第5話 異動命令
港南衛兵詰所の軒先からはぽたぽたと雨が滴っている。
どんよりした空の下、僕は今日も詰所内で帳面仕事に精を出していた。
先日の大演習から二週間ほどが経過し、ようやく落ち着きを取り戻している。
「お、アズールは今日も帳面か?」
頭を掻きながらエランさんが奥から顔を出した。
「はい、あまり帳面は得意じゃないのですが……」
僕は、ため息交じりに顔をあげる。たぶん、相当うんざりした顔をしていたと思う。
「おいおい、俺にそういうことを素直に言うなよ。 仕事ができないみたいに受け取られても知らんぞ」
にやにやしながらエランさんは、卓にあったつまみ菓子に手を伸ばす。
「はい、その通りで……。 頑張ります」
顔が重い。でも、手だけは止めずに動かした。
「そういえば、あの演習でのブルーノとガレスが若手の間で少し話題になってるらしいぞ」
ぼりぽりと菓子を摘まみエランさんが窓の外を眺めている。
「そうらしいですね。 結構派手にやってましたから」
ブルーノとガレスは赤軍参加者の一部から”演習では敵だったけど頼もしいやつ”という評判になっており、幼馴染としても鼻が高い。
「そういえば、あいつらはどこだ? 今日見てない気がするが」
エランさんが振り返る。
「はい、今日はガレスとブルーノで見回りです。 雨で嫌がってましたけど」
「見回りねえ。 雨の中大変なことで」
所長として、それはどうかと思う言葉だけれど、確かに雨の見回りはちょっと嫌かもしれない。……帳面仕事よりはましかもだけれど。
*
雨よけの外套を深くかぶり、ガレスは港都ルミナの大通りを歩く。
横には同じように外套を纏ったブルーノも一緒だ。
ぬかるんだ路面の感触が妙に気持ち悪い。
「ガレス……俺ぁ、腹減ったんだが……」
隣から情けない声が聞こえてきた。
たしかに、そろそろ昼飯時ではある。あるのだが……。
「そうだな。 ただ、この雨だ。 露店の数も少ない」
晴れた日であれば、大通りには様々な露店が立ち並んでいるのだが、今はぽつぽつとまばらに開いている程度だ。
特に飲食などの露店は軒並み閉めてしまっている。
「んじゃよぉ、この先に飯処があったと思うから、そこにしようぜえ」
ブルーノが元気なさげに顎をあげて、道の先を示す。
「そうするか、俺も腹は減っている」
二人は見回りもしつつ、飯処へ足を向けた。
大通りをしばらく歩き、魚市場が近くなってきたあたりで、一本横道へ入る。
雨脚が強くなってきて、足元はすっかり浸水しており大変に気持ちが悪い。
ふと気が付くと、横を歩くブルーノの足が止まっている。
「どうした? お前が案内してくれんと店がわからんのだが」
ブルーノの目が鋭い。何かあるな……。
「ああ、あれ、あそこの荷がちょっとなぁ」
ブルーノが指さす先に、手押しの荷車を必死に押している少年がいた。
少年は精一杯の力で押しているようだが、この雨のせいで道が悪く、車輪が泥をかんだのか、はまったのかで、うまく進めないようだ。
「ブルーノにしては、いい目をしている」
「おい! 俺だって困ってるやつくらいは助けたいときもあらぁ」
ブルーノは、ふんっと顔をそらしながらも、まんざらでもなさそうだ。
「よし、飯前にひと働きして、より腹を空かせるか」
「おう、空腹は最高のなんとやらってなぁ!」
ブルーノは、腕を回して荷車へ向かっていった。
「おい、坊主! 押してやるからちょろっと離れてなぁ!!」
雨の中、腕まくりしたブルーノが荷車に手を掛ける。
「あ、衛兵さん。 ありがとうございます。助かります……」
少年の顔は疲れ切っていた。
「気にするな。 偶然見かけただけだ」
見たところ、雨でえぐれて出来た溝に車輪がはまってしまっている。
ブルーノと二人で押せば、なんとかなるだろう。
「よし、ブルーノは後ろから押してくれ。 俺は前からやる」
ブルーノは言われるまでもなく、後ろについており頷いた。
「おうよ、任せな!!」
気合いを入れようとしたブルーノが大きく腕を回す。
「きゃぁ!」
どん、という音と、女性の悲鳴が聞こえ、ガレスは振り返る。
「うあ? あ、お嬢ちゃん、すまねえ!!」
ブルーノが回した腕が、近くを通り抜けようとした女性にぶつかってしまったようだ。
「大丈夫ですか?」
ガレスは駆け寄り、泥まみれになってしまった女性を抱き起す。
「ああ……ああ……」
よく見ると年若い女性、少女のようだが、泥にまみれたことで動転しているようだった。
「あ、お嬢様!」
荷車の少年が大声で叫ぶ。
どうやら関係者のようだが、泥にまみれた中に見える身に着けている衣類などを見るに、結構に裕福な家の娘かもしれない。
「あちゃぁ……やっちまったなぁ」
港都ルミナの雨は降りやむことなく、さらに強まっている。
*
「おい、アズール!!」
エランさんが奥から慌てた様子で僕を呼ぶ。
「はい、何かやらかしたでしょうか……」
特に思い当たることはないのだけれど、こういう時は、まず話を聞くに限る。
「いや、お前じゃないんだが、ちょっとこい」
エランさんに引き連れられて、奥の個室へ連れ込まれる。
「まずいことになったぞ」
いったい何があったのだろう。まったく身に覚えがない。
「ブルーノがやらかしやがった……」
え? 見回り中のブルーノが?
ガレスも一緒だから余程のことがなければ無茶しないとは思うのだけれど。いったい何が……。
「悪気はなかったようなんだがな、ちぃっとまずい相手に粗相したようでなぁ」
まずい相手? 粗相??
「えーっと、ガレスも一緒だったと思うんですが」
「ああ、ガレスも一緒だ。 やらかしたこと自体は、そう大きなことではない。 ただなぁ、相手が悪い」
エランさんから詳細を聞いた。
どうやら、人助けをしようとしたブルーノが、不注意で周りにいた少女にぶつかり、転倒させ、この雨の中、泥まみれにさせてしまったとのこと。
それ自体は、不幸な事故で、幸いケガなどはなかったようなので、それはよかったのだけれど、相手が悪かったようだ。
「カシアン様の長女レイネ様の茶会にも出入りする、ドレイク殿の娘さんでもあってな……」
肩書が渋滞している。
「はぁ…。 それがいったい?」
不注意だったけれども、ケガもなく、泥にまみれさせたことは謝るしかないが、それほど騒ぐような問題とも思えない。
「それがなぁ。 ドレイク殿が大騒ぎしておってな……」
ええ……。そんなことで。
「ドレイクさんといえば、港都の大物のひとりでしたよね?」
「ああ、貴族でこそないが、大商人で関係がこじれるのはまずい」
なるほど……。 なんとなく見えてきた。
「その娘さんは、ドレイク殿の一人娘でな。 目に入れても痛くないくらいに、とても可愛がっているらしい」
「……それで娘さんにはケガこそなかったけど、傷物にされたと?」
「まぁ、近い感じだな。 さらにドレイク殿宛てへの届け物の途中だったのもまずかった」
なるほど。なるほど……。
「手作り弁当だったらしい……。 泥まみれになって、だめにしてしまったがな」
なるほど……。
「それは……。 不幸な事故でしたね……」
エランさんは窓の外へ目を向け、遠くを見るような顔をしている。
「いったん、この件は俺が預かるが、どうにもできんかったらすまんな」
エランさんが、申し訳なさそうに告げて、部屋から出ていった。
「はぁ……。 今回はブルーノの不注意とはいえ、特別悪いわけでもなし、困ったなぁ」
僕も部屋を出ながら、どうしたものかと頭を悩ませていた。
*
「アズールよぉ、あそこの串焼き結構いけるんだぜ?」
横にいるブルーノが、倉庫街手前の屋台を指して「買ってくか?」って聞いてくる。
先日のあの出来事から数日、特に変わったこともなく、今はブルーノと見回りの仕事中だ。
「だめだよ、まだ仕事中」
正直、僕も少し小腹は空いていて、魅力的な提案だけれど、ここは我慢だ。
「んだよぉー。 少しくらいいいじゃねーかよぉ」
ブルーノは少しすねた様子だが、そんなに気にはしていないのを僕は知っている。付き合い長いしね。
「今日仕事終わったら、一杯やろ? それを楽しみにね!」
ブルーノは、目を輝かせながらこちらに振り返る。
「おぉ、いいなあ! んじゃ、もう少し頑張りますかねえ」
そんなことを語りながら、見回りを継続し、倉庫街から繁華街へ入っていく。
「それにしても今日は良い天気だね」
昨日まで、天気が悪く、久しぶりの晴天だ。
「おう、ここしばらく、ずうっと雨が続いたからなあ」
ブルーノも雨には参っていたようで、今日はいつにも増して元気いっぱいだ。
そういえば、先日の件はいったいどうなったのだろう。
エランさんからは、あれ以来、特に何かを言われることもない。
このまま何事もなく過ぎていってくれればいいのだけれど。
「そういえば、アズール。 魚市場のあたりで昨日大きめの喧嘩があったみたいだぜ?」
あ、それは僕も聞いた。
魚市場の人たちと、繁華街の人たちで何やらもめていたらしい。
どうやら酔っぱらっての騒動で、喧嘩両成敗ではないけれど、お互いに悪い、ということで話がついていた記憶だ。
「昨晩の件だよね? ちらっとだけ見に行ってみようか」
ブルーノも異論はないようで「おうよ」と返し、一緒に魚市場方面へ向かった。
昼過ぎの魚市場は、朝の活気も落ち着き、魚も売れ残り品がぽつぽつある感じで、早い店は既に閉めてしまっているところもある。
魚は足がはやい。
特に傷みやすい種類の魚なんかは午後までには売り切らないと、という感じで、昼が近くなると値引きしてはけてしまうようだ。
「お? あそこにいるのは、ガレスじゃねーか?」
魚市場に入って、昨日の喧嘩現場あたりを見回っていたら、ブルーノがガレスを見かけたようだ。
「あ、ほんとだね。 今日は非番だったはずだから、買い出しかな」
魚を買いに来たのかは、わからないけれど、何やら真剣にいろいろ物色している。
少し距離があるのもあって、僕たちには気づいていないようで、そのまま雑貨を扱う店が多い通りへ入っていった。
「何してるんだろうね。 普段は休暇でもずっと鍛錬してるイメージだから珍しいね」
ブルーノも何か感じるところがあるのか、僕に顔を向けて言ってきた。
「後をつけるか?」
僕はちょっと考えた……。
「ちょっとだけだよ」
誘惑に負けた。
*
ガレスは、露店で雑貨などを物色しながら、特に何を買うでもなく通りを進んでいく。
雑貨屋通りを抜けた先は、最近の港都ルミナで”おしゃれな若者の通り”と言われているルミナ新商店街だ。
僕みたいな田舎者には、ちょっと気おくれする場所なのだけれど、見回りは仕事なので問題ない。ガレスの尾行が仕事なのかは……さておいて。
ガレスは、神経が太い。ある意味では無神経なところがある、ともいう。なので、こういう場所もあまり気にしないのか、先ほどとは違い、すたすたと進んで、一軒のこじゃれたカフェの前で立ち止まる。
ガレスは、少しだけ困ったように周囲を見たあと、覚悟を決めたように店へ入っていった。
「おい、アズール。 なんかなよっとした茶店に入りやがったぞ」
ブルーノは、眉をひそめて、ガレスが入っていった扉を見つめている。
「うん、どうしよう。 さすがに入ると気づかれそうだし」
いったん、ここまでにして、また夜にでもガレスに聞けばいいかな?と考え、ブルーノにもそう話して、本来の見回りに戻ることにした。
「ガレスって意外と、こういう都会的なものに馴染んでるんだねー」
僕とは違うなぁ。同郷で田舎者同士なはずだけど、染まり方には差があるようだ。
「ん-、そうかぁ? あいつもあんまりこういうところに興味ねえと思うけど」
ブルーノはまた違った感想のようだけど。
僕たちは、次に倉庫街を見回り、大桟橋あたりを経由して、繁華街へ戻ってきた。
途中で、職人たちの軽い喧嘩を諫めたり、丁稚の少年が大きな荷物を抱えて困っていたので手伝ったりして、気が付けば夕暮れ時だ。
「いやー、今日も港都は平和だねえ」
ブルーノは退屈そうに、欠伸しながら腕を伸ばしている。
「平和が一番だよ」
ありきたりな返ししかできない。言いたいことはあっているのだが、語彙力が欲しい。
「あ? あれガレスじゃねーか?」
また、ブルーノがガレスを見つけたようで、僕に告げてくる。
今日はよくガレスを見つける日だ。
「どれ? あ、ほんとだ。 あれ? 誰かと一緒だね」
よく見ると、横に若い女性を連れている……。
「おうおう、ガレスも隅に置けねえなぁ」
いや、あのガレスが女性と?
そんな馬鹿な……。
僕がよく知るガレスが女性に現を抜かすなんて、考えられない。
だけど、目の前には現実が。
「しかし、なんかどっかで見たことあるような気がする女だなぁ」
ブルーノが何か言っているけど、耳に入ってこない。
うん、見たけど、見てない!
今日は何も見ていない。
「よし、ブルーノ、詰所に戻ろう!」
「お? おう。 帰るか!!」
そして、僕らは詰所へ戻った。
*
そんなことがあった日から数日後の午後。
今日は帳面仕事でうんうん唸っていると、奥から出てきたエランさんが僕を呼ぶ。
「アズール、ちょっとこい……」
「はい、何かしましたでしょうか……」
今日も特に何か呼ばれるような心当たりはない。
「いいからこい」
「はい」
エランさんに連れられて、先日と同じ個室に入る。
戸を閉めて、エランさんが奥の椅子に腰かけ、神妙な顔で告げる。
「アズール、ガレス、ブルーノ、三名をヴェルカ衛兵隊・南潟詰所への異動とする」
え? 突然のことで意味が分からない。
「あ、あの!」
僕が理由を問いただそうとすると、エランさんが割って続ける。
「わかる、わかるぞ。 言いたいことはわかる」
何をわかるのだろうか。
「先日のブルーノの件があっただろう?」
エランさんが続ける。
「ドレイク殿の娘さんを泥まみれにした件だ」
僕は黙って頷く。
「まあ、あれはいったん俺と上の方でなんとか丸め込んだんだが……」
エランさんの歯切れが悪い。
「どうやらなぁ。 その時のお嬢さんがガレスに惚れちまったようでな。 それが大問題に……はぁ」
ど、どういうことなんだろう。
「泥まみれのお嬢さんの手当をしたのがガレスだったらしくてな。 年頃の娘さんだ、ガレスも中身を知らないで見れば偉丈夫で男前だ」
な、なるほど?
「それだけで、娘さんが大人しくしていたら何も起きなかったのだがなぁ」
あ、先日のガレスの横にいた女性が?
「娘さんが案外、行動的なもんで、ガレスにつど接触を繰り返していたそうでな」
や、やっぱり。
「それがドレイク殿にバレた……」
あ、ああ・・・。
「どこの馬の骨ともわからん男、それも娘を泥まみれにした男の仲間だ。 あとはわかるな?」
立て続けにドレイクさんの感情を逆なでして、強い抗議があったのかもしれない。「うちの娘を傷つけた上に、娘をかどわかすとは」とかなんとか。
「しかし、異動するまでとは、思えないのですが……」
エランさんもそこは同情的な気持ちがあるのか、複雑な表情で僕を見つめる。
「普通ならそうだ。 だが相手が悪かった」
ドレイクさんとは、それほどの人なのか?
「ドレイク殿は、港都衛兵隊にも多額の支援をしてくださっていてな……」
な、なるほど……支援者……。
「このままガレスとブルーノを置いておくわけにはいかん、となった」
そ、そういうことか。
支援を打ち切られるくらいなら、ガレスとブルーノを辞めさせるなりすればいい。簡単な話だ。
だが、おそらくエランさんの温情で、なんとかドレイク殿の目の届きにくい場所への異動という形で済ましてくれたのだろう。
「だいたい話はわかりました」
エランさんが、溜息を吐きつつ、うなずく。
「ああ、お前にはとんだとばっちりだが、あいつら二人を抑え込めるのはお前しかおらんからな。 悪く思うな」
急な話でまだ混乱はしている。
だけど、三人での異動ならまだましだ。
ガレスとブルーノが辞めさせられるより、よほどいい。
「いえ、温情ありがとうございます」
エランさんが、目をぱちくりさせながら、何を言っている?といった顔で僕を見る。
「何を言っているかわからんが、そういうことだ。 改めて辞令は近日中に出る。 準備だけ先行して行っておけ」
エランさんも、悪い人ではない。いや、ちょっと気は小さいところはあるけれど、根はやさしい人だ。
「はい。 このことは先に二人に話しても?」
「そこは任せる」
「わかりました」
エランさんがうんうんと頷きながら、言葉を続ける。
「ヴェルカ衛兵隊・南潟詰所は、ちょうど人員の不足で人を欲しがっていたのもある」
「はい」
それは本当のことだろう。でも、それはそれだ。
「ところで、ヴェルカの街は名前だけは知っていますが、ヴェルカ衛兵隊・南潟詰所はどういうところでしょう? このルミナ港湾衛兵隊・港南詰所みたいな感じでしょうか?」
僕は率直に新しい職場になる南潟詰所について聞いてみた。
「あぁ……。さぁなあ。 俺もあまりよくは知らん……」
何か知ってそうだけれど、歯切れが悪い。大変な部署なのだろうか。
「あ、わかりました。 行けばわかることを聞いてすみません」
「いや、いい。 とりあえず、そういうことだ」
エランさんは立ち上がり部屋から出ていった。
さて、どうしたものか。
最悪の事態ではないけれど、良い話でもない。
いわゆる左遷というやつだ、これ。
まずは、ガレスとブルーノにどう伝えるか。
それを考えただけで、少し胃が重くなった。
ヴェルカ衛兵隊・南潟詰所がどういう衛兵隊で、どういう任務が待っているのか、この時の僕はまだ知らなかった。
エルダニア大陸の東南で、わずかに時代が動き始めていた。まだ誰にも知られることはなく。




