第32章:雨降って・・・
ミッチの音楽教室の帰り道。
いつもの喫茶店「シュプール」。
窓際の席で、ミッチとシュートは向かい合っていた。
ミッチが頼んだアイスティーの氷が、カランと音を立てる。
シュートはホットコーヒーを前に、ずっと黙ったままだった。
「……シュート、今日はやけに静かだね」
ミッチがストローをくるくる回しながら言う。
「別に。いつも通りだろ」
「いつも通りのシュートは、そんなにコーヒーばっかり見つめないよ」
「ケーキばっかり見ているもん」
図星を刺され、シュートは小さく息を吐いた。
「……清水東の顧問の言葉が、まだ引っかかってる」
ミッチはストローを止め、真剣な目で彼を見た。
「“頭脳と身体が噛み合ってない”ってやつ?」
「……ああ。あれ、どういう意味なんだろうな。
俺は全力でやってるつもりなんだけど……何かが足りない気がする」
シュートは拳を握りしめた。悔しさと焦りが混ざった声だった。
ミッチは少し考えてから、静かに言った。
「ねえ、それって……しっちゃんのことじゃない?」
「しっちゃん?」
「うん。しっちゃんは“頭脳”で、シュートは“身体”。
二人が同じ方向を向いたとき、宝梅はすごいチームになる。
でも今は……まだ噛み合ってないんじゃない?」
シュートは驚いたように顔を上げた。
「……俺と、しっちゃんが?」
「今の宝梅は“個人の力”で戦ってる。
しっちゃんの頭脳と、シュートの身体が繋がったら……
もっと強くなると思う」
シュートは黙り込んだ。
ミッチの言葉が、胸の奥に深く沈んでいく。
「……ありがとう。少し見えた気がする」
ミッチは微笑んだ。
「よかった。じゃあ、あとはシュートが動くだけだね」
翌日練習前、シュートはグラウンドへ向かった。
ストレッチをしていたしっちゃんに声をかける。
「しっちゃん、ちょっといいか」
「ん? どうした」
シュートは真剣な目で言った。
「キャプテン……お前に譲りたい」
しっちゃんの手が止まった。
「……は?」
「俺じゃ、チームを引っ張れない。 お前の方が向いてる。
だから——」
「ふざけるなよ!」
しっちゃんの怒声が響いた。
「なんでそんなこと言うんだよ!
俺は参謀だ!お前を支えるためにいるんだ!」
「でも——」
「“でも”じゃない!
お前がキャプテンだから、俺は全力で支えられるんだよ!」
しっちゃんの声は震えていた。怒りだけじゃない。
悔しさと、悲しさと、信頼が混ざった声だった。
「……俺は、お前がキャプテンじゃない宝梅なんて考えられない」
シュートは言葉を失った。
しっちゃんは背を向け、短く言った。
「……勝手に決めるな。 この話は、チーム全体で決める。
お前一人で抱えるな」
その背中は、いつもより少しだけ遠く見えた。
翌日
シュートは再び「シュプール」の扉を開けた。
ミッチはすでに席に座り、アイスティーを飲んでいた。
「……あれ、また来たの?」
「……ミッチ。しっちゃんに言ったら、怒られた」
ミッチはストローを止め、真剣な目でシュートを見る。
「なんて言われたの?」
「“俺は参謀だ。お前を支えるためにいる”って……
怒鳴られた」
ミッチはふっと笑った。
「しっちゃんらしいね」
「……俺、間違ってたのか?」
ミッチは首を横に振った。
「間違ってないよ。 でもね、シュート……」
ミッチはグラスを置き、まっすぐに言った。
「“キャプテンを譲る”っていうのは、
“逃げる”って意味にも聞こえるんだよ」
シュートは息を呑んだ。
「逃げ……?」
「うん。 しっちゃんは、シュートが“逃げようとしてる”って思ったんじゃないかな」
ミッチは続けた。
「キャプテンってね、全部自分でやる人じゃないよ。
“みんなを動かす人”のことだよ」
「……俺が、みんなを……?」
「そう。 しっちゃんの頭脳も、チームの力も、
全部“動かす”のはシュートなんだよ」
ミッチは微笑んだ。
「だって、シュートは……
みんなを本気にさせる人だから」
その言葉は、シュートの胸に静かに落ちた。
熱くて、痛くて、でもどこか救われるような感覚だった。
「……ミッチ」
「ん?」
「ありがとう。 俺……もう一度、しっちゃんと話すよ」
ミッチは嬉しそうに笑った。
「うん。 今度は“逃げないシュート”でね」
シュートは深く息を吸い、立ち上がった。
(……俺は逃げない。 しっちゃんと向き合う。
チームと向き合う。 そして——)
ミッチの横顔を見ながら、
胸の奥で静かに決意が固まっていった。
翌日の放課後。
サッカー部の部室には、いつもより重い空気が漂っていた。
「全員、集まってくれ」
シュートの声に、部員たちが円を作るように集まる。
しっちゃんは腕を組んだまま、少し離れた位置に立っていた。
シュートは深呼吸し、みんなの顔を見渡した。
「……昨日、しっちゃんに“キャプテンを譲りたい”って言った」
部室がざわつく。
「え、マジで?」「なんでだよ」「シュートがキャプテンだろ」
しっちゃんは目を閉じ、黙っている。
シュートは続けた。
「俺は……自分がキャプテンに向いてないんじゃないかって思った。
チームを引っ張る自信がなくなったんだ」
その言葉に、部員たちの表情が変わる。
「でも——」
シュートは拳を握りしめた。
「逃げようとしてたんだと思う。
“向いてない”って言い訳して、責任から逃げようとしてた」
しっちゃんが目を開け、シュートを見つめる。
「昨日、気づいたんだ。
“キャプテンを譲るっていうのは、逃げるって意味にも聞こえる”って」
部員たちが静かに頷く。
「俺は……逃げてた。 でも、もう逃げない。
しっちゃんの頭脳も、みんなの力も、
全部“動かす”のがキャプテンの役目なんだって気づいた」
シュートはしっちゃんの方を向いた。
しっちゃんはしばらく黙っていた。
部室の空気が張りつめる。
やがて、しっちゃんは小さく息を吐いた。
「……最初からそう言えよ」
「え?」
「“向いてないから譲る”なんて言われたら、怒るに決まってるだろ。
俺は……お前がキャプテンだから支えたいんだよ」
しっちゃんは一歩前に出て、シュートの胸を軽く拳で叩いた。
「逃げないって決めたなら……俺は全力で支える。
お前がキャプテンで、俺が参謀。それが宝梅だ」
部員たちから拍手が起こる。
「よっしゃ、決まりだな!」「キャプテンはシュートしかいねぇよ!」
「しっちゃんの分析と、シュートの突破力で勝つぞ!」
シュートは胸が熱くなるのを感じた。
「……ありがとう。
これからは、みんなで宝梅を強くする。
まずは体力だ。走り負けないチームにする」
しっちゃんがホワイトボードに向かい、メニューを書き始める。
「宝梅は技術より“体力差”で負けてる。
まずはそこを埋める。全員でやるぞ」
部員たちが声を揃える。
「おおっ!!」
その声は、これまでの宝梅にはなかった“熱”を帯びていた。
シュートはその光景を見ながら、胸の奥で静かに思った。
(……俺は一人じゃない。
しっちゃんがいる。
みんながいる。
そして——)
ミッチの言葉が、心の中でそっと響いた。
——“シュートは、みんなを本気にさせる人だから”
シュートは小さく笑い、拳を握った。
(……絶対に強くなる。 このチームで、必ず)




