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コズミック・ドリフター⑥真実の書庫(隠れユートピア "ライブラリア")  作者: naomikoryo


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第六話:排水路の腹

里の空気が、授業の熱を残したまま静まっていった。

光は落ち着き、本棚の匂いが戻る。

けれど三人の胸の奥には、さっき束ねた感覚がまだ脈打っている。

守る。

偽装する。

止める。

それを同時にやれたという事実が、恐怖の形を少しだけ変えていた。


老人は結晶板を片付け、机の上の航路図を広げ直した。

線が一点へ集まる。

エデン。

その名が、また空気を重くする。


「外へ出る前に…」


老人が言った。

声は相変わらず低く、余計な飾りがない。


「条件がある。」


リラが即座に言う。


「条件は聞く。」

「だが、無駄話は要らない。」


老人は微笑んだ。


「無駄ではない。」


「生き残るための無駄だ。」


その言い回しに、リラの眉が僅かに動く。

反論しにくい。

それが腹立たしい。


老人は航路図の端を指で叩いた。

そこに、里の位置らしき印がある。

印は曖昧で、星図の座標には乗っていない。

存在しない場所の印。


「お前たちは…」


老人が言う。


「ここを出れば…」


「必ず追われる。」


「だから…」


「追われる前提で動け。」


陸の喉が鳴った。

前提。

逃げ切る、ではない。

追われる。

その上で生きる。

タルタロスで学んだ現実が、ここでも続く。


リラが冷たく言う。


「追跡は切れる。」


老人は首を振る。


「切れぬ!」


「ただ…」


「糸の本数は減らせる。」


老人の指が航路図をなぞり、里の印から一本の線を引いた。

線は途中で枝分かれし、さらに細い線がいくつも走る。

それが追跡の糸のイメージだと分かる。


「お前たちがやるべきは…」


老人が言った。


「糸を切ることではない。」


「糸を絡ませることだ。」


「誰が本物の獲物か分からなくする。」


リラの瞳が僅かに細くなる。


「……囮を作る…」


老人は頷いた。


「囮は一つでは足りぬ。」


「三つ作れ。」


「三人分?」


陸の胸がざわつく。

三人分の囮。

つまり、三人とも狙われる。

狙われ方を変える。

役割を固定させない。

それが授業の意味だ。


ザインが舌打ちした。


「面倒くせえ!」


老人は淡々と返す。


「面倒な方が生き残る。」


その一言で、ザインは言い返さなかった。

言い返せないのではない。

分かってしまったのだ。

面倒なことを避けた結果、タルタロスで首輪を付けられた。

面倒でもやるしかない。


老人は次の結晶板を取り出した。

そこに浮かび上がったのは、施設の構造図だった。

高層ビルでもなく、監獄でもなく。

円形に広がる複合施設。

外周は白い壁で囲まれ、内側に緑地がある。

どこかセレネ・ガーデンに似た匂い。

だがもっと閉じている。

美しさが、管理のためにある美しさ。


「ここだ!」


老人が言う。


「アーカイブ・ハブ“オルド”」


リラが即座に反応した。


「……企業連合の中立保管庫。」


老人は頷いた。


「表向きは中立。」


「だが中立は、いつも売り物だ。」


陸は図面を見つめた。

ここへ行けというのか。

何を。


老人は言った。


「この中に…」


「クロノスの航路ログがある。」


「タルタロスの移送記録も。」


リラの瞳が鋭くなる。


「……エデンへ繋がる?」


老人は答えを濁さない。


「繋がる可能性が高い。」


「そして…」


老人の指が、施設の最深部を指した。


「ここには…」


「“神々の涙”の本体が眠っている。」


陸の胸が跳ねた。

餌ではない。

本体。

じゃあ、あの罠は偽物の情報で、本物はここに。

クロノスは本体を別の場所に置き、異邦人を誘い出した。

その上でタルタロスに落とした。

だとしたら。


(全部、計算だった)


怒りが腹の底で煮えた。


リラが短く言う。


「奪う?」


老人は首を振った。


「奪うな。」


リラの眉が跳ねた。


「……は?」


老人は淡々と言った。


「触れよ。」


「見よ。」


「そして…」


「残せ。」


残せ。

リラが理解できない顔をする。

残す。

証拠を残すのか。

痕跡を残すのか。


老人は続ける。


「本体を持ち去れば…」


「クロノスは必ず追う。」


「追う糸は太くなる。」


「糸が太くなれば…」


「お前たちは飲み込まれる。」


リラの唇が細くなる。

悔しそうに。

でも計算が回り始めている。

追跡の糸を太くしない。

なら、目的は別だ。


「……じゃあ…」


リラが言った。


「何を持ち帰る?」


老人は結晶板を指で弾き、別の映像を出した。

小さな箱。

黒い金属のカプセル。

内部に薄い結晶片。


「記録。」


老人が言う。


「航路ログの断片。」


「そして…」


「神々の涙が反応した痕跡。」


陸の背筋が冷える。

痕跡。

反応。

自分の力が反応するのか。

それともリラの血が反応するのか。


老人は三人を順番に見た。


「この任務で…」


「お前たちは…」


「三つのことを学ぶ。」


「一つ。」


「外で束ねる。」


「二つ。」


「クロノスの目を欺く。」


「三つ。」


「エデンへ向かうための道具を得る。」


道具。

その言葉が、陸の胸を少し軽くした。

戦うために必要なのは、意志だけじゃない。

道具だ。

情報だ。

技術だ。

手段だ。


リラが問う。


「いつ出る?」


老人は淡々と言った。


「今日だ。」


陸の心臓が跳ねる。

早いほどよい。

そう言っていた。

でも、本当に今日。


ザインが肩を鳴らした。


「やっと動ける。」


その言葉は勇ましいのに、どこか飢えた響きがあった。

タルタロスで抑え込まれた分だけ、動くことに飢えている。


リラが冷たく言う。


「動けるからって暴れるな。」


ザインが笑う。


「殴るなって授業だったな。」


「覚えてる。」


リラが鼻で笑う。


「ならいい。」


陸は二人のやり取りを聞きながら、右腕の内側の熱を確かめた。

里の中では封じが薄い。

外に出たらどうなる。

クロノスの抑制が届く場所なら、また封じられるかもしれない。


(だから)

(束ねる)


陸は自分に言い聞かせる。

一人で跳ぶな。

一人で背負うな。

三人で、役割を交換しろ。


老人が手を振る。


「準備せよ。」


「出る時刻は…」


「太陽が二度目に影を伸ばす頃。」


太陽。

この里にも太陽の概念がある。

タルタロスにはなかった。

時間の感覚が、少しずつ戻ってくる。


広間を出ると、治療師が待っていた。

小さな布袋を三つ、無言で差し出す。

中身は軽い。

でも匂いが強い。

鉄と薬と、苦い香草。


「何だ?」


陸が訊く。


治療師は淡々と言った。


「匂い消し…」


「血の匂いは追われる。」


陸は思わず首元を押さえた。

確かに。

タルタロスで流した血の匂いは、自分の中に残っている気がする。


リラが袋を受け取り、すぐに中身を確認した。

慎重。

当たり前。

信用はしない。

でも必要なら使う。


ザインは袋を受け取り、鼻で笑った。


「便利だな。」


治療師が返す。


「便利じゃない。」


「必要だ。」


その言葉が、ザインの口癖と重なって、陸は少しだけ可笑しくなる。

でも笑わない。

笑うと緩む。

緩むと死ぬ。

タルタロスで学んだ。


準備は短かった。

里は物が少ない。

余計なものを持たない。

必要なものだけを持つ。

生き残るための美学。


陸は右腕の上に布を巻いた。

隠すためではない。

触れた時の感覚を逃がさないための巻き方。

治療師に教わった。

(力は皮膚で暴れる)

(皮膚が裂けたら終わりだ)

そんな言葉を、淡々と。


リラは小さな端末を受け取った。

里の記録媒体ではなく、外界の通信規格に合わせたもの。

嘘を書くための筆。


ザインは短剣を一つ渡された。

昨日の台車にあった、布包みの短剣だ。

刃は短い。

けれど異様に薄い。

光が吸い込まれるような黒。


「刃を向けるな。」


老人がいつの間にか背後に立っていて言った。


「それは切るための刃ではない。」


「結び目を解くための刃だ。」


結び目。

縫い目。

この里の言葉は、すべて布に繋がっている。


ザインが舌打ちした。


「難しいこと言うな。」


老人は微笑む。


「難しい方が生き残る。」


同じ言葉。

それが里の掟のように胸へ落ちる。


出発の時刻が来た。

本棚の奥の扉が、いつの間にか開いている。

昨日は見えなかった扉。

今は見える。

教えられた者だけが見える扉。


扉の向こうは、薄い霧だった。

霧の中に、木々の影がある。

里は“存在しない”のに、外はちゃんと森の匂いがする。

湿った土。

葉の青さ。

遠くの水音。


三人は扉の前に立った。


リラが言った。


「……外に出たら?」


「私の指示を優先する。」


ザインが笑う。


「命令か?」


リラが睨む。


「分類だ。」


陸が間に入るように言った。


「合わせよう。」


「今は、勝つために。」


リラは一瞬だけ陸を見る。

紫紺の瞳が、言葉にならない同意を返す。

そしてすぐに視線を逸らした。


「離すな。」


リラが短く言う。


陸は頷きそうになって、頷かない。

代わりに手を差し出した。


リラは一瞬だけ迷い、すぐに掴んだ。

その手は冷たい。

でも、震えていない。


ザインが鼻で笑って、反対側の手を掴んだ。


「落としたら殺す。」


「冗談だよな。」


陸が言うと、ザインは笑った。


「半分な。」


リラが舌打ちする。


「喋るな。」


「息を揃えろ。」


三人の呼吸が、ほんの少しだけ重なった。

束ねる感覚。

里の中でやった。

今度は外でやる。


陸は右腕に意識を沈める。

跳躍ではない。

まずは“閉じる”。

自分たちの痕跡を薄くする。

里の匂いを背負ったまま外へ出れば、追跡の糸が太くなる。


(薄く)

(沈め)

(偽れ)


昨日の言葉が胸の中で並ぶ。


扉の霧へ足を踏み入れた瞬間。

空気が、ふっと変わった。

里の匂いが背後へ遠ざかり、外の森の匂いが前から押し寄せる。

湿り気が肌に貼りつく。

風が頬を撫でる。


そして。

遠くの空に、薄い黒い筋が見えた。

雲ではない。

人工の航跡。

誰かがこの宙域を掃いている。

まだ遠い。

でも、いる。

クロノスの手。


リラが小さく吐き捨てた。


「……早い!」


老人の声が、背後からではなく胸の奥から響いた気がした。

時間を奪われる前に動け。


陸は手を握り直した。


(行く)


(オルドへ)


(そして)


(エデンへ繋ぐ糸を)


(こっちが握る)


森の中で、三人は影を薄くしながら歩き出した。

里の扉は、霧の向こうで静かに閉じる。

存在しない場所へ戻っていく。


外の世界は冷たく、広く、そして容赦がない。

でも今の陸には、足場がある。

相棒の手の温度。

敵だった男の掴む力。

そして、選ぶための学び。

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