嵐 1
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資料館を見て回った後、まだ時間があるからとわたしたちは浜辺まで足を延ばしてみた。
ロンベルク島は口を開けたイルカのような形をしている島で、そのイルカの口を開けたような部分には広い砂浜があった。
断崖絶壁に囲まれた中にある砂浜は真っ白で、ところどころにごつごつした岩が転がっている。
遠くから見たら紺碧に見えた海も、近くで見たら鮮やかなエメラルドブルーだ。
透明度は高く、海の底までよく見える。
ビーチには多くの観光客の姿があった。
海で水遊びをしている人もいれば、白いパラソルの下で優雅にお昼寝している人もいる。
「泳ぐかい?」
「……泳げないの知っていて言っています?」
「お前まだ泳げなかったのか」
ムッと口を尖らせたわたしに、お兄様が逆に驚いたような声を上げた。
わたしはやけっぱちになって「ほほほ」と笑う。
「あら、公爵令嬢たるもの泳ぎが必要になることなんてございませんでしょう、ほほほほほ」
「そうかもしれないが、お前、よくそれで水着なんて買ったね」
……お兄様、一体その情報をどこから仕入れました⁉
ギョッとすると、お兄様が肩をすくめる。
「ヴィルマが面積の少ない水着を持ってきて、『お嬢様が不要だとおっしゃるんですけど本当に不要ですか』と確認してきたからね」
ヴィルマーッ‼
よりにもよってあのセクシー水着をお兄様にお目見えしちゃったの⁉
「お前が自分に自信があるのは結構だが、さすがにあの水着は貴族令嬢としての品位が欠片も感じられなかったから処分させたよ。必要なら私が買ってあげよう」
「お……お気持ちだけで」
うぅ、恥ずかしい……。
「あんなものを買ったと思えば着ぐるみを着てみたり……お前は一体何を目指しているのかな」
「何も目指していませんし着ぐるみはヴィルマの陰謀です」
くそぅ、この調子だと着ぐるみネタでもうしばらく揶揄われるわね。ヴィルマめ覚えてろ!
波打ち際だと靴が濡れちゃうので、少し離れたところをお兄様と歩く。
残念ながら人が多いので静かな海岸とはいかないけれど、波の音は不思議と心を落ち着かせるものね。
「懐かしいね」
お兄様が海を見ながらぽつりと言う。
「懐かしい? ジークハルト、ここに来たことがあるんですか?」
訊ねれば、お兄様は軽く目を見張って、そして苦笑した。
「ああ、お前は覚えていないかもね。お前も一度来たことがあるんだよ。……お前が四歳の頃だったかな」
へえ、全然覚えていないわ。
というか、マリアちゃんの記憶力はポンコツだから、幼いころのことなんてまったくと言っていいほど覚えていないのよねえ。
かろうじて覚えているのは、そうね、七歳かそこらくらいかしら。それ以前はほぼ記憶にないわね。
「波打ち際に座って、お前はきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいたよ。母上にピンクのフリフリした水着を着せられてね。ついでに言えば、そのあとで大きな波に驚いて大泣きした」
よ、よく覚えていらっしゃいますねお兄様。でもわたしとしては、幼女時代の恥ずかしい出来事をいつまでも覚えていてほしくないです。
「泣き出したお前を父上と母上が必死にあやしたんだが何をしても泣き止まなくて、最終的に私に押し付けられたのを覚えているよ。どういうわけかあの頃のお前は、私の側にいたら泣き止む子だったからね」
それは幼いながらにお兄様の言うことを聞かないと怖いとわかっていたんじゃないでしょうか。
きっとあれですね。生存本能的なやつですよ。
「私に押し付けたらお前が笑い出したからね、父上と母上は安心して、そのまま私たちを残して二人でデートに行った」
……おい両親‼ 幼い息子と娘を残して何イチャコラしてんだ‼
まあ、公爵家一家ですからね。護衛やらメイドはそばにいたでしょう。そうに決まっているだろうけど、普通子供だけを放置して遊びに行くか?
わたしが憮然としていると、お兄様がくすくすと笑う。
「父上があのあたりに大きなパラソルと椅子を用意していたんだよ。本当は父上たちはお前と私を連れて一度ホテルに戻ろうとしたんだけどね、お前がことのほかパラソルの下を気に入って嫌だと騒ぐものだから、仕方なくそこで私とお留守番していたんだ」
だとしても、放置していくか~?
まあ、わたしが四歳ってことはお父様とお母様もまだ若かったし? そりゃあ二人でラブラブしたかったかもしれませんけども。
でも、お父様とお母様はあの当時からお兄様への信頼が厚かったのね。
わたしが四歳ってことはお兄様は八歳でしょう? 八歳の子供に四歳の子の子守を押し付けて放置とか、普通ないわよね。たぶん。
お兄様は海を見て目を細める。
昔を懐かしがっているのはわかったけれど、今の話を聞く限り、全然楽しいとも美しいとも思えない昔話だと思いますよ。全然懐かしむようなものではないでしょう。
「お兄様は、お父様とお母様にもう少し文句を言ってもいいと思いますよ」
お兄様は何かあると魔王みたいに怖くなるけど、基本的にお父様とお母様には逆らわないのよね。
もちろん、意見をすることはあるけど、お父様たちとお兄様が喧嘩をしているところは一度も見たことがない。
……もしかしなくても、お兄様は遠慮してるのかしら。
本当の親じゃないから、我儘が言えないのかしらね。
わたしの目から見ても、お兄様とお父様たちは仲良しだとは思う。でも、お兄様はどこか一線を引いている気がする。わたしにはまったく遠慮がないのに、どういうことかしら。
「父上と母上に文句なんてないよ」
「そうですか? わたしはたくさんありますよ!」
「お前は昔から文句が多い子だったからね。料理にニンジンが多いとか、今日のデザートは少ないとか、勉強したくないとか、よくもまあそこまで不満が出てくるものだと思ったよ」
うぐ……。
だって、ねえ?
というか、子供ならそのくらい普通でしょうよ!
「ついでに我儘で泣き虫で甘えん坊で、手を焼く子だったねえ」
「うぅ……」
「でも――」
お兄様は海からわたしに視線を移して、ふんわりと柔らかく微笑んだ。
「お前がお前だから、私は救われるんだ」
新婚旅行に来てからお兄様はよく笑うし、何なら以前からもよく微笑んでいる人だったけど……、この時の笑顔は、どうしてだろうか、今までとは違う、はじめて目にする笑顔だった気がした。
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