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被害者 八重樫淳之介

 八重樫先生……少なくとも僕は奴に良い思いなんて持っていなかった。そしてそれはこの学校の生徒なら誰でも思っていたことだろう。

 一言で表すと嫌な奴。理不尽で何かと理由をつけて生徒を叱る。

 僕と小鳥が中庭で一緒に昼食をとった時だって、『不純異性行為だ!!』とか何とか言い出して、僕らは叱られた。もっといちゃいちゃしていたら、まあ悪いかもとは思うけど、中庭で一緒に昼食をとることは流石に不純異性行為ではないと思う。

他にもいろいろとそういう話が絶えない八重樫先生は、基本的には学校の嫌われ者だった。幸いなことはそれを彼が気づいていないことだった。

しかしそれは逆に僕らにとっては不幸なことで、気付いていないから八重樫先生はずっと嫌われ者で、生徒に嫌がることばかりしていた。

傲慢で理不尽で嫌な奴。それが僕の八重樫先生の評価。正直かなり悪い。

僕はできるだけ彼を避けたかった。

彼の殺意の形は散弾銃ショットガン

標的以外にも害を与える最悪の形。

彼の近くにいればその被害を受ける可能性はかなり高いのだ。

そんな先生、八重樫先生が亡くなったと聞いて僕は……

何とも思わなかった。

嫌な奴だったから、いなくなってラッキーとも思わない。

何も思わない。

悲しみもしないし、喜びもしない。

何も感じない。それが僕。

こういう時はどうするのが普通なのだろうか?

少なくとも感情を出すことが普通なのだろうか?

感情が出せない僕は狂っている?やっぱり僕は狂っている?

「うー、またマコちゃんが何にも会話に参加してこないよぉ。会話は野球なんだよぉ!ちゃんと投げるか打つかしてくれないと駄目なんだよぉ!」

「……」

「小宮山。それを言うなら会話はソフトボールだ。会話というのは投げて、打って、取らなければ駄目なんだ」

「君代先生も間違ってます。それを言うなら会話はキャッチボールです。打っちゃ駄目です。投げられた会話は同じように投げ返してください」

「ああ、成る程。しかしキャッチボールって言うのは元々はソフトボールの練習だろ?なら私ので当たりだ」

「へえ、先生ので当たりなんだ?やっぱり先生って凄いな。凄いね」

「そんなわけないでしょ。そもそもその理論だったら小鳥の野球も正解でしょ?基本的には同じなんだから」

「うわ。驚きだね!私も正解していたんだ。私って意外と凄い?凄いよね?」

「うむ、凄いぞ小宮山。さすが私の教え子だ」

凄くねえよ。

先生のも間違いで、小鳥のも間違いなんだよ。僕は言ったはずだ、間違っていると。それなのにこの二人は何故このように解釈をするんだ?

そもそも僕は何でこの強烈キャラ、二人に囲まれているのか?

それから説明しよう。


それは朝のHRの続きであった。

「でさ、今日の放課後に八重樫先生のお通夜があるけど誰か行く?」

やる気がなさそうに、軽い感じで君代先生は言った。

その先生らしからぬ態度が何とも素敵である。

……こんな先生ばっかりだったら、きっと学校は大変なんだろうな。

「えっと、それって……言い方悪いですけど、強制参加とかじゃないんですか?」

我クラスの代表である委員長が訊いた。

「んあ?そんなことないよ。自由参加。参加してもしなくてもどっちでも~。正直ね、私だって行きたくないんだよ。他の先生には内緒にしてよ。私あいつ嫌いだったんだわ。いや他の先生だって嫌いだと思うよ。だってあいつ嫌な奴だったじゃん」

素直に言う君代先生。そう言い切れるところが格好いいと思う。

……何でこの先生、先生になれたんだろうか?

「まあ、私は教員だから……認めたくはないけど同じ教員だから、もちろん行きますよ。行きたくないけどね。それが決まりなのだから仕方ないじゃない。あー、もう!早く帰って録画しておいた昼ドラを見たいのにぃ!八重樫め、恨んでやるわよ」

死人を恨むとか、その理由が昼ドラとか君代先生は本当に感受性豊かな先生だと思う。

……昼ドラぐらいで人を恨まないで下さい。しかも録画しているんならいつでも見ることができるし。

「八重樫の受け持っていた2年3組の生徒は全員参加させるらしいけど、あとは自由参加よ~。何かあの八重樫に用があったとかいう人は参加していいわよ。それ以外はやめといたほうが良いんじゃない?別に成績上がるわけじゃないし、もちろん内申がよくなるわけでもないからね」

はっきりモノを言う君代先生。そんなところが魅力的なんだと思う。

……はっきりモノを言いすぎだと思う。そんなに言われるとみんな参加しづらい。

案の定誰も行く気はないようで、誰も発言をしないし挙手もしない。

確かにあそこまで言われて行く気にはなれない。みんな少なからず八重樫を嫌っていたし、そもそも行かなくていい自分に都合の悪い用事なら行かないのが普通の対応だろう。

このクラスメイトの対応は間違ってはいない。間違ってはいないけど正解でもない。

そもそも正解って何だ?この場合では正しいことなのか?

八重樫先生のお通夜に行かないことは正しいことなのか?それとも間違っているのか?

あぁ、またくだらないことを考えている。こんなのクラスの誰も考えていないだろう。

彼らが行かない理由?そんなの単純だ。明快だ。わかりきっている。

誰も行かないから。

それだけが彼らを動かす理由で、そしてそれが普通だった。

僕も……僕は平穏を望んでいる。

平穏ということは普通ということに近い。

だから僕も彼らを真似て……発言も挙手もしなかった。

誰も何も言わず、何も動かない空間。まるで時間が止まっているかのように静止した空間。辛うじて聞こえる時計の音が時が進んでいることを教えてくれた。

誰も動いてはおらず、そして動きづらい空間。

そんな中で誰かが立ち上がったのか、がたんという音が教室に響き渡った。

誰だろう?そして何を言うつもりなのだろう?

教室中の視線がその音の主に向かう。

「あの……マコちゃんと一緒に行きたいんですけど……ダメかな?ダメですかな?」

ダメダメな日本語を話す彼女はもちろん小鳥であった。


そういうわけで僕と小鳥はお通夜に参加することになった。

場所がわからなかったので休み時間に君代先生に聞いたところ「それなら私の車で送ってやるよ」ということになり、そして現在に至る。

つまり今は八重樫先生のお通夜に参加するために君代先生の車に乗って、葬儀所まで向かっている最中であった。

僕と小鳥が後部座席、もちろん君代先生は運転席に座っていた。

「そもそもね。私は野球が卑怯な球技であると思うんだ。攻撃側はバッターと塁に出ていたら走者がせいぜい三人、つまりは四人で攻撃するのに対して、守備は九人。四対九だ。単純に攻撃の二倍以上の人数で守備をしているんだぞ。それは卑怯ではなくてなんだというんだ?」

「そ、そう言われればそうですだね!野球って卑怯なスポーツなんだね!」

「全国の野球ファンに殺されますよ。大体、攻撃もあれば守備もあるから結局はどちらも同じですよ」

「同じだけ卑怯だな。男らしくない。自分以外の八人の男に頼るなんて」

「男らしくないね。野球は男らしくないんだね」

「だから……危険な発言はよしてください!小鳥も煽るなよ。それに僕は思うんですけど他の八人の仲間がいるから、感動が生まれるんでしょう?その友情みたいなものに」

「ほう、今の綾瀬の言い方だと一人で競技するスポーツは感動を生まないと。そういう言い方にも捉えられるんだが」

「……いや、そこまでは」

どうして人の意見をそこまで歪曲して捉えることができるのだろうか?とても不思議だ。

「ボクシングは感動を生まないか?走り幅跳びは感動を生まないか?マラソンは感動を生まないのか?そこのところはどうなんだ?」

「……やけに苛めてきますね」

「そういう性分なんだ。それでどうなんだ?反論は?」

「……できなくもないですけど」

「ほう」

「そもそも一人で競技するスポーツって本当に一人で競技をしていると思いますか?ボクシングだってセコンドがいるし、マラソンや走り幅跳びにもトレーナーや監督が必ずついているでしょ?つまりですね、たとえ一人で競技をしていてもそれを支える人たちが仲間と言えるんじゃないでしょうか?仲間がいるから感動は生まれる。また競う相手がいるっていうのも感動を生むのに重要な要素だと思います。例えばマラソン。自己記録を更新しても最下位だったらあまり感動はしないでしょ?人間は比べたがる生き物です。特に自分よりも他人と。だから他人に勝つことで喜びが生まれ、周りがそれを大いに盛り上げてくれるから感動する。そういうわけだから、僕は感動には仲間、そしてライバルなどが必要だと思うのです」

自分で言っといてやけに屁理屈ばかりの理屈だけど……まあ間違ってはいないと思う。

「ふーん、なかなか面白いこと言うな。でもさ、ひとつだけ反論させてくれよ。綾瀬がマラソンを例えで『自己記録を更新しても最下位だったら感動はしない』って言ったよな。私はそうは思わない。人間っていうのは何かと理由をつけて感動したがるものなんだよ。最下位でもね、自己記録を更新したっていう少しでもプラス要素があれば無理矢理にでも感動させる。それが人間ってモノだと私は思うね」

「あー、確かにそういうのあるかもしれませんね」

「そうだろ?しかし綾瀬。お前はバカな奴だと思ってみたが、話してみると中々、案外面白い奴だな」

「何で僕がバカな奴だと思われているんですか?」

「この間の中間テスト」

「あう」

それをつかれると痛い。

僕が通っている東北宮高校は、このあたりの高校では偏差値がそれなりに高い高校になっていた。しかしそれなりなので僕も何とか入ることができたのだが、この間の中間テストで僕はこの高校の平均との差を思い知った。

うーん。よく僕この高校に入れたよな。不思議だな。

「逆に小宮山は頭がいいと思ってたけど……なんつーかバカだな」

「ふえ!小鳥、そんなにバカじゃないですよぉ!」

……ちなみに小鳥は中間テストで学年5位だったりする。世の中不思議がいっぱいだった。

「二人とも面白いやつらだなぁ。どうだ私の奴隷……いやコーラス部に入らないか?確かお前たち二人とも部活には入っていなかっただろ?」

コーラス部=奴隷らしい。

そんな考えの顧問がいる部に入りたくはない。全力で断ることにした。

「結構です。僕らコーラスとか興味ないんで」

「そうか、残念だな」

意外にあっさりと諦めてくれた。もしかしたら冗談だったのかもしれない。

「じゃあ、お前らは私の奴隷な。せいぜいきりきり働けよ」

「結局奴隷になるのは変わらないわけですか」

……はぁ、何かこの先生を相手にしていると疲れる。

君代先生には先生としての自覚というものがないのだろうか?……無いんだろうなぁ。全く。

ちなみに今の『全く』には、先生に全く自覚が無いという意味の他に、全くどうしようもないという愚痴も含まれていたりする。まあ、余計なことだけど。

僕が余計なことに思考をめぐらせていると、ふと視線を感じた。

視線は小鳥からか?いや違った、それは横ではなく前方から来ていた。つまり君代先生?しかし先生は運転に集中しているし、ちゃんと前を向いている。

……ちゃんと前は向いているが、その視線はミラーを経由して僕らに向けられていた。

頼むから運転に集中してください。

その様子から僕らに話があるようだが、君代先生にしては珍しく打ち出しにくい話題であるのか、機を窺っている感じである。

このままでは僕らの生命に影響を与えると見て、僕は君代先生に単刀直入に訊ねた。

「あの……何か言いたいことでもあるんですか?」

「うむ、大分回りくどく言うが……」

「じゃあ、いいです」

「朝のHRでも私は言ったのだけど……」

僕の意見は普通に無視して君代先生は続けた。基本的に自分の意見意外は尊重しないらしい。

「死体に罪は無いけど言わせてもらうよ。私は八重樫先生のことは好きじゃなかった。むしろ嫌いだ。いけ好かない。同じ教師だとも思いたくないほど嫌いだった」

「……はっきりと言いますね」

「事実だからね。死んだ人を悪く言うなと言われても私は言わせてもらう。アイツは嫌われ者だ。それもどうしようもないレベルの。このお通夜に参加するものだって私のクラスからはお前たちぐらいしかいない。他のクラスの教師に訊いたところ、サッカー部に所属しているものは何人か行くものの、それを抜かせば出席率は0に近い。おっとあいつの受け持っていた2年3組は別にしておいてよ。あれは例外。強制参加だからね。ここまで言えば私が聞きたいことは何となく想像はつくだろう?」

「つまり……嫌われ者のお通夜にわざわざ何で僕たちが参加をすることにしたのか?ってところですか?」

「その通り。いやぁ、綾瀬は話が早くていいなぁ」

「褒めても何もでませんよ。余計なことですけどね」

「それで?その答えは?」

それは僕も知りたかった。僕の答えは単純で朝の会話から察せられる通りである。

「僕の方は、小鳥のやつが一緒にと言うんでね。それに従っただけです」

「自分というものがないのか?綾瀬には?」

自分?それは個性とも言い換えるものだろうか?そんなものは……余計なものだ。

ただでさえ僕は異常なのに個性なんて主張し始めたら、それこそ周囲にうまく溶け込むことが出来ないだろう。

「……僕は小鳥の彼氏ですからね。彼女についていくのは当然のことと思いますけど……」

本心は違ったが、まああながち間違ったことは言っていないので良しとする。

「ふうん。それで小宮山のほうはどうなんだ?確か朝のHRでも行きたいって言い出したのは小宮山のほうだったけど、理由か何かはあるのか?」

ようやく僕が疑問に思っていたことが解決されるようだ。

「それはねぇ……」

ゴクリ。無意味に固唾なんて呑んでみたりした。

それほど緊迫しているという状況でもないのだが、場を盛り上げるためのものだと考えて欲しい。

「マコちゃんが行くからだよぉ。えへへ~、ラブラブ?ラブラブ?」

「……」

「……」

僕と君代先生が無言の理由はいちいち説明するまでもない。

「……綾瀬」

「はい」

「小宮山が嫌がることをしろ。許可する」

「了解」

僕は小鳥のほうを向いた。ニヤニヤといういやらしい表情をしながら。

「な、何でそんなことが許可されるかな?許可されるかな?」

「それはねぇ、小鳥……」

手をワキワキと動かす。客観的に見れば非常に怪しい動きである。

「そ、その構えは!や、やめてぇ!それだけはヤなの!ヤなの!」

ちなみにこの構えは、この後にくすぐり地獄が待っていることを意味している。僕と小鳥の付き合いは長いので、小鳥はそれを察知したようでほぼ半泣きになりながら訴えた。うーむ、すこし可哀相だが許可はもらっているしなぁ。

それに久々に小鳥にセクハラ攻撃をしてみたくもなった。

「教師公認のセクハラ。それって凄く魅力的だとは思わないか?」

「アホ。誰がセクハラしろって言った。お前はいったい何をするつもりだ?そんな破廉恥な行為を私の車の中でするんじゃない!」

「え?破廉恥って、くすぐるだけですけど」

「……」

君代先生は何を考えていたのか、しばらく無言になった後、「よし許可する」と再び許可を出してくれた。

「そういう訳だ。観念しろ、小鳥」

わきわき。

「わ、わかったよぉ!言うから!言うからそれだけはやめて!!」

「……最初からそう言えばいいんだよ」

隠す理由がわからない。はっ、まさか八重樫との何か言えない秘密があるのか!?

……いや、ないない。

だって入学してから約二ヶ月。僕と小鳥が一緒に行動しなかったのは、体育のための着替えぐらいだ。それ以外は大体同じ場所で同じ時を過ごしていた。僕たちと八重樫の接触なんて、中庭での昼食の時、つまりは一回だけだ。

本当に、僕らと八重樫には接点というものが乏しい。しかも唯一の接点が最悪の形で終わっているというのに、何故小鳥は八重樫のお通夜に参加するなど言い出したのだろうか?

朝から気にはなっていたが、特に聞くことでもないかと思い、学校では何も言わなかったが、君代先生に言われて再度気になった。

「あんまり、たいした理由ではないんだよぉ。だからね、聞いても馬鹿にしないでよぉ」

僕に馬鹿にされるのが嫌で今まですっとぼけていたのか?

小鳥……僕は本気で君を馬鹿に何てしないよ。多分ね。

「あのね、私達と八重樫先生ってあまり良い感じで会ってないでしょ?最初の印象もお互い悪くて、最後の印象もそのままで……でもね、八重樫先生は死んじゃって、もう仲直りとかはできないわけで……えっとね、つまりね」

ちぐはぐな言い方だったが僕には何が言いたいのかはわかった。

彼女と僕の共通点。それは人を傷つけることを嫌うという点。普通の人だってそうだと思うかもしれないが、しかし僕らはおそらく必要以上にそれを気にする。

あんなことがあったのだ。小鳥はおそらくずっと気にしていたのかもしれない。

もしかすると謝りたいとか思っていたのかもしれない。僕はあの時のことは八重樫が悪いとは思うが、しかし小鳥はそれを納得しなかったのだ。

だから、八重樫先生のお通夜に参加することを決めたのだ。もう八重樫先生は亡くなってしまったけど、それでもせめてもの罪滅ぼしに……それはただ小鳥の心を軽くするだけの行為かもしれないが、小鳥は謝っておきたかったのだ。

「……もう、いいよ。小鳥」

僕は小鳥の頭をそっと撫でた。

泣きそうだった小鳥の表情が元に戻る。

小鳥……君は本当に優しい。僕とは正反対で、僕と君は同い年だけど僕は君を尊敬する。

素直に行動できる君を尊敬する。純粋な君を尊敬する。人に優しくできる君を尊敬する。

なでなで。

「ふぃ~。マコちゃんが優しいよぉ」

「人の車の中でいちゃいちゃするな」

君代先生がとても不機嫌な様子で言った。


君代先生が言った通りだった。生徒でお通夜に参加しているのは僕らを抜かせば、八重樫先生が担当していたクラスの2年3組の生徒。そしてサッカー部の数人だった(全員じゃない)。四十名近くの参加……一見すると多いようにも思えるが、クラスの生徒を抜かせばわずか数人。しかもその数人も露骨に嫌そうな顔をしていた。どうやら彼らはサッカー部の代表で来たらしい。自主的に来た、というわけではなさそうだ。何かアミダくじのようなもので代表を決めたのだろうか?とにかくこの生徒の態度が八重樫先生の評判を表していると言えるだろう。

ちなみに僕と小鳥は露骨に嫌そうな表情などしていない。僕はともかく小鳥は本当に望んできたのだから、その表情はどこか悲しみが感じられた。

僕の方はというと、無表情。嫌そうにもしないし、悲しんだ顔もしていない。置物のようにそこにいるだけ。実際、僕は八重樫先生が亡くなったからといって何も思っていないし……どこか人間的な感情が欠けているのかもしれない。

しかし……何か妙だ。

生徒たちの態度じゃない。先生たちの態度でもない。八重樫先生の親類の態度でもない。

僕が妙だと思ったのは、八重樫先生が入っている棺のことだ。

何て言うのか、多分気のせいだと思うんだけど……存在感がない。

僕は殺意が見えるから、という理由もあるかもしれないけど、人や物の気配に人よりは敏感だ。よく小鳥が後ろからこっそり近づいてきて僕を驚かそうとしても、いち早くそれを察知して、見破ることができる。余計な例えだったけど。

死体に気配を感じないと言うのはおかしいことかもしれない。

しかし、やはり僕はそこに違和感を感じた。

「……君代先生」

「あ?何だ?こういう場なんだからできるだけ静かにしろよ」

「わかってます。あのちょっと、聞きたいことが……」

「何だ?」

「変なこと聞きますけど……あの棺桶の中にあるんですよね?」

「あ?何が?」

「八重樫先生の死体が」

「……」

あう。自分でも変なことを先生に聞いてしまったと後悔した。

こんな質問小学生でもしない。

当たり前のことだ。死体があそこに無ければ何処にあるっていうんだ?僕の妙な感覚なんて気にしちゃいけないんだ。

当たり前のことだ。君代先生だって「バカか?お前?入ってるに決まってるだろ」と言うに違いない。

あー、僕はバカだ。今の質問を撤回したい。

「……知らないよ」

「……え?」

あれ?何か予想外の答えが返ってきた。

「私は葬儀屋じゃないし、身内でもない。綾瀬と同じで今ここに来たばかりで、棺桶の中を見たわけでもない。だからあそこに死体があるかどうかなんて聞かれても、そんなことは知らない」

「え?いや、でも……棺桶の中に死体があるのは当然でしょ?」

「……当然か。それは普通、という意味か。確かに普通なら棺桶の中に死体はあるだろうな」

?君代先生は何かおかしな物言いをする。

普通なら?それならば普通じゃなければ棺桶の中に死体はないっていうのか?

えっと、つまり……

「何考えてるんだ、綾瀬?」

「え、別に……」

やっぱり何かおかしい。何がおかしい?わからないけどおかしい。

僕が思ったとおり、そこには死体は無いのか?

「……綾瀬。私の言ったことを深読みしてるんじゃないだろうな?」

「してないですよ」

本当はしている。僕はこの違和感の正体を必死に暴こうとしている。

……探偵か、僕は。

全く自分に呆れるよ。

「仮にだ。仮にあの中に死体が入っていなかったとする」

「え!?」

「バカ。声が大きい。それにこれは『もしも』の話だ。話半分に聞けばいい」

「はぁ」

「私は言う。『あの棺桶には死体が入っていない』と。綾瀬、お前はそれを信じる。恩師である私が言ったんだ。お前は素直に信じて、『あの棺桶には死体は入っていないんだ』と思う」

まだ一ヶ月とちょっとしか付き合いがない人物を恩師とは思えないが……まあ、スルーしておく。

「この場合はいいだろう。私が素直に信じる綾瀬同様に、真実しか言わない人間ならな。それでは仮にあの棺桶に死体が入っていたとする。お前は聞く『あの棺桶に死体は入っているんですか?』。私は答える。『あの棺桶には死体が入っていない』と。綾瀬、お前は素直に信じて、『あの棺桶には死体は入っていないんだ』と思う。バカなお前はそれを素直に信じてしまう」

「えっと、その……」

「つまりは私が答えたところでそれが真実だと言える証拠が何処にある?っていうことだ。それに私はその答えを知っているわけではないしな。綾瀬、お前はもう少し自分で考えて行動をしたほうがいい。何でも人に聞いて解決すると思ったら、それは大間違いだと思わないか?」

「……」

確かに……君代先生がその答えを知っているわけがないし、そして知っていたとしても真実を言うとは限らない。そんなことはわかっている。

わかっているのに、僕はどうしてそれを聞いたのか?

それは、本当にこれも僕の直感で恥かしいのだが……君代先生なら知っていると思ったからだ。

この妙な感覚の答えを、教えてくれると思ったからだ。

結果的には教えてくれなかったけど。

うーん。何なんだろう、この感覚は?

かけていた眼鏡を軽くずらして裸眼で棺桶を見る。

眼鏡のレンズ越しに人を見ると、その殺意は見えなくなる。どういうわけかは知らない。ただそういう事実がある。それで充分だ。

僕は大勢の人がいるところでは必ず眼鏡をかける。そうでないと多くの殺意が見え、狂ってしまいそうになるからだ。

裸眼で人を見れるのは良くて四十人。それ以上はきつい。

僕の左目は殺意は見えるが、千里眼や透視ができるというわけではない。だからこの裸眼で見るという行為は意味があるかと言われれば、そりゃない。

案の定殺意は見えない。当たり前だ。死体に殺意なんてものはない。

もしも八重樫先生が生きていて、そして棺桶の中に入っていたら、殺意は頭の上をふよふよと浮いているので棺桶から出ているのを見ることができるかもしれなかったが、そもそも八重樫先生が生きている状況って何だ?

僕は八重樫先生が『ドッキリでーす!!』と言いながら棺桶から出て行く様を想像したが、ありえないしそれに死んだ人間で冗談を考えるなんて不謹慎だと思い反省した。

……まあ、どうでもいいか。

例え棺桶の中に死体が無かったとしても、それは僕の知ったことではない。僕には関係ないことだ。

僕は再度棺桶を見た。

それは八重樫先生の身長から考えると、少し小さいような気がしたが特に気にはしなかった。


帰りも君代先生に送ってもらった。

僕と小鳥は、「駅まででいいですよ」と言ったのだが、君代先生は、「若いのに遠慮するな。ちゃんと家まで送ってやるよ。それとも何か?私がお前らを送ることによって『家に帰るのが遅くなる~。あぁ!昼ドラを早く見たいのにぃ!』とか考えると思ってるのか?私はそんなに小さな人間じゃない。お前たちも何も言わず素直に送られろ」と半ば強引に僕らを家に送ってくれた。

いや、感謝してますよ。本当に。

僕と小鳥の家は近いのだが、それでも若干は離れているため、小鳥・僕の順番で送り届けてくれた。

僕を家まで送ると最後に、「明日、多分朝に全校集会があるよ。今日葬式にこなかった生徒に黙祷させるために。全く、あんな奴のために黙祷なんてしなくていいと思うのにな!あぁ!あいつのために黙祷をしなければならないって考えると腹が立つよ!綾瀬、お前もそうは思わないか!?……ふん当り障りのない回答だな。つまらん。まぁ、いい。そういうわけだから、明日も遅刻せずに来い。じゃあな」と言って去って行った。

本当に素直で素敵な先生だ。性格に大いに問題がある気がするけど……

はぁ、しかし今日は長かった。ようやく家に着いたわけだ。

庭付き一戸建て。普通の家。僕の唯一休まる場所でもある。

「ただいま~」

もう柚子はとっくに帰ってきているだろうなぁ。那美姉もいるかもしれない。

玄関にて靴を見る。柚子のはある。那美姉のは無い。

帰ってきてるのは柚子だけか。ちょっと寂しい思いをさせてしまったかもしれないな。

僕はリビングでくつろいでいるであろう妹のところに行った。

予想通り、妹の柚子はテレビを見ていた。

「ただいま」

「……」

あれ?返事が無い?屍でもないのに返事をしないっていうのは変な話だ。

もう一度、「ただいま、柚子」と名指しで言ってみるも反応は変わらない。

「……」

無視?何故に?今ごろになって反抗期?今日の朝まであんなに仲良くしていたのに?何があったか知らないけど、ついに柚子も反抗期?

「えっと……柚子?」

「……」

僕の声は聞こえているようで、『柚子』という単語にピクリと反応はするものの顔は決してこちらに向けようとはしない。

「柚子……その、僕何か悪い事したかな?」

情けない兄である。恐る恐る、柚子の顔色を窺うように僕は訊いた。

柚子の顔がこちらに向く。

う、何故か知らないけど怒っていらっしゃる。

眼が言ってるよ。『自分の胸に聞いてみなさい』って。

「……さっき、お兄ちゃんに電話が来ました。もちろん自宅の電話に」

「へ、へぇ。誰から?」

「知らない人」

「……」

「女の人でした」

「誰だよ?」

「さあ?名前は名乗らなかったから……でも可愛い声の人でしたよ」

「……」

前にも言ったが僕に女の子の知り合いなんて家族を抜かせば小鳥ぐらいだ。

今日君代先生とも少しは話したけど、ともかく知り合いは異常に少ない。

大体名前を名乗らない知り合いなんて、僕の周りにはいないはずだけど……

「うー」

「な、何唸ってるんだよ?」

「お兄ちゃん!」

「はい!」

「私に内緒で新しい女の人をつくるとは何事ですか!?小鳥さんはいいですよ。彼女はお兄ちゃんに必要だと思う人だから。でも他の人はダメです!私絶対に認めませんからね!絶対の絶対に!」

「いや、その、ごめんなさい」

何で僕謝ってるんだろう?彼女にならまだしも、妹に。

しかもその電話してきた女の子というのも知らないのに。

はぁ、僕って弱い奴だよなぁ。

「それで、電話の人とはどういう関係なのですか!?」

「どういう関係って……僕はその電話の人っていうのが誰かもわからないのだけど」

「わからない!?ここに来てまだとぼけるつもりなんですね!」

「いや、とぼけるもなにも……」

僕は本当にわからないのですが。

「そんなに秘密にしたい人ですか。柚子には言えないぐらい大事な人ですか。柚子なんかよりその人のほうが大事ですか。そうなんですね。私は……いらない子なんですね」

自分で自分を追い込んで、そして柚子は目に涙を溜めていた。

「柚子は……ぐす……お兄ちゃんに必要とされてないんだ」

「あの、柚子……冷静に考えてほしいんだけど」

「何ですか?……ぐす」

「そんな秘密の人がいたら、普通は携帯に連絡をすると思う」

「……」

「……」

「……えっと、確かにそうですね。それじゃあ、お兄ちゃん」

「ん?何?」

「携帯のアドレスと着信履歴を見せてください」

恐ろしい妹だった。まあ、僕にやましいことなど無いので、自分の携帯を柚子に渡した。

「アドレスに……特に怪しい人はいないですね。着信履歴も柚子と小鳥さんばかり」

「そういうわけで、僕は無実なわけだけど……」

沈黙。一分半ぐらい沈黙。

やがて、柚子が顔を真っ赤にして、「す、すいません!柚子の勘違いでした!早とちりでした!柚子はバカなのです!嫉妬してたのです!思考がまともじゃなかったのです!許してくださいです!」と錯乱しながら言った。

うん。どうやらいつもの柚子に戻ったようだ。可愛い、可愛い。

「別にいいよ、柚子。僕は怒ってないし」

「で、でも柚子は怒ってたです!そのせいできっとお兄ちゃんは不快な思いをしたはずです!ごめんなさいです!柚子は、柚子は取り返しのつかないことを!!」

「いや、だから怒ってないし気にすることないよ。それよりも電話の人、何か言ってた?」

「何も言ってないです。ただ『真さんはいますか?』と訊いてきて、いないって答えたら『じゃあ、いいです』って言って切ってしまいました」

「僕に用事か……」

一体誰なんだろう?

宗教の勧誘とか、怪しい商品を売りつけるとか、そんなことだろうか?

僕はあまり気にせず、その後柚子が作ってくれたご飯を柚子と一緒に食べた。

やっぱり柚子が作るご飯は美味しかった。


次の日、僕は普通に目覚めた。普通に顔を洗って、歯を磨いて、着替えて、柚子が作った朝食を食べて、鞄を持って家を出た。

登校の途中で小鳥の家に行って小鳥と合流。いつも通りの朝。

いつも通りの登校風景。いつも通りの当り障りの無い会話。

いつも通り、何も変わらない普通の素晴らしい世界。

少なくとも学校に着くまで今日の僕の世界は普通だった。

僕の普通は自分の下駄箱を開けた時点で終了した。

かぱ。

「……」

停止。

「あれ?マコちゃん動きが止まってる?どうしたのかな?どうしたのかなぁ?」

小鳥が僕の様子をおかしく思ったためか、僕の背後から下駄箱を覗いてきた。

あ、まずい。

とりあえず、何故そのような物が僕の下駄箱の中に入っているのかは謎だが、それは置いておいて、何が入っていたかというと、手紙だ。

ピンクの封筒に入った……見た目ラブレターそのモノに見えなくもない。

いや、僕は思ってしまった。ベタベタだけど下駄箱にピンクの手紙。

普通の思考なら、ラブレターという答えに行き着くのが当然だ。

そう当然だ。

それを見た小鳥も当然にそれをラブレターだと思っただろう。

「……マコちゃん」

ごごごご……

うむ。昨日も感じた小鳥のプレッシャー。静かだが、確実に小鳥は怒っていた。

何か昨日からこんなのばっかりだ。厄週だろうか?

「落ち着け、小鳥」

「これが落ち着いていられるわけがないよ!何それ!?何それ!?ラブレター!?ラブレターなのかな!?」

「声が大きいよ、小鳥」

「声が大きくなるよ!自然とそれは声が大きくなるよ!浮気だぁー!マコちゃんが浮気だぁー!!小鳥に内緒で浮気だぁー!!」

昨日は妹に、今日は彼女に僕の無実を証明しなければいけないのか?

もう、何かめんどくさいからとりあえず放っておこうかな?

周りの視線は痛いけど。

「しかし……誰からだ?」

心当たりは全くない。

封筒の裏を見てみると、『綾瀬真君へ』としか書いていない。普通自分の名前も書いておくべきでは?

封を切って中を見てみる。

「あぁー!!開けたよ!!ついに開けたんだよぉ!!何かなぁ!!何が入っているのかなぁ!!」

やけにハイテンションになる小鳥さん。半分怒っていらっしゃるのでテンションがかなりおかしい。

何が入ってるって……手紙だろ?もちろん。

そして案の定手紙が一枚、そこには丸文字でこう書かれていた。

『今日の放課後、屋上で待っています』

べたべただった。故に……

「告白だ!!マコちゃんが告白されちゃう!!大変だよ!食い止めなきゃ!彼女の私が食い止めなきゃ!ダメだよ!!マコちゃん、行っちゃダメなんだからね!行ったら、柚子ちゃんと那美お姉ちゃんに言っちゃうんだから!そしたら、マコちゃん大変なんだからね!……あわわ!大変だあぁ!何とか、二人にばれないようにしないと!!」

よっぽど混乱しているらしく、小鳥は自分で柚子と那美姉にばらすと言っておきながら、その後起こる惨事を想像し、今度はそれをどう回避するかを考えているらしい。

とりあえず、小鳥は落ち着くまで放っておこう。余計なことを言えばまた話がこじれることは間違いないからだ。

手紙をもう一度確認してみる。

やはりそこには差出人の名前は一文字も書いていなかった。


僕には親友はいないし、バカをやりあうような友達もいない。

自分でも結構うまくクラスメイトとは距離を保っていると思う。

つまり、今朝のラブレターが誰かのいたずらで、僕が放課後になって屋上に行ったら『ドッキリでしたー!ぷっぷぷー!』ということはないと思う。

僕と小鳥が付き合っていることも皆知っているわけだし。

それならこの手紙は誰が出したのだろうか?

謎だ。

こう自分の前にわからないことが転がっているというのは思いのほか気持ちが悪い。

僕は差出人が誰だか知りたかった。

別に可愛い子だったらラッキーとか思ったわけじゃない。僕には小鳥がいるしね。

僕は純粋に知りたかった。

誰がこの手紙を出したのか?そして一体何のために僕を呼び出そうとしているのか?

告白、だと小鳥は思っている。僕も最初は考えた。でも即座に否定。僕はそんなに人間的に魅力があるとは思えない。自分で言うのもなんだけど。

小鳥以外には本当に仲がいい友達なんていないんだ。端から見れば変なやつだろう。

そんなやつに告白?ありえない。

じゃあ、何で僕を呼び出すんだ?もしかして入れる下駄箱を間違えたとか?一番ありそうな回答だな。

いや、待て待て。確認したじゃないか。封筒の裏に『綾瀬真君へ』って書いてあるのを。

しっかりしろよ、僕。

小鳥ほどではないにせよ、僕も実は混乱しているんじゃないだろうか?

情けない。こんな紙切れ一つで何を悩んでいるんだ、僕は。

小鳥は僕に行って欲しくないようだ。朝、この手紙を見つけたときからそれは窺える。今も昼休みで一緒に昼食を取っているのだが、やはり会話の内容に手紙のことは入れてこない。故意にそれを外しているようだ。

小鳥はおそらく怖いんだ。僕が屋上に行って、どのような回答をするのかが(小鳥は告白と100%信じている)。

僕は小鳥のことが好きだが、小鳥はそれを確かめる術は僕の言葉と態度しかない。所詮人の心は見えたり読めたりするものじゃない。心が通じ合わないから、不安なのだ。

だから、小鳥は放課後の話はしない。先延ばし、嫌なことは先延ばし。後に回せることは後に回す。そうして今を楽しもうとしている。だけど、それは無理矢理であるから、ぎこちなさは隠せない。

何かギクシャクした空気が僕らを包んでいた。

やっぱり、この問題は早く解決するべきだと思う。

僕のこの手紙に対しての回答は決まっているわけだし。

「そのから揚げおいしそうだね。もらっちゃダメかな?ダメなんだろうけど、ダメかな?」

「なぁ、小鳥……僕はやっぱり行くよ」

「……うわ、小鳥の言ってることを当然のようにスルーして、自分の意見だけを述べたんだよ。自分勝手だよ、マコちゃん」

「そうかもしれないね」

「小鳥は……行ってほしくないな」

「うん。わかってる」

「……不安なんだよ。マコちゃんのこと信じていないわけじゃないんだよ?でもね、不安なの。この不安はきっとマコちゃんにはわからないんだろうなぁ」

「ごめんね」

「マコちゃんは……もう決めたんだよね」

「……うん。小鳥は告白だと思っているけど、僕はそうは思わない。誰かわからないけど……もしかしたらこの手紙の主は僕を必要としているかもしれないし……でも、本当の理由は違うんだ。僕は単純に嫌なんだよね。わからないっていうことが」

「そんな格好つけて……へんだ。テストの点は悪いくせにぃ!」

「一応、赤点ではないんだけどね」

その後僕は小鳥に「ごめんね」と謝った。

「ずるいよ。マコちゃん、そう言えば小鳥が断れないの知っててさ」

「うん」

「いつでもそうだったよ、マコちゃんは。『これだ』って決めたらいつも意見は曲げないんだよ。でも小鳥をできるだけ傷つけないようにいつも『ごめんね』って一言謝るんだよね?いつもそうだもんね?」

「うん。そうだね」

「小鳥は本当は行ってほしくないよ。でもマコちゃんが決めたことだもん。決めたことだもんね。だから……行ってらっしゃい。マコちゃん」

「うん。行ってくるよ、小鳥」

僕は放課後、屋上に行くことにした。


突然だけど、今日は金曜日だった。週休二日制のおかげで明日は休み。そのせいか、放課後になってもクラスメイトは土日の予定について話し合っているものが少なくはなかった。

そういうわけで僕は屋上に行くのをもう少しだけ待つことにした。もしも手紙の主が僕を呼んだのは告白のためであったら、僕はもちろんそれを断るつもりでいる。その際に人が残っていて、その現場を見られた場合いろいろと後始末が大変になりそうだからだ。

まあ、多分告白じゃないとは思っているんだけど。

手紙の主には悪いけど、もうちょっと待ってもらうことにした。

そうして十分後……僕のクラスには僕以外誰もいなくなった。

頃合だろう。

僕は屋上に向かった。

東北宮高校の屋上は高いフェンスが設置されており、一般の生徒にも開放している。

僕もたまにだけど小鳥と昼食を食べる時に利用する。

また放課後は夕陽が綺麗だから、やっぱり告白によく利用されるらしい。

……確かに今日はいい天気だったから、夕陽も綺麗に見えることだろう。

考えすぎだよ、きっと。

屋上への階段を一歩一歩、上る。

あれ?何でだろう?胸がドキドキと高鳴っている。

おかしいな?緊張しているのか?僕らしくもない。可愛い女の子だったらどうしようとか思っているのか?よくわからない。何で鼓動が早くなっていくのかがわからない?

……ロ!

一歩上がるごとに、鼓動は早くなる。本当に、屋上に近づくことで僕の身体が反応しているように。

ヤ…ロ!

ついに屋上へと続く扉の前まで来た。ここまで来ると僕の心臓はおかしいんじゃないかってぐらい、弾んでいた。

呼吸も乱れていた。自分でもわかった。僕は何故か口で呼吸をしていた。まるで酸欠状態のように……僕は空気を欲していた。

自分の体がおかしい?

僕はノブに手をかけて……

そして扉を開けた。

開けた瞬間僕は自分に起こっていた現象を理解した。

僕は人より、殺意というものが見えるせいか、気配というものに敏感だった。殺意を見なくても、誰かが自分に殺意を向けてくるのが感覚でわかったのだ。

最近は……僕は自分というものを出さなくなったから、他人が僕に向ける殺意は減ってきていた。いや、むしろ0に近い。

僕は忘れていたのだ。その気配に。

身体は正直に気付いていたのに、頭ではわからなかったのだ。

ドアを開けたその向こう……そこには長い黒髪の小さな少女が立っていた。

そしてその横には……少女よりも遥かに大きい両刃の剣がふよふよと浮いていた。

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