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18 なんかちがう

 

 

 

 難局を完璧にやり過ごしたことで、ルチアは安心して先を急ぐ。

 早くイグナーツに会わなければならない。こんなところで、道草を食っている場合ではなかった。


 エドの身体を借りて、感覚を研ぎ澄ます。

 糸は見えないが、確かに、近くに人形があると感じた。この城のどこかにエドの人形がある。

 けれども、まだ遠いのか、どこにあるかはわからない。

 ヴァンツァは姿を見せて様子を探るだけでいいと言っているが、そんな悠長なことをしている暇もない。祭典まで時間がないし、エドは既に長い時間、人形に閉じ込められているのだ。


 と言っても、あまり人形に近づいてはいけない。

 人形移りを起こしているエドの身体を近づけすぎると、元に戻ろうという力が働く。そのとき、エドをルチアが操っていれば、逆にルチアが危険なのだ。


『がんばらないと!』


 東棟には広い温室が設けられており、チェスクの気候では育たない柑橘類など、南の植物が植えられている。

 神話に語られる植物である柑橘やオリーヴを城で育てることは、王族のステータスになっているらしい。ルチアにはよくわからないが、オレンジもオリーヴも大好きなので、悪い習慣でもないと思った。


 温室に入ると、奥に人影が見えた。

 ルチアは初めて見るが、あれがイグナーツ・ロジェンヴァリ公なのだろう。

 鮮やかな青い上衣の背に垂れさがる美しい金髪や、少し細すぎて心もとない体躯はヴァンツァから聞いた通りの特徴だ。


「ああ、エディ。しばらく顔を見ませんでしたが、お元気でしたか?」


 物陰からひっそりと覗いたつもりだったが、気づかれてしまった。

 ルチアは背筋に緊張が走るのを感じ、すぐに逃げられるように身構える。


「今日はヴァーツラフと一緒じゃないんですね。最近、彼がいつも以上に機嫌が悪そうだったので、心配してたんですよ。また怖い顔で懺悔室にこもって、司祭様を怖がらせたりしてないか不安で……あのときの司祭様、泣きながら世俗に戻ったそうですよ」


 ヴァンツァ、あんたなにやってんのよ!?

 聞いてはいけない話を聞いた気がして、ルチアは思わず噴き出しそうになった。


 と、笑いを堪えている場合ではない! いきなり、平和ボケしそうなくらいゆっくりとした口調で話しかけられ、気が緩んでしまった。

 ヴァンツァの話では王位簒奪を狙っている悪党という印象を受けたが、実際は思ったよりも、というより、かなり「ゆる~い」気がする。


「どうしましたか、エディ?」

『い、いや。なんでもないよ』


 イグナーツは、こちらの調子を崩そうとしているかのように、無垢な笑みを向けてくる。

 エドの姿を見ても、別段驚いている様子もなかった。


 しかし、相手はエドの人形を持っているのだ。油断してはいけない。ルチアが操っていることに気づいて、演技している可能性もある。

 ルチアは首を振って気を引き締めた。


「ああ、そうだ。今朝、お手紙で誰かに呼び出されて来たんですけど、もしかして、エディですか?」


 とはいえ……まるで、お花畑で会話しているくらい、のんびりとした口調だ。

 こちらまで平和で和んだ気分になるイグナーツの態度に、ルチアはつい流されそうになってしまう。


 本当に、イグナーツが犯人なのだろうか? 手紙を受け取って、エドの姿を見ても、なんの反応も示さない。

 むしろ、隠し事など出来そうに見えなかった。

 王位を奪うために兄弟を人形移りにするどころか、虫を殺すのも嫌がりそうだ。というか、王族=偉そうでドロドロした陰謀劇の印象が強いせいか、こんな人がいることに驚きだった。


『呼び出したのは、僕だよ』


 けれども、一応、カマはかけておこう。なにかつかまなければならない。

 ルチアが言うと、イグナーツは純粋に首を傾げ、柔らかな表情を浮かべた。


「わざわざ呼び出すなんて、どうしたんですか?」

『人形を、持っていないかと思って』


 すると、イグナーツは顔をパッと明るくして頷いた。


「たくさん持っていますよ。前にもお話したでしょう? あれから、また増えたんです!」

『まあ、そうなんだけど……黒い道化師とか、持ってないかと思って』

「ああ、ありますよ! 私のものではありませんが……」


 あまりにも平然と答えられてしまい、ルチアは度肝を抜かれた。イグナーツは純真無垢を体現したような表情で笑うと、自然な動作で手を握ってくる。


「先日、素晴らしい逸品をお預かりしたんです」

『預かった……?』

「はい、大切な人から。ああ、ごめんなさい。見せることは出来ないのですよ。でも、また見る機会もあると思いますよ。私も楽しみにしているので」


 その話が本当だと仮定して、いったい、誰から預かったというのだろうか。


「よかったら、お茶でもしながらお話ししませんか? 良い紅茶が入ったんです。私が淹れて差し上げましょう。ちょうど、今朝焼き菓子を作ったところなんですよ。先日、新しいテーブルクロスの刺繍も完成しましたし、よかったら見てください」

『え、ああ……うん?』


 それとも、ルチアを混乱させるために、わざと言っているのだろうか?

 イグナーツの言っていることは、本当なのか嘘なのかわからない。子犬のような人懐っこい笑みも、よく見れば演技に見えなくもないが……というか、王族の男が自分で菓子を焼くのにもさり気なく驚いたが、必死で流した。

 でも、王族のお菓子って絶対に甘くて美味しいだろうし、ちょっと気になる……いや、ならない。お菓子なんて欲しくないわ! 少ししか!


「あ、ごめんなさい。もしかして、引いていますか……?」


 兄弟の、あまり気乗りしない雰囲気を感じ取って(本当はお菓子と葛藤しているだけ)、イグナーツが控えめに問う。

 彼は少し寂しそうな笑みを浮かべると、握っていた手を離した。


「人形についてお話し出来るのが嬉しくて。私は城で嫌われていますから……その、これくらいしか、楽しみがなくて」


 国王の第一子にもかかわらず、継承権を与えられていない立場は複雑だ。

 周囲はイグナーツを煙たがり、嫌っているのだろう。ヴァンツァもあまり好ましく思っていないと、態度で示していた。

 政治の舞台に立つことが許されないイグナーツは人形劇に傾倒し、多くの人形遣いを庇護していると聞いた。ミランも、その一人だ。


『人形劇は、好き?』


 ルチアは無意識のうちに口を開いていた。

 他意はない。ただ、純粋にそう聞いてしまっていた。

 その問いに対して、イグナーツは寂しげに伏せていた眼をパッと輝かせる。


「はい、好きですよ」


 イグナーツは嘘をついているのかもしれない。

 ルチアを困惑させようとしている役者なのかもしれない。

 けれども、この言葉にだけは全く嘘はないと断言出来た。

 本当に人形劇が好きか嫌いかくらいは、ルチアにだってわかる。


 こんな人が、人形を使って人を陥れたりするのかしら?


『――――!?』


 突如、背筋に違和感を覚え、ルチアは周囲を見回した。

 自分とエドを繋ぐ糸が揺さぶられ、鷲掴みにされた気がする。

 誰かに触れられたわけではない。それなのに、糸が引っ張られ、身体から魂を引き剥がそうとする奇妙な感覚が襲う。


 エドの人形が近くにある。しかも、どんどん近づいている。


 ルチアの意思に反して、エドと人形が引き合っているのがわかった。

 これ以上近づくと、エドの人形移りが解ける。

 だが、今は困る。エドは今、ルチアが操っているのだ。今の状態で強引に人形移りが解ければ、今度はルチアが危ない。


「エディ、どうかしましたか?」


 イグナーツが心配そうに顔を覗き込んだ。

 余裕がない。ルチアはやむを得ず、エドと自分を繋ぐ糸を切ることにする。


『話は、また今度にしよう!』


 キョトンと首を傾げたイグナーツに早口で告げると、ルチアはエドの身体を操ってその場から逃げた。

 糸を切るにも、人目につかないようにしなくてはならない。いきなり、エドが倒れて人形移りになっていたことが露見しては、全てが台無しだ。


『あ、あああっ』


 だが、温室から出たところで、意識を捻じ曲げるような苦痛と脱力感に襲われる。

 ルチアはこれ以上、上手く操ることが出来ずに、エドの身体を床に倒してしまう。もう糸を切らなければ、限界だろう。


「――――」


 糸を切ろうとした瞬間、誰かの声が聞こえる。


 聞き覚えがあるが、誰の声だか思い出せない。

 近くまで足音が迫るが、もう見上げることすら出来なかった。


 ――だれ……?


 糸を切らずに、そこにいる人物を確認しようとした瞬間、ルチアの意識が闇に落ちた。

 

 

 

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