異世界転生したら皇帝ペンギンだった
龍の血と肉とその他よく分からない粘液などにべちゃくちゃになりながら、龍の腹から勢いよく飛び出てきた俺たち。龍の体内と違って外の空気は冷たくて、変な臭いもしない。生まれ変わったような気分だ。大きく息を吸い込む。隣では相棒が体をブルブルとふって肉片やら血液やらを飛ばしていた。
「元気な赤ん坊ですよ~!……なんて言ってる場合じゃねえな」
無事だったか、と【勇者】がふらつきながら立ち上がる。こちらもまだ大丈夫そうだ。さすが俺の悪友。少なくとも、軽口を叩く余裕はある。【勇者】近くにいたあの女の子が俺と【勇者】に治癒魔法をかけてくれる。その直後に「ウェッ」と言いながら口許を押さえたから、おそらく体内の魔力をかき集めて【治癒】をかけてくれたのだろう。これが最後の魔法だ。もう魔力も底をつきているに違いない。これ以上は魔法をかけられない。
「……龍の腹ァ突き破って出てきたのはお前たちくらいなもんだよ」
親父が目を丸くしながら、けれど嬉しそうに声をかけてくる。俺はそれにニヤリと笑って、腹を突き破られてピクピクとしている龍に向き直った。龍はもう動けないのだろうか。だらりと体を雪に横たわらせて、力ない声をあげている。
「──とどめは俺に刺させてくれ」
俺の父さんだから、と【勇者】がひしゃげたスコップを拾い上げ、ぐったりとした龍の傍らにたつ。俺は見届けるふりをして──【勇者】に全力でタックルをかました。
「うわっ!?」
不意討ちだったからだろう。【勇者】の手からはスコップが落ち、俺はそれを拾い上げる。「何すんだお前!」という勇者の叫びをききながら、俺は思いきり龍の頭にそれを突き立て──
られなかった。
「うわっ!?」
今度は俺が「なにしてんだお前!」という羽目になる。俺がスコップを振り上げ、下ろそうとしたその瞬間。【相棒】が割って入った。
──バチィンッ!
今までで一番良い音がする。
俺の【相棒】が龍の顔面にめり込むほどにフリッパーを叩きつけた瞬間だった。
***
──異世界転生したら皇帝ペンギンだった。
本当は空を飛べる鳥として産まれたかったけれど、神様とやらがそれを全く汲み取ってくれなかったのだからひどい話だ。でもまあ、皇帝ペンギンとして生きていくのも悪くなかった。【皇帝】となったからには全世界を支配してやろう──そう思っていた。
……しかし、だ。
皇帝とは具体的に何なのか? 私はそれを考えてしまった。支配階級のトップを皇帝と呼べば良いのか? それとも王様の最上級Sクラスみたいなのを皇帝と呼べば良いのか? この世界で分かりやすく【一番】になるとしたら、それは何なのか?
鶏少年の話によれば、【魔王】を倒せば【魔王】になれるかもしれない……のだそうだ。だとすれば分かりやすく【魔王】になっちゃった方がいいんじゃない? と私は考えたわけである。
青年やら八百屋の勇者やら、私には彼らの境遇もこれからもよく分からないが、どっちが【魔王】になってしまってもあんまり良い終わりにはならなさそうなのも気になった。子分・部下含め下々の人間の幸せを考えるのが支配階級の義務である。
だったらもう私が【魔王】になるしかなくない? たぶんそっちのが良くない?
──というわけで私は龍の顔面にフリッパーを叩きつけたわけだ。あとは野となれ山となれ、というやつでもある。
結果として龍の顔面は野にも山にもならずに肉片となってしまった。さすが私、最強! と高笑いをしようとしたとたんに妙な靄のようなものが私を取り巻いたのである。
靄は龍の傷口の至るところから吹き出ていた。なるほど、これが“魔王”が次の生き物に取り付くだか寄生するだかのアレなんだな──と私は納得した。靄は徐々に私のなかに吸い込まれ、私は自分の体が少しずつ別の何かに置き換わっていくような妙な体験をして──。
──【魔王】となったわけだ。
これで暴れ放題! 何したって仕方ない! だって魔王だもん! やったね私の時代! ひゃっほーう!
生まれ変わったような気持ちで私はぴょんぴょんと跳ねまくる。皆が私を凝視していた。
***
「マジかよ……」
唖然というよりは絶望に近い声音で【勇者】が呟く。俺も同じ気持ちだ。結局あの龍に止めをさしたのは【相棒】で、それはつまり──相棒が次の魔王となってしまう、そういう意味をもつ。
相棒が龍の顔面に翼擬きを叩きつけ、龍がこと切れた瞬間。妙な靄が溢れ、相棒の体を包み込み──そして消えていった。あとに残ったのは大きな龍の骸。誰もが【相棒】を見つめていた。
次の魔王がこの太った鳥などと誰も信じたくなかったのだ。俺も信じたくなかった。なにもしていない状態であの破壊力をもつ鳥から理性を奪い、本能のままに暴れさせたらどうなるのか? ……誰もそんなのは想像できない。
見た目からは想像できないほど凶悪な力をもつ生き物に、誰が太刀打ち出来るというのか? 緊張が走る。俺たちは一言も口にすることなく【相棒】の出方をうかがった。
──しかし。
いつになっても暴れだすような雰囲気はない。一体何なんだ、と困惑し始めたときに、あの自称・神が俺たちの目の前に姿を現す。俺のお袋や親父はあっけにとられた顔をしていたが、何かを言うようなことはなかった。
赤いモヒカンの少年はしゃぐようにぴょんぴょんと跳ねる相棒をじろじろと足の先からくちばしの先まで眺めて「なるほどな」と呆れたように吐き出した。雪国にこれほどマッチしない髪型も珍しい。
「一人で納得するなよ。……相棒はどうなっちまったんだ」
「“破壊衝動”そのもの」
「は?」
ふうっと悟ったような顔で息をつき、モヒカンは安らかな笑顔を浮かべた。
「なるほどな、なるほどなァ……!! そもそも破壊衝動に満ち溢れてる生き物に更に破壊衝動足したところでどうにもならないよなァ……!!! オリーブオイルに追いオリーブしたってオリーブオイルに変わりねえもんなァ!!!!」
「……どういう意味だ?」
「魔王になるためには頭のネジが外れる必要があるんだよ。ざっくり言うとな。悲しいとか憎らしいとか、そういう気持ちが強くなってネジが外れんの」
つまりな、とモヒカンは遠い目をして語る。
「薄々わかってたんだよ。普通死ぬときにさ、“生まれ変わったら鳥になってやるんだからなコンチクショー!”って叫ぶか? 叫ばねえよ。コンチクショー! って……今死にまーす! ってときにコンチクショーだぞ? あるか? ねえだろ? 勢いのよさにうっかり生者かと思ったっての!! 何なんだよ? ふふ……“生まれ変わったら鳥になりたい!”っていう口で“ぼんじり下さい”だぞ? あるか? ねえよな。ねえよ……鳥への転生希望しといて鶏食ってんじゃねえよ……ッ! 共食いだろうがッ! カナリアのお母さんかッ! 卵を割って黄身を啜るのはやめろッ! 幼い頃のトラウマだっつーの!!」
何をいっているのかはさっぱりだったが、トラウマとやらを掘り起こしてしまったせいか、へへへ……! と完全にイカれてしまった顔で──焦点の合わない瞳で──モヒカンはうふふ、と笑った。
「最初からだ……! 最初から抜けるネジなんてなかったんだよ……!! そもそもこいつ、ネジが全部ブッ飛んでたんだよ!」
昨日のことのように思い出せるさ、とモヒカンのトラウマはまだ続く。
「──“鳥が良いんです。鳥じゃないと嫌です。飛行機に乗った理由も、簡潔に述べるなら鳥に食われて鳥の血となり肉となり、鳥として生きていくためでした”。……忘れられるわけがねえ、忘れられるわけがねえんだよ……! 鳥として生きるために鳥に食われるって狂気の沙汰だよな、“石油王をオトせる顔立ち”とか“死に際の資産家の老人に取り入るスキル”とかも要らねえって言ったもんなァ……!!!」
へへへへへ……! と邪悪な顔をしながらモヒカンは狂ったように笑う。マジでヒャッハーし始めたのが怖い。ぴょこぴょこ跳ねてる【魔王】より、雪国の景観にそぐわないモヒカンの方が怖い。
「ヒッヒヒヒヒ……よーしよしよし、好都合だ……! そもそも理解不能で制御不能! それなら口出し無用! この際だ! おい、【魔王】としての身体を鳥の姿で無理やり固定するから──お前はそのままずっと【魔王】でいろ! その代わりひとつだけ願いを叶えてやる!」
呆然としている俺たちの前で【相棒】がトンチキなモヒカンへ顔を向けた。鋭いくちばしが動き、何事かを話した──ように見える。
【相棒】の返答にモヒカンがきょとんとした。
「そんなことか? そんなことで良いのか?」
相棒が鳴いている。そうか、とモヒカンか頷く。
「お、おう……じゃあ“それ”な、“それ”で良いんだよな……“ぼんじりの塩食べ放題”とか“アンデスフラミンゴに食われる”とかじゃなくて良いんだな……?」
わかった、とひとつ頷いて。
モヒカン少年は心からの叫びだとでも言うように重々しく口にする。
「──絶対。絶対にだぞ! 絶ッッ対にもうこっちくんじゃねえよ!」
少年が言い終え、まばゆい光がその場を覆う。一瞬の閃光は徐々に和らぎ、真昼の雪国に美しいオーロラを残して消えていった。
***
「──お前、懲りねえなあ」
相変わらずだなあという調子で声をかけてきた【勇者】に、「お前もな」と俺は言い返して──そうでもないか、と思い直した。
【相棒】が魔王になってからも、俺は相変わらず獣使いをしている。【勇者】もずっと八百屋を営んではいるが、以前と変わったことが三つ。
──ひとつ。両親が戻ってきたこと。
何故だかよくわからないが、あの美しいオーロラも消え去ったあと──【勇者】の父親と母親が二人とも、健康な状態でそこに倒れていたのだ。その代わりに龍の骸も暴君虎の姿もなくなっていた。俺たちは皆その奇跡に騒ぎ、はしゃぎ、意味がわからなくなるほど雪原のど真ん中で跳び跳ねた。【勇者】は跳び跳ねすぎて足を折った。
──ふたつ。結婚したこと。
何故だかよくわからないが、諸々が丸く収まった頃──【勇者】とあの少女が結婚したのだった。寝耳に水。びっくりはしたけれどメチャクチャ嬉しかったので意味がわからなくなるほど雪原のど真ん中で跳び跳ねた。俺は跳び跳ねすぎて足を折った。【勇者】からは「何でお前がそんなにはしゃいでんだ」と言われたが、嬉しいものは嬉しい。
──みっつ。子供ができたこと。
何故だかはよくわかっているが、結婚してからヤツには子どもが産まれた。これがすごくかわいい。なのにまだはいはいも出来ないうちからニンジンを片手に暴れまわるというので──血は濃い。ちなみに初めてニンジンを握らせたときにその赤ん坊ははしゃぎまくって跳び跳ねたのだという。はいはいもまだなのに。跳び跳ねすぎてはいたが骨を折る前にやめさせたそうだ。
「……今日も洞窟にいってきたんだろ」
どうだった、という【勇者】に「いつもどおりだった」と俺は答える。あのあと【相棒】は【北海の迷宮】で暮らすことに決めたようだった。あの、クラーケンを閉じ込めていたという洞窟だ。相棒をしたう野性動物もまだまだいるし、吹雪吹きすさぶところよりは洞窟内の方がそれなりに快適だったのだろう。家から出ていってしまったのは寂しいが、動物には動物の都合がある。いくら【相棒】だからといって俺が縛って良いものでもない。
「寂しいだろ」
「まあな。でもこれで良いんだ」
ちょっと手間はかかるが洞窟の奥までいけば【相棒】に会えるし、そこにたどり着くまでに襲いかかってくる野性動物とも思う存分相撲が取れる。俺にはそれだけで十分だ。
【勇者】には幸せな結末が用意されたし、ただの【獣使い】の俺には以前みたいな普通の生活が用意されているわけだし。相棒が四六時中そばにいてくれないだけで、魔王になっても【相棒】は【相棒】のままだ。それでいい。
「……そういえば、あの洞窟……今度王都の調査隊が入るらしいぞ。何だったかな……“【不翔鳥の迷宮】調査隊”とかってやつ」
【北海の迷宮】だっての、と【勇者】はぶつくさと文句を行った。
「ふーん」
「止めにいったりしねえのかよ。調査隊に踏破されたら【相棒】が危ないんじゃねえか」
「調査隊ごときに【相棒】をどうにか出来ると思うか?」
にやっとした俺に「違いねえ」と【勇者】が同じように悪い笑みを浮かべた。
***
──それから数千年に渡り、“北の国の洞窟”の恐ろしさは語り継がれることとなる。
冷たくて暗い洞窟。襲い来る獣たちを打ちのめし、進んだ奥には恐ろしい【魔王】がいるのだと。
【魔王】は見た目からは想像できないほどの凶悪さを持ち、見た目は太っていて、鳥に似ているらしい。けれど翔ぶことはなく、そこから【不翔鳥】と呼ばれることとなった。
昔、王都の調査隊たちが“北の国の洞窟”に踏み込んだことがある。彼らは【魔王】に恐れをなし、早々に洞窟から逃げ出してきたそうだ。
いわく、【魔王】の羽のひと振りは王都の調査隊を吹き飛ばし、鋭い嘴は最高級の鎧をも貫いたのだと。
あまりの恐ろしさに王都の調査隊は命からがら逃げ出し、それ以降その洞窟に踏み込む人間はいなかったそうだ。
──たった一人の“獣使い”をのぞいて。
五年間お付き合い下さいましてありがとうございました。こちらの作品は一月後(2018.10.27)に非公開とさせていただきます。これまで多くの感想、評価、ブックマーク、本当に励みとなりました!