聖職者
女性が3人を連れて入ったのはまさかの酒場だ。昼から営業している店がいくつもあるのはさすが王都といったところだ。口止め料と言ったなら口止めするつもりで店を選んでくれ、とリュカとユノの心が通じ合った。酒場に入った経験のないイーズは物珍しそうに店内を見渡した。
女性はどうやらなかなか自堕落らしい。彼女のゆったりとした服の袖にほつれがあるのを見てリュカはもやもやした。
「たまには昼飲みもありよね」
「ヒルノミ……とは」
「やだイーズくん、もしかして初だった? 引かないでね、こういうのが流行ってるのよ!」
女性はまだイーズに対して可愛こぶっている。ユノは手遅れなはずなのに諦めないその往生際の悪さだけは見習うことにした。主に対ゴブリンで。
「リュカさん、実際のところ流行ってるんですか?」
「流行っていると言えばそうかもね。主に酒呑みの界隈で、流行りというか常に一定数の支持を得ている文化だね」
「あっ、はい。よく分かりました」
それにしても子どもが2人いるのに酒場に連れて来るとはなんと非常識な。そこまで考えたところで、リュカの頭に雷が落ちた。そうだ、イーズはこの女性に狙われているのだ。成人女性が酒場に誘ってまで相手を狙っているのだ、間違いなく大人だと勘違いしているはずだ。ユノのことはガキと呼んでいたし間違いなく子どもと認識しているだろうが、つまり眼中にない相手を気遣った店選びをしていないらしい。
「イーズ、こっちだからね。君が飲んでいいのは右下のここからここまで!」
「えぇー、乾杯くらいお酒でしないのぉ?」
「口止め料なんだろう? こちらで自由に選ばせてくれよ」
「あんたが選んでるわけだけど、それってイーズくんが自由に選んでるって言えるの? ね、イーズくん。お酒は好き?」
「いや、飲んだことはないな」
「そうなのぉ!? えー、可愛いー!」
女性の目が輝いた。明らかに酒に不慣れな男を酔わせて部屋に連れ込もうとしている。リュカにはすぐに分かった。腐っても貴族であるリュカにはそうやって狙われた経験もある。
いい加減イーズが子どもだと言っておこう、そう考えたリュカは思い留まった。もちろん飲ませないように動くし、いざとなればイーズが未成年なことは伝える。だがギリギリまで黙っていた方が面白いのではないか。リュカの悪い癖が発動した。
「ところで名前はあるのか。呼び名でもいい」
「あれっ、自己紹介してなかったかしら」
「ついでに言うと僕らも名乗ってないよ」
「イーズの名前知った時点で満足しちゃってますもん、この人」
「ごめんって。私はリヴィア。一応神官やってまーす」
「本当に一応っぽいんだよね、この人」
リュカとユノも挨拶を済ませ、そこで注文した飲み物が運ばれてきた。リュカとリヴィアはもちろん、ユノもそういうものだという知識は頭の隅にあったためコップを持つ。イーズはそれを不思議そうに眺めた。
「乾杯だよ。コップを持ってぶつけ合うんだ。軽くだよ、本当に軽くでいいからね、優しく扱うんだよ」
イーズはリュカに言われた通りに乾杯を済ませ、飲み物に口をつけてまず驚いた。スイカの汁を絞ったものらしいが、残った身は一体どこに行ってしまったのか。これまでの人生で贅沢品としての飲み物をほとんど飲んでこなかったイーズには未知の甘露だ。次々とテーブルに並ぶ料理も初めて見るものばかりだ。
「もしかして酒場自体初めてなの?」
「ああ。作法も分からないな」
「たしかに、イーズくんお育ち良さそうだもんね」
実際は熊や魔物たちと生きるか死ぬかの競り合いを続けてきたのだが、リヴィアには金持ちの令息に見えているらしいので、身なりとは凄いものである。リュカは喉の奥で鳴りかけた笑い声をなんとか抑え込んだ。もっといろんな服を着せてみたいなあ、というリュカの目論見が伝わったのか、イーズは背中がぞくぞくした。
「2杯目どうする?」
「同じもので」
「えっ、また? お酒は?」
「何かいけないのか?」
「そういうわけじゃないけどぉ」
いいぞいいぞもっと冷たくあしらってください、とユノはブツブツ呟いている。リュカはぷるぷる震え始めた。
「スイカの果汁だけ飲むというのは初めてだが美味いな」
「そうなの? 私こういうところで甘いのあんまり飲まないから」
「いかにも酒呑みですね」
「うるさいんだけど」
「飲んでみるか?」
「えー、いいのぉ? じゃあひとくち貰うね……あっ、ごめんねぇ、縁に赤いのついちゃった」
「赤いの?」
「お化粧知らない? 純度の高い鹿の脂に色粉混ぜたやつよ。良い女の必需品ってとこかなぁ」
ユノが血が出そうなほど唇を噛み締める。リュカの喉仏は震えている。必死で笑いを抑え込んでいるもので息が苦しい、それなのにイーズとリヴィアを見ずにはいられない。あああざとい、手垢のこびり付いた手法だ、果たしてイーズにはどこまで伝わっているのだろうか。ていうか自分で良い女って。リュカはわくわくと胸を踊らせた。
「うふふ、イーズくんみたいな人初めて」
こんな野生児が何人もいたらたまったものではない、リュカの喉の奥が更に震えた。
「私って力も弱いし体力もないから……イーズくんみたいな人、憧れちゃうなあ。実は足首も弱いし」
最後に関してはその場の3人とも周知の事実だ。
「あら、この塩、蓋がやけに固いわぁ。開けてくれない? イーズくん力強そうだもの」
「分かった」
「やーん頼りになるぅ」
イーズが蓋に手をかけた。固いと聞いたからだろう、それなりに力を込めたようで──
バキャァ。
イーズの手の中で陶器が砕け散った。床に散り落ちる破片と塩。そこでリュカが限界を迎えた。テーブルをだんだんと叩きながら大爆笑、息が引き攣れ呼吸困難に陥るほどだ。
「お客さん大丈夫ですか! 怪我は!」
「いや、大丈夫だ。割ってしまってすまない」
「いやいや、もう脆かったんでしょう」
いいえこの子が怪力なだけなんですすみません、が言えないほど笑い続けるリュカを、店員は奇妙な目で見た。とんでもない笑い上戸にでも見えたのだろう。
「えぇー、びっくりしちゃった。こんなことあるんだ」
「少し力を入れ過ぎた」
「もしかしてちょっと緊張しちゃったかしら。酒場も慣れないんだもんね。折角来たんだから少しくらいお酒飲んでみてもいいんじゃない? 緊張も解れるかもだし。ね、これ私のオススメ」
コップの縁にはまたしても紅がついている。くど過ぎて笑いが止まらないリュカをよそに、イーズはなんとそのコップを手に取った。そしてついに口をつけようとして。
「はいそこまで。っんふふふっ、あはははっ!」
リュカがイーズの手首を掴んで止めさせた。イーズは何故止められたのか本当に分かっていないようで、飲酒が18歳からであることを知らないのだろうと見当がついた。
「あのねリヴィア、彼は未成年だから!」
「えっ、そうなの? えーと……17?」
「ううん、14歳」
「はぁ? それはこっちでしょ」
こっち、で指されたユノは不服そうに顔を顰めた。
「違います! 僕は15ですから」
「じゃあなに、あんたが15でイーズくんは14? 馬鹿言わないでよ、冗談きついわ」
「いや、ユノは15だし俺は14だ」
「え?」
「それがどうかしたのか」
リヴィアは沈黙した。その間もリュカは笑いっぱなしだ。しばらくして、リヴィアは持っていたコップの中身を一気に呷り、深く重く息を吐き出した。
「14……は駄目かあ、さすがに……」
「おっ、さすが聖職者。鋼の自制心」
「あんた馬鹿にしてんでしょ!」
首根っこを掴まれたリュカが無理矢理飲まされているのを、イーズは何が何だか分からないまま眺めた。ユノはにんまりと笑った。




