第01話 マキネシアにさよならを
俺がこの世界に渡って、三ヶ月が過ぎた。
その間、六面世界の……というかこの王国の言語を学んでいたのだが、進行状況は芳しくない。
英語でいうと中学生くらいの会話しかできない。
単純に、一番の理由は翻訳の奇跡が便利過ぎて一向に切羽詰まらないことだ。
とはいえいつでもアルキスが居てくれるわけではないから、練習はしておかないとな。
反対に、魔法の物品の使用はほとんど完璧にできるようになった。
お気に入りは聞き耳の水入れ……じゃなくて、無限撃ちの短剣と猟犬の短剣だ。
どちらも魔法で投擲軌道が自律されるので『斬り徹し』が使えないのが難点だが、これで晴れて俺も遠距離攻撃の手段を手に入れたというわけである。
それから最後に……『斬り徹し』で魔法や奇跡の類を斬ることは、叶わなかった。
物理的作用そのものには干渉できる――たとえば盾の奇跡ごと、刃の届く範囲の標的を斬ることは可能だ。しかし奇跡自体は持続するので、その後に俺が通り抜けたりはできない。
攻撃や壁として運用される魔法・奇跡には対処できないが、鎧代わりのものなら実質無視できる、といったところか。
さて、そうしてマキネシアの生活にも慣れてきたある日――
「――そろそろ王都へ行きましょうか」
金糸の髪の森人少女、アルキスがそんなことを言い出した。
碧眼に嘘の色はない。
「王都に、って……そんな簡単に行けるところなのか?」
この街、マキネシアは接界面の近くにある。有り体に言うと世界の端っこのほうだ。
だから王都が近いってイメージがなかったわけだが。
「いいえ? 簡単には行けないから早めに移動しましょうってこと。そうすれば王国を見て回るにもいいと思うし。王都に行くっていうより、途中のどこか別の街に向かう感じよね」
なるほど。ヨーロッパに行くためにまずは空港へ、ってイメージかな。
すると空港ってのがどういう街かは重要なわけだが……。
「当面の行き先は?」
「距離的にも街の規模的にも、学術都市か迷宮都市になると思うけど……どっちか二つに一つね。学術と迷宮。どっちが好み?」
「迷宮で」
「だと思った」
日常会話でも厳しいのに専門用語なんぞ読めるかい。
◆◆◆
マキネシアを発つにあたって、街の人からいくつも贈り物をもらった。俺用の品物ばかりだったが、口々に「お嬢をよろしく」と言われたのは少々堪えた。
俺のことをもっと見て、とは言わないけどさぁ……。
〈翡翠の酒瓶亭〉のおやっさんからは、容量三十ガロン(百リットル超)、実物はポケットに入るサイズの、ガマ口魔法旅袋だ。
スーツケース並みの容量が可変で用意できて、ポケットサイズ。ありがたい。
これ地球に持って帰れないかな。
魔法ないから無理かな。
〈炎の鉄杓〉の顔も知らぬ主人からは、細剣一つと短剣三つ。どれも魔法がかかった品々だ。
〈ピクシーの針子縫〉のジャーグレムさんからは、新調した防具一式。使い具合を見て思うところがあったようで、より俺の動きに合わせて形状を調整してくれた。
「愛されてるわねぇ」
「いやお前がな?」
アルキスを思いやる言葉とともに贈られたものばかりだというのに、当の本人は暢気なものだ。
彼女の装備は特に真新しい点はない。
魔法の矢筒に矢を補充したくらいだ。新調や修繕が必要なかったというのもある。
さて。
そうして森近い街道を歩ていると、どういうわけか俺たちは山賊に囲まれていた。
「げぇっへっへ……いい装備してるじゃねえか、お坊っちゃんども。金目のものと森人の女は、ここに置いていってもらおうかぁ?」
翻訳の奇跡さんが半月ぶりにノリノリで仕事している。
最近は勉強がてら無翻訳生活してたからなあ。
だけど俺は知っている。
目の前の山賊が「へへへ、そこの男! 剣と鎧と女を置いて行きな!」ぐらいのことしか言っていないことを。
勉強の成果ってやつだ。
お坊っちゃんとかどこから持ってきたんだ。
「いひひひひっ。女ぁ。安心しろ、ねぐらに返ったらオイラたちの仲間全員で三日三晩休ま「神の指打」ぶべらっ!」
オブラートのつもりだろうか、「今夜は楽しめそうでやんすね」ぐらいの話を頭目に向かってしていた男が唐突に吹っ飛んだ。
アルキスの奇跡だ。
「聞くに堪えないわね」
「普段はもっとマシだったと思うんだけどな」
「……そうよね。じゃあなんでかしら?」
なんでだろうな。
まさか話者に合わせた翻訳をしているわけではあるまいし。
「まあ、今はどうだっていいさ。こいつらを懲らしめるのが先だろ?」
「そうね。あんまり声が二重って聞こえるのも、気持ち悪いし」
「それじゃあ鈍らない程度に、半々で」
「分かったわ」
◆◆◆
山賊たちは呆気なく降参した。
死者は出していない。
俺たちを囲んでいた二十人のうち、十人ほどに怪我をしてもらうことになったが、そのくらいだ。
彼らの助命と引き換えに得られた報酬――要するにアジト物色の結果は、しょっぱいものだった。
「銀貨一枚になるかどうか、ってところかしら……? ちゃんとした稼ぎなんて期待してなかったけど、ガッカリ感は否めないわね」
アジトを一通り巡って、アルキスは残念そうに呟いた。
これだとどっちが山賊か分からないな。
……うん?
不意に、俺の洞察力が警鐘を鳴らす。
手繰る。手繰る。手繰り寄せる。
意識の隅に落ちていたのは、平時なら見逃してしまっても構わないほど些細な感覚。
ちらりと山賊の頭目を見る。アジトへの案内役に、縛り上げて連れてきたのだ。
俺の視線に気付いて、奴はさっと目を逸らした。
……何かあるな。
「アルキス。見張り交代してくれ」
「いいけど……何かあったの?」
「ちょっとな」
暴れる素振りを見せた頭目を、アルキスは手綱を使って引きずり、倒れ伏せさせていた。
おっかねえ。
見ないフリして仕事をしよう。
「このあたりか……おっと?」
ビンゴ。
木箱やら砂袋やらで巧妙に隠されていたが、それらをどけると入念に隙間を詰められた地下扉があった。
「アルキス。当たりだ。まだ隠し財産があるみたいだぜ?」
「よくやったわ、ジン。……で、あんたは頭目なんだから『知らなかった』なんてことはないわよね?」
じろりとアルキスが頭目の顔を覗き込んだ。
違うとか隠す気はなかったとか喚いているが、同情の余地はない。
扉を開くと、押し込められていた地下の空気が喉元あたりまで舞い上がった。
じっとりと、湿気ていて生暖かい。首から下の不快指数が急上昇した。
それに臭い。
吐き気がする。
食道と気管の交差点で餅をこねられているような、えぐみのある臭気だ。
「しばらくは入れないな」
薄暗闇に続く階段を眺めて言うと、
「何よ、これくらい」
アルキスが勝手に、先陣を切って行ってしまった。
「……まあ、楽だからいいけどさ」
頭目の横に座り込む。アルキスに鳩尾を蹴られたせいで泡を吹いて気絶しているが、一応見張りは必要だ。
特に隠し扉を塞がれたりすると大変だからな。
しばらく待つと、アルキスが戻ってきた。
ただし。
手首に縄の痕が残る、幼女を連れて。




