嵐 3
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オークションの入場受付は午後三時からだというので、翌日、お兄様とわたしはその時間にオークション会場となる広間がある、カジノなどがある別棟に向かった。
オークション開始は三時半からで、赤い絨毯の敷かれた広間には六人が座れる円卓が等間隔に並べられていた。
オークションは上流階級の娯楽の一つで、ただ主催者側の儲けのみを追求するものから、チャリティー目的で開かれるケースまである。
参加者も己の財力を誇示するのが目的であったり、単純に出品されるものを欲していたりと目的は様々だ。
ちなみにお父様は、オークションにはあまり興味がない。
チャリティー目的のオークションには、これも貴族の義務だと言いながらお母様をともなって参加し、あっても困らないような宝石を一、二個適当に落札して帰ったりしているけれど、珍しいコレクションを買いあさりに行くということはなかった。
というか、アラトルソワ公爵家ともなれば、オークションにわざわざ足を運ばなくてもツテがあるので、よほどの珍品以外は裏から手を回して購入できるらしい。
もっと言えば、すでにうちにはコレクターが喉から手が出るほど欲しがるような珍品がいくつもある。
例えばアンティーク。
建国当時からある――というか、もともと小国であり、ポルタリア国が建国されるときに合併された我がアラトルソワ公爵家は、ポルタリア国の歴史よりも古い美術品が数多く存在するのだ。
俗にいう「値段が付けられない」というレベルの代物である。
ゆえに、百年や二百年そこらのたいして歴史も感じないようなものを集める意味がわからない、とお父様はよく言う。
とはいえ、お父様がアンティークに興味がないわけではない。
……お父様は今、王家が持っている何とかって言う古書がほしいのよねえ。
王家の弱みをいくつか握っているので、そのうち脅し……じゃなくて交渉できないかと、虎視眈々と狙っているのよ。まったくお父様は。
受付をすませ、わたしたちは案内係に案内されて前の方のテーブルについた。
本当は後ろの方でひっそりと見物したかったのだけど、身分が身分だから主催者も気を使ったみたい。なんか申し訳ないわね。遅れてくればよかったわ。
「こちらが本日出品予定のカタログになります。最後にはシークレット商品も用意しておりますので、お楽しみにしていただければと」
わたしがカタログを受け取ると、案内係は入札する際に使う札をお兄様に手渡す。
説明を聞いてもチンプンカンプンだから、お兄様にお任せだ。というか入札する予定はないし。
カタログをぱらぱらとめくっていると、コレクションルームに展示されていた画家の絵が三枚出品されることがわかった。
フライシャー子爵のお目当ての絵はこの中にあるだろうか。
お兄様が手元を覗き込んできたのでお兄様にも見やすいようにテーブルの上にカタログを置く。
「へえ、なかなかいいものがあるね」
「そうなんですか?」
「ああ。例えばこの『貴婦人の指輪』は、六十年ほど前にさる侯爵夫人が作らせたものだ。最大級の黒真珠が使われている。状態がよければかなりの高値がつくだろう。それからこの『白銀のレイピア』は、確か百年ほど前に海賊に盗まれた隣国の王家由来の品じゃないかな。本物なら王家が買い戻しに出張って来てもおかしくない品だ」
お兄様物知りですね。カタログには名前と商品の特徴しか書かれていないのによくわかるものだ。
「指輪は母上がほしがるかもな」
「お母様は『他人が作らせたものなんていりません』って言うと思いますよ」
「普段はそうだけど、この大きさの黒真珠は今では採れないんだ。母上のコレクションの中にもこの大きさのものはないはずだよ」
そう言われると、お母様が欲しがる気がしてきた。
脳内に「マリアちゃん、入札してきなさい!」と扇をぱたぱたしているお母様の顔が浮かんで、わたしはすぐに脳内からお母様を追い出す。
……ここに来た目的は入札に参加することじゃありませんからね!
第一うちが……というかお兄様が入札に参加したら商品の値段が吊り上がって他が迷惑しますよ。お兄様、目的のためにはお金に糸目をつけませんから。他の人のためにも大人しくしておくのがいいんです。
「今日は雰囲気を楽しみたいだけなので、入札しなくていいですよ」
「お前がそういうなら構わないが、欲しいものはなかったのかい?」
「宝石類は間に合っていますから」
そう、前世の記憶を取り戻す前のマリアちゃんは、宝石コレクターなのかと言いたくなるほど、高そうなアクセサリーを買いあさっていたからね。
今ですら胃が痛いほどなのに、これ以上増やしたくありませんよ。
ティーカップとか絵皿とかも出品されるようだけど、わたしにこの手の芸術センスは皆無ですから。うっかり割りそうなので価値の高い食器とかいらないです。
会場内に人が増えはじめて、給仕係の人がドリンクを載せたトレーを持って歩き回りはじめた。
わたしはスパークリングジュース、お兄様は白ワインを受け取る。
ドリンクと一緒にフルーツの盛り合わせもテーブルの上に置いてくれた。
……入場無料なのにこのサービス。オークションって儲かるのね。
爽やかなレモン味のスパークリングジュースとフルーツを楽しんでいると、同じ席に誰かが案内されてくる。フライシャー子爵だった。どうやらわたしたちがいるのを見つけてこの席に案内してもらったようだ。
「ごきげんよう、フライシャー子爵、夫人」
わたしだって公爵令嬢の端くれ。社交くらいできますよ!
むしろ、学園で同年代の女の子のお友達がいないわたしにとって、年上のご夫人のほうが話しかけやすいのです。
「ごきげんよう、マリア様。あ、失礼しました。奥様の方がよろしかったかしら」
「い、いえ、どうぞ名前で……」
結婚したけど、奥様と呼ばれるのは照れてしまう。
我がアラトルソワ公爵家は、公爵の爵位のほかにもいくつか爵位を持っているけれど、お兄様はそれを継いでいない。
学園を卒業したら公爵家を継ぐまでは、たいてい嫡男が家を継ぐまでに名乗る、我が家が持っている伯爵の名を名乗ることになると思うけど、まだなので、わたしたちはまだ社会的には「アラトルソワ公爵令息、公爵令嬢」という立場である。
……お兄様が卒業したら、わたし、伯爵夫人って呼ばれるのかしら。
人妻の自覚がまったくないのに、夫人って……。うぅ、呼ばれるたびにあわあわする未来しか見えない。
わたしが顔を赤くしてうつむけば、フライシャー子爵夫人はころころと笑った。
「まあ、初々しくて可愛らしいですわ。わたくしも新婚の頃を思い出します」
そ、そういうものですか? 楽しそうなので、別にいいんですけどね。
早く新婚だとか人妻だとかいう話から逃げたくて、わたしはカタログを広げた。
「フライシャー子爵夫人のお目当ての絵はありましたか?」
「ええ、ございましたわ。こちらです」
「ええっと……『イルカたちのダンス』ですか。どんな絵かは知りませんが、タイトルからしてわくわくしますね」
「うふふ、四頭のイルカが戯れている絵なのですわ。もう何年前になるかしら……一度、王都の美術館に期間限定で展示されていたときに見たことがありますのよ。あの時からずっとほしくて」
ほうほう。それでコレクションルームを見に行ったけどなくて、オークションにあるかもしれないと足を運んだわけですね。
……そこまで情熱的に思われているなんて、この絵は幸せね。
フライシャー子爵夫人が落札したら、きっととても大切にしてもらえるに違いないわ。
わたしと夫人が盛り上がっていると、赤ワインを飲んでいたフライシャー子爵が肩をすくめた。
「ぜひとも入札したいところですが、こうしてみると、参加者はなかなかの顔ぶれでしょう? 予算が足りるかどうかが心配で」
「そうですね。あちらには西の鉄道王がいらっしゃいますし、ああ、ライナー伯爵もいらっしゃるのか。あの方は絵のコレクターですね」
お兄様、無自覚かもしれませんがフライシャー子爵の心が折れかけていますよ。落ち込んでいるじゃないですか。
お兄様は顎に手を当てて、フライシャー子爵に小声で訊ねた。
「予算はいかほどですか」
「このくらいです」
フライシャー子爵が片手の指を立てる。
わたしにはそれがいくらかわからなかったけど、お兄様は難しい顔になった。
「ちょっと厳しいかもしれませんね。王都の美術館に展示されていたことを考えても、最低でも五百万マルスはほしいところです。欲を言えば八百万マルスまでは余裕を持っておきたい。……手伝いましょうか?」
「よ、よろしいんですか?」
「ええ。先日のカジノで儲けたあぶく銭もありますから」
ああ、そう言えばお兄様、負け知らずで恐ろしいほどチップを稼いでいたわね。結局いくらになったのか聞き忘れたけど、交換所で小切手を受け取っていた時点で相当な額だろうと言うのはわかっていましたよ。
お兄様は懐からその時の小切手を取り出すと、無造作にフライシャー子爵のテーブルの上に置いた。
「これも何かの縁ですし差し上げましょう」
フライシャー子爵は小切手の額面を見てぎょっと目を見開く。その驚き方からして相当な額なのだろう。
……本当、お兄様の金銭感覚ってどうなっているのかしら。
いくらカジノで儲けたお金だからって、大金をぽーんと渡しちゃうなんて普通はしないわよ。
だけど、お兄様がただで他人に親切にするとは、わたしにはどうも思えない。きっと裏があるのだろうと思っていると、お兄様が笑みを深めた。
「その代わりと言っては何ですが、フライシャー子爵が最近はじめた海の観光業に協力させていただけませんか?」
……ほーらね。
どうやらお兄様の狙いは、フライシャー子爵がはじめた海の観光業に一枚嚙ませてもらうことだったみたいよ。
フライシャー子爵はけれど、渡りに船だと言わんばかりにお兄様の提案に食いついた。どうやらフライシャー子爵にとってもお兄様の提案はメリットのある話だったらしい。
「むしろこちらからお願いしたいくらいです! よろしいのですか?」
「ええ。ただ、父ではなく私との契約になりますけど」
「ええもちろんですとも!」
なんか男性陣が盛り上がっちゃったわよ。
わたしはフライシャー子爵夫人と顔を見合わせ「仕方がないですわね」と互いに肩をすくめて笑った。
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