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四 買い出し

 翡翠が家に来てからはや一週間。俺は悩んでいた。

 全く情報がないのだ。

 あれだけの特徴をもっているのにも関わらず、ニュースはおろかネットにもかすりやしない。白髪? 青眼? 長髪? 美少女? 一言もない。あるのは、もちろん黒髪(時に茶髪)の人やこれ、家出じゃね? っつー感じの人、どこどこ出身者のみ。まず記憶喪失という点からキツいのに、特徴が言われていないとなると、俺たちはもうお手上げだ。家の人は、実の子供がいなくなってどう思っているのだろうか。もしや、行方不明届などを出せないほど複雑な事情があるのだろうか?

 出会ったときの服装こそシンプルだったものの、彼女の行動や家事の仕方などはしっかりとした家柄で育ったことを示している。料理は上手いし、片づけや洗濯物干しなどもきちんとできる。彼女のおかげで、俺の生活はぐんと楽になった。


「やっぱ、外に出した方がいいかなぁ……」


 俺は一人で呟いた。とはいえ、天井が答えてくれるはずもなく。

 翡翠を、外に出したことは一度もない。買い出しは今まで通り俺か時々琳だし、学校にも通わせていない。彼女を家から出さない方がいいという考えが変わらなかった。言ったら面倒くさくなりそうだし、父さんにも言っていない。でもこうなったら、周りに翡翠の存在を知らせた方が情報は集まりやすいかもしれない。

 あぁ、でもなぁ……俺の予感って、当たるんだよなぁ。いや、マジで。これはうぬぼれじゃない。本当に当たるんだ。自覚したのは小学生のころから。小学三年生の運動会の前日、ふと明日は絶対に雨だと感じて、無駄だから早朝の前日準備をサボった。雨だったら運動会は延期になり、教室で通常授業をする予定だった。雨が降るなら、どう考えても前日準備は無駄になる。そうしたら本当に雨になって、延期。教室で意気消沈している他のクラスメイトと共に退屈な授業を受けた。それに、中学二年生の修学旅行の日、絶対に事故が起こると感じてどうにかバスを遅らせようと無断でトイレにこもったら(無論用を足していたわけじゃない)そのバスが通るはずだった高速道路で、通るはずだった時間に玉突き事故が起き、五人が重軽傷を負った。まぁ、どちらも先生にこっぴどく叱られたけど。偶然だと言うかもしれない。でも、これ以外にも例がある。信じてくれなくてもいいけど、とにかく俺は勘がいいんだ。

 俺は、ソファの上でうーんと伸びをした。琳と翡翠は上で仲良く話をしているらしく、ときおり笑い声が聞こえる。翡翠はスタイルが良く(何せ身長に胸に琳にはないものをもっているし)また気性が極めて穏やかで優しい。琳が気に入るのも当然だ。いいお姉さん、とでも思っているのだろう。でも、もしもこの先翡翠の記憶が戻って彼女が元の自分の家に帰ってしまうとしても……琳には悪いが、彼女の記憶は何が何でも取り戻されなければならないと俺は思う。絶対に、翡翠を待つ人はいるはずだから。いなくなって、悲しんでいる人はいるはずだから。


「よし」


 とりあえず、買い出しに一緒に行ってみよう。他のことはそれから考えることにする。

 階段を上がり、琳の部屋の前に立った。こんなに楽しそうに話しているところに水を差すのは可哀想だが、仕方がない。暗くなる前に行きたいし。

 右手を上げ、ノックをしようとした時、中の声が聞こえてきた。聞いちゃまずいか、ととっさに足が逃げようとしたが、それよりも先に内容がわかってしまう。


「ねぇねぇ、どうやったらそんなに大きくなるの?」

「そうねぇ……」


 琳、そんなに背丈のことを悩んでいたのか……翡翠の身長は一六〇から一六五㎝くらい。琳からしたら大きいのかもしれない。俺は何だか切ない気持ちになった。


「ちょっと触らせてみてよ!」


 触らせて? ああ、頭か。ん、頭に触らせて?


「い、嫌よ」

「いいじゃん、あたし小っちゃいからさ、おっきいの触ってみたい! どれくらい柔らかいの?」


 ……うん、まずかった……。


「な、何言ってるの?!」

「ぷー、翡翠のケチぃ」


 家庭に女が二人以上いる家庭は大変だ。琳もついに面倒くさい思春期になったんだな……そう冷静を保つために思いながら、俺はそのまま足音を立てないように自分の部屋に行き、部屋着から外へ出て行ける服に着替えた。そして今度は何も聞かないようにしながらドアをノックした。


「どうしたのー?」


 琳が部屋の中は見せたくないのか、顔だけ覗かせて聞いた。まずい、さっきのことのせいで直視できないぞ……。


「翡翠と買い出しに行ってくる。琳も来るか?」

「うん! 翡翠、お買い物に行こう!」

「お買い物……?」

「あー、説明しとくから下で待っててね!」


 琳はそう言ってドアをばたんと閉めた。ドアの前で取り残された俺は、頭を掻いて階段を下りた。

 五分くらいしてから、琳が階段を下りてくるドタドタという音が聞こえた。


「おまたせー!」


 見慣れたチェックのパーカーにショートパンツを穿いた琳。後ろから、帽子を被り、琳の薄水色ワンピースにスキニーを穿いた翡翠が下りてきた。翡翠には丈が足りなくて、スキニーを穿くことになったのだろう。そのスキニーも足りていないところがまた面白いが、二人とも可愛い。にこにこと二人で話している様子を見たら和んでしまって、思わず微笑んだ。両手に花、だな。


「じゃあ行くか」

「うん!」


 家から歩いて十分ほどで着くスーパーは、今日が日曜日なこともあって混んでいた。特におばさん方が多いのはいつも通り。翡翠が珍しいものを見るようにきょろきょろと首と眼を動かしている。まあ、実際記憶喪失として珍しいのだろう。


「今日は何買うの?」


 琳が俺を見上げた。俺はカゴを取って左手に持つと、ポケットからメモを出した。


「一番大切なのは卵だな。タイムサービスで何とか手に入れよう。あと、塩のストックが……」


 琳にいつものように説明していると、翡翠がにっこりとしていることに気が付いた。


「どうした?」

「ふふ、何だか夫婦みたいだなって」

「何言ってんだよ」


 俺はハハハと笑った。こいつが妹でよかったと思うことはあるが、それ以上の感情はない。

 でも笑ったのは俺だけで、琳を見ると、ちょっと頬を染めてうつむいていた。


「琳?」

「……何でもない! 早くしないとタイムサービス始まっちゃうよっ」


 そう言うと、琳は大きく腕を振って卵のコーナーに歩いて行ってしまった。


「何だろな、あいつ、たまにああいう顔するんだ」

「琳にも思うことがあるのよ」


 その時の翡翠は、慈愛に満ちた女神のような表情をしていた。


「まあいいか、俺たちも行こうぜ」

「どこへ……? 琳が行ったのはそっちじゃないわ」

「ああ、俺たちは肉のタイムサービス。今日の晩飯、野菜炒めな」


 俺たちは肉のコーナーへ歩き出した。でも、何だか今日はいつもよりさらに人目が気になる。


「ねぇ、あの女の子、モデルさんみたい!」

「となりの人も見てみてよ」

「あの子、時々見かけるのよね。顔立ちは良いんだけど」

「怖そう」


 くすくすと笑い声が聞こえた。翡翠の美人加減に驚く人たちの好奇の視線。ついでにと言わんばかりに凡人の俺も見られるのが恥ずかしい。翡翠が怯えたように身体を縮こまらせている。


「気にすんなよ、すぐ慣れる」


 十七年生きてきて、未だに人に見られることに慣れていない俺が言うのも何だけど、安心させた方がいいと思った。案の定、翡翠はちょこっと微笑んだ。

 それからが大変だった。

 ぽっちゃり系とやせ形に二極化している、ガツガツした性格であるおばさんたちの波に押しつぶされそうになりながら何とか肉のパックを取ろうと奮闘する。タイムサービスは家計にとってはありがたいが、これが大変。何とか背丈を生かして二パック取れた――と思ったら、翡翠とはぐれていたんだ。


「翡翠ー?」


 俺は焦った。記憶のない彼女が一人なのは危険すぎる。スーパーを歩き回るうちに、琳と合流した。琳も翡翠が自分からどこかへ行くはずはないと驚いているが、人波ではぐれたのだろうと手分けして探し回ることにする。急いで会計を済ませ歩き回る。どこ行っちまったんだ?


「あ!」


 いた。店の表に。

 でも、周りに人がいる?


「おねぇちゃん可愛いねぇ」

「その髪の毛めっちゃ綺麗ー、どこで染めたのー?」


 ガラの悪いヤツら。男に絡まれてんのか。翡翠の性格からして強く拒めないんだろう。群がる男たちの隙間から、壁に背をつけながら怖がっている翡翠が見えた。

 俺は大きく前に足を踏み出した。でも、それよりも先に。


「おいおい、なーにやってんだよー」


 翡翠の前で楯として立ちはだかった影。その顔には見覚えがあった。


「はぁ? 何だよお前」

「そんな寄ってたかって何がしたいんだよー」

「お前には関係ないだろ、そこ退けよ」

「困ってんじゃねーか。やめてやれって」


 半分ふざけたような表情。でも目は真剣で。


「そんな髪の毛おっ立てたって、女はホイホイついてくもんじゃねーぞ?」


 彼がにやりと笑ったその時、一人がキレたのか、腕を振り上げた。

 俺はとっさにその腕を掴み、男を睨んでいた。


「やめろ」


 俺を見て、そいつらはなぜか足早に去っていった。


「おー、匡!」


 新しい高校で出来た、人生で一番仲のいいヤツだった。同じサッカー部に所属していて、俺が来る前までは部内のエースだったので、名前が一也かずやということもあり、みんなからのあだ名はもちろんカズである。彼の右手には白いスーパーの袋。この近辺に住んでいるとは知っていたが、まさか同じスーパーを利用していたとは。


「カズ、ありがとな」

「おう! でもまぁおれも、こんな別嬪さん見たら口説かずにはいられねーけどな。それにしてもあいつらの逃げ様、見たか? めっちゃくちゃかっこ悪かったよなー!」


 アハハハと屈託なく笑うカズ。さっきの真剣な目とは大違いだ。日本人なのになぜか灰色の瞳が彼の頭の回転のよさを代弁しているように感じる。


「大丈夫か、翡翠?」

「ええ、私は平気。えっと、あの……」


 頃合いを見計らった翡翠がカズに話し掛ける。


「ん? ああ、礼ならいいよ、もうこいつからもらったから」


 そう言って頭を掴まれ、あまり背が高くない彼と同じ身長にさせられた。こいつはよくスキンシップを取り、特にこのやり方が多い。


「なあ、そういえばお前らどういう関係なんだ? まさか付き合ってるとか?」


 カズが不思議そうに聞いてきて、俺はぎくりとした。道端で拾った子とは言いたくない。というより、言わない方がいいだろう。翡翠も狼狽えている。


「いや、こいつは俺の従妹で、翡翠っていうんだ。俺たちと同い年」

「翡翠です。先ほどはありがとうございました」


 何とか平静を装って言うと、カズはへぇ、と頷いた。


「よろしく、翡翠ちゃん。俺は西村一也≪にしむらかずや≫。カズって呼んでくれ!」

「あ、お兄ちゃん!」


 聞き慣れた声に振り返ると、琳が走って来ていた。


「翡翠、見つかったんだね! よかったぁ。あれ、そっちの人は?」

「お、これが噂の妹ちゃんだな! おれは匡の親友で、カズってんだ。君は?」


 カズがにこにこしながら言ったので、琳もあまり飾らずに答えた。親友、という紹介文句に思わず嬉しくなる。


「はい! 琳祢って言います。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」

「おうおう。何だよ匡ぁ」


 そう言うとカズは俺の耳元に口を近づけた。俺も耳をすませる。何を言われるかと思えば……。


「こんな可愛い家族に囲まれてるなんてずるいぞ、おれにも分けろ!」

「無理だろ、それ」


 思わず人を笑わせるのがカズの得意技だ。


「なあ、翡翠ちゃんって高校どこなんだ? っていうか、ここらへんに住んでんの?」


 興味津々すぎだろ?! でも確かにそうだ、この歳で高校に行っていない人はあまりいない。ど、どうやって取り繕えばいいんだ――。


「翡翠は帰国子女なんだ。外国の学校を辞めてこっちに帰って来て、今は俺ん家に住んでる」


 危ねぇ危ねぇ。これで納得しただろ。ふーん、とカズが頷いた。


「じゃあじゃあ、俺たちの高校に来るのか?」

「え?」

「日本に帰ってきたんだろう? 高校、通わないのか?」


 カズ、面倒くさいところ掘り下げんな!


「あ、ああ、そうだな」


 気圧されて思わず頷いてしまった。嘘に嘘が重なると、こういうヤバい事態になるんだな……。


「よっしゃあ、楽しみにしてるぜ。じゃあおれ、これからサッカーの試合見に行くから、また学校でな! 翡翠ちゃん、琳祢ちゃん、バイバイ!」

「ばいばーい!」

「ありがとうございました」

「またなー」


 カズが手を振って走って行く。その背中が角を曲がって見えなくなると、俺は肩を落とした。


「面倒くせぇことになった……」

「学校って、なぁに?」


 頭の上にはてなマークが三つ出ている翡翠を見て、さらにため息をつきたくなる衝動を抑え、琳に説明を任せてとりあえず会計を済ませた。夕方になって、空がオレンジ色に染まり始める。

 エコバッグを肩にかけ、三人並んで道を歩く。他愛もない話をしながら。琳が主軸の、穏やかな時間だ。

 ふと、視線を感じて振り返った。

 誰もいない。一瞬黒い影が角に見えた気がしたが、気のせいだろ。


「ねぇ、お兄ちゃんってばぁ」

「ん?」


 甘えん坊の琳がバッグを持っていない方の袖口を掴む。ちょっとでも話を聞かないとすぐこれだ。でも、こういうところも愛らしかった。

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