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異世界貴族に転生したけど思ったより不満だったので  作者: 南乗七史
間章2・流れ星は遠く

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秘話9・継がれる願いは遠く⑨

 そして、その日はやってきた。


 今日か明日で最後。そう医者が告げたらしい。


 家族だけの時間を過ごすかと思っていたが、ダグラス様の計らいで、来たい者は来て良い、という事になった。だから私もヘンリーの部屋へ入ると、既にファラン家は揃っていて、隠居して田舎暮らししているダグラス様の親との挨拶を終えたところだった。


 ベッドに横たわるヘンリー。掠れた声は前よりもさらにひどくなっていて、集中して聞かないと、声だと認識出来ないくらいだった。


 そして、自分の子供達と談笑するヘンリー。ここしばらくずっとベッドの上で、人の話を聞くばかりだったヘンリーは、そこで得た噂話なんかを元に、勝手に話を盛り上げる。子供達が少しでも悲しそうに俯くと、すぐにその子が取り繕える話題を持ち出す。


 その光景を見て思う。


 ああ、ヘンリーは、最後の時まで、ヘンリーだ。


 人のために。誰かのために。何かのために。


 自分の死の瞬間まで、ずっと人に気を遣っている。そして、それが彼女の本懐なのだ。誰がために。それこそが、自分の為になる。いや、ヘンリーの場合、自分の為に行動をしたら、必ず誰かの為になっているというべきか。そんな彼女が、最後の命を燃やして、子供達と言葉を交わす。


 そこに、ダグラス様への話題は無い。ダグラス様はただ、子供達と談笑するヘンリーを、愛おしそうに見つめて、時折、子供達と一緒になって笑っていた。そんな時は、周りの使用人も一緒に笑ったりした。気付けば、屋敷に努める使用人は殆ど揃っていた。壁際に並ぶようにして、その光景を見守っている。


 楽しい空気が満ちていた。魔法灯に照らされた暗い部屋の中、精一杯みんなで幸せな空気を取り繕う。


「はぁ……。こういうお話は、しばらくお預けかぁ」


 と、ヘンリーは言いながら、ベッドに身を沈めた。子供達のほうを向いていた顔が、力なく天井を仰ぎ見る。首を固定する力が、もう無いのだろう。


「しばらくお預けか」と、口を開いたのはダグラス様だ。「しばらくとは、いつ頃だ?」


 口元は悪戯に笑う。でも、目元は、何かを堪えるように震えていた。


 ヘンリーは人差し指を立てて答える。真っすぐにはならない不格好な人差し指。それでも、その言葉は真っすぐに、私達に届く。


「まず、私が天国に行くでしょ? そしたら、私が、おじいちゃんとかおばあちゃんとか、先に天国に行った知り合いに、土産話をするの。今回、沢山皆からお話を貰ったから、暇はしないかな。そうしてる間に、パパとママとかが来て……パパとママ達から、土産話を貰うの。……その話を楽しんだら、少し、暇になるかも。それで、暇して、暇して……いつか、遠い未来に、ダグラス達が来る」


 そう言いながら、ヘンリーのその目は、私のほうにも向いていた。


 ダグラス様、私、ハンスや、その辺りが、寿命を迎える頃、という事だろう。


 つまり、ヘンリーと歳の近い人たちが死に始めるまで、暇をすると。


 まったく、不謹慎な冗談を言う。


 その不謹慎な言葉に。


『寿命まで生きてね』


 そう言われた気がして、耐えていた涙が溢れだした。


 それでも、今は皆が幸せそうな空気を作っている場だ。堪えろ、堪えろ。そう強く願うほど、涙は強く流れ落ちる。


「ダグラスはその辺、口下手だからなぁ。土産話を説明するのに、すごく時間が掛かりそうだから、暇潰しには丁度いいっ」


「…………ああ、そうだな」


 ダグラス様は泣かない。ただ、その声は、少しだけ裏返っていた。


「…………それで、最後に、あなた達が来る」


 ヘンリーが、長男のスレイン様の頭を撫でた。


「ねぇ、スレイン」


 笑っているのか、悲しんでいるのか、解らない表情で、ヘンリーは言う。


「あなたは、剣の才能があって、とても強い。王国の盾として、とても心強い。だから、ごめんね、だからこそあなたは、守るだけじゃない、奪うことも出来る人に、なってしまう。そして、奪う事が必要になる時も、必ず、来る。……言われなくても、ダグラスを見てたら、解るわよね」


 言葉の最後は、笑っていた。言うまでも無いわよね、と。


 スレイン様は、ただ、一言。


「はい」


 とだけ答える。


 その答えを得たヘンリーは、スレイン様の頭を撫でていた手で、優しくその頬に触れる。


「土地じゃなく、領土じゃなく。『過去』を守れる人になって欲しい。きっと、私が居なくなっても、あなたの心には私が居ると思う。それと同じように、土地や領土を失っても、その人の心には過去がある。その過去を、守れる人になって欲しい」


 とても、本当にとても、難しい話だ。でも、国家、領土、そういう話が絡む以上、難しくなるのは仕方がない。


 でも、スレイン様は迷わず答えた。


「はい。()()()()()()その者の過去を思いやる。承知しました、お母様」


 と。


 そして、その頬を撫でていた手が、次男をアルフレッド様へ移る。


「ねぇ、アルフレッド」


 少し、困った様子で、ヘンリーはアルフレッド様に願った。


「あなたは頭が良いから、多分、魔法学に進んでも、きっと活躍出来る。でも、ごめんね、貴方が信じて進んだ道が、必ず正しいとは、限らない。学んだ事も、証明したいことも、疑って欲しい。今までの常識も、これからの仮説も、真に受けなくていい。貴方にとっての『今』を、追求して欲しい。この世界に、今、そこにあるものだけで、ちゃんと考えて欲しい。……ごめんね、私の中でも話がまとまってない分野だから、解りにくいと思うんだけど……」


 本当に難しい話だ。解る人にしか、解らない話。


 でも、アルフレッド様は、当然のように理解する。


「ありがとうございます。今、一番欲しかった言葉です」


 何か、吹っ切れたような面持ちだった。


 魔法学を学ぶために旅立ったメルヘンラークで何があったのか、詳しい話は知らない。でも、当然のように、何かはあったらしい。


 そして、その手はアルメル様へ移る。


「ねぇ、アルメル」


 アルメル様の頬を撫でる手。ヘンリーの手を握り返すアルメル様。


「色々、すごい物を作ってくれてるあなたは、きっとこれからもすごいものを作る。多分、誰も想像してなかったものも、色々、色々、たくさんたくさん作ると思う。でも、だから、これだけは、絶対に、約束して――人を傷付ける物だけは、絶対に作らないで」


 少し、胸がざわついた。


 言うまでもなく、アルメル様がそんな事をするはずが無い。――とは、言い切れない。目的のためなら、動物実験なるものにも手を染めてしまう危うい人だ。


 アルメル様は、しばらく黙った。


 多分、思うところがあったのだ。何か言い返したい事とか、確認したい事とか、そういう事があって、でもその場を弁えて黙って。そういう葛藤を繰り返した末に、アルメル様は言う。


「――ほんとうに、それでよろしいんですね?」


 と。


 難しすぎて、さっきから何も理解出来ていない。


 でも、何かの願いが継がれた事だけは、解った。


 ヘンリーは答える。


「うん」


 そう明るく笑った後に、こう言い切る。


「みんなの『未来』を、よろしくね」


 と。


 解っていない。私は状況を理解していない。それでも、この国、この世界にとって、とても大切な約束が交わされたんじゃないか? と、そう思えるくらい、不思議な空気がここにあった。


 そして。


「ねぇ、ダグラス」


 その言葉は、次いで、ダグラス様へ向かう。ただ、その手は、ダグラス様へは伸びない。


 ただ。


 ただ一言。


「愛してる」


 それだけだった。


 ダグラス様も、一瞬だけ歯を食いしばり、しかし、ひとつ深呼吸を置いた後に微笑み、当たり前のように、こう答える。




「ああ。俺も――生涯、お前だけを、未来永劫、愛している」




 それだけだった。


 それだけなのに、周りの使用人が、ダグラス様の気持ちを代弁するかのように、泣き出す。正直私のせいで吊られ泣きをしている人は居たけど、その数とは比較にもならない。その理由は、私には解らない。


 解らないのに。


「あはは、皆泣いちゃった」


 と、力の籠らない声で、掠れた声で、ヘンリーは言う。


 見ろ。見届けろ。涙のせいで水中に居るみたいな視界の中で、それでもヘンリーの顔を見届けようと、しかと目を見開く。


 すると、どうしてか、少しだけ、私と目が合ったような気がした。


 不確かな景色の中での、曖昧な映像。


 多分、ヘンリーは笑っていた。


「ああ、嬉しいなぁ」


 と。


 嬉しくなんて無い。死なないで。もっと一緒に居て欲しい。悲しい。辛い。悲しいよ。貴女が居なくなる事が、悲しくないなんて、そんなはずがない。


 そんなはずが無くて涙が溢れたから、だから、ヘンリーは言った。もう、どんな表情をしているか分からないけど、こう言った。


「沢山の人が泣いてくれる。沢山の人が悲しんでくれる。私の人生、良い人生だったなって、皆のおかげで思える」


 と。


 周りの嗚咽の中で、鼻をすする音の中で、しかし、掠れていても、力が籠らなくても、なお通る声で、彼女は言う。


「――みんなのおかげで、わたし、いま、この時も、しあわせだよ」


 どうして?


 どうしてあなたはそんなに優しいの? どうしてそんなに気高いの?


 自由奔放に振舞っているのに、どうして、そんなふうにあれるの?


 疑問は尽きない。


 大好きなヘンリー。愛しの幼馴染であり、私が生涯を捧げた主による、人生最後の言葉は、こうだった。




「じゃあ、先に行くね。土産話、沢山持ってきてね」




 ここしばらくで、殆どの話は、ヘンリーにしてしまった。


 だから、天国のヘンリーに土産話を持っていくには、これからしばらくは、長生きしなければいけない。


 本当に、本当にこの子は、最後の時までヘンリーだ。


 そうして。


 私の主で、幼馴染で、大切な人であるヘンリーは。


 微笑みながら、その人生を終えた。






 ―――――(継がれる願いは遠く。完)―――――

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