第28章:内定の喜びと不安
大学4年の秋。
しずかは、阪急グループの再開発事業部の
最終面談に進んでいた。
宝塚で生まれ育ち、宝塚の街を愛し、
宝塚の未来に関わりたい。
その思いだけで、ここまで来た。
面談会場は、梅田の阪急本社ビル。
エレベーターの金属の匂いと、廊下のカーペットの
静けさが緊張を煽る。
案内された部屋のドアを開けると、
名札にこう書かれていた。
「阪急グループ再開発事業 社長:小林孝彦」
しずかは背筋を伸ばし、椅子に座った。
孝彦は穏やかな声で言った。
「宝塚の街の、どんなところが好きですか?」
孝彦の問いに、しずかは迷わず答えた。
「人が温かいところです。
商店街のおばちゃんも、駅前の喫茶店のマスターも、
みんな“顔見知り”で、街全体が家族みたいで……」
少し笑って続けた。
「私は、この街が“誰かの故郷であり続ける”ための
再開発がしたいんです」
孝彦は静かに頷いた。
「卒論について聞かせてください」
しずかは端的に説明した
「私の卒論は 『企業主導の地方開発における課題と
住民参加の可能性』 というテーマです」
孝彦の目がわずかに鋭くなる。
「企業主導の開発は効率性を重視します。
しかし、住民の生活文化が置き去りに
されることが多い。
私は“企業と住民が対等に話し合える仕組み
”が必要だと考えています」
孝彦は腕を組み、しずかをじっと見つめた。
「……松岡さん。
あなたは、企業側に立つ覚悟はありますか?」
しずかは一瞬だけ迷った。でも、すぐに答えた。
「はい。企業側に立つからこそ、
住民の声を届けられると思っています」
孝彦の表情が、わずかに緩んだ。
数日後の夕方。
松岡家の黒電話が鳴った。
「はい、松岡です」
受話器を取ったしずかの母が、驚いた顔でしずかに手渡した。
「しずか、阪急さんからよ!」
しずかは震える手で受話器を持った。
「松岡しずかさんですね。 阪急グループ人事部です。
最終選考の結果……内定をお伝えします」
しずかは思わず心で叫んだ。
(……やった)
内定式の日。
辞令を受け取ったしずかは驚いた。
「配属:阪急グループ再開発事業 社長秘書室」
(……秘書?)
その日の午後、孝彦に呼ばれた。
「松岡さん。
あなたを“単なる秘書”として採用したわけではありません」
しずかは息をのんだ。
孝彦は静かに続けた。
「再開発は、街の未来を決める大仕事です。
私は、若い視点と、宝塚を愛する心を持つ
人間が必要だと思った」
「あなたには、
再開発の“舵取り役”の一人になってほしい」
しずかの胸が熱くなった。
(私が……街の未来に関わる?)
孝彦は言った。
「あなたの卒論、私は本気で評価しています。
企業と住民の橋渡し役——
それが、あなたに期待している役目です」
しずかは深く頭を下げた。
「……全力でやらせていただきます」
その声は震えていたが、目はまっすぐ前を向いていた。
松岡家の食卓は、久しぶりに明るい空気に包まれていた。
「しずか、本当におめでとう」
母が湯気の立つ味噌汁をよそいながら言った。
父も新聞をたたみ、珍しく笑顔を見せた。
「阪急さんか……大したもんだな」
しずかは照れくさそうに笑った。
「ありがとう。まだ配属はわからないけど、頑張るよ」
その横で、しっちゃんがパンフレットを手に取った。
阪急グループの会社案内。
表紙をめくると、観光部門の紹介ページに
スーツ姿の男性が写っていた。
「観光部門社長 小林孝彦」
しっちゃんは、ふと手を止めた。
「……あれ?」
しずかが覗き込む。
「どうしたの?」
しっちゃんは写真を指差した。
「この人……ミッチのお父さんだ」
しずかは思わず息をのんだ。
「えっ……?」
しっちゃんは続けた。
「この前みんなでハイキングに行った時、この人が
ミッチを送ってきていた」
しずかは言葉を失った。
(……ミッチのお父さん?
私の面接官が?
しかも、これから直属の上司になる人が?)
胸の奥がざわついた。
「これは……言ってはいけないことだ」
(ミッチが自分から言わなかったことを、
私が軽々しく話すべきじゃない)
それに——
再開発の仕事は、時に“誰かの生活”に
踏み込む仕事になる。
ミッチの家族のことを、仕事と混ぜてはいけない。
(これは……胸にしまっておこう)
しずかは静かにパンフレットを閉じた。
お気に入りへの登録やいいねをよろしくお願いします
感想などのコメントも歓迎します




