17 禁忌
イグナーツ・ロジェンヴァリ=プシェミスルはエドの兄に当たる。
だが、何故かイグナーツには第一継承権は与えられていない。
公には病弱であることが理由とされているが、その様子はないという話だ。噂では、妾腹なのではないかと言われている。
ヴァンツァですら詳細な理由を知らないと言う辺りが、とても怪しい。
「特になにかをする必要はない。向こうはエドがいないものと思っている。そこに、エドが何事もなかったかのように姿を現せば、どんな反応に出るか見るんだ。いいか? 反応を見るだけだからな」
緊張するルチアの横で、ヴァンツァが静かに言う。
エドが人形移りになったことは、ヴァンツァと国王陛下、宰相しか知らない。
祭典までは、三人の間で隠し通すことが出来る。だから、エドが平気な顔をして歩いていても、誰も不思議がらないのだ。
犯人以外は。
「作戦は理解出来るんだけど……」
ルチアは王城の一室で横たわるエドを前に、不安の声を上げた。
いつもエドが人形を作るために籠る部屋だ。全体的に華麗な装飾が施された城の雰囲気とは違って、簡素だが、堅実な造りで落ち着く。
「本当に大丈夫なの?」
ヴァンツァがルチアに使わせようとしているのは、半ば禁則的な技術だ。
外国では戦争で用いられていることもあるそうだが、チェスクでは不吉なので禁止されている。――死体を操る技術だった。
「ねえ、本当に罰せられないんでしょうね? バレたら死刑じゃない……国外逃亡とか、絶対に嫌よ。チェスクほど人形遣いが生きやすい国はないって、父が言ってたし。あと、劇団が……」
「お前は国外逃亡するようなことになっても人形劇のことしか考えないのか。大丈夫だ、問題ない。エドは死体じゃない。よって、屍操術の禁則法には当てはまらない。だから、バレないようにやれ」
「当てはまらないんだったら、バレてもいいんじゃないの!?」
「言い訳がいろいろ面倒だ。俺だって処罰されるんだ」
「やっぱり、ダメなんじゃないの!?」
「そもそも、この計画はロジェンヴァリ公にバレたら意味がない。秘密裏にしなければならないのは、変わらないだろ」
「……あ、そっか。そうよね……」
言われてみれば、そうだ。
罰せられるかの問題以前に、イグナーツに計画が露見しては意味がない。
しかし、ルチアはまだ釈然としなかった。
気が乗らない。危険だからというよりも、なんとなく良心が……。
「好きな菓子を買ってやる」
「わたし、食べ物で釣られる女だと思われてるの!?」
思わず叫ぶと、ヴァンツァが正面に向き直り、力強く肩をつかむ。真正面からまっすぐな視線を受けて、ルチアは身動ぎした。
「お前ほどの腕を持った人形遣いでなければ、こんなことは頼めない。天才なんだろ? それとも、出来ないから嫌なのか?」
「そんなわけないでしょ!? わたしを誰だと思っているの? ルチア・ゼレンカよ! エドの二人や三人、ちょちょいと動かしてあげるわ!」
上手く丸めこまれた気がするが、そんな言われ方をしたら出来ると言わないわけにはいかない。一方、ヴァンツァは「やれやれ」と肩を竦めて疲れた息を吐いている。
「王位継承者が二人も三人もいたら困るんだが」
「言葉のあやよ。とりあえず、今度はチョコレートってのが食べたいわ」
「結局、菓子も要求するのか」
「くれるって言ったじゃない」
ルチアは気合を入れて、横たわるエドに向き直った。
エドの身体から発せられる糸は、繋がる先を探して宙を漂っている。
店にいるときは変装していたのだろう。長い金髪よりも、栗色の髪の方が似合っている気がした。ビンの底みたいな眼鏡を外した顔は端正で、いかにも王子様だ。呼吸は規則的で、普通に眠っていると勘違いしそうになる。
早く、元に戻してあげないと。
「じゃあ、いくわよ」
ルチアは意識を集中させ、エドに触れる。温かみを帯びた肌は、まさしく生きた人間のそれで、やはり胸に罪悪感のようなものがわいた。
魂の入っていない人間は人形と同じだ。
だが、人を操る場合、人形とは決定的に違うことがある。
「――――」
閉じられていたエドの瞼がゆっくりと開く。
その瞬間にルチアは奇妙な感覚に囚われ、情けない悲鳴を上げてしまった。
「や、やっぱり気分悪い……わたしがわたし見てるしっ!」
人間には五感が存在する。人形にはない機能だ。
糸で繋ぐことで、その五感も共有する。
ルチアは自分と合わせて二人分の感覚を味あわなければならず、戸惑った。人形移りを起こした場合になにも感じなくなるのは、器が人形だからだ。
エドがルチアを見れば、頭の中で自分の姿が見える。逆に、ルチアにもエドが見えている。ルチアがエドに触れば、触っている感覚と、触られている感覚を同時に味わうことになった。
「すごいな……本当に生きてるみたいだ」
「いや、エド死んでないし!?」
感心するヴァンツァに突っ込むのは忘れないでおく。
生きている人間を操るのは気が引けるが、死体を操るのは、もっと嫌だ。ルチアには、耐えられそうにない。考えただけで気分が悪い。
とりあえず、気分も優れないので、ルチアは椅子に腰かけて目を閉じる。入ってくる情報は少ない方がありがたい。
人形なら、何体一緒に動かしても平気だが、人間を操るのは初めてだ。失敗してはいけない。
『えっと、ロジェンヴァリ公は東棟に呼びだしてあるのよね』
ルチアはエドの口を借りてヴァンツァに問う。
「そうだ……どうでもいいが、いや、どうでもよくないが、エドの声で女言葉を使うな」
『あ、ごめんなさいね。じゃなくて、もっと、王子様っぽく話さないと――すまなかった、我が無愛想なる下僕のヴァンツァ君よ。気をつけることにするぞよ、はっはっはっはっ。近こう寄れ』
「……この人形頭。お前が抱く王族のイメージはどうなっているんだ? なんだ、その限りなく馬鹿っぽい喋り方は」
『え、違うの? っていうか、何気なく人のこと馬鹿って言わないでよ!』
「馬鹿が」
『直球で言わないで!?』
ヴァンツァは呆れて眉間にしわを寄せる。
「馬鹿を馬鹿と言って、なにが悪い……そうだな、態度は『チェスクの誓い』でのエドゥアルト一世の幼少期、口調はフランチェスク・ランゲルのセリフ回しを真似ろ。城でのエドは、そんな感じで振舞っている」
『ああ、あんな感じね。――っと、あんな感じで良いんだね。最初から、わかりやすく言ってほしいな』
チェスク独立史を描いた物語は人形劇でも定番だ。
当然、ルチアも公演したことがあるので、セリフのニュアンスはわかる。
「お前は本当に人形のことしか考えていないんだな」
『ん? なにか言ったかい?』
「なにも言ってないから、早く行け」
『わかったから、大きな声を出さないでくれよ。二人分の耳で君の声聞くと、なんか不愉快になるんだよね。怒られてる気がする』
「怒っているんだが……?」
ヴァンツァがいよいよ不機嫌を露わにして眉間に縦じわを増やしたので、ルチアは逃げるようにエドを退室させた。と言っても、ルチア本人は部屋に残るので、あまり意味はない。
糸が繋がっている限り、城の中を歩く程度なら、離れていても平気だ。
「こちらへ、どうぞ」
ヴァンツァがいては相手に警戒されてしまうので、代わりに可愛らしいメイドさんが案内をしてくれる。
ルチアは予定通りに、案内のメイドについていった。
『わあ……』
しかし、無意識のうちに、ルチアは城の中を見回して口を半開きにさせてしまう。
やはり、王城は貴族の屋敷とは比べ物にならないくらい広くて立派だ。
大回廊の天井は見上げるほど高く、窓から射し込む光を受けて金細工の施された柱が神々しく輝いている。こんなに高い天井など、教会以外では見たことがない。
何枚も飾られた絵画は、どれも見ものだ。ヴァンツァに連れられたジェハーク家の別邸も立派だったが、こちらの方が大きくて迫力のある絵が何枚もある。端に並べられた彫像も、それ一体でかなりの値打ちがあるものだろう。
ミランがよく城で公演するので、素晴らしい場所だとは聞いていたが、まさか、こんなにすごいとは思わなかった。
祭典は城の庭に野外ステージを設けて行われる。
日程が迫っているため、その準備に追われる使用人や職人の姿も見受けられた。
「ああ、殿下。御機嫌よう」
不意に声をかけられ、ルチアは驚いて飛び上がりそうになる。
ガチガチに固まった動作で振り返ると、見知らぬ男が恭しく腰を折っていた。
恰幅が良く、口ひげを蓄えた偉そうな貴族のようだ。大臣かなにかだろうか? ルチアには、相手の身分や名前がサッパリわからない。
しかし、エドは王子様だ。彼より偉い人間は、たぶん、国王と王妃くらいしかいないはずだ。ルチアはなんともない振りをして、愛想笑いをした。
『な、なんだい?』
ルチアが操るエドが笑うと、大臣(仮)が満足げな表情を作る。とりあえず、上手くいっているらしい。
「ちょうどいい。殿下、今しがたランゲル卿と一緒に祭典について話し合っていたところです」
大臣が笑いながら、後ろに立った男を紹介してくれる。
この人は知っていた。
ミランの父で、ルチアとも面識がある、ランゲルの劇団長――グイード・ランゲルだ。堂々とした顔は威厳に満ちており、王城でも落ち着いた態度を保っている。
けれども、グイードはルチアの顔を見て、驚いたように目を瞬かせた。
――バレた!?
ルチアは内心で焦った。
グイードは既に引退しているが、立派な人形遣いだ。父のテュヒョ・ゼレンカとも肩を並べて、人気を奪い合っていた。ルチアがエドを操っていることなど、見抜いてしまうだろう。
しかし、グイードはすぐに表情を改め、愛想のいい笑みを浮かべた。
「殿下、ご機嫌麗しゅう」
グイードは恭しく頭を下げた。その動作は、さながら貴族のようで、板についている。ランゲルの地位を考えれば当然だろう。
一方、ルチアは戸惑いながらもあいさつを返した。
どうやら、気づかなかったようだ。それとも、気づかないふりをして、黙ってくれているのだろうか?
「しばらく顔を見ておりませんでしたが、体調の方はよろしいのですか?」
大臣(仮)に問われて、ルチアは気を取り直す。
エドは人形を作るとき、いつも体調が悪いと言って作業場にこもるらしい。適当に話を合わせておけばいいだろう。
『もう大丈夫だよ。心配かけてすまなかったね』
「ときどき、お部屋に閉じこもってしまいますが、どこの調子が悪いのでしょうか。お噂では、ロジェンヴァリ公と同様に心臓が悪いと……」
エドはいつも、どうやって誤魔化しているのだろう。よくわからない。
でも、王子様が大病だと思われても困る。かと言って、大した理由もなく部屋にこもっているのは問題だ。
ルチアは慎重に考えた。
『え、あー……大したことじゃないよ。うん、そうだな……そう、風邪をこじらせてね。鼻水と一緒に鼻血が出たり、咳をしたらそのまま吐いたり、動くのが面倒くさくなるくらい身体が重くて階段で寝ていたら転げ落ちたり、もう大変だったよ』
人生で一番酷い風邪の状況を思い出しながら、ルチアは語った。
これなら、大丈夫だ。
命に関わるような大病ではないが、部屋にこもらないわけにもいかない理由だろう。我ながら、機転を利かせたと、ルチアは一人で満足した。
「は、はあ……風邪、ですか。また酷い状況ですな……それは……お大事に……」
大臣は、表情を引きつらせたあとに、軽く頭を下げながらグイードとともに逃げるように去っていった。
愛想笑いを忘れてしまうほど王子様を心配するなんて、きっと、彼は良い臣下に違いない。と、ルチアは勝手に解釈した。




