5:《竜戦士・前編》
ちょうどよい切れ目がみつからず、ちょっと短め(次話が長め)になってしまいました……。
闇の王国ツァルガは、闇聖王トゥラースが魔界へと堕とされたことにより、事実上滅びたといってもよい状態にあった。
一足先に国外へと逃れた民達を守護していた、トゥラース王の弟であるタージュタージェ王子は、生き残った妹王女ティーナらと別れ、たった一人戦場となったはずのツッァルガの王城へと、戻ってきた。
被は幼い頃、この大陸において「最後の竜」と呼ばれていた、竜族の最後の一頭であるアルラネウスと親友となった。しかし大戦の最中、タージュとの友情に応えるめ人間達にカを貸したアルラネウスが、夢王との戦いにおいて、命を失いかけるという事が起こった。
アルラネウスは自らの命が消えようとするなか、シュラントという名の賢者のカを借り、タージュタージェ王子にその命と魔力、さらには魂をも融合させたのである。
人間であったはずのタージュ王子は、その身に最後の竜の力を宿し、頭には竜の角が存在し、背には竜の被膜の羽根をも持つことになった。さらに彼は、その姿を竜そのもの……いや、アルラネウスの姿そのものへと変える事すらも、できるようなったのである。
「……城が……」
銀色の翼をその背に羽ばたかせ、タージュ王子はツァルガの王城を上空から見下ろしていた。
すでに、城の周りに敵軍の姿は一つもなく、彼の目に映るのは、所々崩れ落ちたツァルガの王城と、何故か一部だけ、丸く大きく穿たれた地面であった。それはちょうど、城門と王城とに挟まれた、少しだけ開けた場所で、城門が破られれば、まず間違いなく戦場となる場所であった。
「城門が崩れていると言うことは、確かに敵はそれ以上先へと押し入ったはずなのに……それにしては……」
王城がさほど荒れていないことに、上空で疑問を持つタージュ。城内部での戦闘があったとするならば、もっと激しく城が汚れ、崩れていてもおかしくなかった。
にも関わらず、王城にそんな光景を目撃することはできず、タージュは自らの目でもっと間近で確かめるために、地上へと舞い降りる。
「……魔力を感じる」
しかも、かなり最強力な……。
大きな魔法が駆使されたあとのその揚に残る魔力に、タージュは眉を顰めてそうつぶやいた。それほどの魔力は、大戦の最中虚空神の四天王の一人である夢王と戦った時に感じたくらいであるのだ。しかし逆に言えば、トゥラース王やツァルガの兵士達が、それほどの魔力によって引き起こされた「何か」に晒されたたということであり、 彼は内からわき上がる不安をこらえるように、 唇を噛みしめた。
ゆっくりと彼が降り立った場所は、破壊された城門のすぐ目の前で、そこには魔力を感じる大きく穿たれた地面があり、その背後を振り返れば、激しく戦った戦闘の後が、見て取れた。
それなのに。
激しかったことを思わせる戦場の跡には、六つの国の兵士の遺体も、そして自国ツァルガの兵士の遺体すらも、一体たりとも存在はしていなかった。ただその揚に残されていたのは、持ち主のいなくなった武器や折れた矢、崩れた壁や、血の滲んだ土などであったのだ。
タージュはそんな光景から目をはなし、穿たれた地面の中央をみやる。
だがそれがなんのせいでできあがったのかを知ることを諦め、ゆっくりと歩を進め、王城内部へと向かっていった。
なぜか、もしかしたら生き残っている者がいるかも知れない、兄上が生きてこの城のどこかにいるかも知れない、などという希望は、ほんの少しもタージュの心を訪れることはなかった。もとより彼は、今生の別れになるだろうと、民達を脱出させるために王城を後にする時に、兄王に伝えられていたのである。
希望もなにも浮かび上がっては来ないけれど、ただ一つ、彼は信じていることがあった。それは、兄王トゥラースが、「死んではいない」ということであった。
もし、彼の王がこの世から命を無くしたのであれば、その瞬間に、自分は何らかの形で、それを知ることができると、そう信じていたからである。
「兄上は絶対に生きている」
口に出してそう呟き、タージュはツァルガの王城の中枢に存在する、玉座の間へと……広間へとむかった。
静かな空間であった。
こつんという、つま先で蹴り飛ばしてしまった崩れた壁の欠片が転げる音さえ、はっきりと耳元に届いてしまうほどに、その場所はしんとしずまりかえってしまっていた。
窓にはめ込まれた格子は所々落ち、戸板も激しい揺れでもあったのか、落ちてしまっているところが多い。そんな窓から差し込んでくる春に近い陽光が、広い広間に白い光となって差し込み、扉から玉座までの床に敷かれた真紅の絨毯を、鮮やかな色へと変えている。
玉座のある辺りは、その周りにつけられているカーテンや、辺りに窓が一もな在しないせいもあって、暗い時い影が落ちている。
いつも彼の兄が腰を下ろしていた玉座にも、すっかり影が落ち、暗く沈んでいる。
「……兄上……」
広間の中央まで歩み寄り、玉座を見やってそう呟いたタージュであったけれど、そんな彼に返ってくる声などあるはずもなく、彼は眉を顰めてしまう。
あの玉座には、いつも兄王が腰を下ろし、自分がこの場にたてば、優しい表情で見やってくれていた。
幼い頃に、母である女王を亡くしたために、タージュは兄王トゥラースがまだ十四、五歳のころから、この玉座に腰を下ろした姿を見統けていた。そして母の死後、玉座に腰を下ろし様々な公務を執り行っている兄王を見るたびに、タージュは早く大きく、強くなり、あの玉座の右側へと立つのだと……偉大な王の右腕となるのだと、心に誓っていた。
事実、魔法を修得する者の少ないここのツァルガの王家にあって、強い魔力を持って生まれてきたタージュは、幼い頃から魔法を熱心に学んでいた。それだけではなく、彼は自らの肉体も鍛え、武術も一通り学び、その優れた才能をどんどんと伸ばしており、確実に将来のツァルガの将軍として成長していき、大戦のおりにも夢王に狙われた闇聖王の留守中のツァルガの王都を、何度も兵を率いて守っていたのである。
それも全て、一日も早く一人前となり、敬愛する兄王を助けるためにという心があったからであった。
けれど。
今、彼のの目の前の玉座に兄王の威厳ある姿はなく、それどころかこの王城自体に、ただの一つも生きている者の気配がない。大勢の人間がこの城で暮らしていた頃を知るタージュには、このがらんとした空気に包まれ、しんと静まり返った王城は、まるで魂の抜け投のようだと思われた。
「まあ、魂を失ったのは、本当のことなんだろうが……」
自嘲の笑みで呟いた彼は、ゆっくりと歩を進めて、自分が立つと誓った、王の玉座の右側へと移動し、振り返って広間を見渡した。
いつも玉座から兄王が見下ろしていたであろう場所をゆっくりと見渡す。
明るすぎる陽光が幻想的だと思えるほどに、紅い絨毯を所々鮮やかに染め上げ、いくつか残っていた窓にはめられた格子が、その影を落とし鮮やかな絨毯に模様を描いている。壁や窓が衝撃によって所々崩れている事を除けば、広間の光景は最後に兄王と別れを告げた時のままで、ここまでは敵に蹂躙されなかったのだとタージュは安堵の息をついた。
けれど、それと同時に胸にはむなしさがこみ上げてくる。
主のいなくなった広間は……タージュー人しか存在しない王城の広間はすさまじく広く感じられ、タージュはただただその光景の中に自分を置いて、呆然とする。
兄王達は、この広間で忽然と消えてしまったのだと言われれば、そのまま信じてしまえそうな程の雰囲気がそこには存在し、時が止まったかのような錯覚を覚えてしまう。
「このままこの場所にいれば、俺も消えてなくなってしまえそうだ」
そう呟いて、目を閉じるタージュであったが、閉じた瞬間にその事を後悔した。なぜならば、この広間での記憶が、そしてこの城での暮らしの記憶が、一気にタージュの脳裏に浮かんでしまったからである。
幼かったティーナを背負って、城の中を歩き回った事。
兄であるロスを怒らせて、一日中部屋に閉じこめられた事。
年に数回ほどしか姿を現さない、別の場所に暮らしていた姉が、一緒に風呂に入ろうなどとからかい出して、ひどく慌てた事……。
そして自分が、「いつか貴方の右腕になります」と、はっきりと兄王に宣言して、それはそれは優しい顔で微笑まれ、「楽しみにしている」と言われ、顔まで真っ赤にして「待っていてください!」と言った日の事。
…………そんな記憶が、あふれ出してきたのだ。
さらには城内の日常的な音……人々の会話の声や、剣の稽古をしている時の音……窓からの風にカーテンがはためく音までもが、耳に届いてくるような気がする。
まるで大戦の前の、平和だった頃の王城に戻ったような気がして、はっと目を開くタージュであったけれど、そんな彼の目の前には、彼以外には誰も存在せず、音を立てる者もなく、ただ主のいない空間だけが視界に飛び込んでくるのであった。
「……兄上……、貴方はどこへ行かれたのですか……」
ぽつりと、そんな言葉を口にすれば、ふいに胸から激しい感情が込み上げてきて、目頭に熱が集まってくるような気がする。
本当ならば兄王が残るこの城を、離れたくはなかったのだ。トゥラース王と、この城の残った兵士達とともに、最後まで襲いくる敵と戦い、兄王を守り抜きたかった。
けれど。
兄王は彼に妹王女と民を守れと伝え、タージュとの別れをロにし……、こうして王城へと戻ってみれば、 城には一人の人影もなく、兄王や兵士達がどうなったのかも分からず、タージュはぶつける相手がいない怒りを握りつぶすかのように、ぎゅっと拳を強く握りしめた。