嵐 2
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ビーチを散策した後、お昼ご飯を食べるためにホテルに戻った。
ホテルの外で食べてもよかったんだけど、あのホテル、食事が美味しいのよね。
だから予定がないならホテルの昼食をいただきたい。
お兄様とホテル内にあるレストランへ向かうと、青いパラソルが並ぶテラス席に通された。
パラソルの下に円卓が置かれていて、真っ白なテーブルクロスがかけられている。
テーブルの上には濃いピンク色のハイビスカスの花が一輪飾られていた。
アラカルトメニューもあるけれど、せっかくだし日替わりのコースをいただくことにした。
注文して少しすると、前菜と濃厚なビスクが運ばれてくる。
前菜のサラダには、ちょっと固めの桃が薄くスライスされて載っていた。
……桃ってサラダに入れても美味しいのね。
テラス席で、青い空と青い海を眺めながらの食事は実に解放感があって素敵だわ。
「さて、午後からは何をしようか」
「そうですねえ」
旅行はまだまだ長い。焦って予定を詰め込む必要はないから、逆に何をするか迷ってしまう。
「歩いて少し疲れたので、午後からは……カジノは怖いので、他の何かを見に行きませんか」
「お前、まだあの幽霊を引きずっているのか」
「それはそうですよ!」
あんな怖い思いはもうたくさんである。あのカジノには、少なくともこの旅行が終わるまでは近づかない。
「じゃあライブラリー……は、お前には無理だね。五分で寝そうだ。コレクションルームにでも行こうか」
「いいですね。本は眠くなるけど、さすがに絵を見るだけなら眠くならないと思います!」
「言っていて悲しくならないか、マリア」
それを言ってはいけませんよお兄様。これはね、もう体質なんです。わたしの怠け癖は関係ありません。アレルギーと一緒! 体質なんだから仕方がないんです。
それに、これでも一応頑張ってはいるんですよ。赤点取るとお兄様が怖いから。
メイン料理のイカ墨のパエリアをいただいて、デザートのレモンとミントのソルベを堪能したあと、わたしたちは渡り廊下を渡ってコレクションルームへ向かった。
コレクションルームでは先週からロンベルク島出身画家の絵が展示されているという。
ロンベルク島出身だけあって、海やイルカの絵が多かった。絵心が皆無のわたしでもわかるくらいにすごく綺麗。
「ジークハルト、見てください。あの絵の題名はウンディーネらしいですよ。ウンディーネって人魚だったんですね」
「お前は何を言っているんだい? 空想に決まっているだろう。誰も見たことがないんだから」
「あ、それもそうですね」
ロイヤルブルーの魚の尾を持った美しい人魚の絵だが、お兄様が言うように精霊は人の目には見えないそうだから、この絵に描かれているものが事実であるとは限らない。
でも、水の精霊だからね。人魚でもおかしくないとは思うのよ。
美しい人魚の姿のウンディーネがイルカたちと戯れている絵は、実に幻想的である。
「その絵が気に入ったのかい? 展示会が終わった後にはなるけれど買い取りはできるみたいだよ。ほら、いくつかの絵の横に『売約済み』の札が貼ってある。その絵はまだみたいだから、何なら話を通しておこう」
……お兄様、さらっと言いますけど、この人魚の絵、ざっと見た限りこの中で一番高いですよ。
まあ、一度しか使わないわたしの結婚式のティアラにとんでもない金額をつぎ込むようなお兄様である。それに比べたらはした金なのかもしれないけれど。
「とっても綺麗ですけど、遠慮しておきます。わたしが買っても、我が家の廊下かサロンに飾っておくだけになりそうですし、お父様とお母様の趣味じゃなかったら嫌な顔されるかも」
「そんなことはないと思うけどね、そうか。わかった。じゃあこの画家を招いてお前の絵でも描かせようか。お前がイルカと戯れている絵はこのウンディーネより美しいと思うよ。マリアは造形だけは完璧だからね」
だけは、は余計ですよお兄様。
それに、わざわざ画家を招いてわたしの絵を描いていただかなくていいです。それでなくとも、毎年のようにお父様が家族の肖像画を描かせているんですから。
「わたしの顔をした人魚の絵なんて描かせて飾りでもしたら、我が家を訪れた人たちがあきれ返りますよ」
「そうかな。……何人かは食いつきそうな顔を思いつくが」
「もしかしてブリギッテですか? まあブリギッテはその……とっても変わっているので、ほしがる可能性はありますけど」
「ああ、ブリギッテ王女もいたか」
も、ってお兄様、他に誰がいるんですか? お父様ですか? でもお父様は一緒に暮らしていますけど。
「どうせ描かせるなら人魚なわたしじゃなくて、わたしとジークハルトの絵の方がいいと思いますよ。結婚記念ってことにすればあきれられないと思いますし」
それならわたしも恥ずかしくないからね。
「お前にしては冴えているじゃないか。いいね。実にいい。ついでに何枚も描かせてアレクサンダーたちに送りつけてやろう」
「なんの嫌がらせですか」
そんなものをもらってもアレクサンダー様たちは喜ばないですよ。人の結婚記念の絵なんて誰が欲しがりますか。
「あいつらはしつこそうだからね。早いところ心を折っておいた方がよさそうだ」
「わたしとジークハルトの絵を見てどうして心が折れるんですか」
お兄様の言っていることはときどきよくわかりませんよ。
アレクサンダー様たちが迷惑がるからやめてあげてください。
「ジークハルト、この絵は買いませんけど、ほら、あっちにポストカードが売られていますよ。ポストカードならいくら買ってもいいですよね」
「小さなカードより大きい方がいいと思うが、お前がいいならそれでいいよ」
「いいんですよ、こういうのは思い出なんですから」
ついでにブリギッテとアグネスの分も買って帰ろう。綺麗な絵だから喜ぶと思うもの。
ポストカードのほかに栞も売られていた。アレクサンダー様やヴォルフラム、ニコラウス先生はよく本を読んでいるし、栞を買って帰ろうかしら。
「あ、ジークハルト、イルカのペーパーウェイトもありますよ。こっちは小物入れです」
「昨日もイルカの商品ばかり買ったのに、今日も買うのか」
「昨日はペーパーウェイトも小物入れも買っていませんから」
あれもこれもと買い込んでいると、背後から「こんにちは」と声をかけられて、わたしはペーパーウェイトを両手で持ったまま振り返った。
昨日カジノで会ったフライシャー子爵である。隣の上品な女性は夫人だろう。
「また会いましたね」
お兄様がにこやかにフライシャー子爵夫妻に挨拶をすると、夫人が恥ずかしそうに目元を染めてわずかに目線を下げた。
……さすが『歩く媚薬』。人妻だろうと魅了するのね。
だが、学園の生徒と違ってきゃーきゃー騒がないのは、さすが貴族のご婦人だと言える。年頃の令嬢ならこうはいかない。
「フライシャー子爵と夫人も絵を?」
「ええ。妻がこの画家の絵が好きでして。記念にと思い見に来たのですが、目当てのものがなかったので、明日のオークションにでも顔を出してみようと思っています」
「オークション?」
わたしが首をひねると、フライシャー子爵がにこりと微笑んだ。
「ええ。明日、二階の広間でオークションが開かれるんですよ。噂ではこの画家の絵も何枚か出品されるようなので、参加してみようかと。入場料は宿泊客なら無料ですし」
それでは、とフライシャー子爵が手を振って夫人を連れて去っていく。
……オークションか。
王都でも年に数回開かれているようだけど、まだ一度も参加したことがないのよね。
ちらりとお兄様を見上げたら、仕方がないねと言いたそうな顔で肩をすくめた。
「明日、行ってみる?」
「はい!」
だって、見るだけはタダですから!
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