「守りたい真実と過去の傷」
——会いたい。
——声が聞きたい。
——不安で押しつぶされそう。
スマホを見つめる。
胸の奥で、ざらざらとしたノイズがまた鳴り出していた。
律の「忙しいから、また連絡する」という短いメッセージが、
逆に不安を膨らませる。
*
週明け。
胃のあたりが重く沈んだまま、オフィスの自動ドアをくぐった。
(噂、広がってるかもしれない…私の席、ないかもしれない…)
覚悟して一歩踏み込んだ瞬間、空気がざわ…と揺れた。
——あ、やっぱり噂されてる。
そう思った矢先。
「吉野さん!大丈夫だった? ほんと…イヤだったでしょあれ。」
「……え?」
状況が掴めず固まる蘭。
すると別の先輩が声を潜めて言った。
「長井さん、コンプラ違反で飛ばされたよ。
複数の女性にセクハラ、パワハラ、モラハラ…
もうずっと問題になってたみたい。」
「えっ…」
胸の奥がゆっくりほどけていく。
「吉野さんも、この前あの人に同行させられてたじゃない?
みんな心配してたんだよ。」
「…そう、だったんですか…私、てっきり…」
白い目で見られてると思っていた。
自分だけ浮いてると思っていた。
その時。
「でも、すごいよね〜総務の佐久間さん!
今回も救世主。あの人なんなの?神?」
「佐久間…さん?」
救世主?どういうこと?
周りの声が続く。
「内部通報の処理もすごく早くてさ。あの人いなかったら、
長井さんずっと野放しだったよ?」
蘭はまだ知らなかった。
水城律が、総務の人気者・佐久間恭兵の“いとこ”であることも、
今回の件で律が裏でどれだけ動いていたのかも——。
***
「カオリ…いい加減にしてくれ!」
律の声が、玄関の静けさを破る。
普段は感情を抑えてしまう律が、こんな声を出すことは滅多にない。
カオリは一瞬、眉を上げて微笑んだ。
「随分、変わったのね…そんな感情を口にするようになったなんて。
その“きっかけ”…あの子?」
「……そうだよ……」
律の返事は短いが、濁りがない。
カオリの目が鋭く揺れた。
「でもさ……あの子には、甘えられないじゃない?」
カオリはわざと柔らかい声で続ける。
「私には甘えてたでしょ?弱いとこ、全部見せてくれたじゃない…」
「違う!」
律は強く否定した。
甘えていたんじゃない——
(あの頃の俺は…ただ、流されていただけだ)
心の奥で、ひどく小さく呟く。
カオリは一歩、律に近づく。
「そうかしら?
今なら、私とちゃんと向き合えそうじゃない?
まだ私のこと、完全には忘れてないでしょ?
あんなに触れ合って、愛し合ったんだから。」
「だから……もう——!」
言いかけた瞬間、律の胸の奥が刺さった。
律の胸の中に、カオリとの過去が一瞬だけ蘇る。
カオリを傷つけた日の記憶。
泣かせた顔。
何も言い返せず逃げた自分。
どうして?何がいけなかったの?
何も答えられなかった自分。
あの時雑音にしか聞こえなかった…
終わらせたかった。
カオリを見ると、罪悪感が胸に刺さる。
二つの罪悪感が擦れ合い、
律の頭の中で、ギシ…ギシ…と歪んだ不協和音が鳴り始めていた。
蘭を大切に思っているはずなのに——
その音が律の中で響いていることに、蘭はまだ気づけない。




