82. 精霊の宝石箱
急いでシンクレアを止めようとするヒューイットの脇で「あっ」とフェリシテが頭上を見上げる。
その声につられて上を見たヒューイットとイルサンは蒼白になった。
――階段状になった断崖の10mほど上から、ひと抱えはありそうな大岩と大小の石が転がり落ちて来るではないか。
一瞬固まるが、我に返ったヒューイットが素早くシンクレアを岩壁から引き摺り下ろし「早く、岩陰へ!」とイルサンと共に落下地点から離れた岩を指定して追いやる。
慌てて振り返ると、フェリシテがまだ上を向いたまま突っ立っていたので「何をしている!」と手首を握って引き寄せたが、フェリシテはそれに抗って上空を指差した。
「それが……ウサギも落っこちてきているんです」
――――はあ⁈
冷や汗を浮かべながらフェリシテの指す方へ目をやったヒューイットは、落石に追われる様にして岸壁を落ちて来る小さな茶色い毛玉を認めて目を剝いた。
どれだけ視力が良いんだとフェリシテの動体視力に恐れをなしつつ、息を呑む。
考える時間は無い。
「――分かった。私が受け止めるから、君もそちらの岩陰へ走れ!」
博士達がいる方へ誘導するが、フェリシテが走るより岩の落下速度が勝っていた。
ポーンとボールの様に弾んで手のひら大に丸まった子ウサギが目の前に飛んで来たのをヒューイットがキャッチすると、間髪置かずに大岩が足元に激突し、ヒューイットはウサギを抱えたまま破片を避けて飛び退った。
次々落ちて来る大小の石も躱しながら、フェリシテを心配して首を巡らすと、フェリシテも器用に石を避けている。
ホッとしている内に小規模で終わった落石は凄まじい音を立てながらも数十秒ですぐに収まり、剣の攻撃をかわす要領で凌いだヒューイットとフェリシテは、何とか無事に無傷で全ての落石をやり過ごすことが出来たのだった。
「伯爵!フェリシテ嬢!大丈夫ですか……⁉」
上空の安全を確認し、服の埃を払ってウサギを岩盤の上に放したヒューイットとフェリシテの元へ、博士達が顔を強張らせて駆け寄る。
フェリシテもピンピンしている事に安堵しつつ、息を整えたヒューイットが、全員の無事を確認して「問題ありません」と答えた時だ。
ぶん、と奇妙な浮遊感と共に空気が震えた。
――今まで経験した事のない微細な音が鼓膜を震わせ、圧を伴った風が足元から背筋を通って天へ駆け抜ける感覚に4人が辺りを見回す。
何だ⁈と警戒する中、踏みしめていた岩盤の下方から、一斉に白く透明に光る何かが大量に出てきて煌めきながら天空へ舞い上がった。
まるで重力に逆らう白い花びらの花吹雪の様な物に4人が呆気に取られていると、シンクレアが「――カゲロウじゃありませんか、あれ?」と、天へ遠ざかっていく”何か”を指差して言った。
「カゲロウ⁈では、あれは新種じゃないだろうか?白いと言うとコナカゲロウだが、今の虫の羽は半透明で真珠の様な光沢じゃありませんでしたか?」
「新種……⁈それは凄い! ――ハッ!そう言えば、先程見つけた釣り鐘型アザレアはどこにっ⁉」
イルサンが興奮して言った言葉に反応したシンクレアだったが、重要な事を思い出して岸壁へ走る。
落石騒ぎの直前に発見した珍しいアザレアは、土ごと落石に吹き飛ばされたのか跡形も無く生えていた場所から消えており、シンクレアは言葉を失い魂を飛ばしてしまった。
「博士……お気の毒に……」
そっと涙を拭って見守るフェリシテの隣で、ヒューイットが落石で命の危険があった事よりも、植物が消えた事に衝撃を受けているシンクレアに困惑する。
ヒューイットはシンクレアを慰めるべきかとソワソワしていたのだが、友人の落胆そっちのけでカゲロウに興味が出て調べていたマイペースなイルサンが、断崖の下を覗き込みつつ、わあっと歓声を上げたのを耳にして振り向いた。
「……皆さん、こちらに来て下さい!こちらの岸壁に階段があって、カゲロウが出て来たと思われる亀裂に通じていますよ……!これ、岩盤の下側に何かあります……‼」
イルサンの言葉に4人が反応する。
たちまち復活したシンクレアが真っ先にイルサンの元へすっ飛んでいったのを見て、フェリシテとヒューイットも置いて行かれない様、急いで後に続いた。
*
4人が登って来たイチイの木が導く山道の、丁度反対側。
自分達が立っていた岩盤の端に隠れる様にして、岩盤の下方へとノミで削ったと思われる立派な階段が彫られてあった。
なだらかな半円形のカーブを描く岩盤に沿って下へ続く階段は十分な足場があるだけでなく、落下しない様に壁も備えており、外部から階段があると悟られない様にもなっている。
「凄い――この階段部分は花崗岩質の岩です。これは蛇紋岩と違って崩壊し難い。良く出来ています――いや、何て事だ、これは単なる花崗岩層では無い――この足元に在った岩盤自体が巨大スカルン鉱床になっています……!」
先程からイルサンが興奮が止まない様子で解説し続けている。
「何です、この層は……蛇紋岩と花崗岩が巨大な石灰岩と接した境界になっていて、方解石脈と石英脈、金脈が幾重にも走っています――凄まじい鉱脈層だ……!」
普段はマイペースな紳士と言った印象のイルサンの高い熱量に、他の3人にも唯ならない緊張がひしひしと伝わって来る。
ついに岩盤の亀裂に辿り着いた一行は、縦2m横1m程の亀裂の内部に思い切って足を踏み入れ――そして内部を見回すと、声を発するのを忘れて放心した。
足元は人工的に平らに削られており、歩き易くなっていたが、両脇と天井部分は手が入っていない天然の岸壁に囲まれている。
奥行きは約5~6m。最初は細かった回廊が、奥に行くにつれ幅が広がって行き、突き当りに辿り着くと、高さ4m、直径3m程の小規模な広間のある洞窟となっていた。
驚いた事に洞窟内部は灯が無くとも薄明るい。
何故かと思って目を凝らすと、背後の入り口から入り込む外界の光だけでなく、我々の頭上――洞窟の最奥の壁の天井の一画に約50㎝の亀裂穴が開いていて、突き当りの壁面中央の穴から湧き出した清冽な湧水が細い滝になっているのを照らし出していたのだった。
その滝はそのまま岩盤の床に開いた小さな穴に吸い込まれて行き、どうも足元の岩盤の下にある地下空間に溜まっているらしく、微かな水音が聞こえる。
さっき見たカゲロウは、恐らくこの下にある水場にいたのが、落石の衝撃に驚いて羽ばたき出たものと思われた。……だが4人は、あのカゲロウがただのカゲロウでは無く、他人へ話したら馬鹿にされるかもしれないが、自分達をここへ導くための物では無かったかと思い始めていた。
――――それ程までに、ここは神がかった光景が広がっていたのだ。
最奥の黒い岩肌からこんこんと湧く澄んだ湧水が、差し込む幾筋もの細い光線に照らし出され、その反射光が洞窟内を清浄な淡い光で染めている。
小さな水晶みたいな水滴をのせた苔が湧水を守る様に取り囲んでおり、光に手を伸ばしているかの様なシダも湧水の周りに生い茂り、その苔の隙間に星形の小さな花を鈴生りに咲かせたカンパニュラ(白花糸シャジン)が仄かな光を浴びて静かに佇んでいた。
カンパニュラは妖精と縁の深い花である――暗闇に閉ざされた洞窟内でひっそりとい息づく一本の白く可憐なカンパニュラは、まるで精霊の女王の頭上を飾る星の冠のごとく荘厳で凛とした威厳に満ちて、そこに鎮座していた。
人間の目には見えない妖精の女王が見守るかの様な洞窟内で、息を潜めてカンパニュラに見惚れた4人は、無数の煌めきに取り囲まれていた。
呆然と顔を上げると、湧水に弾かれた光を受けて瞬く様に輝くデマンドイトガーネットの結晶が壁面一杯を滴る様に艶やかな翠緑で埋め尽くしていた。
澄み切った新緑の鮮やかな翠緑色にため息が漏れる。
薄暗がりの中でも光を失わずに輝く結晶の輝きに、4人は魅入られた様にその場から動けなかった。
――驚くべきことにこの洞窟はただの洞窟では無かった。
煌めいているのはデマンドイトガーネットだけではない。
そのいくつかの隙間に透明な結晶と雪の様に白いローズカルサイトが澄んだ雪色の華を咲かせ、さらに金の粉を振りまいたようにキラキラと輝きを放っていた。
僅かな光を、洞窟内のあらゆる鉱石が反射している。
辺りは翠緑と白と金色で輝き、世界中の様々な地下に潜ったイルサンすらも見たことのない夢の様に幻想的な美しい光景が一面に広がっていて4人を魅了した。
暫くして恐る恐る石に触れたイルサンが、感動と畏れの入り混じった溜息を吐いて、深呼吸してから口を開く。
「……薔薇状の白い方解石の間からデマンドイトガーネットが確かに認められます。そしてガーネットの母岩となっている方解石中に、恐らく金と見られる黄金の粒が共生している様です……」
何これ?としか言いようが無い。何しろイルサンも初めて目にする奇跡的なものだ。
「……これはまた美しいですね……白い小さなバラの花に金の粉を振り舞いて石にしたみたいです。その花の間からのぞく凄艶な瑞々しい翠緑色のデマンドイトガーネットの結晶の美しさが筆舌に尽くしがたい――」
ヒューイットが声を潜めて呟いた言葉が全てを物語っていた。
洞窟の内部は、一面の煌びやかなデマンドイトガーネットの結晶で覆われていた。
ここまで大量で大粒の艶やかな深い翠緑色は滅多にお目にかかれない。
僅かな光をも取り込んでさんざめく輝きはまさにデマンドイト(デマンドイトはダイヤモンドのごとく輝くものと言う意味)特有の石の内側から発される反射光、虹色のファイアであった。
それだけでもとんでもない発見なのに、ガーネットが生じている周囲の石、方解石が水晶のような透明と雪の様な白色で結晶化しており、光沢を放つ氷と小さな純白の薔薇の花の形状となっていた。
さらには方解石の内包物として砂金が取り込まれたらしく、氷のような結晶や薔薇状の結晶の所々で粒状の金が散りばめられ、まるでこの洞窟は神か妖精が密かに創造した芸術品を集めた宝石箱だった。
*白いローズカルサイトは実在していて、海外ではエンジェルウイングカルサイトと
呼ばれています。




