第05話 Love Seeker
ところで、ここ迷宮都市レイレンツィカは最前線である。
王都と辺境の道中にあって、何が最前線だと思うかもしれないが、確かに最前線なのだ――まずはこの世界の構造を思い出そう。
この世界は六面世界という名の通り、立方体のような形をしている。
その各面が接界面という目に見えない仕切りで区切られ、六つの平界は始まりから最果てまで、端から端まで等しく重力が降り注いでいる。
それが六面世界の――表側の、話だ。
だが、この世界には裏側がある。
箱型の大地の裏には、もう六つの面がある。
たった一つの動かない月が浮かび、深淵の魔物たちが跋扈する世界。権能持つ魔族と狡猾な悪魔の世界。
人の住まわぬ、未曾有の裏界。
〈常夜の六相界〉。
通称・魔界。
この表裏十二面を越えるから、十三という数字が六面世界では忌み数とされているのだが、それはさておき。
レイレンツィカが迷宮都市と呼ばれる理由――迷宮こそ、迷宮都市が最前線である理由だ。
迷宮とはすなわち、魔界へ続く通路であり、同時に魔界そのものでもある。
向こう側からすれば迷宮都市も他の大地も等しく同じに人間世界であるように、こちら側の人間にとって通路と魔界そのものの別はない。
文字通りの大地を挟んだ向こう側と、睨み合うこの場所は城砦に近い。
侵攻の足掛かりにするにも、防衛の拠点にするにも適するように造られている。
だからここは、紛うことなき最前線だった。
それでどうして、ここが最前線だなんて話を突然始めたかというと、だ。
「――っつーわけで、いくら神鉄級のお嬢ちゃんの頼みとはいっても、ただの身元不明者を置いとく余裕はねえんだわ」
〈迷宮観光局〉で、メイプルの預かりを拒否された理由がそれだったからである。
捜索の依頼すらない。
さらわれて半日どころか数日経っているのに、探そうとすらされていない。
おまけにショッキングだったのは、レイレンツィカの内街暮らしは命懸けの代わりに実入りが悪くないということ。
それは図らずも両親が、拐かされたはずのメイプルを探していない――あるいはもう、探せないということを意味していた。
「でもさ、アルキス。レイレンツィカにはここ以外にもギルドがあるんだろ? 外層にも。そのどれかに依頼が出てて、こっちまで回ってきてないってこともあるんじゃないのか」
ギルドに併設されたこの酒場で、まだ日は沈んでいないため酔わないものを注文しつつ、俺とアルキスは話し合い中だった。
真っ昼間の酒場は閑散としていた。
マキネシアと比べると食事にかかる金銭は三倍くらい。おまけにアルキスも食べる量が着々と伸びている。初めて会った頃の二倍は食っている。
成長期なんだろうか?
これ以上どこを成長する気なんだろうか。
いずれにせよ王都に近付くにつれ、金銭消費が跳ね上がっていた。
それでも財布に余裕はある。
俺は元々一定しか食べないから道中の『ついで依頼』の単価が上がった分だけで賄えているし、アルキスは装備も整え終えた神鉄級だ。
人間一人の胃袋に入る程度の食事が多少値上がりしたところで、痛手にはならなかった。
……しかし他に人がいないな。
働ける人材がほとんど出払ってダンジョンで戦闘しているなんて、まさしく城砦だ。
ギルドってのはどうしても酒場を併設しないといけないのかと訊ねてみたら、アルキスの返事はこうだった。
「人が集まる酒場で勝手に依頼をしてたのを、仲介して中抜きしようとしたのがギルドの起こりだもの」
どうやらギルドに酒場があるのではなく、酒場のついでにギルドを始めたのが最初らしい。
その後追いどもを纏め上げ、依頼遂行者――冒険者のランク付けなんかを始めたことで、王都にある本部を頂点とした現在のギルドが成立したとのこと。
悪質な冒険者、あるいは犯罪者を水銀級と称するようになったのもこの頃からだそうだ。
話すにつれアルキスの目が輝きを増していったので、それ以上の説明はシャットアウトしてしまった。
だんだん机の上に乗り出してくるので目のやり場に困るのだ。
主に重力ってやつのせいで。
閑話休題。
お腹を満たして周囲に興味が湧き始めたメイプルには知恵の輪の代わりに、木板を『斬り徹し』て作った簡易イライラ棒を与えておいた。これでもながら遊びが止まない場合は……またそのときに考えよう。
今のところ第一面すらクリアできる様子はないので、しばらくは静かになるだろうし。
「連絡不足なんてそれこそ、レイレンツィカだからこそないわね。東で行方不明になった人が西の迷宮で発見されたなんて珍しくもないし。東側と西側で連携の違う砦なんて、一昼夜で木っ端微塵でしょう」
横繋がりは横繋がりなりに。
ギルド間の伝達は綿密なようだ。それほどまでに魔界の攻撃が激しいというほうが驚きだったが。
そうするとメイプルが捜索されてない理由は、本当に限られる。
親が捜索する気がないか、もはやこの世の人ではなく……捜索ができないか。
「どこかに捕まってるのかもしれないわよ?」
アルキスの視線が静かにメイプルへ移った。半ばまで進んだイライラ棒に夢中で、どうやら気付いていないようだが。
「それが一番困るよなあ。引き取り手を探すわけにもいかないし」
嘆息する俺の顔を見て、アルキスが顔を歪める。
「……あの子を使うしかないかしらね」
ただしそれは笑顔ではなく、心底苦い表情だった。
すぅ、と息を吸い込む音。
何をしようとしたのか、察した俺は咄嗟にメイプルの耳を塞ごうとして――
「シズカのこと! 連れてきてくれるかしら!!」
――けれどもアルキスが叫ぶほうが早かった。
俺がユミナの魔族との戦いで使ったように、翻訳の奇跡を通信機代わりに使ったのだ。
というかいつの間にヴァレットくんに奇跡を……。
メイプルは驚いてゲームオーバーした。
……うるうるとした目で睨まれたアルキスが罪悪感で死にそうになっているが、自業自得だな。
◆◆◆
「私参上! ですわ!」
ギルドのドアを勢い良く開けて、現れたのはシズカだった。横でヴァレットくんがぺこぺこと周囲に頭を下げている。
なるほど。本来はこういう組み合わせだったのか。
「ジンさんとかおっしゃいましたかしら。またお会いしましたわね。奇遇ですこと」
「いやホントにな」
ものの一、二時間で再会することになるとは思わなかったよ。
できれば二度と会わないことを願ってた。
シズカの巫女服は前に見たのと同じ、上が黒地で下が紅地、金のラインでアクセントといった風体だが、今回は扇子を握っている。
取り回しの感じからして鉄扇か。するとあれがシズカの武器なのだろう。
「お姉様もお姉様ですわ。翻訳の奇跡をお掛けになるなら、私に掛けてくだされば良かったのに」
「あんたに掛けたらあんただけ飛んでくるでしょうが」
混沌の如くすり寄るシズカを、アルキスがにべもなくあしらっている。手にフォークとナイフを握っているせいで、飯を守ろうとしているように見えなくもない。
だけど猛犬じゃないアルキスも、こうして見ると新鮮だな……。
「……ジン? あんたまたなんか――」
「変なことは考えてないって!」
「変なことですって!? その半魚人の鱗のようなどろどろの脳味噌で、一体どんな手管を使ってお姉様を汚す妄想をいたしましたの!?」
「してねえつってんだろ!!」
なんだこの二人面倒くせえな!?
「本当にすみません、ジンさん。お嬢様は多感な時期に冒険者たちの輪の中にいたせいで、時々言葉遣いが怪しいんです」
周りにいた他の客に謝り倒し、ようやく戻ってきたヴァレットくんが今度は俺にぺこぺこと頭を下げている。
言葉遣いが怪しいっていうか回路がおかしいだけだと思うな。
……そも、一歳しか違わないのに多感な時期も何もないだろう。
ヴァレットくんはまともに育っているんだから、シズカにあらくれの素質があったというだけだ。
視界の端にヴァレットくんが現れたからだろうか。
シズカは、はっとして口元を鉄扇で隠し、恥ずかしげに目を伏せた。
「失礼いたしましたわ。どろどろのぐちゃぐちゃなのは昨日の私のベッドでしたわね。でも仕方ありませんの! だってお姉様と逢えるような予感がしたんですもの!」
訂正。
恥じらいとかなかった。
ヴァレットくんが現れたのも関係なさそうだった。
「その下ネタラッシュはいつになったら終わるんだ」
メイプルの耳をずっと塞いでるこっちの身にもなってくれよ。
「私の愛が途切れたら――つまり永遠に終わらないということですわね」
「……そろそろ話、進めてもいいかしら?」
「もちろんですわお姉様!」
途切れてんじゃねえか。
その言葉を口に出さなかったのは、きっと正解だった。
テーブルを囲む五人が静かになった――メイプルは元々、イライラ棒に夢中だったが――タイミングを見計らって、アルキスが重々しく口を開く。
「実はね、シズカ。あなたの力を借りたいの」
瞬間、時が止まった。
比喩でなく時が止まったのだと、何故かそう勘違いしてしまう一瞬だった。
時が凍てついたような間隙に、俺は確かに意識を奪われていたのだ。
「も」
兆しを見せたのは、シズカの喉から発された声。
否。
声というより、それは音だった。
魔女の釜の底を掬い取るような、厳かな熱を帯びた声音だった。
それは凍てつく静寂を溶かし。
時の歯車は、目に油を注されて動き出す。
ただ一つ、誤算があったとすれば。
油を手にしていた人物が、燃え盛る地獄の劫火のごとき恋慕の情にその身を苛まれていたこと。
ゆえに時を正しく進ませるだけだったはずの油は燃え上がり。
「――もちろんですわ、お姉様ああぁぁぁっ!!!!!」
そして、黒陣の風が吹いた。




