者としての総合的な資質でも、だ。
代わりに奇跡と魔法、両方を扱うことができる。
それに収穫のないことを延々と続けるのも苦手ではなさそうだ。
後者は俺の勝手な評だけど。
ヴァレットくんの強みは何よりもその堅実さ・万能さにある。
ユミナほどではないが優秀な魔法の才と、アルキスほどではないが強力な神のアンテナ、俺ほどではないがよく鍛えられた身体能力。
……身体能力に関して言えば、不摂生が原因のような気もするが。ヴァレットくん、全体的に細いし。
「儀霊はやらないのか?」
「お嬢様との奥の手に障りが出てしまうので。奇跡と儀霊ほどではありませんが、同じ力の源を奪い合うのは都合が悪いんですよ」
「そりゃ使うわけにはいかないな」
儀霊が一方的に奇跡を妨害するだけならともかく、儀霊同士だと双方向でやらかしてしまうらしい。
そんなところまで気にしないといけないのか。
異世界の冒険者も大変だな。
剣しかない俺には関係のない話だが。
「……ん? そうすると、魔法や奇跡も弱まることがあるのか」
「魔法は六面世界屈指の魔道士が対決するような状況でなければ平気です。人間の思念と違って、魔力はありふれていますから」
「奇跡は……確か同じ神から祝福を受ける人数が多くなると、一人一人の力が弱まる――という説がありましたね。実際にそこまで増えた時代がないので、検証されてはいませんが」
「他が弱まるなら奇跡だって弱まることがあるだろう、って願望が透けて見えるな」
「まったくですよ。近年は儀霊使いとの相性が注目されて、そういった説は鳴りを潜めていますが」
「ヴァレットの蘊蓄の相手をしていたら日が暮れますわよ」
「ジンの興味に付き合ってたら月が満ちるわよ」
女子両名から口撃が飛ぶ。
決して姦しくはならない二人だ。
話し声がうるさく聞こえても不思議はない。
見れば視線は鋭く研がれていた。背筋がひやりとする感じだ。癖にはなってない……と思う。
俺とヴァレットくんは顔を見合わせ、おとなしく作業に戻った。
でも本当にこれ、手応えがなさ過ぎて飽きてくるんだよな……。
もっと、こう、目印になる場所が片っ端から光ったりすれば――
――っ!?
「うおわっ、まぶしっ!!」
閃光が目を灼いたのは、そんな思考の直後だった。
目を開ける。
目を見啓く。
青白い印徴が見えた。ついさっきまでは、まったく見えていなかったものだ。
なんだこれは。
目を瞑じる。
目を開く。
やはり同じものが見えた。
「……ジン? 大丈夫?」
すぐ後ろで、俺のことを案じる声がする。振り返るとアルキスがいた――ただし輪郭を光に縁取られて。
シズカを見れば、服というより肌の表面に近い身体の各所で湿布のようなものが光っている。お札だろうか?
ヴァレットくんにはかすかな縁取りと、腹の中心に光の塊みたいなものが見えた。
「ジン? あんた本当に大丈夫? なんかヘンな罠にでも引っ掛かったんじゃないでしょうね」
「……あ、ああ。そういうのじゃない。……ところで聞きたいんだけど、俺のことが光って見えたりしないよな?」
「しないわよ。天人じゃあるまいし、人が光ったりするわけないでしょ」
「縁取りみたいにもなってないよな? 俺の目からだとアルキスの身体が青白い光の膜に包まれてるみたいになって見えるんだが」
俺の言葉に、アルキスは顔をしかめた。
「……やっぱりなんかヘンなのに取り憑かれたんじゃないの?」
「アルキスさんの言う通りです。目標が発光しているならともかく、今までと同じものが違うように見えているなら魔法や奇跡を疑うべきでしょう」
俺の発言に、ヴァレットくんまで食いついてきてしまった。
「でも、新手の魔物の気配はないだろ?」
「ですから罠の可能性が高いと」
「いやそういうのじゃないって多分。あ、そうだ! シズカの光はちょっと違う感じだぞ。腕のあたりになんかつけてるだろ」
光って見える場所を、代わりに俺の身体で指差す。ちょうどアームバンドのようにお札状の光が見えている。
「確かに札を貼っていますけれど……まさか私の肌まで透けて見えているのではないでしょうね!?」
「見てねーよ!」
なんで!
すぐ横に!
ショーケース状態とはいえ馬鹿でかい魔物がいるのに!
平然とボケられるんだよ!
六面世界の人間はッ!!
「その札も儀霊なんだろ!? だったらなんか魔法関係のものが光って見えるようになったんじゃないかって言いたいんだよ! こっちは!」
「待ちなさい! ジン、あんた今もしかして奇跡のことを魔法とひとくくりにしなかった!?」
「なんでここで猛犬モードになるんだよお!!」
「猛犬!? モード!? あんたあたしのこと心の中でそんな風に呼んでたの!?」
「犬の……お姉様……!? 首輪をつけて……ウフフ……素敵ですわ……フフフ……」
「ええと……ジンさん。収拾がついたら呼んで頂けますか? 僕は結界を見張りつつ、鋲の探索を続けておきます」
「ああ。そうしてくれると助かる。……悪いな、ヴァレットくん」
結局。
アルキスを宥めればシズカが暴走し、シズカを押さえている間にアルキスに着火する、地獄のもぐら叩きが終焉を迎えるまで。
つまりヴァレットくんを呼んで、俺の眼について話し合いを始めるまでには、三十分を要した。
◆◆◆
「「「視界が光った?」」」
今度こそ。
今度こそ全員の視線が俺に刺さる。
訝しげに眉根を寄せたシズカが、徐に口を開く。そして。
「……その直前に、何かなさいまして?」
「もしかしたら『目印になる場所が光って見えないかなー』とか思ったのが、まずかったかもしれない」
「それですわ。間違いなく。もしかしてとかかもしれないとかではなく」
まるで『何をしでかすんだこのバカは』とでも言わんばかりに、手で顔を覆った。
「……お顔の色が目まぐるしく変わっていらっしゃいますが、私は今まさに『何をしでかしてくださいますの、このおバカさんは』と思っていますからね」
くそっ、なんで俺の周りには心の読める奴ばっかり集まるんだ。
「あんたが表情に出やす過ぎるのが問題だと思うけどね」
「僕はノーコメントで」
心が痛い……。
「俺の顔色の話題は置いといてさ。つまり今、俺の目はなんかふわっとしたアレが見えるってことでいいんだな? グレンシャハトの『目』のせいで」
「……思わず言葉を失うほど表現が稚拙なことを除けば、それで合っています」
「じゃあなんて呼べばいいんだ」
「せめて超常の力と」
だいたい合ってるじゃないか。
そもそも紛らわしいのが悪いんだ。
魔法だの奇跡だの儀霊だの。しかも俺の目は魔族との契約なんていう、また別に定義されそうな分類だし。
「お嬢様の肩を持つわけではありませんが、『なんかふわっとしたアレ』と『超常の力』を=で結ぶのはどうかと思いますよ、僕も」
「あたしも同感」
くそっ。周りには敵しかいなかった。超能力者どもめ。
何よりドヤ顔をかましてくるシズカが鬱陶しい。
「あー。はいはい。俺が悪かったよ。それでどうするんだ。地面に不可視の……杭? みたいなのが四本、刺さってるのが見えるけど。まあ不可視って言っても俺は見えるけど。お前らだと見つけられなかったものが俺には見えてるけど」
ぽむ、と肩に手を置かれる。
置いたのはシズカだった。優しげな薄笑みを浮かべている。
「拗ねるのは子供っぽいですわよ。お子様さん」
うるせえぶっとばすぞ。
「シズカのことは放っときなさい。それより杭――とりあえず希望を込めて鋲って呼ぶけど、それの場所と強度が問題だわ。他の場所には何も見えないのよね?」
「一応、薄っすらと均一に膜が張ってる。地面も壁も天井も、全部だな。あとは杭同士の間に線が走ってるくらいか」
しかしこれを虱潰しにするとなると骨が折れそうだ。明確に見えている鋲をどうにかしたほうがきっと早い。
素直に杭がそうであってくれると助かるんだが。
「じゃあ、まずは鋲を壊しましょうか」
その言葉を皮切りに、推定隔理の鋲破壊作戦が始まった。
まずは俺が細剣を地面に刺す。もちろん杭――もとい鋲の場所に。
これは目印だ。
次にアルキスが鋲の一つを奇跡で破壊した。結論から言うと無駄だった。一つ破壊しただけだと、すぐに再生してしまったからだ。
続いてアルキスが地面に対して巨人の雷架を試す。これも失敗。ジャンプのタイミングを見誤ったシズカがちょっと感電して喘ぎ声を上げただけに終わった。
最後に、四箇所の鋲をそれぞれアルキスが二つ、ヴァレットくんとシズカが一つずつ担当し、タイミングを合わせて攻撃した。
……これも、失敗した。
ヴァレットくんでは火力が足りず、シズカは既に結界の維持に力を割いているからアルキスが二箇所の鋲を担当したわけだ。
しかし、奇跡を二股に分けて行使すると鋲の破壊に威力が足りなかった。
連続攻撃では時間が足りない。
同時攻撃には手数が足りない。
「暇を持て余していらっしゃる無能剣士殿が、都合良く新たな力に目覚めるしかありませんわね」
「無茶言うな、これでも剣の道極めてんだぞ」
八法一理は理の体現だ。理の外側にあるものまでは斬れない。だから――
「――それですわ」
思考を遮られた。
「あなたは御自身の剣術を限界だとお考えのようですけれど。もう一つ上があるのではなくて?」
――。
「……いや、ないよ」
そう。ないはずだ。
「本当に?」
これが、『斬り徹し』が、奥義だと教わった。
だからそんなものは存在しない――はずだ。
けれど。
「私一度だけ、あなたのそれとよく似た剣技を見たことがありますの」
けれど俺の逃避を裏切るように、シズカはそう言い放った。




