25 舞台裏の秘めごと
拍手で埋め尽くされる舞台を遠目に、ミランは視線を伏せた。
真っ先にルチアの元に駆け寄って、祝ってあげたい。舞台が素晴らしかったことを伝えたかった。
けれども、今のミランに、そんな資格などない。
出来れば、ミランもあの舞台でルチアと競いたかった――。
「ここにいたんですね」
人目を忍ぶように客席の後ろの方に立っていたミランに、優しい声がかけられる。
振り返ると、イグナーツ・ロジェンヴァリが平和そうな笑みで歩み寄ってきた。
国王の第一子であるにも関わらず、王位継承権を持たない王族。そして、ミランの支援者でもある。
「イグナーツ様……お席から離れて、よろしいのですか?」
問うと、イグナーツは肩を竦めて笑う。
「私はいてもいなくてもいいですから。それより、ミランの姿が見えたので、あいさつしたいと思って」
「でも、私は……そんな資格ありません」
イグナーツはランゲルに下った処分を知っている。
ミランが巻き込んでしまったせいで、イグナーツにも迷惑をかけてしまった。
「ミランは悪くありません」
「違う……私が父を止められなかったから。劇団の面子など考えずに、もっと早く申し出ていれば……イグナーツ様にも、ご相談するべきでした」
「そうかもしれませんが、過ぎたことを悔やんでも意味はないでしょう?」
頑なに俯くミランの手を、イグナーツが包み込む。
ミランはなにかを握らされたことに気づいて、ハッと顔を上げる。視線の先では、優しくて柔和な顔が微笑んでいた。
「早く、ミランの舞台が見られますように。楽しみにしています」
花だった。
一輪の花を握らされて、ミランは口を閉ざす。
イグナーツはミランの舞台が終わると、いつも花をくれる。王族や貴族なら宝石や金を渡したがるものだが、イグナーツはいつだって花だった。
「今日は、舞台に立っていませんよ?」
「良いんです」
戸惑っているミランに、イグナーツは優しく笑った。
まっすぐすぎる無垢な言葉から、ミランは思わず顔を背ける。
「でも、今の私にその資格なんて……ルチアちゃんの支援者になってはいかがですか。さっきも、素晴らしい舞台を――」
「そんなこと言わないでください!」
イグナーツが急に声をあげてミランの手をつかんだ。
彼がこんな風に声を荒げるのは初めて見た。
ミランが面くらっていると、イグナーツは口ごもって言葉を濁し、俯いてしまった。だが、やがてポツリポツリと、確かな言葉を紡ぎ出す。
「ああ、ごめんなさい。勿論、彼女の舞台も素晴らしいと思います。あんな舞台は初めてで、とても感動しました……でも、やっぱり、私はミランの舞台が好きだから。ずっと、見ていたいくらいに。こんな私を救ってくれる、唯一の楽しみなんです」
イグナーツは城では歓迎されない存在だ。多くの貴族に疎まれ、政治の舞台には決して上がれない。王族として扱われていても、所詮は上辺だけ。
そんなイグナーツがのめり込めるものと言えば、人形劇だけだった。舞台を眺めて笑っている時間が、イグナーツにとって一番幸せなのだ。
「それに……私のために、こんなに綺麗な格好をしてくれる男の人は、他にいませんから」
柔らかすぎる手で握り締められて、ミランは言葉を返すことが出来なかった。
国王の長男でありながら、イグナーツが第一王位継承権を持たない理由。
イグナーツ・ロジェンヴァリが女性であると知っている者は、一部の王族を除くとミランだけだろう。それを知ったのも偶然の産物。
逆にミランが女装をはじめたのが、イグナーツの性別に気づいた頃だと知っているのは、この世にたった一人であった。
「それとこれとは、別です」
「でも、嬉しかった」
生まれて間もなく息を引き取った双子の兄の代わりに男として育てられた。しかし、弟であるエドが生まれた時点で、イグナーツの役目は終わっている。
政治への関与は許されず、かと言って、女性として生きることも許されないイグナーツを、ミランは息苦しそうだと感じていた。
「お願いです」
懇願する視線が向けられる。
イグナーツは改めてミランの手を握りしめると、優しい声で囁いた。
「私のために、また舞台に立っていただけませんか?」
ランゲル劇団は次期劇団長が決まるまでの間、公演を中止する。中央劇場での公演権も破棄し、しばらくは満足な活動が出来ないだろう。ミランも舞台にあがれないかもしれない。
だが、なにもなくなったわけではない。
ルチアは小さなゼレンカ劇団を背負っている。
ミランも……まだミランの力ではランゲルを背負うことなど出来ないかもしれない。それでも、自分の手で変えてみせたいと思った。自分の手で劇団を変え、再びルチアと同じ舞台に上がるのだ。
ミランは顔を上げる。
「――はい」
はっきりと発した声に、嬉しそうな笑みが返ってきた。




