16 ロジェンなんとかさん
エドの店には、やはり糸の痕跡は残っていなかった。
もう時間が経ってしまっている。当然と言えば、当然だろう。それでも、犯人の手掛かりが残されていないか、入念に調べた。
「荒らされた形跡はない」
だとしたら、エドは無抵抗で襲われたことになる。
それとも、抵抗する暇もなかったか。
「やっぱり、陰謀劇の線は薄いと思うんだけど……」
「根拠もなく言うな、人形頭」
「根拠がないわけじゃないって、さっきから言ってるでしょ。わたしなりに! あるのよ!」
「その、お前なりに、が信用出来ないんだが」
「ひどい!」
自分の意見を全く聞いてもらえず、ルチアは目くじらを立てた。だが、ヴァンツァは意に介さぬ様子で店を調べている。
元々、ルチアは人形遣いとしてエドの人形を探すと言ったのだ。糸を辿ることが一番の役目だとわかっているが、もう少し話を聞いてくれてもいいではないか。
ルチアは不貞腐れながら、店の外に出る。
糸の痕跡がなければ、自分の役目はない。ヴァンツァに任せても問題ないだろう。どうせ、話なんて聞き入れてもらえないし。
本当は、こんなことをしている暇はない。
祭典まで、あと四日だ。予選もある。本来なら、人形はあきらめて別の演目を用意すべきだ。既存の演目を祭典用に仕上げてやれば、間に合わないこともないのではないか。
けれども、このまま舞台に上がることなど出来ない。
エドはルチアに人形を作ってくれた。ならば、彼の人形で舞台に上がるのが礼儀だろう。
それに、間に合わせの舞台などでは満足出来ない。観客にも失礼だ。
なによりも、エドに今のルチアを見てほしい。彼に人形遣いとして認めさせ、そのうえで人形を受け取りたかった。
ヴァンツァのこともある。
彼はルチアに、誰かのために舞台に立つことを教えてくれた。それまで、自分だけが楽しんでいた舞台を、更に楽しくしてくれた。いけ好かないお貴族様だけど、悪い人間ではない。彼のためになにか行動したいと思う気持ちは嘘ではない。
「あ、お姉さん!」
元気のいい声につられて、ルチアは後ろを振り返る。
昨日出会った花売りの少年ヤンが手を振って駆けてきた。
「昨日はありがとう」
ヤンはそう言って笑うと、籠から綺麗な花を取り出した。
昨日のお礼のつもりなのだろう。彼は照れ臭そうに頭を掻いて、ルチアを見上げた。
「女の子に花を贈るなんて、なかなか可愛げあるじゃない」
せっかく気を遣ってくれたので、ルチアはありがたくヤンから花を受け取った。オレンジの花弁が可愛らしい印象の元気な花で、ルチアにも似合っている。
「そういえば、昨日の黒い道化師なんだけど、あれってどこの人形師が作ったんだい?」
ヤンは人形師を目指す少年だ。腕の良い職人に興味があるのだろう。これくらいなら教えても問題ないと思い、ルチアはサラリと告げた。
「エドよ。このお店の職人よ……今は留守だけど」
「マジで!? すっげぇや。じゃあ、やっぱり、あの人形もエドのだったんだね。ねえ、今日は持ってないの? よく見せてくれよ。流石に、王族には頼めないからさ」
「王族?」
ヤンの言葉が気になって、ルチアは聞き返してしまう。
ヤンは嬉しそうに頷くと、誇らしげに語った。
「ロジェンヴァリ公爵様が俺の花を買ってくれてさ。そのとき、馬車の中に置いてあるのが見えたんだ。お姉さんが持ってる人形と雰囲気は違うけど、作りは似てたから同じ職人かなって思って……げっ」
言葉の途中でヤンが顔色を変え、ルチアの後ろに隠れてしまう。
店の中からヴァンツァが出てきたのだ。
昨日、泣かされかけたため、怖がっているのだろう。ヤンは震えながら、ルチアの後ろから顔を出した。
「大丈夫よ。こいつ、今は落ち着いてるから襲ってこないわ」
「人を猛獣みたいに扱ってくれるな……それより、本当にそれはロジェンヴァリ公なんだろうな?」
ヴァンツァに詰め寄られて、ヤンは明らかに怯えていた。
また眉間にしわを寄せる不細工な顔をしている。美形が台無しだと言っているのがわからないのか……ルチアは様子を見兼ねて、ヤンをヴァンツァから隠すように立った。
「ヤン。それって、いつのこと? 本当にロジェンなんとかさんの馬車だったの?」
「えっと、昨日、お姉さんたちに会う少し前だよ。花を買ってくれて、ちょっとだけ世間話したんだ。花は贔屓の人形遣いにあげるんだって、笑ってたっけ」
ミランのことだろう。ロジェンヴァリ公はミランを人形遣いとして気に入っており、支援している。
以前に、たくさんの薔薇をもらった話も聞いたことがある。
「そのとき、人形に糸はついてなかったかしら?」
「え……ごめんよ。俺、まだ人形は動かせないんだ。雇ってくれる親方も見つからないし、眺めることくらいしか……」
役に立てなくて、ごめん。そう呟いて俯くヤンの頭をルチアは優しく撫でた。
今の情報で充分だ。ルチアは表情を明るくしながらヤンを見送り、ヴァンツァを振り返った。
「ロジェンヴァリ公イグナーツ。王族だが、継承権は与えられていない。エドがいなくなって得をする人物の一人だ」
ヤンが去ったあとに、ヴァンツァが得意げに言った。
その言葉尻から「人形頭の推理よりも、俺の推測の方が正しかった。いい気味だ」と言われている気がして、いちいち癇に障る。
よく思い出せば、あの日、店の近くをロジェンヴァリ公の馬車が走っているのを見た気がする。悔しいが、ルチアが考えた線は薄いかもしれない。
「だったら、さっさと捕まえて人形を取り返しましょ。祭典まで時間がないわ」
「相手は一応、王族だ。すぐに捕まえられるものでもない」
「なによ、天下のお貴族様ジェハーク家も、その程度の権力なのね。失望したわ」
「……お前は俺をいったい、なんだと思ってるんだ?」
「途方もないボンボン」
「この人形頭が!」
「うるさいわね、陰険男! 無愛想! 短気! 将来、ハゲればいいわ!」
間違ったことを言ったつもりがないのに罵られて、なんだか心外だ。例の如くキイキイ喚くと、ヴァンツァは面倒くさそうに聞こえない振りをした。
だが、ヴァンツァはルチアの頭にヤンからもらった花が飾ってあるのを見て、露骨に口を曲げる。
「嬉しげに花などつけて……」
「なによ、いいじゃない。無愛想男よりも、花を贈ってくれる人の方が、ずっと素敵よ? 一応、わたしだって女の子だし」
「そういうものか?」
「そういうものよ!」
本当は、ミランがいつも花を贈られているのを見て、少し羨ましかった。ちょっとくらい浮かれても良いではないか。
ルチアはプイッと視線を逸らした。
「女というのは単純な生き物だな」
「単純で結構よ。それより、早くロジェンなんとか公を捕まえる方法を考えたら?」
「ロジェンヴァリ公だ」
ヴァンツァはご丁寧に指摘して、嘆かわしそうに息をついた。
彼はしばらく考えを巡らせたあとで、再びルチアに向き直る。
「考えがある……だが……いや、やはり危険だ。別の方法を考える」
少し戸惑った様子でヴァンツァは言葉を濁した。
「なに? なにか案があるなら、言えばいいじゃない。わたしに出来ること?」
ルチアに出来ることなら、手伝いたい。ルチアはまっすぐにヴァンツァを見上げた。
ルチアを見下ろすヴァンツァの黒眸からは、迷いが消えないようだった。
けれども、しばらくすると、彼は意を決したように形の良い唇を動かした。
「公を罠にはめる。そのために、お前が必要だ」




