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第1話 勇者召喚の巻き添え

 私の名前は晴田はれたヒロシ、四十二歳。

 どこにでもいる、ごく普通のサラリーマンだ。役職は一応ついているが、上司と部下の間に挟まれるただの中間管理職であり、会社の歯車に過ぎない。


 今日も今日とて、本社の会議室で上層部の無茶な要求に頭を下げ、その足で現場へ向かい、不満を爆発させる部下たちをなだめちらかす一日だった。

 毎月の売上目標と、慢性的な人手不足。現場の悲鳴を本社に届けても一蹴され、本社からの理不尽な指示を現場に下ろせば突き上げを食らう。

 私の得意技といえば、両者がなんとか納得するよう上手くまとめ上げる「人間説得スキル」くらいなものだ。社内の些細な喧嘩の仲裁も得意なほうではある。


 波風を立てず、ただ平穏にやり過ごす「事なかれ主義」。


 それが私の処世術だ。何度か女性とお付き合いする機会はあったものの、結婚という責任に踏み切れずに独身のまま生きてきたのも、その性格ゆえだろう。


 だが、その「事なかれ主義」のせいで、私は取り返しのつかない強い後悔を抱えることになってしまった。

 数ヶ月前のことだ。上層部から、現場の状況を完全に無視した理不尽な命令が下った。

 その時、私の部下で一番見込みのあった若手が猛反発したのだ。


「こんなの絶対に無理です! 現場のみんなが倒れますよ!」


 彼は現場を守ろうと必死だった。しかし私は、上層部に逆らうリスクを恐れ、彼を守り切ることを諦めてしまった。


「会社の方針だから仕方ない。私に免じて頼むよ。今回だけやってくれないか」


 彼をなだめるも私の説得は届かず、直接上層部へ苦情を入れるも、あっけなく地方へ左遷されてしまった彼。

 結果的に地方の営業所に馴染めず、退職にまで追い込まれてしまったのである。

 彼の去り際の、失望しきった冷たい目を、私は一生忘れないだろう。

 私の「事なかれ主義」は、結局のところ自分を守るための卑怯な言い訳に過ぎないのだ。


 +++


 重い後悔と疲労を引きずりながら、私は深夜の満員電車に揺られていた。

 吊り革につかまり、ぼんやりと窓ガラスに映るくたびれた自分の顔を見つめる。


 ふと視線を横に向けると、隣にはイヤホンをした今どきの若者が立っていた。


 異常は唐突に訪れた。


 カッ、と強烈な光が足元から吹き上がったのは、次の駅に差し掛かろうとした瞬間だった。

 視界が純白に染まり、強烈な浮遊感に襲われる。満員電車のモーター音も、周囲の乗客のざわめきも、すべてが遠のいていく。


+++


 次に目を開けた時、私が立っていたのは電車の車両の中ではなく、見渡す限り石造りの、冷たくて巨大な広間だった。

 周囲には、甲冑かっちゅうを着た騎士たちや、ローブを羽織った怪しげな老人たちがずらりと並んでいる。


 そして私の隣には、さっき電車で隣に立っていたあの若者が、目を丸くして立ち尽くしていた。

 どうやら私は、この若者の「勇者召喚」とやらの巻き添えを食らってしまったらしい。


 +++


「おお! 見事なステータス! これぞ伝説の勇者様じゃ!」


 王城の玉座の間のような場所で、水晶玉を覗き込んだ老人が歓喜の声を上げた。

 周囲の騎士や貴族たちが一斉に拍手喝采を送る。若者の手にはすでに光り輝く剣のようなものが握られており、彼は「選ばれし英雄」として、この異世界の住人たちから熱狂的な歓迎を受けていた。


「して、そちらの者は?」


 王らしき立派な髭を蓄えた男が、私を一瞥いちべつして言った。

 何が何だか分からないまま、言われた通りに水晶玉に触れると、老人の顔色がサッと曇った。


「……魔力、ゼロ。固有スキル、なし。身体能力は……平均的な農民以下。何の特典チートも持たぬ、ただのおっさんですな」


 広間の空気が、水を打ったように静まり返った。

 先ほどまで若者に向けられていた熱狂とは打って変わり、私に向けられる視線は氷のように冷たい。

 周りの大人たちがヒソヒソと嘲笑を交わす。

 私に向けられる目は、まるで「生産性ゼロの粗大ゴミ」を見るような目だった。


 若者が手厚くもてはやされる一方で、私は勝手に転生してきた勘違いおじさんのように扱われた。それは、あまりにも理不尽で一方的な評価だった。


「あ、あの……私は元の世界に帰れるんでしょうか?」


 恐る恐る尋ねる私に対し、王は申し訳なさそうな演技をして答えた。


「帰還の魔法など存在せんでのぉ。そなたのような難民を養う余裕は我が国にはないのだ。というわけで……」


 察してくれと言わんばかりにそっぽを向かれ、言い訳や事情を説明する隙すら与えられなかった。両脇を屈強な騎士に抱えられ、私は文字通り「即座にポイ捨て」されることになった。


 +++


 城の巨大な門が重々しい音を立てて閉ざされ、私は見知らぬ異世界の街に放り出された。

 石畳の道を歩くのは、獣の耳を持った亜人や、身の丈が二メートルはありそうな筋骨隆々の戦士たちだ。


 これからこの世界で生きていく?

 スマホもマッサージ機も孫の手だってなさそうな、この世界で?

 無理だ。しかし、これが現実。


「とにかく、生きていくためには仕事を……」


 私は必死に街の商店や工房を回った。だが、現実は甘くなかった。

「荷運び? あんたみたいなひ弱な中年じゃ、ドラゴンの鱗一つ運べないだろ」

「皿洗いなら間に合ってるよ。よそへ行きな」


 超強力な魔物や屈強な異世界人が当たり前のように闊歩するこのファンタジー社会において、体力もなく、魔法も使えない「日本のおっさん」にできる仕事など、何一つ存在しなかったのだ。


 日が暮れ、冷たい風が吹き始める。冷たい石畳の感触が、容赦なく私の体温を奪っていく。

 腹は減り、足は棒のようになり、とうとう私は路地裏の汚い壁に背をもたれてへたり込んだ。見上げる空には、地球では見たこともないような不気味な赤色の月が浮かんでいた。


「なんなんだ、この仕打ちは……」


 日本では『事なかれ』でやり過ごせば、少なくとも命まで奪われることはなかった。だが、この異世界では違う。無能であることは、そのまま死を意味するのだ。

 理不尽な上層部に逆らえず部下を切り捨てた私が、今度は自分が「使えないゴミ」として一方的に切り捨てられ、誰にも見向きもされない。

 異世界の過酷さに、私は完全に絶望していた。


 疲労と空腹で意識が朦朧もうろうとする中、私の視界の端に、薄ら笑いを浮かべた男たちの影が近づいてくるのが見えた。


 あぁ、お決まりのアレだね。最後は若者にボコボコにされて野垂れ死ぬのね。


「おや、こんなところで可哀想に……。我々の施設へ来ませんか?」


 思いもよらない声掛けに、逆に睨んでしまった。

 それは、チンピラの下っ端のような男がかけてきた甘い言葉だった。

 どうしようもなく惨めな思いをしていた私は、その言葉にすがり、そのままついていくこととした。


 +++


 男たちに連れられて辿り着いたのは、街の喧騒から少し離れた場所にある「おっさん愛護団体」という、恵んでくれるのか動物扱いをしてけなしているのか、よくわからない保護施設だった。

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