???視点 憎き者
目の前で両親を殺された。
風が強い日だった。木窓がガタガタと揺れて、家がミシミシと言っている。
両親と朝食を食べているときだった。強い風が扉や窓を開け放ち、両親の頭と胴体が離れ離れになったのは。
「え?」
正直、何が起きたのか理解できなかった。
赤い液体が顔にべちゃりと降りかかる。それが血であることを認識するのに少し時間がかかった。
服の袖で顔を拭ったら、テーブルを挟んだ向かいに座る二人の顔がどこにもなかった。鋭利な刃物で斬られたかのように、綺麗に両断されている。
両親の頭は床に転がっていた。
再び吹いた強い風に、俺は椅子ごと倒れて背中を壁に強打した。
「いてて……へっ?」
風が収まってようやく顔を上げると、家の壁も扉も窓も屋根もどこかへ行って視界が開けていた。
玄関扉があったところに、四十代後半くらいの女の人がいる。風はその人を中心に発生していた。
女の人がこちらに手をかざす。足元の床が激しい音を立てて真っ二つになり、俺は宙高くまで飛ばされた。
そこからの記憶はない。
「やっと起きたかい。今日からアンタの名前は『ルドルフ』さ。アタシのために死ぬまで働くんだよ」
白髪交じりの女は俺を見てそう言った。
「違う、俺の名前は……」
「黙りな」
反論しようとしたけれど、彼女のその一言でなぜか喉から声が出なくなった。
「アンタはルドルフとして生きてくのさ。今までの名前は忘れな」
命令されてもすぐに忘れられるものではない。目を閉じればすぐに両親が自分を呼ぶ声がよみがえる。ここに来たばかりの頃はまだ自分の名前を覚えていた。
だが、この谷間は人との交流がほとんどなく、女――賞金稼ぎから谷の魔女と呼ばれているらしい――に命令されて行動するだけだ。
他にも捕らえられた人はいるが、命令遂行中は私語厳禁だし、夜になると別々の檻に入れられる。
食事は一日二回の配給の他に、谷間で見つけたものなら食べていいことになっている。だが、魔女の魔力のせいなのかこの地が特殊なのか、大半が毒を持っているので食べない方がいい。
中にはこの生活から逃げるためにあえて毒を食らった人もいたが、死ぬこともできずに何日も苦しんでいた。そんな状態でも谷の魔女は命令してくるから、ここには死という救いすらないらしい。
「この荷物を運びな、ルドルフ」
「ルドルフ、剣の指南役を呼んだから剣術を覚えるんだよ」
「賞金稼ぎがアタシの縄張りに入ったねぇ。ルドルフ、どうすればいいかわかってるよね?」
奴の命令に逆らえない俺は与えられた指示に従い続けて、谷の魔女に挑む者から濃霧で迷子になった旅人まで多くの人を殺めた。
ルドルフと呼ばれる度に本当の名前が遠ざかっていき、今では思い出すことができない。元からルドルフと呼ばれていたような気さえしてくる。
両親の顔も故郷の景色も忘れた。生まれたときから谷間にいたと錯覚する日もある。
それでも谷の魔女への怒りや憎しみが消えることはなかった。
俺が名前を忘れたのも。
両親の顔を思い出せないのも。
故郷と離れることになったのも。
当たり前に続くと思っていた日常が崩壊したのも。
命令に逆らえず手を血で染めるのも。
奴に従って生きる以外の道がないのも。
全て谷の魔女のせいだ。
奴が憎くて憎くて仕方がない。殺そうと思った日はほぼ毎日だし、実行に移そうと剣を振るったのも一度や二度ではない。
だが、剣先が奴に届くことはなかった。
動けないでいる俺を見て、谷の魔女は嘲るような笑みを浮かべる。
「飼い犬が主人を攻撃できるわけないだろう? 何でこんな簡単なことを理解できないんだい。……あぁ、アンタは犬じゃなくて狼だったか。どちらにせよアタシには傷一つつけられないさ」
ひたすら剣術を学んで谷の魔女の殺害を試みて失敗し、心臓を鷲掴みされるような痛みと戦いながら生き続けた。
「アンタを元の村へ返してやろう」
ある日突然奴はそう言って、俺を見知らぬ地に運んで姿を消した。
ようやく自由の身になれたのかと思った。木になっている実も美味しそうな見た目をしているので食べてみたら、毒はどこにもなくて。
これが自由なんだと一心不乱に口に運んでいたら、急に引きずり降ろされて鞭で背中を何度も叩かれた。
あの木は塀の内側にあった。谷間に生えているものは誰のものでもなかったが、集落に生えるものは誰かのものだから勝手に食べてはいけない、と。
この年で知らないは嘘だろ、王都に出荷予定だったのに何してくれるんだ、と言われたが本当に何も知らなかったのだ。
あのときあの女の人が通りかからなかったら、俺は人の所有物を勝手に食べた罪で投獄されていたかもしれない。
「その子をこれ以上傷つけるのをやめなさい!」
他の人は見て見ぬ振りをするなか、彼女だけは足を止めて振り上げられた鞭を止めてくれた。
「ボロボロの服と薄汚れた姿を見ればわかるでしょう、彼は浮浪児であると。空腹で死ぬ寸前の者が木の実を見つけてたら、たとえ人の物とわかっていても食べてしまうのは仕方のないことかもしれません」
「テレージアさん……」
薄い紫色の髪をした女の人はテレージアという名前らしい。
「わたしがこの子が食べてしまった分を支払いますし、引き取り手がなければ孤児院で責任持って育てます。ですからどうか、怒りの矛を収めてください」
「……そこまで言うなら仕方ないか。二度とこんなことにならないように躾けてくれ」
村人達は去っていき、俺とテレージアと呼ばれた女だけが残った。
テレージアが屈んで俺と目線を合わせる。
「初めまして、わたしはベルーナ村孤児院長のテレージアよ。あなたの名前は?」
「……ルドルフだ」
「偉大な狼という意味ね。とても素敵な名前だわ」
谷の魔女が俺のことを時々「狼」と呼んでいたが、その理由が今やっと理解できた。飼い主にも噛みつこうとする俺は確かに犬より狼に近い。
「他に行く宛がなかったらこちらにいらっしゃい。あなたと同じくらいか少し下の子ども達と一緒に生活するの。孤児院を出ても生きていけるように、文字の読み書きや計算などの最低限のお勉強、就職のお手伝いもするわ」
どうかしら? とテレージアが微笑む。その笑みはどこか温かみがあって、口の形は似ていても谷の魔女の嘲笑とは別物だった。
誰かに命令されたわけではない。自分で何かを決めるのはいつ振りだろうか。奴が俺をこの地に送った理由は不明だが、ここなら自由に生きられるかもしれない。
「……案内しろ」
「嬉しいわ、これからよろしくね。みんなにお披露目する前に身体を綺麗にして髪を短く切って……」
孤児院に着くなり服を脱がされて井戸の水で全身を洗われたり、長らく放置していた髪を切られたり、柱に背をつけて身長を測られたり、丁度いい大きさの服を着せられたり……人前に出るのにこれほど時間がかかるとは思わなかった。
「みんなが待っているわ。いってらっしゃい」
案内された部屋に行くと俺より少し年下くらいの奴から大人に抱かれてミルクを飲んでいる赤子まで様々な子どもがいた。
俺と同い年の奴は見当たらない。ガキと馴れ合うつもりはないので、自己紹介も遊びの輪に加わることもしなかった。それでも近づく奴には唸ってやる。
ここなら自由を得られるかと思ったが、何をやるかは時間で決められているようだ。やはり俺には外での暮らしが合っていると抜け出そうとしたが、失敗に終わる。
エマが布団を抜け出す音に気づき、目の前で姿が消えても待ち続けたおかげで、外に出る方法と冒険者になるという目標ができたのは朗報だ。
そして孤児院を抜け出す日が来た。王都を目指す途中のクノール村で、俺は久々に奴の声を聞いた。
『アンタの目の前にいる魔女を殺しちゃ駄目だ。一緒に冒険者になってその子の動向を見張りな』
命令を拒もうとしたら胸の激しい痛みに襲われたので、了承せざるをえなかった。
ベルーナ村にいたエマとカイ、クノール村で新たに仲間に加わったレオとソフィ。それに俺を加えた五人で王都へ向かう。門番に追い返されたが、俺は抜け道の存在を知っていた。
谷の魔女を国外追放した国にあった脱出路の名残りらしい。奴は復讐のために国を崩壊させたが、一番殺したかった者はその秘密の脱出路を通って逃げた。そして、魔女が去ったら同じ地に国を復活させたと。
四百年も前の話だから今でも残っているのか知らなかったが、探せばすぐに見つかったし、最近使用された痕跡があった。知らない道もたくさんあったが、頭の中にある地図を頼りに冒険者ギルドに辿り着く。
それからは怒濤の日々だった。剣の腕を買われた俺は色んな冒険者パーティーに入れてもらい魔物討伐に精を出し、街中でも荷物運びや草取りのように体力のいる依頼をこなした。
メンバー全員が十歳になってからは狼の集いだけで依頼をこなすように。稼ぎを五人で分けるから当然贅沢な暮らしはできず、だが毎日が刺激と冒険に満ちていて、求めていた自由を実感できた。
だが、楽しい日々が何年も続くことはない。かつて家族を目の前で失ったことを忘れかけていたが、谷の魔女の声で思い出した。
『久し振りだねぇ、ルドルフ』
「……何の用だ」
『数年振りなのに素っ気ないねぇ。ま、別にいいけど』
頭の中で直接響く声。周りには聞こえないが、凶悪な顔になってしまうので人目につかないところで奴の声を聞く。
『命令だよ、ルドルフ。というより、アンタは用済みだ』
「は?」
『明日アンタ達をグラオヴォルフの群れが襲う。殺さないよう手加減させるが、アンタが怪我して冒険者を辞めるのは確定だよ』
「待て、俺の人生を勝手に……」
『あの子の監視には別の人をつけるから、アンタは戻って来な』
好き放題言った奴の気配が消えた。
やはり俺には自由というものがないようだ。ソフィに出会わなければ、普通の冒険者として生きることができたのだろうか。いや、谷の魔女に出会った時点で俺の人生は奴が決めるものになった。
何をしようとすべて奴の手の平の上。
だから俺は谷の魔女を、いや魔女という存在全てを憎んでいる。




