言いがかり 3
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午後になって、外出の支度をしていたわたしたちは、けれども出鼻をくじかれることになった。
弱り顔の支配人が部屋を訊ねてきたのだ。
「何かありましたか?」
支配人がわざわざ部屋まで訪ねてくるのは珍しい。お兄様が怪訝そうな顔で彼を部屋の中に通し、ソファに座るように勧めた。
「それが……、その、イルカの飼育施設が、壊れたのです」
「え?」
わたしが驚いて声を上げると、支配人は慌てて手を横に振った。
「いえ、イルカたちのほとんどは無事です。嵐の気配を感じたので屋内のプールに移しましたから。ただ……」
支配人が、ちらりとわたしを見て、視線を落とした。
「ロイヤルブルーのイルカ……ヒメルだけが、いないのです。飼育員によればプールに移すときにはすでにいなかったそうで、今朝になって海側の施設の網に大きな穴が開いているのが見つかりましたので、そこから逃げたのではないかと」
「逃げた……そう、ですか」
支配人には申し訳ないけど、わたしはそれを聞いてホッとしてしまった。
また誰かに見つかり捕獲されてしまう危険はあるかもしれないが、ヒメルは王都に運ばれやがて剥製になる未来から逃れることができたのだ。よかった……。
「事情はわかりましたが、どうしてそれをわざわざ?」
お兄様はますます怪訝そうな顔になった。
確かにそうね。イルカの保護施設が壊れたとか、ヒメルがいなくなったとか、わたしたちには関係のない話よ。出資者でも何でもないもの。
もちろん、イルカたちが無事で、ヒメルが逃げたと聞けて安心したけど、支配人がわざわざそれをわたしたちに報告にくる義務はないのよ。
わたしは単純に、報告に来てくれるなんて親切ねなんて能天気に考えいたけれど、お兄様の疑問ももっともである。わたしたちが支配人に訊ねたのならわかるけれど、訊ねる前から報告にくるなんて何か裏がありそうだわ。
……ふふふ、わたしも少しは賢くなったのかしら。きっと何かの企みとか下心があるんだわって気づけたもんね。
もしかして、アラトルソワ公爵家にイルカの保護施設に出資してほしいとか、そういうお願いかしら。経営難だというし、壊れた施設を修繕する費用がないのね、きっと!
……お兄様、イルカたちのためだもの、いいわよね?
わたしが拳を握り締めてお兄様を見つめると、何故かお兄様は残念な子を見るような目を向けてきた。どうしてかしら。
「支配人。回りくどいのは好みません。単刀直入に、私たちに報告に来た理由を教えてください」
だから、出資してほしいんじゃないの?
支配人はポケットからハンカチを取り出すと、額の汗をぬぐう仕草をした。気づかなかったけど汗びっしょりね! 暑いのかしら?
「ジークハルト、部屋が暑いみたいです。窓を開けてもいいですか?」
「お前が口を開くと話がややこしくなりそうだから、少しの間お口チャックで頼むよ」
それはどういう意味かしら? 支配人が暑そうだから提案したのに。
でも、お兄様に逆らうと睨まれそうだから、仕方なくわたしはお口チャックで黙っていることにした。
支配人はハンカチで汗をぬぐったあと、それをぎゅうっと膝の上で握りしめて、ちらちらとお兄様に視線をやりながら答えた。
「それが、その……、ギューデン伯爵様が、保護施設を壊してヒメルを逃がしたのは、アラトルソワ公爵令嬢ではないかと騒いでおりまして……い、いえ! 私はもちろんアラトルソワ公爵令嬢を疑ってはおりません! お客様を疑うなんてそもそもあり得ませんし、あの保護施設が簡単に破壊できるとは思えませんしっ!」
お兄様の目がすぅっと座ったのを見て、支配人が顔を真っ青にしてぶんぶんと首を横に振った。
暑いから窓を開けようと思っていたけど、お兄様のおかげで部屋の温度が急激に下がった気がするわ。隣に座っているわたしも、がくがくぶるぶるしちゃうわよ。お兄様のその顔、怖い……。
チキンなわたしは、自分が疑われているらしいことより、お兄様の反応の方が恐ろしくてそちらばかり気になってしまう。
「へえ、ギューデン伯爵がそんなことを?」
ひっ! 声まで低いわ! これは本気でお怒りモードよ‼
……ヴィルマー! ヴィルマーッ! ヘルプミーッ! 今すぐわたしをこの部屋から連れ出してっ!
ぷるぷる震えながらヴィルマの姿を探したわたしは、何故か部屋の隅でどこかから取り出した短剣の手入れをしている彼女を発見した。
……あんた何やってるの?
短剣を、きゅっきゅと乾いた布で磨き、きらりと光る刃の切れ味を確かめるように軽く親指で触れているヴィルマ。
……あんたまさか今から誰かを殺りにいくつもり? 怖いんですけどっ!
なまじ有能なだけに、ヴィルマのその行動はマジで怖い。今ここで音もなく支配人のクビを切るくらいしてのけそうなのだ。
すると、わたしの視線に気づいたのか、ヴィルマが何故か無表情で口端だけ持ち上げて笑った。あの、その顔はじめて見るけど、あれ、ヴィルマ怒ってる?
「ジークハルト様。わたくし、ちょっと用事が」
「ヴィルマ、気持ちはわかるがギューデン伯爵への報復はあとだ」
報復っていったああああああああ‼
あんたその短剣でギューデン伯爵を本気で殺りにいくつもりだったわけ⁉
……ヴィルマ! なんであんたまでキレてるの‼ いつもなら『さすがお嬢様、どこに行っても騒動を起こしますね』なんて言って揶揄って来るところじゃないの⁉ ええ⁉
ああ、見なさいよヴィルマ! 支配人なんて蒼白になって震えてるじゃないの!
ヴィルマはお兄様にストップをかけられてチッと小さく舌打ちしている。こいつ、マジでギューデン伯爵をどうにかするつもりだったのか……。
「イルカの件でお嬢様を泣かせただけでなく疑いまでかけるなんて、許しがたいです。お嬢様が他人に泣かされるのは非常に腹立たしいので。大丈夫です、証拠は残しません」
その理屈だと自分が泣かすのはいいみたいに聞こえるからやめて。
「支配人が聞いている時点でアウトだ」
お兄様も、支配人が聞いていなかったら許可を出したみたいに言わないで。
この二人の沸点が低すぎてわたしは自分が疑われているのも忘れてドン引きしてしまう。
支配人なんて蒼白を通り越して顔色をなくしちゃってるじゃないの!
絶対これ「もしかして私消されちゃう?」とか思っているわよ! これ以上は支配人がショック死するから‼
不穏な空気を漂わせる二人はてんで役に立たないと、わたしはお兄様からお口チャックを言い渡されていたのを無視して支配人に訊ねた。
「あの、支配人、どうしてわたしが疑われているんでしょう」
「それはおそらく、嵐の前にあの保護施設を訪れたのはアラトルソワ家の方が最後だったからだと思われます」
「おや、それだとマリアだけに疑いが向くのはおかしくないですか? 私やヴィルマも一緒だったんだがね。ついでに護衛の騎士たちもです」
「そ、そうなのですが……その」
「支配人、先ほども言ったが回りくどいのは好きじゃない」
お兄様、支配人を脅さないで上げてください!
冷ややかなお兄様に睨まれて、支配人がすくみ上っていますから!
支配人は膝の上でぎゅっぎゅとハンカチを絞るように握りしめて、だらだらと額に汗をかく。
「こ、これはあくまで、ギューデン伯爵様がおっしゃったことなのですが」
「もちろんわかっていますとも。支配人に悪意がないことは。続けてください」
お兄様、もう少し容赦してあげてよ。
さっさと言え、と促されて、支配人が観念したように答えた。
「ギューデン伯爵様がおっしゃるには、その……、アラトルソワ公爵令嬢は非常に我儘なので、自分がイルカを落札できなかったことを根に持ち、嫌がらせのためにヒメルを海に逃がしたのだろう、と……」
「へえ?」
ひいいいいいいっ!
お兄様の周りの温度がまた一段と下がった気がしますよ!
「さすがはあの無礼な令嬢の伯父だな、無礼度合いがそっくりだ」
「無礼な令嬢?」
何のことだと首をひねっていると、お兄様があきれ顔をする。
「お前、まさか気づいていなかったのかい? ギューデン伯爵は学園のオリエンテーションのときのお前を馬鹿にした子爵令嬢の父方の伯父だ」
わたしを馬鹿にした子爵令嬢……あー、そんな子もいたかしら?
オリエンテーションの班は、わたしとお兄様、アレクサンダー様、そして一年生の伯爵令嬢と子爵令嬢だった。
そのうち伯爵令嬢ツェリエはヴォルフラムのオルヒデーエ伯爵家に多大なる迷惑をかけたボールマン伯爵のご令嬢だ。ちなみにボールマン伯爵は身分が剥奪され処刑が決まっており、ツェリエの方も同じく身分が剥奪されて修道院に送られていた。
……へえ、もう一人の子爵令嬢……確か、カーヤ・パラッシュって言ったかしら? 彼女とギューデン伯爵って身内だったんだ……って。
あれ、ちょっとまずくない?
オリエンテーションのあと、お兄様はお父様に二人のわたしへの対応をチクって、それぞれの家に苦情を入れた。しかも、大々的にそのことを社交界で吹聴して回った。
おかげで、公爵家を敵に回したとして、肩身の狭い思いをしていると思う。
……うちの家族、敵だと思ったら容赦ないからね。
その子爵令嬢がギューデン伯爵と姪と伯父の関係。お兄様の沸点が下がるはずだわ。ついでにヴィルマも。
「それで支配人。ギューデン伯爵は何を言ってきたのかな? もちろん、私のマリアがイルカを逃がしたと言いがかりをつけてきただけでは、ないんだろう?」
「ひっ」
とうとう支配人が我慢しきれず悲鳴を上げた。
うんそうね。もうね、お兄様の怒り具合は、魔王が降臨したレベルよ。部屋の温度が氷点下まで下がった気がするわ、夏なのに! 今すぐ毛布にくるまりたい気分よ。気のせいだろうけど!
わたしは、今にも気を失いそうな可哀想な支配人と、笑顔で大激怒し部屋の温度を(心情的に)冷凍庫並みに下げるお兄様を見比べて、そっと息を吐き出した。
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ベリーズファンタジー様から発売している書下ろしノベルの「ちょっと留守にしていたら家が没落していました 転生令嬢は前世知識と聖魔法で大事な家族を救います」の紙コミックス①巻が10月24日に発売されました!
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すっごくにぎやかで楽しいコミックスにしていただいていますので、チェックしていただけると嬉しいです(*^^*)
どうぞよろしくお願いいたします!
作品詳細
タイトル:ちょっと留守にしていたら家が没落していました 転生令嬢は前世知識と聖魔法で大事な家族を救います①
出版社 : スターツ出版
レーベル:ベリーズファンタジーコミックス
発売日 : 2025/10/24
ISBN-10 : 4813765017
ISBN-13 : 978-4813765011
あらすじ:
【没落上等!大好きな家族を救うため、この困難乗り越えてみせます!!!】 「借金10億円…!?」 1年間の留学を終え、久しぶりに我が家に帰ってきたマルガレーテ。しかしそこには、もぬけの殻となった空き家が…。どうやら投資に失敗し、借金の担保であった屋敷と領地を取り上げられてしまったらしい。 (ポンコツだけど)愛おしい家族のため、借金返済を決めたマルガレーテは、前世知識を生かしてアイディアグッズを作ることに!第一弾は皆がよく知るアレで――…!? 笑いあり、涙あり(?)のハートフルファンタジー、ここに開幕!










