モノローグ いつもの朝
冒険者ギルドの一角、埃っぽい資料編纂室に、私は籍を置いている。
仕事は、ギルドが「原因不明の事故や事件」として処理しきれなかった事象の、調査と記録。
誰も触れたがらない、「知ってはいけないもの」の整理係。
部屋に差し込む、穏やかな朝の光。部屋を満たす羊皮紙とインクの匂い。バタン、と小気味よい音を立ててドアが開き、聞き慣れた足音が近づいてくる。
「ホリィさん、おはようございます。こちら、今日の報告書です」
エドがいつもと変わらない無邪気な笑顔で、羊皮紙の束を渡してくる。
「……今日も多いわね。不審死の調査?また?」
「はい、最近多いですよね。すみませんが、お願いします」
ホリィは眼鏡の位置を直し、冷めた珈琲を啜りながら、いつも通りペンを握る。
* * *
夕方、一日の仕事が終わり、資料編纂室に静かな夕闇が広がる。
「よし、これで今日の分の整理は終わりですね。ホリィさん、お疲れ様でした。では、先に帰りますね」
「ええ、お疲れ様。鍵は閉めておくわね」
「了解です。じゃあ、また明日!」
エドが元気に部屋を出ていき、ドアが静かに閉まる。一人残された室内の静寂の中で、ホリィは帰り支度をしながら、ふと、窓の外の茜色の空を見つめた。
(私は……一体、いつからここに来たんだっけ……?)
私は、どんな街で育ち、どんな風に生きて、どうやってこの世界へ来たのか。
記憶を手繰り寄せようとするが、霧がかかったように思い出せない。
足元がガラガラと音を立てて崩れ去るような気がした。胸の奥を焦燥感に突かれ、思わず、デスクの最下段の引き出しを開けた。
誰にも見せない、自分が日本にいた頃の「本当の名前」を書き留めた一枚の羊皮紙。
そこに書かれていたはずの懐かしい漢字は、じっとりと黒いインクのシミのように滲んで広がっており、もう、どうしても読み取ることができなかった。
「私の……名前……」
ぽつりと溢れた声は、静かな部屋の空気に溶けて消えた。
何かとても大変なことが起きた気がする。しかし、それも思い出せない。
自分が何者であったか、これほどまでにあやふやだったか。
考えたところで答えは見つからない。
羊皮紙を引き出しの奥へと仕舞い込み、部屋を出る。
カチャリ、と鍵を閉める音が響く。
知らなければ、気付かなければ何も問題はない。
ただ、体中に染み付いた羊皮紙とインクの匂いだけが、私がここに存在している唯一の証明だった。
資料編纂室は、いつもと変わらない、ただの冷たい静寂に満たされていた。




