嵐 7
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ちょっと長めです。
万が一にも頭から水をかぶっても透けない服に着替えたわたしは、お兄様とヴィルマと共に島の東側の海岸へ向かった。
どうやらそこにロイヤルブルーのイルカが捕らえられているらしい。
飼育施設は海の一部を仕切って外に出られなくしている、いわば巨大な水槽で、陸からの入り口は一か所しかなかった。
その一か所の入り口には警備員なのか兵士なのかわからない武装した男性が四人立っていて、それだけで中にいるイルカがどれだけ厳重に守られているのかがわかる。
……何と言っても二十四億越えのイルカだからね。
あまりの金額に度肝を抜かれたけれど、お兄様に言わせれば、王都のオークションであればその数倍の値段がついていてもおかしくなかったそうだ。
観光地で、旅行客相手のオークションだからこそこの程度の金額で入札できたのだという。
お兄様は事前に話を通してくれていたのか、入り口にいる男たちに手紙のようなものを渡した。
男たちが敬礼して入り口の扉を開けてくれる。
「この施設のオーナーに聞くとね、どうやらここは怪我をしたイルカを保護して治療している場所なんだそうだよ」
入り口をくぐれば、警備を担当していた男たちの中の一人が案内を買って出てくれた。ここから少し歩くそうだ。
歩きながらお兄様が言えば、警備の男が肩越しに振り返る。
「ええ、オーナーは無類のイルカ好きでしてね。怪我をしたイルカを治療し海に返したり、怪我が癒えても自然に返せないイルカの面倒を見たりするためにこの場所が作られたんです」
「そう、なんですか……」
それなのに、どうしてその大好きなイルカをオークションにかけたのかしら。
わたしのそんな感情が顔に出ていたのか、警備の男は困った顔をして笑った。
「オーナーも苦渋の決断だったようですよ。……野生動物の保護は、綺麗ごとだけでは運営できませんからね。資金も莫大かかる。ホテルの運営費だけではとても賄いきれません。カジノを作ってみたりとオーナーも手を尽くしたようですが借金がかさみ……、ま、そんなところです」
なるほど、そのときに偶然ロイヤルブルーのイルカを発見し、オーナーは施設の借金返済のためにそのイルカを捕らえてオークションにかけることにしたのね。
でもそれなら……、この保護施設の運営をどうにかすれば、イルカはオークションにかけられることもなく、今も悠々と大海原を泳いでいたのでしょうね。
「ジークハルト……」
「無理だよマリア。あのイルカの存在が知られる前ならいざ知らず、もう知られてしまった。この施設の運営に手を貸したところで、あのイルカはどうすることもできない」
「そう、ですよね」
交渉事が得意なお兄様がオークション落札者からイルカを買い取れたとしても、そのイルカを海に返せばまた誰かに捕獲される。オークションでとんでもない額がつくと知られてしまったのだ。見つければ一攫千金とばかりに、イルカは人々に追い回されるだろう。
せめてオークションに出品される前にわかっていれば、お兄様なら秘密裏にどうにかできたかもしれないのに。
往生際悪く、どうにかできないかと考えてしまうわたしを、お兄様は叱らなかった。
仕方がない子だねと頭を撫でて、歩みが遅くなったわたしの手を引いてくれる。
十分ほど歩くと、楕円型をした大きな海の水槽に到着した。
ここからは飼育員さんの一人が案内してくれるようで、警備の男は頭を下げてから去って行った。
「オーナーからお話を聞いております。あたしは飼育担当のペトラです。この施設には六人の飼育担当と、二人の獣医が勤務しています。他に、顧問の魔法医がいます」
「へえ、魔法医を顧問にしているのか」
お兄様が感心したように頷いた。
医者と魔法医はこの世界では似て非なるものである。
医者は薬師と近くて、薬学を用いて人々の怪我や病気を治す。
それに対して魔法医は治癒魔法を用いて怪我や病気を治すが、普通の医者と違って、彼らの治療に対する対価は恐ろしく高い。
その魔法医を顧問にするなんて、魔法医のレベルにもよるけど、月額金貨数十枚はかかるのではなかろうか。中級の治療魔法が使える魔法医でそれであるので、もし上級の治療魔法が使える魔法医なら、月額金貨百枚以上だろう。もしかしたらもっとかも。
……魔法医の頂点に君臨するホルガー・ラヴェンデル様は、正直言って金額はつけられないのよね。青天井よ。どうして城勤めなんてしてるのかしら。
城勤めはいわば公務員だ。相応の報酬は用意されているだろうが、民間で働いていたほうが何倍も、下手をしたら何十倍も儲かるだろう。というか「エリクサー」一本で一生遊んで暮らせるレベルなのだ。
まあ、ホルガー様はあまり儲けを気にしない人なのかもしれないけれどね。
なにせ、結婚祝いにぽーんとエリクサーを贈ってくれた人である。びっくりだわ、ほんと。
話を戻すけど、そんな高額な報酬を取られる魔法医を顧問にしているなんて、ここのオーナーのイルカ好きというのは本物なのだろう。
ペトラさんの案内で、わたしたちは海を仕切った水槽に近づいた。
「あの奥には扉があって、そこから治療を終えたイルカを海に返したり、逆に怪我をしたイルカを引き入れたりします。囲いの下は網になっていて、海の水が自然と循環するようになっているのでイルカたちも自然に近い環境で過ごせます。網の目は手のひらサイズくらいです。小魚は入って来れますが、サメや海の魔物は入って来られませんので、怪我をしたイルカが襲われることはありません」
ペトラさんが水槽を覗き込むと、イルカがすぅ~っと泳いできて顔を出した。
ペトラさんはイルカの口元を撫でながら続ける。
「小魚が入って来られるようにしているのは、この子たちに野生を忘れさせないためです。怪我をしているのであたしたち飼育員がご飯をあげますが、それに完全に慣れてしまうと野生に帰れなくなってしまいます。そのため、自分たちでも好きな時にご飯を食べれるようにしてあるんですよ」
ペトラさんが喋っているときに、奥の方で何かがきらりと光った。
何だろうと目を向けると、目が覚めるような鮮やかな青色の背びれが海の上に飛び出していた。
ペトラさんがわたしの視線を追って、少し悲しそうな顔をする。
「あの子がロイヤルブルーのイルカです。あたしたちはヒメルと呼んでいます」
ヒメル……空、ね。
ヒメルはすーっと、まるで水の抵抗を感じさせないような優雅さで楕円の水槽を半周しわたしたちの元にやって来た。
先にいたイルカと同じようにひょこっと頭を出し「ごはん?」と言いたげに軽く首をかしげる。目は藍色で、くるんと大きくて可愛らしい。
「ヒメル、あなたは元気なんだから自分でご飯を採れるでしょう」
ペトラさんが苦笑しつつ、近くのバケツに入れてあった魚をヒメルの口に入れてやると、彼は嬉しそうに前足(ひれ?)をパタパタさせた。
隣のイルカが「ぼくには?」と言いたそうな顔を向けて、ペトラさんが彼にもご飯をあげると、次々にイルカたちが集まって来る。
ちょうどご飯時にお邪魔してしまったのだろうか。
「せっかくだから、ご飯あげてみますか? 濡れてしまうかもしれませんけど」
「いいんですか?」
イルカにご飯! ぜひあげてみたい。
ペトラさんがバケツを一つわたしの前に置いてくれて、ご飯のあげ方をレクチャーしてくれる。
「イルカが口を開けるので、その中にぽんと放り投げてください」
「わかりました」
わたしが頷くと、ヒメルがすいすいとわたしの前に泳いで来た。
そしてぱっかりと口を開ける。
……か、可愛い……。
悶えながらわたしが口の中に魚を入れると、ごっくんと飲み込んだ彼はまた口を開けた。
二匹、三匹と魚を口の中に放り投げていると、次々にイルカが集まって来る。
……ちょ、ちょっと多いわ。
わたしは一人しかいないのだから、一度に口を開けられても困るのだけど。
どうしようと悩んでいると、そばで成り行きを見守っていたヴィルマが「僭越ながら」と言ってわたしの側のバケツを抱え上げ――
シュバババババ!
手元が見えないくらいの素早さで、ヴィルマが的確にイルカの口に魚を入れていく。
……あんた、本当に何者よ。
また新しいヴィルマの特技を知ったわ。いえ、何の役に立つのかわかんないけど。
優雅なイルカの食事タイムだったのに、なんだかサーカスを見に来た気分になるのは何故かしら。
お兄様もペトラさんも呆気に取られているじゃないの。
「餌やり完了しました」
「完了しましたって……あーっ! あんた全部あげちゃったの⁉」
少しは残しておいてよ! まだあげたかったのに‼
やり切ったと言わんばかりのドヤ顔をしているけど、褒めないわよ‼ わたしの分だったのに!
しょぼーんとしていると、ヒメルが「どうしたの?」と言いたそうに首をかしげている。
うぅ、慰めてくれているのかしら。優しいのね、ヒメル。
わたしがヒメルに癒されていると、お兄様がご飯をあげ終えたペトラさんに話しかけているのが見える。
どうやらヒメルの引き渡しの日程を確認しているようだ。
……そうよね、あなた、オークションで落札されちゃったのよね。
そうとは知らないヒメルは、無邪気そのものに見えた。
人間の都合で捕らえられてここに閉じ込められ、そしてオークションにかけられてしまったというのに……。
なんとかしてあげたい。
でも、お兄様が無理と判断した以上、ぽんこつなわたしの頭ではどうすることもできなかった。
お兄様と話しているペトラさんが、悲しそうな声で「五日後です」と言ったのが聞こえてくる。
五日後か……。
五日後、この子はどうなってしまうのだろう。
気になって、ヒメルにばいばいと手を振ってお兄様の側に向かう。
ヒメルはわたしにばいばいと手を振り返すと、すーっとまた泳いで行った。
「イルカを落札したのはギューデン伯爵ですね。あのイルカをどうするのか何か聞いていますか?」
そう言えば、そんな名前だったわね。
途中からショックで茫然としていたから、最終的に誰が落札したのかうろ覚えだったわ。
お兄様の質問に、ペトラさんは泣きそうな顔をした。
「……王都に、運ぶとお聞きしています。移送手続きをしてほしいと」
「王都にって、かなり距離がありますよね? 一部の区間を転移魔法陣を使ったとしても、相当な距離を馬車で移動することになりますけど……」
わたしが驚いて声を上げると、ペトラさんがこくんと小さく頷く。
「おそらくかなり弱るでしょう。もしかしたら移動中に死んでしまうかも……。ですが、あちらとしては生きていたら王都で死ぬまで展示して、死んだら死んだで剥製にして展示するからいいと……」
……なにそれ。
わたしの頭にカッと血が上った。
けれど、声を上げる前にお兄様がわたしの肩を掴む。ハッと顔を上げると首を横に振られた。
……そう、ね。ペトラさんに向かって怒っても仕方がないわ。
むしろ彼女も、その決定に悲しんでいるのだ。その上わたしが不条理な怒りをぶつけてはいけない。
でも、ペトラさんが言ったことが本当だったとして、そんなことが許されるのかしら。
……ギューデン伯爵はお金儲けのことしか考えていないんだわ。
だがそういう考えの貴族は多い。ギューデン伯爵もそのために大金をはたいて落札したのだ。
すでに彼のものになっているヒメルに、わたしたちができることはない。ない、のだけど。
わたしはぎゅうっとお兄様の腕にしがみついた。
誰かにしがみついていないと泣きそうだったからだ。
「……だから連れてきたくなかったんだよ」
お兄様がぽつりとつぶやく。
ヴィルマがそっとわたしの背中を撫でてくれた。
「帰りましょうお嬢様。……ここにいればいるだけ、お嬢様がつらくなるだけです」
珍しく優しい声を出すじゃないの、ヴィルマったら。
やめてよ、必死に泣きたいのを我慢しているのに、優しくされたら泣いちゃうじゃない。
ここで泣いたりしたらペトラさんを困らせるだけなんだから、我慢しないといけないのよ。
わたしは何度か瞬いて涙を抑えると、ゆっくりと顔を上げる。
ぽつりと何か冷たいものが頬に当たった。
……雨?
空は晴れているのに、珍しいこともあるものね。
でも、もう少し本降りになってくれたら、泣いても雨が誤魔化してくれるかもしれないわ。
そんなことを考えながら、わたしはお兄様に連れられてイルカの保護施設を後にする。
そして――
――夜から、嵐になった。
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