言いがかり 4
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支配人が可哀想だから、わたしはヴィルマにお願いしてお茶を運んでもらった。
一息入れないと、支配人の心臓が止まりそうだもの。
ヴィルマもヴィルマで機嫌が悪いけど、お茶をお願いしたら素直にホテルのスタッフに頼んでくれる。
真っ青だった支配人の顔も、温かいお茶を飲んだからか少し落ち着いてきたようだ。
とはいえ、まだ顔色は悪いのだが。
「ギューデン伯爵様は、その……、アラトルソワ公爵令嬢がヒメルを逃がしたのだから、責任を取って逃げたヒメルを捕獲すべきとの一点張りでして。アラトルソワ公爵令嬢にイルカの保護施設への入館許可を与えた私どもにも責任があるので、ヒメルが見つからない場合は、オークションの落札価格の十倍の額を慰謝料として支払うようにとおっしゃって……」
「十倍⁉」
ってことは、ええっと、いくらだ……?
落札額は二十四億三千八百万マルスだから、ゼロを一個増やして……二百四十三億八千万マルス? よね? ね?
計算が苦手なわたしはちょっと怪しいけど、ゼロを足せばいいだけだから、たぶんあっていると思う。
……って、二百四十三億八千万マルスって何を考えているのよ!
「また吹っ掛けてきましたね。公爵領の年間予算額に相当しますよ」
え? うちって年間にそれだけ予算があったの?
きょとんとすると、お兄様が苦笑する。
「調べればわかる額だから隠す必要もないけど、これは我が領の税収だね。我が家の事業で得られるお金は別だ。それは公爵領の運営費ではなく我が家のポケットマネーになるからね」
公爵家の直轄地以外に、他の貴族に管理を任せている土地の税収も含めての領地全体の税収でしょうけど、びっくりするような金額ね。国に支払った後で残った税収だから、税収はもっと多いんでしょうけど。
……まあ、ポルタリア国は王家が管理している土地と、公爵家が管理している土地で大きく六つの区分けがされているから、それを考えるとこんなものなのかしら?
要するに、日本を六つに分けて、その一つの税収って考えれば……うん、別におかしい額じゃないわよね。
って、公爵領の年間予算を慰謝料で吹っ掛けるなんて、ギューデン伯爵はなんて無茶なことを言うのかしら!
「ひどいですよ、そんな額、払えるはずがないじゃないですか!」
わたしが憤慨すると、支配人が弱り顔で「はい」と頷く。
「このホテルを売っても足りません。とはいえ、ヒメルを捕まえるのは……」
「無理かな?」
「いえ……。イルカはだいたい決まった場所で暮らすので、何事もなければヒメルはこの付近の海にいるはずです。時間はかかりますし大変でしょうが、目立つ色をしているので、見つけられないことはないと思います。ですが……」
湯気の立つティーカップを両手で持ち、支配人が視線を落とす。
「オークションにかけておいてなんですが、ヒメルは……このまま見つからない方がいいのではと思ってしまうのです」
イルカの保護施設の赤字を補填するためにヒメルをオークションにかけた支配人だけど、彼はきっと後悔しているんでしょうね。
もしかしたら、オークションで競り落とした人が、ヒメルを大切に可愛がってくれると思っていたのかもしれない。
オークションの司会者は剥製だなんだと好き勝手なことを言っていたけれど、それが支配人の意思だとは思えないもの。だって、イルカが好きだから保護施設を作ったんでしょう? そんな人が進んでイルカを殺して剥製にすることを薦めるなんて思えないわ。
けれど、蓋を開けてみたら、ヒメルを落札したのはギューデン伯爵だった。
彼はヒメルが弱ることがわかっていて王都へ移送し、見世物にするつもりでいる。弱って死んだら剥製にして、またこれも見世物に。
支配人としても、思うところはあっただろう。
しかしこのままでは保護施設の赤字を補填するどころか、ホテルを売っても支払いきれない多額の負債を抱えることになる。
ギューデン伯爵がわたしがイルカを逃がしたと言いがかりをつけたこともあるだろうけど、弱り果てて助けを求めに来たのかもしれないわね。
公爵家なら、もしかしたら何とかしてくれるかもしれないって。
……でもねえ、ロンベルク島はうちの領地じゃないから、できることも限られると思うの。
ここはクリュザンテーメ公爵が管理している土地なのよ。
クリュザンテーメ公爵領内にある、ロンベルク伯爵の領地なの。アラトルソワ家が勝手に介入して好き勝手出来る場所じゃないのよね。
だから本来、支配人が相談すべきはロンベルク伯爵なのよね。
そして、ロンベルク伯爵の手に負えなければ、伯爵を通してクリュザンテーメ公爵に相談を持ち掛けてもらわなくてはならない。これが正しい方法なのよ。
けれど支配人は、ロンベルク伯爵をすっ飛ばしてうちに相談に来た。たぶんこれにもわけがありそうね。たとえば、過去にイルカの保護施設への援助をお願いして断られたとか?
わたしでもなんとなくここまでは想像がつくけど、じゃあどうするのがいいのかはよくわからない。これはお兄様判断になるだろう。
お兄様が難しい顔で唸った。
「ギューデン伯爵はグレックヒェン公爵派閥だな。グレックヒェン公爵領内に領地がある。……また面倒なところにあるものだ」
グレックヒェン公爵ってことはラインハルトのお父様ね。ラインハルト、わたしを目の敵にしているからなあ。ルーカス殿下にいろいろ迷惑をかけたから……。
わたしがそんなことを思っていると、お兄様がそっと息をついた。
「オルヒデーエ伯爵をうちの派閥に移すときに無理を聞いてもらったからな。ギューデン伯爵を窘めに行けば、また領内の貴族のことに口を出すのかとか言い出しそうだな」
ああ、そっち!
てっきりわたしがラインハルトに嫌われているからかと思ったわ、ほほほ。そうよね、いくらなんでも、公爵ともあろう人が、息子の私情で動くはずがないわよねえ。……うちの家族は動きそうだけど。
「クリュザンテーメ公爵を味方につければいいが、それにはまず、ギューデン伯爵の言いがかりには何の根拠もないことを証明しなくてはならない。だがこれはこれで難しいね。やったという証拠はないが、やっていないという証拠もない」
うぅ……。
そうよね。
そして、いくらなんでも公爵領の年間予算額に相当する慰謝料を、ぽーんと支払うのは無理がある。お兄様がお父様に相談しても、首を縦には降らないだろう。二十四億だったらあるいはなんとかなったかもしれないけどね。
「やはり、一思いに……」
「ヴィルマ、だからそれはだめだ。そもそも一思いになんてぬるい。真綿で首をしめるようにじわじわと苦しめる方がいい」
お兄様あああああああ‼
ああっ、支配人が白目を向いちゃった‼
お兄様のそれは冗談に聞こえないんですよ! お願いですから、もっと心臓に優しく話してください! 笑えないジョークなんていりませんからっ!
お兄様は忌々しそうに舌打ちした。
「仕方がない、ひとまずギューデン伯爵と話してみるか。マリアはしばらく部屋にいなさい。もし廊下とかでギューデン伯爵に遭遇したら何を言われるかわかったものじゃないからね。マリアに直接嫌味でも言われたら、温厚な私もヴィルマも冷静でいられなくなる」
いえ、あなた方二人はいつ温厚でしたか?
温厚と言う言葉を辞書で引きなおしたほうがいいんじゃないかしらと思ったけれど、わたしもこれまででいろいろ学習しましたからね。
もちろん、お口チャックで黙っておきました。





